其の六 白のアルビオン
出発の朝、二人の前に颯爽と現れたのは羽根帽子をかぶり口ひげを生やした男だった。
「グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。同行を命じられている」
ワルドは白い歯を輝かせながら春風のように爽やかにミストバーンに笑いかけた。
「僕の婚約者がお世話になっているようだね」
素晴らしい笑顔に返されたのは沈黙だけだった。気まずい空気がたっぷり流れた所で出発する。
出発してからずっとワルドのグリフォンは走りっぱなしだった。一刻も早く港町ラ・ロシェールへ到着したいようだ。
彼はルイズに熱い想いを語り続ける。
忘れかけていた約束をいきなり突きつけられたため彼女は困惑していた。
港町に到着し、宿を取ってルイズと一緒の部屋に入ったワルドは力を込めてルイズに語りかけた。
「僕にはわかるよ、君は特別な力を持っているってね」
ルイズは力なく首を振った。今まで散々ゼロのルイズと呼ばれてきたのだ。甘い言葉も簡単に信じることはできない。
だが、ルイズの心にミストバーンの言葉が浮かんだ。
『お前は自らの力で私を召喚し、これほどの威力の爆発を起こすことが出来た』
――自分はゼロではない。
「……あの、わたし、爆発だけは誰にも負けないって思っていますわ」
彼の言葉に励まされ、最近張り切って爆発の練習を行っていた。爆発しか起こせないのではなく、自分だけが爆発を起こすことができるのだと。
威力の低い爆発を素早く起こしたり、できるだけ高い威力の爆発を生じさせたり、調節のコツを掴もうと試みている。
それを聞くとワルドは嬉しそうに笑った。
「そう、その意気だよルイズ! さすが僕のルイズ!」
興奮したように目を輝かせ、熱く囁く。
「呼び出した使い魔も、とても強そうだ。メイジの実力を測るには使い魔を見ろというだろう? 君は偉大な力を持っているんだよ!」
己の言葉に陶酔したようにますます目に熱を込める。両者の顔が接近し、ほのかに甘い空気が漂った。
「ずっとほったらかしにしたことは謝るけど、僕には君が必要なんだ。この任務が終わったら結婚しよう」
そこまで言って今にも接吻しそうなワルドはルイズから視線を外し、壁を向いた。そこには使い魔が何も言わず立っている。
婚約者同士が熱く語り合っているというのに関心を一切示していない。唯一、偉大な力というところでわずかに眼光が鋭くなっただけだ。
出て行けとも言えないため二人きりで愛を語るというワルドの計画は失敗に終わった。
さらに、宿が傭兵達に襲撃された時もワルドの目論見は外れた。
格好いいところを見せて好感度を上げるまたとないチャンスだったのだが、ワルドが反撃を開始しようとした瞬間ミストバーンが姿を現した。
もう少し早く敵を攻撃していれば観察の対象になったかもしれないが、
(今か? いや、もう少しピンチになってからの方がいいな。そうそう、台詞も考えておかないと。可愛いルイズの心を掴むような……)
と思っていたため機を失ってしまったのだ。
間の悪い男である。
ミストバーンはそのまま何事も起こっていないかのように歩いて行く。
矢が雨のように降り注ぎ、確かに命中しているはずなのに一滴の血も流れない。白い衣が破れて黒い霧が噴き出すが、すぐにふさがってしまう。
メイジ以上に恐ろしい相手だと悟った彼らは逃げ出そうとしたが、一片のためらいもなく技の名が告げられた。
「ビュートデストリンガー!」
ただのならず者ならば手加減する必要も無い。鋼鉄の爪が標本にするように次々と彼らを刺し貫いていく。断末魔が空気を震わせ、すぐに消えた。
刺激が強すぎるためワルドはルイズを庇い、眉をひそめて問いかけた。
「……君、矢が刺さってなかったかい?」
「あんなものは効かん」
ルイズはもう質問する気力も無いのか黙って従っている。
ワルドは常識の通じない相手に呆れていたが、やがて口をポカンと開けることになった。
