ゼロの影~The Other Story~-05


其の五 二年虚無組魔影先生

 ルイズは夢の世界を疾走していた。叱られた時に逃げ込む湖と、そこに浮かぶ小舟を目指して。
 小舟に乗ったルイズの元にマントを羽織った憧れの貴族が現れ、彼女が顔を輝かせた瞬間――全身を鋼鉄の爪が貫いた。驚いたような表情を浮かべて彼は消えてしまった。
 霧の中から姿を現したのは彼女の使い魔。恐怖のあまり動けない彼女に向って音も無く歩み寄る。
 しかし、その足が止まる。霧を振りかえった彼は、その中にいる相手に氷の声で告げた。
「怒れ。憎め」
 誰ともわからない者の放つ冷ややかな空気と、憎悪に限りなく近い感情に緊張が高まり――頂点に達したところで空気が歪んだ。
「あ……ああ……!」
 本気の怒りを放つ影が、ゆらりと振り返った。
 とうとう耐えられなくなった彼女の意識は現実へ浮かび上がった。


 広場で白い影を中心に、生徒達が円を描くように取り囲んでいた。ある者は顔をゆがめ、ある者は叫びをほとばしらせ、ある者は恐怖を隠しきれないでいる。
 やがて、円の中から一人生徒が彼の前に進み出た。金属に包まれた掌がすっと伸び、漆黒の糸が生徒の身体に絡みつく。
 操り人形のように体が縛られるのを見ながら、疲れ切ったルイズはぼんやりと己に問いかけていた。
(……どうしてこんなことになったの?)
 発端は担当の教師が風邪をひいたことから始まる。代理が見つからず自習になると生徒達が喜んだのもつかの間――オスマンが授業を行うようミストバーンに頼んだのである。
 彼はミストバーンがフーケを殺しかけたことを知らない。「捕らえる際に傷を負わせたのを賢者の石で回復させた」とだけしか聞いていないのだ。
 ルイズをはじめとする生徒達は必死で懇願し、止めたのだが聞き入れられなかった。
「安心せい、死者は出さんと本人も言っておる」
「安心できるわけないじゃないですかッ!!」
 泣きそうになりながらルイズは全力でツッコんだ。うっかり間違えて殺してしまいました、なんてことになりかねない。
 それでも、いつもと違った環境での授業の意義云々をもっともらしい顔で説かれると反論できない。
(落ち着くのよルイズ、きっとわたしたちの実力を図ろうとしているのよ、もしかすると使える魔法を見せるだけでいいかもしれないわ)
 沈痛な空気のなか授業が開始され、恐る恐る生徒の一人が手を上げて発言した。
「あの、先生はどういった魔法を教えるつもりでしょうか?」
 教師を任されたとはいえ使い魔に対する態度とは思えない。しかし、それを笑うだけの度胸がある者などいない。授業中の“事故”が起こるかもしれないのだ。
「魔法は不得手だ」
 ならば格闘技の訓練になるのだろうか。メイジだからそんなことなどしたくないというのが本音だが、背に腹は代えられない。
 固唾を呑んで言葉を待つ彼らに静かな言葉が流れていく。
「だが、魔法を放つには精神力が鍵となる。私が教えるのは心の力についてだ」
 ルイズ達が意外だと言うようにミストバーンの顔をまじまじと見つめた。精神力など強さに含めないように見えるが、実は熱い心を持っているのか。

 どうすれば強い心を持てるのか。精神力を絞り出せるのか。身を乗り出して聴く生徒達に、どこまでも冷たい声が響いた。
「まずは……殺したい相手の顔を思い浮かべろ」
「「えぇっ!?」」
 いきなりそれかよ、と誰もがツッコんだがタバサだけは一人頷いている。
 生徒達が途方に暮れているのを知ったため、彼は“手助け”をすることに決めた。
 だが、一人ずつ順番に前に出るよう言われても皆顔を見合わせるばかりだ。
「おい、お前行けよ」
「殺人鬼がいるとこになんかいられるか! 俺は自分の部屋に戻る!」
「俺の冒険は……ここまでだぜ」
 口々に恐怖と絶望の込められた台詞が飛び交うなか、ルイズは震えながらミストバーンの前に立った。
 召喚した者の責任として真っ先に使い魔に向き合わねばならないと思ったためだ。
 彼の指から暗黒闘気の糸が伸び、体を縛りつけた。
「闘魔傀儡掌……!」
 束縛はそれほど強くない。一応手加減していると思ってルイズが気を抜きかけた瞬間――違和感が全身を貫いた。
『ゼロのルイズ』
『あいつ本当に貴族なのか?』
『ニセモノだろ』
『魔法も使えないくせに。まるで寄生虫じゃないか』
 彼女の中にため込まれていた鬱屈した思いが膨れ上がり、凶暴な牙を剥く。暗黒闘気によって暗い感情を呼び覚まされたようだ。
「怒れ。憎め」
 ミストバーンの眼がギラリと光り、ルーンが輝きを帯びた。
 彼の眼に映ったのは、ルイズの中にため込まれた膨大な負の感情。刺激を受けた今、魂の内で暴れ回っている。
 限界まで高まる感情をルイズが抑えつけようとした瞬間、奇妙な感覚が二人を襲った。
 ルーンがますます輝き、ミストバーンは視えていた力の流れが光とともにルイズとつながったことを知った。
 二人の身体を震わせるものは――どす黒い感情による共鳴。
 溢れだす直前ぶちりという音とともに傀儡掌の糸が弾け、ルイズの体が解放された。精神力を振り絞った彼女は殺気に満ちた目で彼を睨んでいる。
「怒りを増幅させる感覚を掴んだようだな」
 どこか満足げに呟く彼に生徒達は怯えた視線を向けたが、ここで逃げれば間違いなく文字どおり痛い目にあうことになる。
 覚悟を決めて順番に進み出る。まるで巨悪を退治しようとする主人公達のごとく悲壮な表情で。



