其の九 奇跡の草原
ウェールズの眠る棺をどうごまかすか頭を悩ませたルイズだったが、ミストバーンから彼が夜眠ることにすればいいと言われ即座に採用した。
彼について無数の疑問があるため今更指摘する輩などいない。「だってミストバーンだから」と言えば皆何となく納得するだろう。
問題を一つ片付けたルイズだったが顔は晴れない。次に待ち構えているのは比べ物にならない難題だ。
アンリエッタに何が起こったか報告しなければならない。しかも、ウェールズは生きているという事実を隠した上で。
「やっぱり姫様にだけは話した方がいいんじゃないかしら」
とルイズは何度か言ったが拒絶された。ウェールズの意志に任せるつもりらしい。
王宮にてアンリエッタに謁見したルイズは事の次第を説明した。
手紙を取り戻したと知っても彼女の顔は暗い。ウェールズの“死”が彼女の心を責め苛んでいる。
「裏切り者がウェールズ様を殺そうとするなんて……よくぞ止めてくれました、ルイズ」
ルイズが何か言おうとすると沈黙を守っていたミストバーンが重々しく告げた。
「ウェールズは勇敢に戦った」
それを聞いたアンリエッタは覚悟をにじませた目で、
「そう、ですか。……ならば私も勇敢に生きようと思います」
と告げた。
いつものように授業が始まる前、いきなり休んだルイズにクラスメートが群がり何があったのか口々に尋ねた。
「噂によると魔法衛士隊隊長と一緒に出かけたらしいね。もしかして愛の逃避行とか?」
「まさか! ゼロのルイズがそんなロマンティックなことに挑戦するわけないじゃないか。相手を爆破して終わるよ」
すっかり爆弾魔扱いだ。
「胸がゼロでなくなる方法を探しに行ったんじゃない?」
「あり得るな。そして失敗したわけか」
「ああ可哀想に、私の胸で泣いていいのよ? 前よりひどくなってるじゃない」
好き放題喋る彼らにルイズは憤死寸前だ。退屈な者達は面白そうな話題があるとすぐ飛びついてしまうものらしい。
「う、うるさいわね! 王宮にお使いに行っただけよ! どうしても知りたいならミストバーンに訊いて!」
「んな無茶な」
即座に生徒達は首を振った。
彼らが大人しく席に戻ったところでコルベールが到着し、授業が始まった。
妙な物体を机に置いた彼は『火』の系統の特徴について説明するよう言った。『火』の系統を得意とするキュルケがやる気のなさを全身から発散させながら答える。
「情熱と破壊が本領ですわ」
コルベールはにっこりと笑い頷いた。
「そうとも! しかし、『火』が司るものが破壊だけでは寂しいと思います。使いようによってはいろんな楽しいことが出来るのです。破壊や戦いだけが『火』の見せ場ではない」
コルベールは続いて妙な物体を動かし始めた。情熱に目を輝かせる彼とは対照的に、生徒達は説明を適当に聞き流している。
油と火の魔法を使って動力を得る装置らしいが、魔法を使えば済むため重要性が感じられない。
「魔法はただの便利な道具ではない。『火』が破壊のためだけの力ではないように、使いようで顔色を変えると思います。伝統にこだわらず様々な使い方を試みるべきですぞ」
信念に満ちたコルベールの言葉に対して生徒達の反応はどこまでも鈍かった。
ルイズもあくびを噛み殺しながら何となく使い魔の方を見る。やはり彼は真面目に装置の仕組みについて鏡に書きこんでいた。
「いけすかないツェルプストーが使うんだもん、暑苦しい『火』は破壊にしか使えないわよ」
呟いたルイズには意外なことに、答えが返ってきた。
「火は再生をも司る」
主の象徴たる火の鳥――不死鳥は灰の中から蘇る。炎による浄化と再生を体現する存在だ。
「私の使う暗黒闘気こそが、破壊のためだけの力なのだろう」
淡々と事実を告げる口調にルイズは首をかしげ、周囲の人間に聞かれないよう声をひそめた。
「何言ってんの? あんたの能力でウェールズ様を救ったんでしょ。だったら破壊以外にも使える立派な力だわ。……洗脳とかじゃなくて」
今度は彼の方が理解できなかったらしい。
「人間は正義の光とやらを好むと――」
「それはあんたの戦い方がアレだからよ。先生も言ったばかりじゃない、使いようだって。建設的なことに使えば……どう考えても無理ね」
可能性を追求しかけて二秒で諦めた。大魔王の部下に無茶な注文だと自分でも思ってしまう。
その後ルイズはオスマンから呼び出され、『始祖の祈祷書』を渡された。
