其の八 戦う理由
圧倒的な勝利を確信していた反乱軍の兵士達は混乱に陥っていた。
それもそのはず、彼らの――ハルケギニアの常識が通じない相手が参戦していたからである。
時折鋭く光る不気味な眼。闇の凝集したような異様な姿。身にまとった衣も金属に包まれた手も恐ろしさを増幅させている。
何よりも考えられないのはその生命力。どれほど刃で切り裂かれようと、刺されようと、全く痛みなど感じないように戦い続ける。疲労すら存在しないようだ。
たまにメイジの魔法が撃ち込まれるが、手で無造作に払いのけられるか増幅して打ち返されるかのどちらかだった。
また、不死身の体に頼りきっているわけではない。素早さや膂力も相当なものであり、軽やかな動きとともに銀光が翻り、次々に敵を刺し貫いていく。
両手の爪は彼の意のままに動き、ある時は獲物を締め上げ粉砕し、ある時は剣を形成し切り裂いた。
迫る刃を手刀でへし折った彼にウェールズが不思議そうに問いかけた。
「何故君は戦う?」
彼は本来戦う必要などないはず。強大な力は主のために振るわれるのだとウェールズも察している。
「最後の勇姿を見届けるためだ」
そっけない答えにウェールズは苦笑した。
(ならば、戦わずに安全な場所から見物だけしてもいいのでは?)
そう言っても答えは返ってこないとわかりきっているため黙っていた。
内心を窺わせないまま手の双剣を構え敵のただ中に斬りこんでいく。剣舞にあわせて血飛沫が舞い、衣の裾が翻った。
彼の存在そのものが武器だと思わせる姿だった。
周囲の兵達は満身創痍のウェールズを狙うが、暗黒闘気の網に捕らえられ体を捻じ曲げられた。
掌を差し出し滅砕陣を展開した彼を援護するようにウェールズの魔法が飛ぶ。獲物の首を折った滅砕陣が消えたところに走りこみ、隣に立って杖を振るう。
ウェールズの詠唱の隙もミストバーンが全てカバーしている。会って間もなく共闘は初めてとは思えないほど彼らの連携は息が合っていた。
信じられないようにミストバーンはポツリと呟いた。
「初めてだ。誰かと共に戦うのは……」
そう語る彼の表情はわからなかったが、不愉快さを感じてはいないようだ。
幾千年も前から彼は一人だった。一人で主を守り抜いてきた。
認め合った者と肩を並べて、あるいは背中合わせで戦うのは初めての経験だ。
これからも共に戦いたかった――そう思った時だった。
ウェールズの苦しげな呻き声が聞こえた。
一瞬の隙をついた敵の刃がウェールズの胸を切り裂いたのだ。その一撃だけならば致命傷ではないが、先ほどからの負傷や疲労もある。
蒼い顔のウェールズがよろめくのを、彼は見た。
『あの程度で人間は死ぬのか?』
『当たり前じゃない!』
フーケ討伐時の会話が蘇る。
彼一人ならいくらでも戦い続けることができる。それこそ敵を全滅させることも可能だろう。
だが、ウェールズが倒れれば意味は無い。人間の生命力を考えるともう長くはもたないだろう。
ウェールズはよく戦った。勇敢な戦いぶりを見ることが出来た。肩を並べて戦うことも。
ならば、あとは命の灯が消えるのを見届けるだけだ。それで全ては終わる。
だがその時、ルイズの心からの叫びが弾けた。
『ウェールズ様を助けて!』
ルーンが強く輝き、彼の姿がウェールズの傍らから消えた。
姿を現したミストバーンを見てルイズの顔がゆがんだ。彼一人現れたということは、ウェールズは死んだと告げているようなものだ。
だが、ルーンを輝かせながらいきなりルイズを力強い手で抱えた彼は杖を指差して目をカッと光らせた。
(もしかして、威力の高い爆発を起こせってこと?)
