14 捜索隊と獣王
トリステイン魔法学院から見事に脱出した土くれのフーケは、逃走経路として以前から当りをつけていた森の中で悪戦苦闘していた。
「ったくどうなってんだいこいつは!」
彼女が睨みつけているのは先程盗んだばかりのマジックアイテムである。
『神隠しの杖』という名が付けられているそれは、通常のアイテムとは異なりフーケが魔力を通しても反応を示さなかった。
スキルニルと呼ばれる魔法人形の様に血液がキーになる訳でもないとなると、おそらく使用するには特殊な条件が必要となるのだろうとフーケは判断する。
発動させるには他のマジックアイテムが必要になるとか、ある一定のポーズを順番に取っていかないと発動しないとか。
問題は、その条件とやらがさっぱり判らないという事である。
一応念の為に盗んできたインテリジェンス・ソードにも尋ねてみたが「えー、知ってる訳なかろ。剣だぜ俺」との返答だった。心底埋めてやりたいと思うが我慢する。
大抵のマジックアイテムなら後腐れなく捌く自信がフーケにはあったが、使用方法の判らないアイテムに気前良く金を払ってくれるモノ好きな好事家に心当たりはなかった。
取り敢えず、深呼吸を二回して気持ちを落ち着かせる。焦りや怒りは何も生み出さない。
今、自分が取れる行動パターンは2つ。
1・マジックアイテムを売りつけるのは諦めて故郷に帰る。
2・学院に戻って誰かからマジックアイテムの使用方法を聞き出して来る。
1は消極的な安全策で、自分の身は確実に守れるが内戦状態の故郷に残した義妹の安全は守りにくい。
2は大騒ぎの学院に戻る事になりリスクはかなり大きいが、その分リターンも大きくなる。
しばらく悩んだ末、フーケが選択したのは2の案だった。
せっかく盗んだ物を使い方が判らないからと言って諦めるのは惜しかったし、あの騒ぎの中でも自分の正体はバレていないだろう。
適当に理由をつけて学院長あたりから使用方法を聞き出してくればいいだけの事だ。
そうひとりごちて、フーケは残り少ない精神力で馬の形のゴーレムを作った。ここまで逃げて来る時にも使用したモノだ。
時間はまだ深夜には至っていない。さっさと学院に戻って少しでも休まなければ。
2つのマジックアイテムを下見の時に見つけていた無人の小屋に隠し、フーケは元の職場に舞い戻るのであった。
翌早朝から始まった事実確認の為の会議は、一時間も経たない内に責任の押し付け合いの場と化していた。
ルイズ達は第一発見者という事でこの会議に参加させられていたが、事情を説明する気力は既に尽きようとしている。
一応仮眠はとったものの、満足に眠れたとは言えない状態なのに宝物庫で教師達の言い争いを聞かされているのだから、それもまあ無理のない話と言えよう。
ルイズが欠伸を噛み殺しながら仲間達を見ると、ギーシュ、ギムリ、マリコルヌは既に夢の中へと旅立っていた。
レイナールは生真面目な性格の為か起きてはいたが、その眼は擦り過ぎて赤くなっている。
キュルケは授業中にもたまに披露している奥義『眼を開けたまま寝る』を発動させており、タバサに至ってはどこからか取り出した本を一心不乱に読んでいた。
唯一眠気を見せていないのはクロコダインだけだが、これはもともと生物としての耐久度が違い過ぎるだけの話だ。
クロコダインは使い魔という事で数には入っていないだろうから、まともに説明できそうなのはわたしだけね、と思うルイズだった。
それにしても眠い。いや寝ちゃダメ、ちゃんと先生たちに報告しなきゃ、でもタバサに次の会報の原稿を頼まれてるのよね。
あれも早く考えなきゃ、やっぱり巨乳の反対語は貧乳じゃなくて微乳だと思うのよ姉さまも書いてたけど、ああ壁の穴から入ってくる風が気持ちいーなー眠いーでもねちゃだめー、ちゃんとせんせーたちにー……
ハッと意識が戻る。ついうっかりと眠ってしまっていたようだ。まだ何分も過ぎてはいないのだろうが、どうもマリコルヌの軽い鼾で目が覚めたようだった。
しかし、ほんの数分でも休息を取った事で眠気からは解放された。覚醒のきっかけになったとはいえ、小太りのアレと同レベルにだけはなるまいと固く心に誓う。
ふと気が付くと、教師達はいつの間にか責任問題から誰かの尻を撫でるの撫でないのという心底どうでもいい話題に熱中していた。
