【旧校舎】その1「ダイヨンのカイダン:姫代エルドフリームニル」



「『誰も語らない』。『誰も気にしない』。そういうのは、怪異たりえると思うかい?」

おミツさんは、なにやらラジオのような機械をいじくりながら、少し緊張した様子で私に問いかけました。

「ええっと…?」

おミツさんは確か…「個の認識が魔人能力を生み出すように。集団の無意識の認識もまた、怪異を生み出す」と。

「じゃあ…誰も認識していないなら、怪異には、ならない?」
「その通り。そして私たちはそういう輩をこれから相手にしなければならない」

まったく相性が悪すぎる、とおミツさんは苦々しげにぼやきました。

「え…おミツさん、それはおかしいですよ」
「ふうん。どういうところが?」

おミツさんは渋い表情で、確認するように訊きます。

「だって、『誰も気づかない』なら私たちがそういうものが存在しているってわかるわけがないじゃないですか」
「………そうだな。でも、そういう状況なんだ」

おミツさんは、なにやら言葉をぼかしたようでした。そしてなにやらいじっていた機械を置くと、それに拳銃を向けました。

「だからこうだ。やれやれ、我ながら掟破りにもほどがある外法だが―そうでもしなきゃ勝ち目があるまいよ、『怪弾(net-a-bullet):メリーさんの電話』」

ばちん、と機械に銃弾が吸い込まれると、ラジオのような機械はざらざらとノイズを吐きはじめました。

「一言話してみたかったが…このノイズでは無理か」
「これは…通信機ですか?」
「その通り…姫代は秘城、外部から隔絶された領域…ではあるが、それだからこそ通常では繋がりえないような『外側』とは相対的に近しい。境界で隔てられている、ということは逆説的にその境界の向こう側の存在を確かにするのさ。そこに縁を繋ぐことを性質とする『メリーさんの電話』を合わせればこんな反則的なつながりも作れるというわけだ」

機械はノイズを吐き出し続けて、通信の向こうにいるのであろう誰かの声は全く聞こえません。しかし、まるでそれだけで…何もしゃべらずとも、顔を見せずとも登場するだけで十分だとでもいうような、恐ろしい気配を感じました。

「おミツさん…この、向こうにいるのは…」
蠍座の名探偵(・・・・・・)さ」

ぶつん、と、通信が切れました。それきり蠍座の名探偵は影も形も見せることはありませんでした。


その日は、お祭りの日でした。
彼女は偶然、路地裏でそれを見つけました。
それは少なくとも犬猫ではありませんでした。
それが元気がない様子だったので、彼女はその身に宿した翡翠色の火を、ごく軽い気持ちでそれに分けてあげました。
お気楽な彼女は、それきりそれのことを忘れました。
それと彼女が、分かちがたく結びついたことも気づかずに。


「いや、はや…凄まじいなあこれは」

山口ミツヤが軽く生徒名簿を洗うと、気付かれてすらいない失踪者が大量に表れた。何の説明もなくいる生徒も。

「おミツさん…こんなはっきりした異常に…誰も気づいていない…し、しかも!なんで私たちだけ気付いちゃったんですか!?」
「そうだな。誰も気づいていないというよりは、誰も問題にしていないと言ったほうが正しい。私たちがこれを問題視できるのはさっきの反則技で一連の事柄を『事件』に変えたからだ。流石は『転校生』の文脈操作。無茶苦茶だな」
「その無茶苦茶で、このまま一件落着とは…」
「ダメダメ、こんなもの本当は使っちゃいけないのさ。こうしてまともに土俵に立てるというだけでチートもいいところなんだよ今回は」

ミツヤは白い指先で手元の名簿をペラペラと捲る。

「実を言うと、真相はほとんどわかっている。正直なところを言えばもうお約束通りに関係者一同を集めて、謎解きを披露する段階に入れる」
「そ、そうなんですか!?」
「………」

