其の四 月影
オスマンは学院に戻ったルイズ達に称賛を送った。
奪われた神秘の石を奪還し、盗賊のフーケも捕らえた。誇っていい戦果だがその顔は晴れない。フーケを捕らえることは出来たがゴーレムに苦戦し、敗北する寸前だった。
自らの力で打ち負かしたという実感が無いため後味が悪い。それはキュルケやタバサも同じだろう。
詳しく訊くより先に賢者の石について尋ねられたオスマンは遠い目をして語り始めた。
昔、倒れていた旅人四人――自称勇者一行――を救って食事や宿を提供し、いろいろ協力したため「他にも持っているから一個どうぞ」と譲られた。
それから使う機会も無く大切に保管されてきたのだと言う。
「……あの、一ついいですか」
「何じゃ?」
ルイズが大きく息を吸い込み、キュルケとタバサは耳をふさいだ。部屋全体が震えるような怒声がオスマンの鼓膜を直撃する。
「何で使い方を訊かなかったんですかっ!?」
「す、すまん」
彼らがどうやってハルケギニアに来たのかオスマンも知らず、手がかりはない。怒り出すのではないかとミストバーンの方を窺うが動揺していないようだ。
帰る手段がわからないままだが、主との連絡が取れるためそこまで焦ってはいない。地道に調べるつもりだった。
その夜、食堂の上の階で舞踏会が行われた。
食事をとる必要のないミストバーンは人のいないバルコニーに佇み、主に報告を行っていた。
「――やはり器には魔族の体が適しています」
彼の正体は暗い思念から生まれた暗黒闘気の集合体である。他者を乗っ取る能力を持った彼は主から全盛期の肉体を預かり、それを守る任務を帯びていた。
単に強者を引きこみたいだけではなく、主に身体を返還した時のための新たな器を探している。
元々“自分の”体を求める本能はあったが、大魔王と出会ってからはそれがいっそう強まった。主の役に立つために、暗黒闘気を存分に振るえる最高の器を欲していた。
忠実な部下の言葉を聞いた大魔王は考え込んでいる。
『もし人間を器にするならば、根本的な強化が必要となるな』
備わった魔力や身体能力、生命力などを比べると魔族の方が優れている。少しずつ体質を変えていかねばならない。
やがて大魔王は楽しげに笑い、グラスを口に運んだ。部下を通して夜空に浮かぶ二つの月を見ることができる。
「双月もまた、趣のあることよ」
大魔王がそう呟くと同時にルイズが使い魔を探してバルコニーにやってきた。後ろ姿を見て息を呑み、立ち止まる。
月影を浴びて衣は神秘的な光を帯びている。まるでこの世のものとは思えない姿に彼女は言葉を失った。
「もし太陽が二つあれば――」
そこから先は言う必要などなかった。魔界に太陽をもたらすために彼らは戦うのだから。
どちらが呟いたのかわからない言葉に意外な想いに打たれてルイズは立ち尽くしていた。
大魔王の肩書を持つ者と闇が具現化したような部下が、光の象徴たる太陽を求めるような言動をするのが信じられなかった。
さらに、料理の減り具合に目を光らせていたメイドの一人――シエスタという名の少女だ――が食事をとらないのか気になったため近づいていく。
「初めて本物の太陽を見た日のことは……今でも忘れられん」
大魔王の声には宝物を見つけた少年のような響きが混じっている。異世界の月光が彼を感傷的な気分にさせているのかもしれない。
影は黙って主の言葉に耳を傾けていた。太陽への渇望は、数千年仕えてきた彼が誰よりもよく知っている。
ルイズとシエスタに気づいていないのか、気づいていても気に留めないのかわからないが、静かな会話が流れていく。
どうやら彼らはたびたび地上に赴いて朝焼けや夕焼けなど太陽を見たことがあるらしい。
ルイズは頭を働かせて必死に想像しようとした。太陽のない世界を。
(うー……無理)
シエスタも同じく頭を抱えている。
声をかけられないまま彼女達は何となく顔を見合せて、溜息を吐いた。
舞踏会も終わり夜が更ける頃、フーケは壁を見つめていた。
魔法衛士隊に引き渡される前に学院の適当な一室にぶちこまれたが、いずれ監視と防備が厳重な監獄に移されるだろう。
危うく殺されかけたのをルイズのおかげで――正確に言えば大魔王のおかげだが――命を救われた。
だが、国中の貴族の誇りを散々傷つけてしまったのだ。考えられる刑罰は縛り首もしくは島流し。どちらにせよ大切な家族に会える見込みは無い。
脱走しようにも杖を取り上げられているため不可能だ。高い所にある窓には固定化のかけられた鉄格子が嵌っている。
「ごめん……」
可愛い妹達の顔を思い浮かべたフーケは目を閉じて呻いた。
しかし、窓の外に気配を感じたため目を開いた。もしかすると口封じに殺しに来た刺客かもしれない。
相手の顔を見た途端、彼女の顔が引きつった。
「何であんたが……」
それもそのはず、彼女の命を奪おうとしたミストバーンが現れたのである。空中に静止したままじっと見つめられ、フーケは怯えた。
「やっぱり殺しにきたのかい? 安心しなよ、どうせ極刑になる可能性が高いんだからさ」
ミストバーンは軽く首を振って懐から袋を取り出して見せた。中身が金貨だと悟ったフーケが疑いの眼差しで眺めまわす。
金の出所が気になったが――訊いては後悔すると直感したため疑問は飲みこんだ。
「雇うつもり?」
無言で首を縦に振る。
貴族の魔道具を専門に盗みを働くならば相当な実力や人脈が必要不可欠だろう。学院では得られないものも社会の裏側に通じた人間ならば簡単に手に入れることができる。
特に目当てのものを指定するわけではない。帰るための手がかりに関する情報だけでなく、役に立ちそうなものならば知識でも品物でも歓迎するつもりだった。
「……選択の余地はなさそうだね」
断れば即座に殺されるだろう。自由の身になり報酬も得られるなら、悪くはない条件だ。
フーケが頷くと彼の掌から黒い波動が迸った――。
その後フーケは脱獄の手引きをした者への嫌疑をそらすため、
『怪しげな組織に属している親切なマザコン紳士が自分に惚れて逃がしてくれたためほとぼりが冷めるまで姿を消します 土くれのフーケ』
という適当にでっち上げた声明を送りつけた。
それを目にしたある男は一歩遅かったことを悟り、かなり落ち込んだという。
最終更新:2008年09月04日 15:53