帰ってもいいだろうかと真剣に思うルイズに、ようやく声が掛かったのは更に15分程経過してからである。
尻の話が終結したのか、もしくは話を逸らしたいのか、オールド・オスマンが第一発見者に事情を聞こうとしたのだ。
それが本題なのにここまで放置されていたのよね、とルイズはうんざりする気持ちを抑えつつ昨夜目撃した事を話し始める。
途中、クロコダインやレイナールが補足しながら話し終えるのに10分かかった。
ちなみに宝物庫の壁を破壊したのはフーケのゴーレムという事になっている。正直に失敗魔法でふっ飛ばしましたと言っても信じては貰えなかっただろうが。
話を聞き終えた学院長は思わず頭を抱えていた。
フーケの後を追おうにも、手掛かりが全く無いからである。
せめて逃げた方角だけでも確認したかったのだが、フーケの作った鉄製のドームの所為で視界が塞がれていた為、それもかなわなかった。
王室には届け出たくないんじゃよなー、だって色々うるさいしぃ、と教育者らしくない事を考えているオスマンである。
これからどうするべきか、正直手詰まりなんじゃないかという空気を一変させたのは、今まで姿を見せていなかったミス・ロングビルだった。
なんと彼女は昨夜の戦いを自室から目撃し、逃げていくフーケの姿を確認したというのである。
慎重に後を追った彼女はフーケに追いつけはしなかったものの、かの怪盗が潜伏していると思われる小屋の在り処まで突き止めていた。
正に三面六臂の大活躍であり、学院の責任者から見れば女神に等しい仕事振りである。
「では王室に報告して早く兵を差し向けてもらいましょう!」
そんなコルベールの発言をオスマンは一蹴した。
今から報告をしていてはフーケに逃げられてしまうだろうし、そもそもこれは学院の問題なのだから解決するのも学院の人間でなくてはならないというのである。
教師達の中には「それってただの保身じゃないのか」と思う者もいたのだが、賢明にも口には出さなかった。
さて、こうなると問題は誰がフーケを捕えて秘宝を取り戻すかである。
今までどんな厳重な警備や優秀な追跡者を出し抜いてきた怪盗を捕縛したとあれば相当な名誉だ。
だが最低でもトライアングルクラス、もしかしたらスクエアの可能性もあるメイジを相手にするとなるとかなりの危険を伴う。
名誉と危険を天秤に掛けた結果として、捜索隊に名乗りを上げる教師はただの1人も存在しなかった。
普段は己の系統を自慢し、実際にスクエアの実力を誇るギトーですら俯いたまま杖を掲げる気配はない。
「どうした? フーケを捕えて名を上げようという貴族はおらんのか!?」
オスマンが挑発に限りなく近い檄を飛ばすが、教師達は顔を見合せるだけで動こうとはしなかった。
そんな時が止まったような重苦しい空気の中、ただ一人動いた者がいる。
凛とした表情で杖を掲げたのはルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエール、通称『ゼロ』のルイズであった。
当然の如く大騒ぎになった。
学生が、それも始祖の血に連なる国内でもトップクラスの大貴族の娘が盗賊退治に乗り出すと言い出したのだから、大騒ぎになるのは当然と言えるが。
これまで発言の無かった教師達が口を揃えて危険だ、まだ学生なのに、教師達に任しておけという声が飛ぶがルイズは意に介さない。
まだ学生なのも危険である事も充分判っているが、それを踏まえた上で行かなければならない理由が彼女にはあるのだ。
大体捜索隊に立候補もしないのに教師に任せろと言われても何を任せればいいのか困るので、その旨を指摘したところ相手は黙ってしまった。
ルイズは思う。黙られても困るものだなあ、と。
困っていたら、ルイズの隣の席で寝ていた筈のキュルケがいつの間にか杖を掲げていて、ますます騒ぎが大きくなった。
参加動機が「ヴァリエールが行くのにツェルプストーが行かない訳にはいかない」というのは単に張り合ってるのか、それとも違う理由があるのか。
もっとも表情はつまらなさそうにしていて、明らかにルイズが立候補しなければ寝て過ごしていたのだろうと言う事が判る。