貴族派と思われる仮面の男が放った魔法が直撃しても、意に介さず蜂の巣にしてのけたのである。
「もしかして魔法も効かないのか? ……何というか、その、羨ましい体だね」
敵に回したくないな、とワルドは疲れたような笑みを浮かべた。
風石を動力としている船に乗り込んだ一行――特にミストバーンは空の旅を満喫していた。特に言葉にしているわけではないがルイズには何となくわかった。
彼が嬉しそうにしているのは、主が魔界では絶対に見られない光景を楽しんでいるためだ。
憎悪の化身のような彼が喜びを感じるなど想像しづらいルイズは首をかしげつつ尋ねた。
「あんたが心の底から喜ぶとしたらどんな時なの?」
答えは無いかと思われたが、予想に反して比喩表現も交えて返ってきた。
「バーン様の大望の花が――」
「咲いた時、ね。……あんたなんか魔界に帰っちゃえばいいのよ」
(訊かなきゃ良かった)
面白くないものを感じたルイズは頬をふくらませた。
納得いかない。召喚したのだから一応主人と言えるはずなのに、尊重するような態度はまるで見られない。
(ツェルプストーが見たら何て言うか……。アルビオン行きがバレなくてよかったわ)
ルイズの脳裏に犬猿の仲の相手が浮かぶ。ツェルプストー――『微熱』の二つ名を持つキュルケは燃えるような赤い髪と瞳、褐色の肌の持ち主である。
その因縁というのがツェルプストー家が先祖代々ヴァリエール家の恋人を奪ってきたため、というドロドロしたもので二人はよくぶつかっている。
もっとも、軽口にムキになってしまう姿を楽しまれているのだとルイズは気づいていない。
ことあるごとにちょっかいを出してくるキュルケがどんな反応を示すか想像したルイズは思い切り顔をしかめた。
フレイムを召喚したと誇らしげに語っていた彼女は、きっと使い魔の優秀さ、従順さについてこれでもかと自慢してくるだろう。
それに対してこちらは――。
先を考えるのを打ち切って思考を巡らせる。
(タバサの風竜に乗ってみたかったわ)
キュルケの友人である青髪の小柄な少女――タバサについてはあまり知らない。とても無口で本にかじりついているためだ。
彼女の召喚した竜を見て羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。その背に乗って風を感じられたらきっと気持ちいいだろう。
(あいつは飛べるけど、わたしを運ぶことはないわね)
ますます面白くないものを感じたルイズは溜息を深々と吐き出した。
どれほど力をつけたら彼に認めさせることが出来るのだろう。いくらなんでも倒すまでとは言わないだろうが――。
(そういえば、わたしの爆発は効くのかしら?)
気になったものの試す度胸はないため胸の内にしまいこんだ。
やがて空中に浮かぶ巨大な大陸アルビオンを目にした魔界の主従から感嘆の息が漏れた。
「通称は『白の国』。由来は大陸の下半分が白い霧に包まれているからよ」
「この地ならば、陽光の恩恵を存分に受けることができそうだな」
すっかり観光気分の彼らとは反対に船長は顔を蒼くしている。空賊の接近から逃げ切れず停船命令に従うこととなったのだ。
太陽に祝福された地に見とれていた彼は無粋な闖入者に不機嫌そうな眼を向けたが、ワルドから暴れないでくれと懇願されたため船倉へ入った。
空賊の頭の前に連れてこられ、貴族派につくよう勧められたルイズは震えながらも一蹴した。
すると頭は豪快に笑い、変装を解いて本当の姿を現した。その正体はアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだったのである。
アルビオン王家に伝わる風のルビーでウェールズ本人だと確認し、ニューカッスル内の居室へと向かい手紙を受け取る。
明朝非戦闘員を乗せたイーグル号が出発することをウェールズは告げ、帰るように促した。彼の軍は三百、敵軍は五万。勝ち目は万に一つも無く、真っ先に死ぬつもりだ。
ウェールズとアンリエッタの想いを悟ったルイズは悲痛な面持ちで亡命するよう叫んだ。