根拠の無い勘だが、何故かそんな気がした。
何が何だかわからないまま詠唱を始める彼女とともに一瞬で戦場に戻った彼はウェールズの上空へと飛び、かなりの高さからルイズの体を放り出した。
そのまま瞬時に倒れかけたウェールズの元へ移動し、抱えてルイズに目で合図する。
今までならば咄嗟に動くことなどできなかっただろうが、爆発の練習を何度も行い、遍在とはいえワルドを倒したことによって彼女の精神は強靭になっていた。
落下しながらも詠唱を終えた彼女の起こした爆発は、ウェールズの立っていた地面を盛大に吹き飛ばした。
もうもうと上がった土煙が兵士達の視界を奪い、混乱を助長する。
地面に激突する寸前で乱暴に掴まれ、呻いた彼女が抗議するより先に離脱する。
反乱軍の兵士達が目撃したのは“突然再び現れた不気味な敵が勇敢に戦った皇太子ごと跡形も無く吹き飛ばされた”光景だった。
その頃、炎の髪の持ち主キュルケは親友タバサの部屋に押しかけ一方的に話しかけていた。
一見ただの無遠慮な態度に見えるが、タバサがはねのけようとしないのはその下に隠された気遣いを察しているからだ。
原因となったのは、ルイズの使い魔の行った授業だった。
どす黒い感情を増幅させるというとんでもない内容のわりに後遺症などはなく、皆胸をなでおろした。
それでもキュルケは友人の抱える闇を知っているため放っておけず、わざわざやってきたのだ。
真の目的に言及すればはぐらかされるのがわかりきっているためタバサは大人しく話を聞いていた。
授業についての遠慮ない感想を述べた後で灼熱の髪をかき上げながら息を吐く。
「突然休んで……今頃どうしてんのかしら? ヴァリエールも大変ね」
タバサも大いに同意を込めて頷く。
家同士険悪な間柄で気にくわない部分も多いが、真面目な姿勢に好感が持てることもあり、すぐムキになるルイズの反応をキュルケは面白がっていた。
だから召喚に成功した時からかってやろうと思ったが、とんでもないものを呼びだしてしまった。
キュルケやコルベールが止めるより早くあっという間に串刺しにしかけたのだ。よく死者が出なかったものだと思う。
一方、タバサは一目見た時からなぜか彼に懐かしさを感じた。
ゴーレムとの戦闘で二人は戦っている相手よりミストバーンに恐怖を覚えた。そしてタバサは己に足りないものを悟った。
ただ一つのもの以外は全て不要だと切り捨ててしまえるほどの覚悟。
まるで存在そのものが武器であるような、戦いしか知らないと思わせる姿。
そして特別授業で自身と彼の内包する闇の深さを身をもって思い知らされた。
だが同時に、それだけではない何かも感じていた。
「ご主人様さえいればいいって態度だからねー。どうなるのかしら」
二人とも彼に直接関わっているわけではない。関心はあるのだが、相手にその気がないのだから交流の深めようがない。
直接的か間接的かはわからないが、この先もし関わることがあるとすればルイズが鍵となるだろう。
結局、彼女達は要観察という結論を下したのだった。
ルーラでミストバーンに運ばれる間、ルイズは夢の中でどことも知れぬ世界を歩いていた。
何かに導かれるようにひたすら歩き続ける彼女の前に分かれ道が現れた。
一方を選び進んでいくと彼女を包む景色が変化し、いくつもの戦いを映し出していく。
真の姿をさらけ出した影は、最強の器を返してもなお主のために戦おうと忌み嫌っていた能力を振るう。
最後に長年かかって鍛え上げた理想の器に入りこんだ影が魂を掴むと、光が溢れだし焼き尽くした。
そして場面が変わる。
瓦礫にもたれかかるようにして青年が傷ついた身体を横たえていた。
最強の敵に追い詰められ、このままでは勝てないと悟った彼は震える手を見、わずかに唇をゆがめて額の眼を抉り出した。
逃げるという選択肢もあったのに、彼は逃げなかった。彼が彼であるために。
大魔王の名を守るためだけに全てを捨て魔獣となった彼と、同じく全てを捨てた勇者の戦いはいつ果てるともなく続いた。
勇者は窮地に陥ったが、最高の相棒の言葉に勇気づけられ力を振り絞る。
そして、彼の放った太陽のような閃光に大魔王は目を奪われ――その隙に勇者の手が自分のために作られた剣を掴み、切り下ろした。
口から血塊を吐き出した彼の身体は、果たせぬ夢を具現化した玩具と同様真っ二つにされた。
勇者は音の消えた空間で、瞼を閉ざし、静かに別れを告げる。
対極の立場だが共感を覚えた相手へ。
石と化した大魔王の亡骸は渇望し続けた太陽へと消えていった――。
ルイズはいつのまにか先ほどと同じ分かれ道に来ていた。
今度はもう一つの道を選び、歩を進める。本来ならば存在しないはずの道を。
映った景色はまったく別のものだった。
眼光鋭い老人の傍らに寡黙な影がつき従い、彼らは歩いて行く。
暗く淀んだはずの空には雲一つなく、澄み切った青空が広がっている。燦々と降り注ぐ陽光を浴びる大地は荒れ果てているが、わずかに生命の兆しが見えた。
大魔王は満足げに笑い、それを見る影は心から嬉しそうにしていた。
彼らは、太陽に照らされた魔界の様子を飽くことなくいつまでも眺めていた。
