其の十 もう一つの太陽
学院に戻ったルイズ達にもたらされたのはアルビオンの宣戦布告の報――フーケからの情報で知った――だった。
ミストバーンは聞いた瞬間に戦うことを決意した。命じられずとも主の気持ちはわかる。
人間が何人殺されようとどうでもいいが、奇跡の――この言葉は気に入らないが――草原の見せた光景を壊されぬために行くつもりだった。
彼の無言の視線に対し、ルイズは頷いた。
「わたしも行くわ」
使い魔が一片の躊躇も無く戦おうとしているのに逃げるわけにはいかない。
彼は黙ったまま意気込むルイズを眺めている。どことなく疑わしげな視線にムッとした彼女は口を尖らせた。
「何よ。……わたしにだって守るべきものがあるのよ」
認めさせるという意地以上に、民の血が流れるのを防ぐのが貴族の大切な役目だ。危急の際に彼らを守るからこそ君臨を許される。肝心な時に戦わなければ意味が無い。
「どうせ村そのものはどうでもいいって思ってるでしょ? だったらわたしが戦わなくちゃ」
彼は敵の中に切り込んで暴れるだろう。その際村人達が大勢殺されていようが何の関心も向けないに違いない。だからこそ自分が少しでも被害を抑えるつもりだった。
彼の助けもなく戦場で戦い抜くことができるのか不安は大きいが、安全な場所で戦わずにいるのは嫌だった。
彼女の覚悟をミストバーンはどう思ったのか、反対する様子はなくタルブの村へルーラを唱えようとする。
だが、出発する二人の前にキュルケとタバサが現れた。戦場に行くのだと言っても引き下がるような性格はしていない。
「様子が変だからね。……前からだけど」
アルビオンやタルブの村に行ったことを指しているのだろう。
前者は表向きは王宮へのお使いということだったが、噂によると手柄を立てたらしい。
後者は、休暇届を出したとはいえ真面目なルイズには珍しくサボり同然である。気になるのも当然と言えよう。
タバサはキュルケとの付き合いから参戦を決意した。
ルイズは二人が同行する理由をそう結論付けたが、少し違っている。
キュルケは“王宮へのお使い”の後でルイズの雰囲気が変わったのを感じていた。
一緒に行って見届けることができなかったため今度こそ、という思いがある。
タバサもミストバーンに関心を抱いているため賛成したのである。
風竜に乗りこんでからルーラを唱える。
タルブの村に到着し、レキシントン号に視線を向けたミストバーンは何も言わずに風竜の背を蹴り、夕映えの中を飛んだ。
甲板に降り立ったミストバーンは導かれるように迷いのない足取りで歩く。ルーンが眩しく輝き標的の居場所を教えている。
邪魔する者は全て爪で貫くか切り裂き、静かに目的の部屋までたどり着いた。
その中にいたのは、忠誠を誓った相手や彼の尊敬する者の信頼を裏切った男――ワルド。
扉を破った相手を見たワルドの顔が強張る。まさかタルブの村までミストバーンが来るとは予想もしなかった。
風竜に遍在達が乗っていたが、それらが気づくより先にレキシントン号内まで乗り込んできたのだ。
ルーンの働きではそれぞれ意思と力を持つ遍在と本体の区別はつかない。複数の気配を感じ、一番安全な場所に来たところ本人がいたのである。
ルイズ自身に討たせたい気持ちもあるが、民を守るという使命がある。裏切り者の始末こそ彼にふさわしい仕事だろう。
一歩、また一歩、距離を詰める。
「自らの肉体は傷つかず、思い通りに動かせる……お前に相応しい能力だ」
「君の言えた台詞ではないな。忌わしい体に頼りきった強さなど、しょせん偽りにすぎん」
蔑んだような口調に対し、苛立ち混じりの嘲笑とともにワルドが吐き捨てる。
侮辱されたミストバーンは激高するかと思われたが、無言で攻撃を誘うように手招きした。
空気が帯電する中ワルドは四人の遍在を呼び戻し、杖を抜き放ち襲いかかる。対するミストバーンは爪で剣を作り迎え撃った。
ルイズはいきなり置いていかれたことに憤ったものの、タバサもキュルケもすでに気持ちを切り替えている。