アンリエッタの性格をよく知っているため、末尾で亡命を勧めている確信があったのである。
だが、ウェールズはただの一行たりともそのような文句は書かれていないと否定した。
苦しげな口調が真実を告げているが、アンリエッタの名誉を守るためだと知ったルイズにはそれ以上何も言えなかった。
どれほど愛していても、いや、愛しているからこそ亡命はできない。貴族派が攻め入る格好の口実を与えてしまうからだ。
やがてウェールズは最後の宴に彼らを招待した。
勇ましい者達の宴は華やかさと悲しさを帯びていた。
王が明日の戦いは一方的な虐殺になるため逃げるよう促しても、集まった者達は笑いながら拒否した。
死を目前にした者達の明るく振舞う姿にルイズは気分がすぐれないようだ。それをワルドが支え、彼らの近くに立つミストバーンの元にはウェールズが歩いてきた。
その眼に不穏な輝きが宿りウェールズの目が細められる。
刹那、両者の手が閃光のように素早く動き、鋼鉄の爪はウェールズの眼前に、ウェールズの杖はミストバーンの胸に突きつけられていた。
命を狙ったと思った家臣達が激高するのをウェールズが手を振って黙らせる。実力を測ろうとしただけだと悟ったのだ。
一瞬の攻防で力を視たミストバーンは一つ尋ねた。
「死を恐れていないのか……?」
「怖いさ。でも、守るべきものがあるからね」
貴族派レコン・キスタはハルケギニアを統一しようとしており、理想を掲げている。しかし彼らは流される民の血も荒廃する国土も考えない。
内憂を払えなかった王家の義務として、勝てずとも勇気を示さなければならない。
そう語る彼の瞳には諦めでも絶望でもない輝きが宿っている。彼は譲れぬもののために命をかけて戦い、他の者達を照らそうとしている。
「我が主も、私も、強者には敬意を払う。私はお前の名を忘れはしないだろう……永遠に」
寡黙な男の率直な言葉にウェールズは微笑んだ。
「守るべきもののために全力で戦う――それは君も同じだろう? ならば、君もまた尊敬に値する」
対等な視線と言葉に沈黙で応えたのは、彼自身の魂を認められた気がして戸惑ったためだった。
アンリエッタには勇敢に戦い死んでいったと告げてくれ――そう言い残してウェールズは宴の中心へ戻っていった。
廊下を歩くミストバーンはルイズの姿を発見した。
彼女は泣いていた。なぜ愛する者を残して死を選ぶのか理解できずに。
彼に気づいたルイズは駆け寄り、飛び込むような勢いで闇の衣を掴んだ。
「お願い、ウェールズ様を助けて! あんたならできるでしょ、そんなに強いんだから!」
物理的な攻撃は一切効かず、魔法も吸収し、増幅して打ち返すことができる身体。さらに、一日中戦い続けても全く疲れを感じない。
今まで鋼鉄の爪による攻撃しか行っていないが、暗黒闘気を使えばさらに多くの敵を葬ることが出来るだろう。
ハルケギニアの住人が闘気を使えない以上対抗するすべはない。彼の戦い振りによっては戦況を覆すことも可能だ。
だが、ルイズの期待は裏切られた。
「大魔王様は命じられていない」
涙で濡れた瞳が失望に陰る。ウェールズとミストバーンの会話を聴き、互いに認めあったと思ったが――彼は戦うつもりはないらしい。
「あの王子さまに生きていて欲しくないの?」
流れる沈黙が何よりも雄弁に答えを語っている気がしたが、返事は無い。
「あんた自身の気持ちはどうなの?」
もう一度訊ねると、「これはウェールズの戦いだ」とだけ呟いた。
彼の参戦で反乱軍を押し返したとしても効果は一時的なもの。真の平和を得ることはできないだろうし、ウェールズの覚悟を汚すことになりかねない。
勝って生き残ってほしいとは思うが、それが不可能なことは本人が一番知っているだろう。
「どうして……!? あんただって本当は――」
異世界の住人が干渉すべきではないという気持ちも分からなくはない。だが――。
背を向けて歩み去る後ろ姿は、新たに溢れる涙でぼやけてしまった。
最終更新:2008年09月15日 17:52