更に読んでいた本を閉じながらタバサが無表情のまま杖を掲げた為、宝物庫の中はますます騒がしさを増した。
ただ一言「心配」とだけ口にした彼女をキュルケは抱きしめ、ルイズはぎこちなく礼を言い、鼾をかいていた筈のマリコルヌは何故かその光景を見てハァハァ言い始めたが皆で無視する。
一部の教師はそれでも彼女たちを止めようとしたが、それを遮ったのはオールド・オスマンだった。
いわく、タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士であり、キュルケは優秀な軍人を多く輩出した家系の出で自身の魔法も強力であると。
そしてルイズの名を上げて、一瞬詰まり、誤魔化すように周囲に目をやって、ほらあんなに強そうな使い魔を召喚しているし的な事を威厳たっぷりの口調で言った。
ルイズとクロコダインのじっとりとした視線を、齢三百歳とも言われる偉大なメイジは華麗にスルー。結果として威厳は落ちているのに彼はまだ気づいていない。
実はオスマンは、ルイズの使い魔に刻まれたルーンの意味を確かめるのにちょうどいい機会ではないかと、そんな事を考えていたのだ。
もちろん、万が一の事を考えてある種の『保険』を掛けるつもりでもあったのだが。
そんな内心はおくびにも出さず、オスマンはルイズ達に向きなおって言った。
「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」
「杖にかけて!」
3人が真顔で唱和すると、オスマンはロングビルに馬車の準備と道案内をするように命じた。快く了承したロングビルが宝物庫を後にする。
「わたしたちもちょっと着替えてこない?」
ロングビルの背中を見ながらそう主張したのはキュルケで、タバサもその意見に無言で同意した。確かに今の彼女達は学院の制服姿であり、フーケ捜索に相応しい格好とは言い難い。
ルイズとしても反対する理由はないので自室に戻ろうとしたが、クロコダインがその場を動こうとしないのに疑問を抱いた。
「どうしたの? クロコダイン」
ひょっとして勝手に捜索隊に志願したのを怒っているのだろうかと思ったが、どうもそうでは無い様で、彼はルイズを見るとこう言った。
「いや、オレには何が盗まれたのかサッパリわからんからな、お前達が着替えている間に詳しい事を聞いておこうと思ったのさ」
「あれ? クロコダイン、ひょっとして字が読めなかったの……?」
ルイズは壁に書かれたフーケの署名を視界の隅に入れながら質問した。
今まで問題なく会話が出来ていた為、文字に関してはこれまで全く気にしていなかったのだ。
「ああ、少なくともそこの壁に書かれている分は読めないな。オレの居た所の文字とは異なっているようだ」
クロコダインはそう言うと、ポンとルイズの頭を軽く叩いた。
「さあ、言いたい事は色々あるが時間が無い。早く着替えてきてくれ」
ミス・ロングビル、すなわち土くれのフーケは、厩舎に向かいながら心の中で始祖を呪っていた。
(ああもう、なんだって学生なんかが引っ掛かってくるんだい!)
それもその筈、フーケの立てた目算は完膚なきまでに崩壊しているのだ。
彼女の予想は教師達が捜索隊に手を上げない所までは当たっていた。
幾らメイジとしてのレベルが高くとも彼らは所詮教師に過ぎず、何か特殊な訓練を受けている訳でもない。そんな人間は決して危険に飛び込むような真似はしない。
だがそんな中でも、生徒思いのコルベールや責任者であるオスマンなどは、最終的に自分が行くと言い出すとフーケは思っていた。
この2人ならマジックアイテムの使用方法を知っている可能性は高く、また自分に手を出そうとしているのが丸わかりなので適当にあしらいつつ情報を入手する自信もあった。
ところが蓋を開けてみれば、捜索隊のメンツは明らかにアイテムの情報など持っていない学生3人である。
(あー、やっぱクニに帰っときゃ良かったかなー……)
現在のフーケ、うしろむき48%。
しかし、いや待て、と彼女は思いなおす。
諦めるのはまだ早い。確かに今回は予想が外れたが、それなら予想が当たる様に計画を立て直せばいいだけの事だ。
フーケは限られた時間の中でいかに行動するか、急いで考えを巡らせ始める。