「憎い! 憎いわァァ!」
 ある時は少女が口から火を噴きそうな勢いで二股をかけた相手に対する怒りを露にし。
「何で僕はモテないんだああッ!!」
 ある時はマリコルヌが己の境遇を嘆き。
「殺してやる……殺してやる!」
 ある時は怒る標的を目の前の不気味な男にした生徒が咆哮し。
「フハハハハッ!」
 勇者一行を返り討ちにする某魔族のようなミストバーンの高笑いが炸裂し。
 広場はちょっとした地獄絵図になった。

 阿鼻叫喚の中タバサが進み出るとキュルケが親友に心配そうな眼差しを送った。
 華奢な体だが、傀儡掌をかけられながらも手を動かして杖を構える。
「許さない……!」
 その言葉は戒めている相手ではなくこの場にいない誰かに放たれていた。
 無理矢理身体を動かし魔法を放つ。エア・ハンマーがミストバーンに叩きこまれ、生徒達が息を呑んだ。
 攻撃を食らったら激怒して反撃するのではないか。
 少女の体が串刺しにされるのを想像し、全員が思わず目をそむけたが惨劇は起こらなかった。
 衣の霧の中に吸い込まれ、打ち返された風の塊をタバサは魔法で逸らし、なおも杖を構える。やがて傀儡掌が消え、両者は攻撃態勢を解いた。
 見つめ合う二人の眼差しは互いを認めるものであったと目撃者は語る。
 ミストバーンはタバサの抱える闇が他の生徒達とは比べ物にならないことを見抜いていた。身体が強靭なら暗黒闘気を操る術を叩きこむところだ。
 また、ルイズも気になった。暗い感情が湧きあがり溜めこまれていく様子が他の生徒達と異なっていたのである。ルーンによってつながったのもルイズだけだ。
 特殊な力を秘めているかもしれないためこれからもルイズと行動をともにしようと考える彼だった。

 精神的疲労が普段の何十倍にも達する授業も終わる頃になって、コルベールが慌てて駆け寄ってきた。
 アンリエッタ王女が行幸するので授業は中止だと言う。
 それを聴いた瞬間、生徒達は叫んだ。心を一つにして、魂の絆に結ばれたかのように完全にシンクロしながら。
「「何でもっと早くそれを言ってくれなかったんですかああっ!!」」
 暗黒闘気によって増幅された怒りがコルベールのカツラに直撃し、吹き飛ばしたのだった。



 その晩ルイズの部屋に噂のアンリエッタ王女が訪れ、思い出話に花を咲かせた後で物憂げな表情を浮かべた。
 アルビオンで貴族達が反乱を起こし、王党派を打倒しようとしている。反乱軍が勝てば次に矛先を向けるのはトリステインであることは明白だ。
 対抗するためにゲルマニアと同盟を結ぶため、政略結婚としてアンリエッタがゲルマニアに嫁ぐことになった。
 だが、アルビオンの貴族達はこの結婚を妨げるため、血眼になって致命傷となるもの――アンリエッタのしたためた一通の手紙を探している。
 それがゲルマニアに渡ればすぐさま結婚は破棄され、トリステインは一国でアルビオンに立ち向かわなければならない。
 ルイズが友情に燃える眼で承諾したためアンリエッタは手紙の末尾に一行付け加え、指輪――水のルビーを手紙と共に渡し、旅の無事を祈ったのだった。


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最終更新:2008年09月04日 15:57
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