レキシントン号内の敵は彼に任せて自分に出来ることをするしかない。言うことをきかない使い魔への怒りを煮え滾らせながら彼女は杖を握り締めた。
村人を助けるといっても何から始めるべきか混乱した彼女にタバサが淡々と告げる。
「避難の援助」
ハッとして下を見ると逃げ遅れた村人達を敵兵が襲おうとしている。風竜を駆り接近した三人から魔法が放たれる。
氷の矢がと炎の球が飛来し、士気が乱れたところに爆発が生じる。反撃の矢が飛ぶのを回避し、再度上空から攻撃を加えた。
「……あんた加減するの上手くなったじゃない」
キュルケがそう言うのも無理はない。村人を巻き込まぬようすれすれのところで正確に爆発を起こし、兵士達を吹き飛ばしている。
その威力は行動力を奪う程度で足止めにふさわしく、惨状を招いてはいない。
「爆発に関しては我ながら芸術的だと思うわ。魔法が効かないあいつにだって通じたんだもの」
そう語る横顔には戦場への恐怖はほとんど感じられず誇らしげな色が目立つ。来る前より却って落ち着いたようだ。
年齢にふさわしくない肝の据わりようにキュルケは首をかしげた。タバサも疑念を抱いている。
生徒の中ではキュルケとタバサが断然実戦経験が多く、ルイズは爆発しか起こせないこともありろくに戦うことなどなかったはず。
“王宮へのお使い”が彼女を変えたのだろうか。
精神的にたくましく――悪く言えば図太くなった気がする。
「ずいぶん落ち着いてるのね?」
兵士達の怒号や攻撃を見下ろしながら問いかけると複雑な表情とともに答えが返ってきた。
「これくらいでいちいち怖がってたら神経もたないわ。あいつと一緒にいるのよ?」
「……それもそうね」
心の底から納得したキュルケとタバサはアルビオン軍へとさらに攻撃を叩き込んだ。
艦内の一室で杖と爪の剣がぶつかりあい、甲高い音が響き渡った。援護すべく武器を構えた周囲の兵士達はすでに全員倒されている。
彼らの戦いは誰にも邪魔されることなく続いていた。
(なぜだ……?)
五対一の数の差か、ワルド自身予想していなかったことに渡り合えていた。
だが、杖を振るう彼の心に違和感がまとわりつき本能は警告を発し続けている。
その正体に気づいた瞬間、彼の眼が見開かれた。
ミストバーン最大の特長は不死身の体。
だが彼は先ほどからあらゆる攻撃を防ぐかかわすかしており、かすらせもしない。不死身の肉体に頼らなくてもワルドの攻撃など無意味――そう証明するかのように。
「まさか――わざと攻撃させていたのか!?」
倒せるかもしれないとわずかな希望を持たせてから絶望の淵へ叩き落とす。その方が苦しみが大きくなるのだから。
ワルドが答えに辿り着くのを待っていたかのように銀の光が二筋流れる。今までの攻防が手抜きに思える斬撃に遍在二体の首が飛ぶ。
両手の爪が伸びるのを残りの遍在が飛び退ってかわし、先端が床に付き刺さる。
回避したことに安心した瞬間、爪は床を破って姿を現し胴体に食らいついた。胸から腹にかけて穴を開けられ消滅する。
これで残るはワルド本体のみ。
「く……!」
勝ち目はない。冷静に判断したワルドは飛び退いて呪文を唱えた。一瞬の隙に身を翻し逃走しようとした動きが止まる。
「知らなかったのか? 貴族は敵に後ろを見せないものだ……」
ギシギシと人形のようにぎこちない動きで振り返り、敵と向かい合う。震える体が本人の意思に反していることを示している。
全身に絡みつくのは漆黒の糸。
闘魔傀儡掌という名の、動きを自在に操る技。
指に合わせてワルドの手がゆっくりと動き、杖が上がる。くるりと回転させ、刃を己に向けると顔が歪んだ。
虫でも潰すように無造作にミストバーンの指が折られ、刃が肉を貫く音が響く。膝をついたワルドの眼が見開かれる。
彼が覚悟を決め、遍在とともに危険な戦場を駆けたのならばミストバーンもこのような戦い方はしなかっただろう。
ウェールズを殺そうとせず、レコン・キスタに与する理由を明らかにして信念を見せていれば異なった結果を生んだかもしれない。
