其の七 誇りにかけて
翌日、ルイズはワルドとの結婚式を進めていた。ウェールズが見守り、神父の前でルイズとワルドが並んでいる。
憧れの相手との結婚なのだから嬉しくないはずがない。それなのにルイズは唇を噛んだ。何故かミストバーンの姿がちらついて離れない。
彼は壁際に影のごとく立っている。結婚式に興味など持たず出席もしないと思い込んでいただけに予想外だった。
神父の言葉を聞き流しながら本当にワルドと結婚していいのか、行動を共にしてきた使い魔を思い浮かべながらルイズは自分に問いかけていた。
彼を支えているのは主の存在。どれほどの強敵が相手でも、主がいる限り彼の心が折れることはない。何度でも立ち上がるだろう。
果たして自分の中でワルドはそれほど大きな存在だろうか。心の拠り所となっているだろうか。
(――違うわ)
おそらくワルドも同じだろう。必要としていることに偽りはないだろうが、心を支えているとは思えない。
結論にたどり着くとルイズは自然と首を振っていた。
「ごめんなさい、ワルド。わたし、あなたと結婚はできないわ」
言葉を聞いた途端ワルドの顔に朱がさした。ルイズの肩を掴み、熱に浮かされたような目で睨む。思わず怯えた様子で見つめるとそれも一瞬で消えてしまった。
「……わかったよルイズ。潔く身を引こう。だが忘れないでくれたまえ、僕は君を必要としていることを」
「本当にごめんなさい」
ルイズは申し訳なさに震えているが、あっさり聞き入れてくれたことへの安堵も顔ににじんでいる。
ワルドは傷ついた表情で悲しみに暮れるポーズをとり、溜息を吐いた。
「――ということで結婚式は中止だ。実に申し訳ない」
ウェールズはどう言葉をかけるべきか迷ったようだったが、下手に慰めると逆効果になると考え励ますような笑みを向けた。
「では、お別れだ。最後に君達に会えてよかった」
ルイズに、ワルドに、ミストバーンに順々に視線を移す。
「殿下……本当によろしいのですか!? 姫様に――」
なおも言い募ろうとするのをワルドが止める。
ほんのわずかに表情がゆがんでいる。死を覚悟し、戦場に向かう決意を固めていても想いを殺しきれなかったらしい。
「一目会いたかったが叶わぬようだ。命を落とした後に会いに行くとしよう。……アンリエッタを頼む」
信頼のこめられた言葉にルイズとワルドは頷いたが、ミストバーンだけは違った。
「断る」
ウェールズとワルドは目を丸くし、ルイズは簡潔な拒絶に絶句した。
思っても口に出さなければ良かったのに、と心の中で嘆く彼女の耳にわずかに温度のこもった声が届く。
「本当に大切なものならば……自らの手で守れ」
何千年もの間そうやって主を守り抜いてきた自負がある。ウェールズはすぐに死ぬため不可能だと知っていながら彼はそう言った。
ウェールズはしばし言葉を失っていたが、やがて朗らかに笑いだした。
「残念だ。もっと早く君のような相手と出会っていれば、どんな困難も恐るべきものではなくなっただろうに」
「殿下、こいつ……彼は」
大魔王の部下で何のためらいもなく大勢の人間を殺した血も涙もない冷徹非情な男だと言いかけて飲みこむ。今この場で言うべきではない気がした。
「主のために戦うというのだろう? できることならば共に戦ってみたかったが」
ミストバーンが実力を測った時にウェールズも強さを察したらしい。ルイズは何か言うよう肘でつついたが、もう口を開く気はないようだ。
「もし、もう一度守る機会が与えられたならば――」
続きを口にせず、三人にもう一度別れを告げてウェールズは礼拝堂を出ていった。
任務が終了し、戦いに赴く者を見送ったルイズ達にはこれ以上この場にとどまる必要はない。
ワルドがグリフォンを呼び、それに乗って帰ることを提案したため頷く。
だがミストバーンが軽く首を振って拒絶した。
怪訝に思った彼女をいきなり掴んだ彼は、あっけにとられるワルドを残し礼拝堂を後にした。
ルーンを輝かせ、何かに導かれるように走る彼がたどり着いた先に広がっていた光景は――血まみれになっているウェールズと酷薄な笑みを浮かべるワルドの姿だった。
閃光のように素早く杖を翻し、青白く光らせつつ胸を突こうとする。傷を負ったばかりのウェールズの動きは鈍く、避けられそうにない。
だが、ルイズを放りだしたミストバーンの爪が杖を弾いて狙いを逸らした。胸を浅く切り裂いただけで致命傷には程遠いのを見たワルドは苛立たしげに舌打ちした。
「どういうこと? 礼拝堂にいたはずなのに、いつの間にかここにいて、ウェールズ様を殺そうとするなんて」
乱暴に放りだされ床に尻餅をついたルイズは混乱したように視線を彷徨わせた。