ミツヤはうつむいて押し黙り…重々しく口を開いた。

「なあ、ろん。」
「はい」
「ボクたちは、友だちだろう…?」

唐突な質問に少し驚きながらも、ろんは迷いなく答えた。

「はい。もちろんです」
「…ありがとう、ろん。君は最高の友だちだ」

ミツヤはそう言うと、ぎゅ、とろんを抱きしめた。その手は僅かに震えている。

「おミツさん…」
「ああ、頼むよ…キミが頼みの綱なんだ。何が何でも、ボクの友だちでいてくれ」

ろんがミツヤに何か言うよりも先に―
その側頭部に、何か固いものが当たって。

「―『怪弾(net-a-bullet):狐の御宿』」

こてん、とろんは眠った。古典的な怪談である『狐の御宿』は、一晩の夢のような眠りをもたらす。

「行ってくるよ」

山口ミツヤは一人、戦いに赴く。


―夕暮れの、教室である。

「状況を、整理しよう。」
「はい!」

机を挟んで向かい合うのは日本人形のような顔の山口ミツヤと、いつも通りの神星翠

「ここ姫代学園では、日常的に異形の群れが人を捕食しているね?」
「はい!」

問いかけるのはミツヤ。元気に答えるのは翠。

「そして捕食されても人が減ることは無く、いつの間にか別人が何食わぬ顔でいるね?」
「はい!」

ドス赤い夕陽が、向かい合う二人を照らしていた。

「そして君はそのような状況に置かれてなお、全く気にせずに日々を過ごしているね?」
「はい!」

ミツヤの表情は、墓石のように硬い。翠の表情は、手品を見る子供のように明るい。

「これらの状況を、君以外は全く誰も気づいていない―そうだね?」
「他の人のことは知りませーん!」

そうか、とミツヤは一言。

「この、現状に対して…まず、怪異がどこにいるのかを語るとしよう。」
「怪異!」

翠は目を輝かせた。どう見ても当事者の態度ではなかった。
ミツヤは重々しく口を開き、語り始める。

「いつもならばすぐに正体を語るところだが―今回は相当に入り組んだ構図だ。順を追って語ろう」

その語り口は、硬い。いつもの流麗な口調とは、似ても似つかなかった。

「…怪異というのは、集団の無意識が世界律を歪めて生み出すものだ。個人の認識が世界律を改変する魔人能力とは、対照的と言える。そして怪異の在り方は集団の認識に依存する…であれば、その存在を認識する集団無くして、怪異はあり得ない」

ほむほむ、と翠はわかった風の顔で頷く。

「…では、この場合怪異を生み出す集団はどれだ?被害者たる、喰われる人々か?否、彼らは状況を認識していない。故に怪異を生み出し得ない」

ミツヤの白い額を、汗が伝った。

「…ならば、状況を認識している神星翠、君か?否、個人の認識が生み出すのは魔人能力であって、それだけでは怪異になりえない」

ミツヤの顔は蒼白であり、極度の緊張を物語っていた。

「…で、あれば残る可能性は一つ。その結論に至れば、背景も見える」

ミツヤは唾棄するように、その言葉を絞り出した。

「怪異を生み出しているのは、捕食者たる異形たち。認識の中身は『食べても減らない獲物』。生み出された怪異は、姫代学園にいる…ッ、私を含む(・・・・)、君以外の人間すべて!
ああ、シンプルだ!食べても減らない食料は神話の時代からあらゆる生命の夢だものな!無尽の食料…いいや北欧の神話に伝わる屠っても元に戻る猪(セーフリームニル)に例えるのが適切か!?物理法則を歪める魔人能力、あるいは怪異の手でそれが手に入るとなればやるだろうとも!生み出されては喰われる私たちはたまったモノじゃあないがな!」

自分自身をも、怪異だった。あまりにも常識外れな結論を、血のように吐き散らす。
ぜいぜいと荒い息をついて、なおもミツヤは語る。

「『ツェルベルスの喰魔』が、ヒントになった。一連の事件は人造怪談(・・・・)だ。腹を満たすというごく単純な目的のために作られた、良くできたシステムだよ!人造と呼んで良いのかどうかは、甚だ疑問だがね…!」

目を血走らせて、なおもミツヤは語る。

「…おそらくだが、この怪談の主たる捕食者の方々は、元々は人喰いではなく、怪異喰い(・・・・)なのだろうさ…元来人間とは関わり合いになるはずもない存在なのだろう。人の認識に由来する怪異じゃなくて、独立した超常だ。それがなぜこんなことに手を染めたのかは正確にはわからないが…大方腹を空かしていたところで、幸運にも転がって来たチャンスをつかみに行ったんだろう」