強者には敬意を払う彼だが、実力があっても精神の伴わない相手への評価は低い。単純な力量より己を高めようとする意志の有無が重要な判断基準だと言えた。
死に向かうワルドの眼に何かを視た確信が宿る。
赤く染まる口元に嘲りと哀れみを足した微笑が刻まれた。
「君こそが……ほんとうのゼロ、と……」
鮮血を吐いて倒れ伏したワルドの体に一片の関心も向けず、彼は部屋を後にした。
村人の避難を完了させたルイズ達は大砲の射程圏内に入るわけにはいかず、戦艦に近づけずにいた。
焦燥感に駆られるルイズはふと目をこすった。視界がぼやけたのは一瞬で、見えないはずのものが見えている。
それは、杖を己に突き刺し血塊とともに忌わしい言葉を吐き出すワルドの姿。
何を言ったかは口の動きでわかる。長年ルイズに浴びせられ続けてきた言葉――ゼロ。
ルイズは震えながら己を勇気づけようと指に水のルビーをはめ、『始祖の祈祷書』を勢いよくめくった。
「うう……うええ……っ!」
こみ上げる吐き気を必死でこらえ、青ざめた顔で呻きを漏らす。
ワルドの最期が網膜に焼きつき離れない。絡みつく糸に操られ、自ら杖を心臓に深く差し込んでいくおぞましい光景。
戦いにおいて割り切った思考ができるようになったと思っていても、あっけなく心の防壁は剥がれ落ちる。
「破壊以外にも使える立派な力って言ったそばから……なんて使い方してんのよあいつ」
指一本で、命を奪った。こういう時にこそ絶対に越えられない深い淵を感じる。
悪寒を振り払おうと白紙をめくり続けると、今までと違い途中で文字が浮かび上がっている。信じられぬ思いで読みふける彼女にキュルケが声をかけるが耳に入らない。
書いてあるのは四つの系統と零――虚無の系統について。
選ばれし読み手が指輪をはめることで読むことができるとも書いてある。
さらに、初歩の初歩の初歩の魔法として『爆発』が挙げてある。これは自分が虚無の系統だということではないか。
まだ信じられないが試してみる価値はある。
できるだけ大きな爆発を起こして、忌まわしい映像ごと吹き飛ばしてしまいたかった。
「お願い、できるだけあの戦艦に近づいて」
「わかった」
ルイズの言葉に何かを感じたのか、タバサは聞き返さずにシルフィードを上昇させた。
――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ
体の中から何かが生まれ、回転するような感覚。
――オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド
生まれて初めて自分の系統を唱えるのだと確信が体に染み込んでいく。
――ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ
いつしかレキシントン号を見下すまでに高度が上がっている。
――ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル…
呪文が完成した瞬間、ルイズは己の魔法の威力と性質を理解した。
自分の魔法は全てを巻きこむ。
だが、選択もできる。
殺すか、殺さないか。
破壊すべきは何か。
彼女は選び、杖を振り下ろした。眼下に広がる艦隊に向けて。
夕暮れの草原をもう一つの太陽が照らした。
巨大な光の球が膨れ上がり艦隊を包みこむ。目を焼くような閃光が弾け、天空を駆け抜け焼き尽くす様はまるで――
「不死鳥、か」
大魔王はグラスを片手に呟いた。彼の眼には炎上した艦隊が地面に墜落していく光景が映っている。
彼の象徴が不死鳥とされるのはメラゾーマが圧倒的な威力と独自の形態を併せ持ち、その姿が優雅な不死鳥となるためだ。
術者の魔力によって魔法の威力は大きく左右されるが、大魔王のそれがあまりにも桁違いであることから生じる現象だった。
「素晴らしい……その力、余の物にしたくなったぞ」