現在のフーケ、前むき67%。
もっとも、彼女のモチベーションは厩舎においてうしろむき100%に限りなく近付く事になるのだが。
着替えが終わり、厩舎を訪れたルイズ達が見たのは、2台の馬車であった。
1台は自分達が使う分だとして、では何故もう1台準備されているのか。少なくともクロコダインは馬車に乗る事は出来ない。
ひどくどんよりとした表情のロングビルに尋ねようとして、ルイズは馬車の周りに四つの人影を見た。
「やあ、遅かったじゃないか君たち!」
ロングビルとは対照的に、ひどく爽やかな笑顔でギーシュは手を上げる。
「……なにやってんの、あんたたち」
「見て判らないかい?」
ギーシュの後ろでは、ギムリとレイナール、マリコルヌが馬車に馬を繋いでいた。
「まさか一緒に行くなんて言い出すんじゃないでしょうね」
「まさか! 僕達にそんな度胸があると思っているのかい?」
聞き様によってはえらく情けない事を造花のバラを咥えつつのたまうギーシュに、ルイズは半目で質問した。
「じゃあなんで馬車なんて用意してるのよ」
「決まってるじゃないか! もちろんこれから森にピクニックに向かうからさ!」
「…………は?」
あまりと言えばあまりの言葉に、ルイズだけではなくキュルケやタバサまで呆然とする。
当のギーシュはそんな様子など意にも介さず言葉を続けた。
「だってこんなにも天気が良いんだよ? とても授業なんて出てる場合じゃないね、親しい仲間と一緒に遊びに行くべきだと僕の中の始祖がそう仰ったのさ!」
始祖も6000年後にこんな愉快な言い草の種になろうとは思いもしなかっただろう。
「……まあ前半だけは同意してもいいけど、男4人でピクニック? 淋しいにも程があるわね」
まだ呆然としているルイズの横からキュルケが突っ込むと、ギーシュは大仰に肩をすくめてみせた。
「ま、たまには男同士の友情を深めるのもいいと思ってね。正直女の子との遠乗りはもう懲りたよ。毎回野郎ばっかりなのは御免だけど」
「それは生まれてこのかたオンナノコと出かけた事の無い僕に対する挑戦? 死ぬの? ねえ、死ぬの?」
「落ち着けマリコルヌ! 早まるんじゃない!」
馬車の後ろからそんなやり取りが聞こえてきたが、友情を深める為に敢えて無視する。
「つまりそういう事さ。まだどこに向かうかは決めていないから、偶然君たちと同じ方向に向かう事があるかもしれないが、あくまでそれは偶然だからそのつもりで」
悪びれる様子もないギーシュに、ルイズは一応警告した。
「はっきり言っておくけど、これってかなり危険な事よ。ついてくれば最悪の場合命に関わるし、学院からもいい顔はされないわ」
「ただのピクニックなのに?」
ギーシュはピクニックに行くという主張がよほど気に入ったようだった。
「まああそこで僕たちまで捜索隊に立候補していたら流石に止められていただろうからね、世の中には体裁という物も必要という事さ。あ、これはただの独り言だけど」
「寝た振りしながら風の魔法でこっそり内緒話をしていたなんて事実はないしな。言っとくがこれも独り言だ」
馬車の準備を終えたレイナールとギムリが、独り言とはとても思えない独り言を言う。
つまるところ、彼らはどうしようもなく貴族だと言う事に、ルイズは気付かざるを得なかった。
「ピクニックなら仕方ないな。ちゃんと弁当は持ったのか?」
それまでシルフィード、フレイムと一緒にいたクロコダインがニヤリと笑いながら言うと、マリコルヌが籐のバスケットを掲げる。
「食堂に無理を言って作って貰ったよ。パンに適当な具材を挟んだだけらしいけどね」
「つまり、準備も覚悟も出来ているという事だ。ルイズよ、お前達と同じ様にな」
クロコダインは真剣な眼でルイズを見た。
「ルイズ、お前に並々ならぬ覚悟があるのは判る。だが、前にオレが言った事は忘れてくれるなよ」
「────大丈夫。ちゃんと覚えてるわ」
それは数日前の訓練後に交わした言葉。戦う目的、撤退という選択、そして誇りの意味。
「貴族としての誇りと義務を、わたしは貫くわ」
「ならばオレは主を守ろう。使い魔として、武人としてな」
2人は杖と戦斧を掲げ、互いに笑みを浮かべるのだった。
最終更新:2008年09月23日 15:35