王女とゲルマニア皇帝の結婚式の巫女に選ばれたため詔を考えなければならない。
意気込んだもののすぐさま挫折した彼女は使い魔に助けを求めかけて即座にやめた。
口があるのかわからないような相手に詩的な表現を期待するのは間違っている。比喩を用いるとしても「花でも摘むように首をはねる」など傾向が偏っているだろう。
どう考えても祝福の言葉など持っているとは思えない。
うー、あー、と妙な声を上げながら床やベッドを転げ回る彼女の奇行にも一切関せず読書に耽っている。その傍らには数冊の書物が置いてあり、扱っている内容はバラバラだ。
今読んでいるのは始祖ブリミルについての本らしい。
約六千年前に活躍したハルケギニアで神の如く崇拝される偉大なメイジであり、その生涯や魔法は謎に包まれている。
魔界の魔法と始祖が操ったとされるものには似た部分があるため興味をそそられるところだが、書物は伝説の偉人として扱っており、どこまで確実かわからない。
何しろ彼の魔法で天地までもが鳴動したというのだ。神格化され大げさに伝わっている部分もあるだろう。
天空を思わせる模様が刻まれた表紙の本を閉じ、新たな一冊を手に取る彼を見てルイズの血管は切れそうになった。
(ななな何よわたしがこんなに苦労してるってのに自分は優雅に読書なんていい身分じゃない。そんなに大魔王さまのお役に立ちたいってわけ!?)
と憤ってみたところで真面目に肯定されるに決まっている。
ますます釈然としないものを感じたルイズはささやかな抵抗を試みた。彼を連れて中庭に出た後、質問攻めを始めたのである。
青空の下に連れ出して少しでも開放的な気分にさせ、情報を聞き出そうというのだ。
まずは返事する確率の高い戦闘に関する質問――特に呪文について尋ねた。
こちらが知識を提供するだけでは不公平だ。前々から彼の世界のことも知りたいと思っていた。
すると、ほとんど喋らない彼の代わりに大魔王が質問に答えた。
一般的な火球呪文や氷系呪文といったものから天候を操る呪文まで様々なものを説明され、ルイズの目が輝く。
ミストバーンへの質問の大半は沈黙に撃墜されたが、答えが返ってきたのは大魔王の偉大さについての質問だった。
普段の無口さが嘘のように滔々と大魔王の魅力を語られた彼女はうっかり魔王軍、それも近日本格結成予定――最短でも数百年後だが――に入ろうかと考えかけ、我に返った。
とても面白くないものを感じる。自分はその五十分の一も褒められていないというのに。
数千年の間仕えてきたと誇らしげに語られたルイズは妙な疲労を覚えた。
(何かしら、このもやっとした気持ち……)
気を取り直して情報を探るべく質問を続け、ずっと気になっていたことをぶつける。
「あんたがいた世界――魔界って太陽が無いんでしょ? どうして?」
答えたのはやはり大魔王だった。
かつて世界は一つであり、人間と魔族と竜族が血で血を洗う戦いを繰り広げていた。
延々と続く争い憂いた神々は世界を分け、別々に住まわせることにした。脆弱な人間は地上に。強靭な体を持つ魔族と竜族は魔界に。
魔界にはあらゆる生物の源である太陽がなく、荒れ果てた大地が広がっているだけである。
ならば魔界は真っ暗なのかと尋ねると否定された。
数千年前に作られた人工の太陽が光源となり魔界を照らしているが、昼間でもかすかな光しかなく生命を育むほどの暖かさは無いのだという。
地上で見るものと同じ太陽を作り出すことはできず、彼らは太陽を手に入れようとしている。
ルイズは話を聞いてうーん、と考え込んだ。
馬の遠乗りで丘に登り気持ちのいい風を感じることも、光を浴びながら美味しいお弁当を食べることもない世界。
花々の無数の色彩や木々の緑、空の青も雲の白もない世界。
頭で理解しても実感は湧かない。
もし魔界に太陽があって地上と同じ豊かな地であれば、大魔王は何を望むだろうか。
試しに尋ねてみると「花見酒というのもいいかもしれんな」と笑いながら言われたが、どこまで本気かわからない。
話に熱中していたルイズは声の大きさに気を遣うことを忘れていた。
そのため、メイドの一人――シエスタが聞き耳を立てていたことに気づかなかった。
謎が多いミストバーンについての情報は生徒だけでなく使用人も欲しがっている。