「ルイズ、誤解だ。僕は――」
「彼は裏切り者で……遍在を使ったんだ」
言い訳しかけたのをウェールズの苦しげな声が遮る。
遍在――それぞれ意思と力を持った存在を作り出す呪文。
ミストバーンはルーンの働きによって仮面の男とワルドの力が同じことを見、内通者ではないかと疑っていた。
図書館で得た知識の中には風のスクウェア・スペルも含まれている。あえて泳がせていたのは道案内として役に立ってもらうためだった。
憧れの相手が見せる冷酷な表情にルイズは現実を認めざるを得なかった。
「ウェールズ様の命を狙っていたの? だったらわたしと結婚するなんて言い出さなくてもよかったじゃない」
ワルドは目を燃えあがらせて叫んだ。もはや仮面を完全に捨て、本性を剥き出しにしている。
「世界を手に入れるために君が必要だったんだ! 始祖ブリミルをも超える君の才能が!」
ワルドが必要としていたのは、彼女自身ではなく魔法の力。それも、ありもしない才能を手に入れようとしていた。それを悟ったルイズがワルドを睨みつける。
「目的の一つは君を手に入れることだが、果たせなかった」
指を立てて蛇のような笑みを浮かべてみせる。
「二つ目はアンリエッタの手紙。そして三つ目はウェールズの命」
それだけ聞けば十分だというようにミストバーンが進み出る。対するワルドは苦笑した。
「君はアルビオンの興亡に何の関係も無いだろう? ルイズに忠誠を誓っているようにも見えない」
戦うつもりはない、というように肩をすくめてみせる。物理攻撃も魔法も通じないと称する相手と戦うのは避けたいところだ。
ミストバーンにとってトリステイン以外の国はそこまで重要ではない。ハルケギニアに滞在した時間はまだ短く、ウェールズと顔を合わせた時間などほんのわずかだ。
それでも彼は戦うつもりだ。認めた者のために。
「ウェールズの邪魔はさせん。そして――」
ルイズへ向き直った彼の眼が壮絶な光を帯び、高らかに宣言する。
「お前は私の物だ!」
「……は?」
予想外の唐突な発言にルイズは間抜けな声を発した。ワルドとウェールズも目を点にして固まっている。
正確には「お前(の力)は私(とバーン様)の物だ」と言いたいのだろうが言葉が足りない。普段の無口さが仇となった。
言いきられたワルドは薄い笑みを浮かべ、杖を構える。
鈍く光る指先がワルドに向けられた瞬間、ミストバーンの両側に二人のワルドが現れた。合計三人のワルドが地を蹴り、瞬時に接近する。
距離が離れていては変幻自在の伸びる爪に締め上げられるか刺されてしまう。懐に飛び込んでしまえば逆に攻撃しづらいと踏んで突進するワルドの眼が見開かれた。
高速で伸びるはずの五指の爪は剣を形成し、両側から迫った杖を受け止めた。
さらに中央に突っ込んでくるのを見、二人を容易く振りはらいつつ身体を捌き回避する。その身のこなしはワルドの予想外だった。
接近戦でもこれほど戦えるとなると、得物の射程の差を生かして防戦一方に追い込み有効打を探すことはできない。
杖を繰り出しつつ詠唱を完成させて魔法を叩きこむが、空気の槌は増幅され、打ち返された。かろうじて回避したワルドの苦笑が歪む。
「非常識な体質だな。……化物め」
ミストバーンの眼が光り、いったん爪を引っ込める。
今度は縄のように伸ばし三人のワルドを拘束すると、立ち尽くすルイズに視線を向けた。
その苛烈な眼光が語っている。
自らの手でワルドを倒せと。
だが、昔からずっと憧れてきた相手に簡単に杖を向けられるはずがない。ここでワルドを倒すことが貴族としての役目だとわかっていても。
ミストバーンはルイズを煽るように言葉を吐き出した。
「この男は裏切ったのだぞ。忠誠を誓った相手を……!」
アンリエッタを。トリステインを。ルイズを。守るべきものを。ウェールズの信頼も踏みにじった。
ワルドの所業を思い出したルイズの眼が怒りに燃えあがる。暗黒闘気をきっかけとして暗い感情が練り上げられた時の感覚を思い出し――詠唱する。
素早く爆発を起こす練習の成果が発揮され、三回連続して鈍い音が響くとワルド達は全員消滅した。
最初からワルド本人はこの場にいなかった。おそらく結婚式に臨み礼拝堂に残ったのも遍在の一人。ミストバーンと戦う事態に備えてのことだ。
わざわざ勝ち目の薄い敵と真正面から戦う必要はない。殺されることになったとしても遍在ならば安心だ。
本人は今安全な場所苦笑していることだろう。
ろくに戦ったことなどない少女がいきなり誰かを殺せるとはミストバーンも思っていない。遍在を消滅させることで精神的な成長を遂げさせようとしたのだ。