そこまで話して、ミツヤは一度話を切った。それを聞いていた翠は…

「へー。そうなんですかあ」

まるっきり他人事のように、翠は相槌を打った。彼女にとっては特に面白い話でもないようであった。

「…ここから先は、君に関わる話だ、神星翠
「私?」
「そうさ、君だ。この怪異の根幹の半分が、今までの話。もう半分は、君の話だ」
「ほえ」

間抜けな声を上げる翠に、ミツヤは語り始める。怪異ならざる少女の話を。

「―神星翠には、生まれつき二つの異質な才能があった。一つは、超常のものを認識し、交信する才能。神星というのは、元々神の託宣を天文に求める星見の家系だったのさ。調べたら簡単に分かった」
「そうだったんです!?知らなかった!」
「知らないのも無理もない。大分昔に星見は廃業していたようだしね。君は先祖返りだったんだろう」
「えー!そうなんだー!わたし超能力者―!?えへへー!」

ニコニコと笑う翠と対照的に、以前としてミツヤの表情は硬い。

「―神星翠が有する、もう一つの才能。言うなれば―」
「いうなれば?」
クソ能天気(・・・・・)なこと」
「くそのうてんき」

ぽかんとする翠を置いて、ミツヤは語る。

「魔人能力が発現する際、こうした血統に由来する異能というのも多くの場合は魔人能力と同一化する。『自分はそういう能力を持った人間である』っていう認識が多くの場合魔人能力にも出るんだ。だが、君の場合は…」
「さわやか☆ぱわー!」

ごうと噴き出す涼気が、強引に場の空気を明るくしてしまう。ミツヤも硬い表情をたまらず崩して苦笑いした。

「――この通り、能天気具合と元気具合が突き抜けて、身体強化の魔人能力として発現したわけだ。無病息災健康優良児としての肉体を保つ、不易性の具現。その根底にある自己認識について質問だ。君、何歳だ?」
「15です!」

「何年間15歳をやっている?」

その質問に、翠はぽえ、と間抜けな声を漏らして、ひい、ふう、みい、よう…と指折り数えて……

「わかりませんっ!」
「オーケイこれではっきりした。君は不老なんだな。肉体的にも精神的にも。肉体の不老は能力の賜物だが―その能力は、精神から芽生えたものだ。ごく自然に日常は不変だと思い込んでいる。昨日と同じ今日、今日と同じ明日が果てしなく続く。今日は楽しく、明日も楽しい―それが君の根底にある自己認識だ。サザエさん時空と言えばわかりやすいか?」

ほへー、と微妙な相槌を打つ翠に対して、ミツヤは語り続ける。

「普通ならば、そうした個人の認識は、魔人能力という形で発現し―実体的領域に影響を及ぼすとしても、その個人と中心とした狭い範囲に留まる。しかし、だ。」

ずい、とミツヤは身を乗り出した。

「姫代学園全体を覆う異常―恒常性を保ち、起こる全てを日常のものとして受け入れる―この性質は、君の認識による魔人能力と酷似している。しかし個人の認識による魔人能力がその本人にも無自覚なまま広域での世界律改変を及ぼすとは考え難い。つまり姫代学園の異常な恒常性は集団認識が作る怪異。しかし君と無関係と言い切るには、あまりに似ている
―君とこの怪異は、どんな関係があるのか。そこが、鍵だ」

遂にミツヤは朗々と語り始める。その怪異の真相を。

「――正確な年月はわからないが、おそらくは高度経済成長の時代。日本の社会が急速に変わり、都市化が地方まで浸透するとともに人々の認識も大きく変わった時代。すなわち、怪異のありようも大きな変化を強いられた時代」

その語り口は、硬く、重い。

「――怪異の世界における生態系…のようなものにとってみれば、環境破壊と大量絶滅の時代と言っても良かっただろう。そんな時代の煽りを食って腹を空かした怪異喰いの異形…元来人間とは関わり合いになるはずもない、文字通り世界の裏側の住人がいたわけだ。
そして飢えて死ぬはずだったそれの前に、偶然にも…偶然にも、その手の異界の存在を探知する才能と、飢えた相手にエネルギーを供給できる能力と、人外の異形にホイホイと親切にする能天気な気質を兼ね備えた奴が通りすがり、軽い気持ちでソレを助けた」

訥々と、かつての出来事を第三者が当事者に語る。

「彼女がソレに与えたのは、魔人能力の産物…常若の自己認識から来る、無尽の活力。飢えたソレは、そのエネルギーをさらに欲した。人喰いの獣ならばここで彼女に襲い掛かるだろうが―ソレはそうしなかった。ソレが元来人を喰うものではなく、人の集団認識から来る怪異こそを糧とする存在だったから。ソレが行ったことは、寄生…あるいは共生だった」