身体的な強さはそれほどでもないが、一撃で大艦隊を叩き落とすような真似ができるのは魔界でもほんの一部だろう。
これをきっかけとして爆発だけでなく他の魔法をも使えるようになるならば、可能性は未知数だ。
大魔王は楽しげに低く笑い続けた。
ミストバーンも全てを照らす光に目を奪われていたが、ルイズ達に合流し、“奇跡”を起こした少女を眺めた。
『虚無』について聞かされ、授業の時にルイズだけが違うと感じた理由が今になってわかった。
精神力を糧として魔法を発動させるのは同じだが、蓄積や変換の過程が大きく異なっているのだ。
今回の凄まじい威力の爆発は、生きてきた中でため込まれた莫大な怒りを解き放った結果起こった。
ミストバーンは憎悪を増幅させる感覚を教えたが、それは『虚無』の使い手である彼女と相性の良い技術だった。
ルイズは授業を元に、自分で暗い感情を呼び覚まし力に変換するコツを掴みつつある。会得できれば今回のような規模の『虚無』を高い頻度で放つことも可能だろう。
以前から努力する姿勢や逃げない意地を認めていた。
今、強大な力を見せた彼女は真の強者――認めるに値する相手だ。
今までと違った光を浮かべてルイズを見る彼の元へ大魔王の声が届く。
『お前はその娘を守り抜け。騎士……シュヴァリエのごとくな。ふはははっ!』
「はっ」
上機嫌の主に対し彼は力を込めて頷いた。
一方ルイズは自分の手を見つめて顔を曇らせている。ずっとゼロだと言われ続けてきたのに突然巨大な力が現れたため戸惑っている。
『虚無』がどれほどの重みを持っているか、他者から狙われるか。そういったことに疎いルイズにも薄々想像が付く。
不安に苛まれる彼女は震える身体を抱きしめて呟いた。
「こんな力持ってるってバレたら殺されるかも……」
そんな彼女にミストバーンは小さく首を横に振った。それはないと言いたげに。
「何で?」
心細くなっているのに否定され、目に涙を浮かべながら問いかけると彼は静かに宣言した。
「私が守るからだ」
どこまでもまっすぐ言い切られたルイズは絶句した。
キュルケとタバサもアストロンをかけられたように固まっている。普段の彼からは想像もできない言葉だけに破壊力も大きい。
彼女らには大魔王の言葉が届かなかったため驚くのも無理はない。
素直に喜ぶより己の耳と頭その他が心配になったのかルイズは自分の耳を引っ張り、頭を叩き、頬をつねり、また耳を引っ張っている。続いて心の底から彼の心配を始めた。
「……あんた頭どっかにぶつけておかしくなったんじゃない? どこに連れてけばいいの? そんなこと言ったってどうせわたしの言うことはちっともきかないくせに」
ワルドへの仕打ちと言葉の差があまりにも大きすぎるため頭がすっかり混乱している。
「何か、こう、胸がドキッとしたわ。もしかして……寿命が二十年以上縮んだかも? 嬉しいような嬉しくないような……こんな時どんな顔をすればいいのかわからないわ」
「気持ちはわかるけど落ち着きなさい、あんた完全に不審者よ」
頭を抱えぶつぶつ呟き続けるルイズにキュルケ達は呆れた眼差しを向け、帰途に就いた。
ミストバーンにふと主の声が届いた。
『ところで、帰る手段については何か見つかったか?』
急いているわけではなく単なる確認だがミストバーンは恐縮そうに震えた。
申し訳なさに打ちひしがれながら特に手がかりがないことを告げると大魔王はふむ、と呟いて何やら考え込んでいた。
「何か……?」
『……いや』
主の反応にミストバーンは方針変更の必要性を感じた。今まで役に立ちそうなものと同等に探してきたが、帰還に関する情報収集を最優先にした方がいいようだ。
『虚無』を使うルイズが呼び出したのならば元の世界に帰るのも『虚無』が関わってくるのではないだろうか。
ミストバーンは『虚無』について探ることを己に言い聞かせ、ルイズを見つめた。
ほんの少し距離を縮めた気がした二人を待っていたのは、目を覚ましたウェールズだった。
最終更新:2008年09月19日 23:55