屈辱に身を震わせるルイズは、まだ戦いは終わっていないというように目を光らせている彼を見て声を上げた。
「ねえ、これから――」
いらえはない。
ワルドがまだ遍在を操ることが出来るなら、ルイズと手紙以外の目的――ウェールズの命を狙うはず。ルーンの力を研ぎ澄まし、ワルドの気配を探っていく。
礼拝堂に残していた一体が風の吹くように移動したのを感知した彼は勢いよく振り返り、ウェールズの背後に現れた遍在へ爪を伸ばした。
全身を貫かれ、薄い笑みを貼り付けたワルドは驚いたような顔をして消滅した。
他に遍在が現れる様子は無く、今頃本人は退却しているだろう。
ウェールズは荒い呼吸の中、顔を上げて笑った。
「……ありがとう」
感謝の言葉に何も言えぬミストバーンを残し、ウェールズは走っていく。帰ることのない戦場へ。
そのまま彼が立ち尽くしていると、ルイズがタックルするような勢いでしがみついてきた。口にする言葉は昨晩と同じ。
「ウェールズ様を助けて!」
主の指示を仰ごうとしたが声は聞こえない。部下の判断に任せるつもりなのか、それとも今こちらの様子を観察していないのか。
かすかな違和感を覚えながら鋼の声で答える。その声はかすかにひび割れていた。
「バーン様は――」
ルイズはぼふぼふと衣を両手で殴り、噴火寸前の火山のような目で睨んだ。
「あんた自身はどうなのよ!? あんたが行かないならわたしが――!」
彼女にも自分一人が行ったところでどうしようもないことはわかっている。
しかし、アンリエッタの心を想い、ウェールズの命を救いたい一心ですっかり冷静さを失っている。
彼がもっと弱ければ亡命するよう協力してほしいとしか思わなかっただろう。
だが、救いたい意思と状況を打開するだけの力がありながら戦わないのはルイズには理解できない。
国の興亡と彼は無関係だが、ウェールズの臨む戦いは待ち望んだ好敵手との一騎打ちなどではなく、ただ虐殺されるだけの一方的なもの。彼が戦ってもいいはずだ。
任務は終わったというのにすぐに立ち去ろうとしないのが何よりの答えだ。
沈黙した相手にルイズの怒りがとうとう頂点に達した。可憐だが気迫のこもった声が城内に響き渡る。
「笑わせんじゃないわ……! 何が強者には敬意を払う、よ。とんだ嘘っぱちじゃない」
ピクリと鋼の指が動いた。
「あ、ひょっとして怖いの? だったら謝るわ、無茶言って。そうよね、いくらあんたでも無理よね。通じる攻撃があって殺されちゃうかもしれないし」
空気が音を立てて凍っていく中、とどめとばかりに弾丸のような言葉が炸裂する。
「大魔王の信頼する部下は尊敬する戦士の勇姿も見ずに逃げ出した臆病者って言いふらしてやるんだから! 大切なご主人様の顔に泥を塗ることになるわね!?」
押して駄目なら爆破しろと言わんばかりだ。魔界の主従は挑発されたら後には退けない性格だとルイズは睨んでいた。
己の力に自信を持ち、誇りを守ろうとする貴族と似ているのだから。
口を封じようにも彼の主はルイズに協力するよう命令したのだ。勝手なことをしては“お叱りを受ける”だろう。
あくまで挑発はきっかけの一つに過ぎない。結局は彼の意思次第だ。
危険な賭けだが、何もせずにいては後悔するに決まっている。
誇りにかけて、彼の心を確かめたかった。
彼は選択を迫られていた。
戦うか、戦わないか。
心に従うか、従わないか。
ウェールズは全身に傷を負いながら戦い続けていた。
味方と離れ離れになった彼は孤立無援。敵がメイジではないとはいえ数が違いすぎる。疲労が徐々に蓄積され、傷が少しずつ増えていく。
ウェールズは想い人の名を呟き前を見据えた。名も無き雑兵に討たれ首をとられるとしても、最期まで誇り高くあろうと。
彼の瞳に一斉に突き出される無数の武器が映る。
だが、それらが身体に届くことはなかった。
目の前に飛び込んできた白い影が全て受け止めたのだから。
両腕を顔の前で交差させ、数えきれぬ刃を受けながらその姿が揺らぐことはない。突然の闖入者に周囲の兵達は凍りつき、目を見開いた。
「ミストバーン……!?」
ウェールズは信じられないと言うように囁いた。
その足元から蜘蛛の巣を思わせる漆黒の網が広がっている。我に返って襲いかかる兵士達に掌を向け、拳を握りこむ。
「闘魔滅砕陣!」
空間をも捻じ曲げるような技で瞬時に多数の敵の動きを止めたミストバーン。
彼の後ろ姿を見てウェールズはかけようとした言葉を呑みこんだ。
――言葉はいらない。
彼らは地を蹴り、戦いへと身を投じた。
最終更新:2008年09月15日 18:05