話が核心に近づくにつれ、語り部の額を汗が伝う。

「ソレは与えられた力を元に増殖し…ハハ、掟破りな手段だ…種族単位で無意識に君の思想を刻み、『個人の認識』を『集団の無意識』に転写した。
個人の内側に収まる魔人能力という世界律の歪みを拡張し、姫代学園を覆う怪異という形に変えた。姫代は秘城。異界を作る鋳型には最適だ。姫代学園を鋳型に…個人の認識に依拠する、君の認識がそのまま表れる閉鎖的な異界を作り上げた。
―そうして出来たのがこの空間。いつまでも変わらぬ楽しい日常が続き、食い散らかしても一晩で元通り。能天気な君と、腹ぺこ怪異喰いが二人三脚で作り上げた理想郷さ」
「………」

突き付けられた真相に、翠は何やらわかっていない様子でぽかん、と口を開けている。

「―ここは、自給自足の閉じた楽園なのさ。それだけならば問題になるようなものではないが…もう一段、君は質が悪い」

憐れむような視線が、翠に向けられた。

「君は毎日が楽しいから…他の皆にも楽しんでほしい(・・・・・・・・・・・・)と、祭りの日になると外部の存在を内側に招き入れる。ハロウィンや盆暮れを例に挙げるまでもなく、祭りとは日常の殻が薄くなり、異界と繋がりやすくなるイベントだ。故に祭りの日に、ここはオリジナルの姫代学園をはじめとした各所へと繋がり…ここのローカルルール…即ち君個人の認識=世界のルールという凶悪な認識汚染を撒き散らしながら多くの人間やその他を取り込み、自らの一部へと加えるわけだ。一種の侵略、あるいは多様性を保ちつづけることで内部の運営を安定化させるためのシステムか?―とにかく、私たちを含む数多くの人間を強引に引きずり込み、家畜扱いにする行為は見逃せないな。
―さて、何か申し開きはあるか?神星翠くん」

問い詰められた翠は…

「…?もうちょっとわかりやすくなりませんか?」
「…全くの無自覚と、善意か。酷い話だ。見るに堪えない。せめて一思いに解体(バラ)してやろう―、と、いうところだが…」

怪異の正体を明かし、あとはそれを解体するのみ。その段に至って、山口ミツヤの顔面は蒼白となった。

私自身が、既に怪異の一部となっている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。この状況で解体して、無事でいられるかどうか…!もろともに消えてしまう可能性だってある…この世界に取り込まれた時点で、酷い罠だ!」
「えーっと…よくわからないけど、大丈夫ですか?」

翠はなおも、状況を理解していない。その有様に、ミツヤは憐れみを禁じえなかった。

「いいや、―ボクは大丈夫さ。覚悟と対策は済ませて来た。ここで背を向けて逃げたら…
―ろんに、申し訳が立たないとも!今こそ語ろう!善意と無邪気が作り出した、理想郷と屠り場の怪談を!」

決意と共に掲げた掌に、ほの昏いなにかが収束していく。

「性質は、不易と再生。動機は無邪気と食欲。ほんの小さな善意に始まり、屍の山を築き上げた上に作り上げた理想郷に、不死の猪を煮る鍋の名を銘として送り語ろう!」

吸い込まれるように、彼女の下に何かが集まり―

「―『解談(ネタバレ):姫代エルドフリームニル』」

その掌に、小さな弾丸が生まれて収まった。
いつの間にか、二人が向き合っていた教室は、木造の古びた教室に変わっていた。

「…ふう。保険が効いてくれたか。そしてここは…幽世の、旧校舎か。記録された過去の姫代学園に上からかぶせる形で異界を作っていたんだな」
「………」

翠はうつむいて動かない。

「…君には、申し訳ないと思っているよ。悪気はなく、害意もなく…毎日を楽しく過ごしていただけなのに、こんな目に合わせてすまな…
「ほが!寝てましたっ!」
―ッ!?」

いきなり跳ね起きた翠は、わたわたと弁解を始める。
「ああいや寝てたというのは言葉の綾でありましていくらなんでも人の話の途中で寝ちゃうとかそんな失礼なことしませんよいやミツヤさんのためになる話はしっかりバッチリ聞いていたので完全に寝てて覚えてないとか忘れちゃったとかそういうことはございませんので怒らないでほしいというか怒りませんよねいややっぱりごめんなさい寝てましたすいません頭が悪くて難しい話を聞くと寝ちゃうんですいやミツヤさんの話が下手とかそういうわけではなくうにゃにゃ」