学院の自室に戻ったルイズは傷だらけのウェールズの姿に息を呑んだが、賢者の石を取ってくるよう言われたため慌てて駆け出した。
瞼を閉ざしたウェールズの顔は白く、今にも生命の火が消えてしまいそうだ。水の秘薬や賢者の石でも助からないだろう。
だが、まだ手はある。彼だけにしか使えない手段が。
その掌に黒い輝きが集い、ウェールズの身体に染み込んでいく。
賢者の石を持って戻ってきたルイズが目撃したのは、ウェールズの身体を棺に入れるミストバーンの姿だった。
助からなかったのかと肩を落とすルイズに鉄の声が届く。
「命はつないだが、しばらく眠る必要がある」
死んだのを蘇らせたわけではなく、死へ向かうのを彼の力――生命の一部とも言える――暗黒闘気で食い止めている状態だ。
それを聞いて顔を輝かせたルイズは感動のあまり絞め殺しそうな勢いで抱きついた。彼はスライムに顔面に体当たりされたような顔をしている。
ふと彼女は何故ウェールズを助けたのか疑問に思った。彼自身も己の行動に戸惑っているようだ。
懇願に心を動かされたとは思えない。
(いまさら慈愛に目覚めました、なんて絶対ありえない)
大魔王の部下にするためかとも考えたが、歩んできた人生を考えればウェールズは承諾しないだろう。彼もそれはわかっているはずだ。
思い返せば、ウェールズを救出する直前ルーンが輝いていた。
使い魔を従順にさせる効果があるらしいが、今まで働いていなかった分が溜まりに溜まって放出されたのだろうか。
召喚してからの呼びかけの中で最も強く望んだことを叶えようと。
だがそれは彼の意志に反している。彼はウェールズの覚悟を尊重しようとしていた。生きていてほしいと思っていたにせよ、最期を見届けたら去るつもりだったはず。
ルイズは背筋が寒くなるのを感じた。
――彼が彼でなくなる時が来るかもしれない。
(……まさか、ね)
今回は召喚されてからの蓄積と彼の願望が結び付いて効果が発揮されたのだろう。だが、強固な意志を持つ彼がこれ以上干渉を許すとは思えない。
(ウェールズ様に生きていてほしいって強く願ってたんだわ、きっと。今回はともかく、もうわたしの言うことなんてきかないだろうし。……それはそれで腹立つわね)
頭を振ってしつこくまとわりつく不吉な予感を追い出そうと努める。今はただ喜びに浸っていたかった。
「ありがとう。きっとウェールズ様も――」
どこから棺を用意したかも訊かずアンリエッタに知らせようとしたのを止められ、ルイズは考え直した。
目が覚めるかどうかまだわからない。裏切られた時一層辛くなるだけだから下手に希望を持たせる真似は慎むべきだろう。
だがミストバーンがアンリエッタへの気配りなどするはずない。なぜ止めたのかよくわからないままルイズは棺を心配そうに見やり、続いて彼に視線を向けた。
「あんた、それ」
どれほど破れようとすぐに修復するはずの白い衣が燻り、背から煙が立ち上っている。
「わたしの魔法で……?」
普通の魔法は効かないのに彼女の爆発だけは効果があったようだ。さらに、ワルドや理不尽な状況への憤りが威力を増加させていた。
ウェールズを抱えた時爆発に巻き込まれたためさすがに無事では済まない。
(え、わたし死ぬの?)
心の準備も十分でないのに戦場に運ばれ、上空から放り出され、地面に激突しかけて、ただでさえ寿命が数年分縮んだのにここで残りの人生がゼロになってしまうのか。
「あんたが命令したんじゃない。そりゃわたしだって――あ」
そのまま連れ出さずわざわざ爆発を起こさせたのは、ウェールズに敵前逃亡したという汚名を着せないためだろう。
いくら慌てていたとはいえその気になれば範囲や規模を変えられたはず。せっかく練習してきたのだからもっと上手く調節すべきだった。
良くて即死、悪ければ――身を震わせながら抵抗しようと杖を構えるが、攻撃は来ない。獲物に恐怖を味わわせるだけ味わわせてから殺そうというのだろうか。
「は、はっきりしなさいよ、心臓に悪い」
彼はルイズが何を言っているのか理解できないようだ。
(……殺すつもりはないってこと?)
彼女を殺そうと思えば戦場に置いてくるだけで、そもそも落下するのを放置するだけで済んだはず。
幸い今回は力を貸せという大魔王の言葉の許容範囲内に収まったらしい。
もうルーンの輝きは消えているが、効果が発揮されている最中の出来事だったせいかもしれない。
「あは、あはは、何でこんな綱渡りみたいな思いしなくちゃなんないの……!?」
緊張の反動でルイズは泣き笑いしながら床にへたりこんで息を吐き出しかけ、使い魔を攻撃してしまった事実に気づき愕然とした。
慌てて賢者の石を振りかざしても無駄だと氷の声が返ってくる。悔しさを噛みしめた彼女の耳に飛び込んできたのは予想外の言葉だった。
「見事だ……ルイズ」
彼の意思を読み取って急な指示に従い、いきなり高所から放り出されても凄まじい威力の爆発を起こし、ウェールズ救出の力になったことを褒めているのだろう。
初めて名を呼ばれた彼女の顔がくしゃりと歪む。
「バカ……! 褒めるところズレてんじゃない? 嬉しくないわよ……!」
震える声を風が運んでいった。
最終更新:2008年09月15日 18:14