彼女は舞踏会の時に聞いた会話を厨房の料理人や仲間に知らせたが、一笑に付された。「見た目からして闇っぽいのに太陽を求める奴に従うわけないだろ」というのである。
嘘じゃないと言い張っても聞き入れられなかったシエスタは意気込んでさらなる情報を集めようとしていた。そして――
「きゃああっ!?」
気配を感じたミストバーンの爪に危うく刺されかけた。皮膚一枚を隔てたところで奇麗に止まっているのは見事としか言いようがない。
「すごい、加減がずいぶん上手くなったのね。レベルアップしたんじゃない?」
使い魔の影響を受けて感覚が麻痺してきたようだ。
「……私が?」
彼は意外そうに己を指差した。褒められて反応に困っているらしい。
間違った方向に心温まる会話を繰り広げる二人にシエスタがおずおずと詫びる。
「あ、あの、本当に申し訳ありませんでした! 太陽についてお話ししているのを聴いてしまいました……」
盗み聞きされたと知ってルイズは渋い表情になったが、そもそもこんな場所で大声で喋っていたのが悪い。
シエスタが再び丁寧に謝罪し、お詫びの気持ちとして故郷に行くことを提案した。
「すごくきれいな夕焼けの見える草原があるんですよ。おいしいシチューも」
その草原はあまりの美しさから『奇跡の草原』と呼ばれたこともあるらしい。
ルイズは迷ったが、素晴らしい光景を見ればインスピレーションが湧いて詔の文面が思い浮かぶかもしれない。
ミストバーンも主の目の保養になればと承諾し、彼らはシエスタの故郷――タルブの村に行くことに決めた。
実際の夕焼けを目にしたルイズは言葉を失い、ただ見とれていた。
草原は燃える炎の色に染まり、沈みゆく太陽は普段見るものの何倍も美しかった。
その輝きは暖かく優しく照らすだけではなく、弱い者を容赦なく焼き尽くすようにも見えた。
奇跡の名に恥じぬ凄絶な光景を大魔王も気に入ったようだ。
さらに、反対側の山から昇る朝日も別の美しさがあるのだと言う。
「この光景こそが宝物だって思うわ」
食事を告げに来たシエスタがしみじみとしたルイズの言葉に嬉しそうに頷く。
いつものように沈黙しているミストバーンは主と地上に来た時のことを思い出していた。
『何千年後になるかはわからぬが……あの太陽は魔界を照らすために昇る』
偉大なる主は手で太陽を掴み取る仕草をしながらそう語った。
さらに思考は過去をたどり、主との出会いまでさかのぼる。
『お前は余に仕える天命をもって生まれてきた』
全てはそこから始まった。
どれほど永い時を生きても、何があっても、その言葉を忘れることはないだろう。
ルイズとミストバーンと大魔王は夕陽を見る間、確かに同じ思いを共有していた。
興奮も冷めやらぬままシエスタの家で名物のシチューを食べたルイズは目を輝かせながら舌鼓を打った。素朴ながらも貴族のぜいたくな舌を満足させるほどの味らしい。
シエスタが恐る恐るミストバーンにも薦めたが、食事の必要が無いと断られ肩を落とした。だが、彼女が落ち込んでいるとなんと大魔王その人が語りかけてきた。
「数千年生きればいくら贅を尽くした食事でも飽きもする……そのような料理を味わってみたいものだ」
たちまちシエスタの顔が明るく輝いた。
「じゃあ作り方教えますね! 実際に作る所を見た方がいいですよね……ミストバーンさんも一緒に作りませんか?」
ルイズがシチューを噴き出しそうになり、かろうじてこらえる。慌てて飲みこんで必死の形相でシエスタを止めた。
「何言ってんの!? こいつが料理なんてドラゴンが裁縫する方がまだマシだわ!」
「やってみなければわからないじゃないですか。世の中には一か八かの賭けに勝ち続け奇跡を起こしまくりカウンターで一発逆転し続ける方もいますから」
「そういう問題じゃないわよ!」
彼は暴言にも動じず主からの指示を待っている。
「侍女達に作り方だけ教えればよい……と言いたいところだがあえてお前に作らせるのも面白いかもしれんな」
(よっぽど退屈してるのかしら)
腹心の部下がやり遂げると信じているのか、奮闘する様を見て楽しもうと思っているのか――ルイズにはどうも後者に思えてならなかった。
「じゃ、決まりですね。最高の一品を作りましょう!」
「たまには逆らいなさいよ……」
その忠誠心の十分の一でいいから自分に向けてほしいと思いながら、ルイズはテーブルに突っ伏した。
最終更新:2008年09月19日 23:44