ミツヤは、その弁解どころではなかった。

「どういうことだ…なぜ元に戻っている(・・・・・・・)!?確かに解体したはず…!」

ミツヤの掌には、確かに怪談を無力化した証である一発の弾丸が握られている。
ミツヤは、その絶望的な結論に思い至った。

「この…一瞬で…!同質の怪談を再生産したか!?」

類似した怪談が、別の場所や時間で再び語られることはある。しかし―解体され、畏怖を失ったはずの怪談がこうもすぐに、それも同一人物の手で語られるとは―
その語り部は、恐るべき忘れん坊か、はたまた極度の近視眼的思考の持ち主か、完全に認識が固定化されているか。いずれにせよ、まともな思考回路の持ち主ではない。【元気ハツラツ☆さわやかパワー】によって四六時中活性化させ続けられた脳は、本人も無自覚なうちに人外的な思考回路を形成していた。それを指摘する者はいなかった。ここは彼女の認識が作り出す異界。彼女の日常を肯定する人間しか、ここにはいない。

「ああ!本当に怖いのは生きた人間だ―などと、こんなチープな台詞を吐かされるとは!そしてどうする?笑えるほどに相性が最悪だぞこれは!解体しても無意味とは!イカレている!笑うしかないなこれは!ははは!」

あまりの相手の無体さに、ミツヤはかえっていつもの飄々とした調子を取り戻した。

「あー!ミツヤさん笑ってるー!あはははー!」
「あはははは!」
翠はけらけらと笑った。ミツヤもやけくそ気味に笑った。

「はは、ははは―ふう。さて、どうするとは言ってみたがこうなった以上するべきことはシンプルだな。原始的な、ごくごくわかりやすいことだ」
「なんですか?」
ミツヤはいっそ晴れやかですらある顔で、眼前の翠に話しかける。
「君は怪異現象の核で、私は怪異に巻き込まれた身だ」
「はい!」
「私は友人と一緒にここを脱出しなければならない。君はこの閉じた楽園を捨てる気など毛頭ない」
「はい!」
「つまり私たちは、完全に、完璧に、完膚なきまでに利害の対立した敵であるわけだ。ならば君にかける言葉は一つ!」
「何ですかー!」
死ね(・・)!」
「いやでーす!」

ミツヤの手がエアソフトガンに伸びるよりも、圧倒的に早い。
神経電流。筋繊維収縮。能力発動。全ての速度が人間の反応限界を軽く超越している。
室内履きの靴裏が日本人形のような顔面にめり込み、脛骨を圧し折り、頭蓋骨を粉砕して脳髄に致命的な破壊をもたらした。
山口ミツヤは脳漿を撒き散らしながら吹き飛び、教室後方の壁に叩きつけられて完全に死んだ。

「ふーう!おなかすいちゃった。なんか買って食べよっと」

敵を蹴り殺した翠は、持ち前の能天気さを発動してすぐにそれを意識から外して踵を返した。教室の扉に手をかけて―

「『怪弾(net-a-bullet):生物室の獣』!」

扉ごと吹き飛ばされた。廊下の壁にめり込んで吐血。

「ごっほあ!?げぼっ、ごぼっ、なになになになに何であぎゃあ!?」

翠を襲ったのは、怪異狩り山口ミツヤが有する『怪弾(net-a-bullet)』の中でも最も凶悪な物理的破壊力を有する一撃。血濡れの獣が、細身の少女の柔らかい肌に喰い付き、その拳で殴り潰さんとする。

「もう一つ、追加の謎解きをくれてやろう…!君の作り出した異界において、人は喰われども日常は保たれる―であれば起こる事態は蘇生か、さもなくば同一人物の再出現であるが妥当。しかし実態は別人での穴埋め。これは一体なぜか?」

怪異狩りが、怪異を語る。

「それは単純、お気楽極まるキミの日常においてはだれもが風の前の塵に等しい存在であり、替えが効く(・・・・・)存在に他ならないからだ!全く見下げ果てた近視眼的認識だ!ならば怪談を語る側にとって替えが効かない(・・・・・・・)存在になれば、死したのちに同一人物として蘇りうる!例えば怪談を語る怪異喰いたちの中に―私をかけがえのない友人(・・・・・・・・・)として認識してくれる者がいれば!」

山口ミツヤは死んだ。しかしここは常若の楽園。不死の猪の屠り場。
死せども蘇る。彼女のことを忘れぬ、怪異喰いの友ある限り。

「ありがとう、ろん…キミが友達でいてくれれば、私は不滅だ―!」
「なああに言ってやがるんですかああ!!」

銀閃。乱撃。翠の手に握られた銀剣が、『生物室の獣』を切り刻み、直後にミツヤをも細切れのバラバラ死体に変えた。『生物室の獣』の一撃は柔らかい腹部を食い破り、内臓に達していたが、超常の身体強化能力はそれでもなお戦闘行動を可能としていた。

しかしその攻撃も無意味。怪異狩りは他ならぬ敵の力によって立ち上がる。

「っがあっ!復活するとは言っても痛いものは痛いなこれは!『怪弾(net-a-bullet):ツェルベルスの喰魔』!」

殆ど剣の間合いでの接射。黒い回転刃が喰らい付き、右腕を喰い千切って剣を取り落とさせた。鮮血と同時に翡翠色の火が傷口から噴き出す。

「痛ったああ!?」
「『怪弾(net-a-bullet):二つ顎・ツェルベルスの喰魔』ァ!!」

怯んだところに、もう一発。漆黒の鉤爪が細腰に喰らい付き、骨盤を叩き割った。運動の起点。破壊されれば動けなくなる部位だ。

「うぎゃあ!」

翠もたまらず倒れ込む。そして怪異狩りの握る地獄の番犬の顎は3つ。もう一発、その手中にある。倒れ込んだ姿勢からは回避は不可能。

「終わりだ―!『怪弾(net-a-bullet):三つ顎・ツェルベー
「おミツさん」

いつからそこにいたのか。その少女はそこにいた。

「―ルスの―」
「わたし、きゅうに、おなかが、すいて」

山口ミツヤは、彼女について解体しなかった。怪異狩りの明晰な頭脳をもってすれば、彼女がどういう存在であるかをつまびらかにし、どのように対処するのが正しいかもわかったはずだ。

「―喰―」
「おミツさんが―たべたくて(・・・・・)…たまらないんです」

だが、山口ミツヤはそうしなかった。

「―がっ!」
「あ、ああ、ごめんなさい…!おミツさんごめんなさい…!」

山口ミツヤは、友人を信じたかった。彼女は人に害成すものではないと信じた。好奇心のままに解体する対象ではないと信じた。友を信じることは、美徳であったかもしれない。
しかしそれが、彼女の首を絞めた。
一体何が引金となったのか。そうなった時にどうすればよかったのか。知ろうとしなかった。
知恵と洞察で真実を明らかにし続けた怪異狩りが、唯一手を付けなかったブラックボックス。

切り札たる銃弾は、空を撃った。
怪異喰いの牙が、怪異に喰らい付いた。
それが二人の友情の終着だった。


喰らう。喰らう。喰らう。
怪異喰いは、肉を貪る。
嗚咽と、優しく諭すような声が聞こえる。
「うええ、うえっ、うえええん」
「大丈夫、大丈夫だ、ろん」
肉を喰らう。肉は無くならない。ここは常若の理想郷。食えども尽きぬ、飢餓とは無縁の地。
「私は死なないさ。君が友だちでいてくれる限り」
喰らう。喰らう。喰らう。
肉は尽きない。


「あ、先輩こんばんはー」「また君か…って随分とボロボロだな。右腕無くなってるじゃないか」

神星翠と蓮柄円の世間話は、既に日常のものとなっていた。

「や、ちょっと犬に嚙まれまして。腕はそのうち生えるので大丈夫です」
「まあ君の心配をするなんてアホらしいということはわかっているがね。それにしても君をそこまで痛めつけるとは、ケルベロスか何かかい?」
「多分そうですねー」
「本当かい?いよいよ私も避難した方がいいかもしれん」

ぴこぴこと短くなった腕を振りつついつも通りの翠だったが、いつも通りの様子のままポロリと言った。

「ん、でもなんか最近はちょーっと大きいことの予感がするんですよねー」
「そうかい?」
「ただのカンです」
「ははは、そりゃあシャレにならないね。私はほとぼりが冷めるまで隠れているとしようか」

日常の夜は更けてゆく。
非日常の―あるいは新たな日常の気配は近い。


最終更新:2022年11月13日 20:01