ゼロの影~The Other Story~-12


其の十二 ゼロ

 目の前に立つ男が震える手で自分に杖を向け、一気に胸を刺し貫いた。
 鈍い音まで耳に響くようだった。
 不自然な動きを止められるはずの他者――兵士達の体からは生命の気配は感じられず、床に転がっている。
 ひげを蓄えた男の口から血塊がこぼれ、ゆっくりと言葉を紡ぎだしていく。
 その体が倒れ伏すと同時に視界が真っ黒に染まった。
「いやああっ!!」
 跳ね起きたルイズは戦場ではなく自分の部屋にいることに気づき、ほっと息を漏らした。
 散々うなされたため全身に汗をかいている。
 タルブの村から帰った直後は虚無に目覚めた興奮やウェールズの目覚めなどによりワルドの最期の衝撃が薄れていた。
 だが、ミストバーンが主との連絡が取れなくなったと知ったのがきっかけとなり、毎日のように悪夢を見ることとなった。
 何か問題が生じたらしく、確認のため絶対に一度は帰りたいと思っているようだ。探すのも役立つ道具や魔法ではなく、『虚無』や異世界についてが大半である。
 今は主の言葉が効いているのか大人しくしている。つながりが消える直前の様子がそこまで緊迫したものではなかったのも大きい。
 だが、日を追うごとに焦りと苛立ちがほんの少しずつ募っていくのが分かる。
 もしそれが最悪の形で爆発したら学院――いや、トリステインで止められる者などいないだろう。
 理由も無く殺しはしないだろうが、暴力によって学院を支配し、異世界についての情報や帰る手段を探させるかもしれない。
 誇り高い貴族が屈するはずもなく、戦いが始まればどれほどの血が流れるか未知数だ。
 ワルドの無残な最期が蘇る。皆をあのような目にあわせるわけにはいかない。

 そして、常に大魔王の安否を気遣っているであろう彼を見るたびに黒く煮えた思いが湧き上がるのを止められなかった。
 数千年仕えてきた大切な存在であることくらい彼女にだって想像できる。だが、頭でわかったつもりになっても感情では納得できない。
 仮にも同じ“主人”であるはずなのに、どこまで認められているのか。努力や意地は評価されていても、それは敬意と言えるのか。
 使い魔としての忠誠でも、対等な立場でもなく、あくまで強者が“必死に頑張る弱者”を見下しているだけではないか。
「そ、そんなことないはずよ。見事だって言ってたじゃない」
 ぶんぶん頭を振って浮かんだ考えを弾き出そうとする。
 彼はいい加減な軽口の類は口にしない。必要最低限のことさえろくに喋らないのだから。
(あいつが凄い力を持ってるのは認めるけど……)
 いっそ彼が一回魔界に帰ってしまった方が、こちらとしてもすっきりするのではないかとさえ思ってしまう。
 忠誠心を見せられるたびに、メイジにふさわしくないと言われているような気がした。彼にそんなつもりがないことはわかっているけれど。
 絶対に踏み込めぬ領域を嫌でも思い知らされてしまう。
 強さは尊敬できるが、他者の――大魔王は除く――心情を察する能力はそこらの人間以下だろう。
 心の底から尊敬し身も心も捧げろとまではさすがに言わない。
 こちらにある程度心を許していればそれなりに満足できるのだが、そんな様子など欠片もない。
「このいやーな感じ、前もあったような……いつだったっけ? って、それどころじゃないわ!」
 暗い方向へ逸れる思考を立て直し、彼女は改めて決心した。
「何とかしなきゃ。わたしが召喚したんだから」
 どれほどの時間が残されているのかわからない。
 数年後かもしれないし、数ヵ月後かもしれない。その時が来てからでは遅いのだ。
 彼より遥かに焦るルイズに可能性を見せたのは、土くれのフーケだった。
フーケの脱獄を知った時、ルイズは真っ先に使い魔を問い詰めた。
 魔法衛士隊の者達をはじめ、皆、名門ヴァリエール家の令嬢ルイズやその使い魔を疑いはしなかった。
 ルイズには捕らえた盗賊――それも一度は命を落としかけた――をわざわざ逃す理由など無く、主の意思を無視して使い魔が勝手な行動を取るなど想像できるはずもない。
 逃走後に出された声明から様々な憶測が飛び交ったものの、おそらくスクウェアクラスの優れたメイジが固定化のかけられた鉄格子も壁もまとめて破壊したのだと言われている。
 だがルイズにはわかる。彼女の前では爪による攻撃と闘魔傀儡掌しか見せていないが、その気になればどんな強固な牢獄だろうと簡単に砕けることを。
 疑念が肯定され、ルイズは頭を抱えた。
 名門中の名門ヴァリエール家の令嬢の使い魔が盗賊とつながっているとバレたらどんなことになるか――考えたくもない。
 もちろん必死に止めたがきくような性格ではないため、取引について知らせることなどを条件に許可し、直接関わらずにいた。
 だが、今こそ彼女の力が必要だと悟ったルイズはミストバーンに頼み、フーケとの面会を取り付けたのである。
 プライドが散々邪魔をしたがトリステインの未来には代えられない。

 ミストバーンとの取引を終えたフーケは怪訝そうに問いかけた。
「ヤバイことになってんじゃない?」
「……! あいつから聞いたの?」
「態度でわかるよ。焦ってるってね」
 事情を聴いたフーケは腕を組んで息を吐き出した。ルイズもそれに負けじと肺の奥底から絞り出すような溜息を吐く。
「帰りたい気持ちを少し軽くすることができればいいんだけど」
 そうすれば今まで通りの生活を送るだろう。暴走の時期をかなり遅らせることができるはずだ。
「それに、見てるこっちもキツイんだもの」
 彼の苦痛を和らげてやりたいという気持ちもある。焦りの炎が心をじわじわと焼いていく様を近くでずっと見続けるのは精神衛生上よくない。
 強大な力を持っているだけに苛立ちもなおさらだろう。
「……あるよ、方法」
「えっ!?」
 フーケは複雑な表情で笑った。
「気が進まないけど、あんたの使い魔に殺されかけたのをよりによってあんたに救われたからね」
 殺すつもりで攻撃していたのだから命を奪われても文句は言えなかったのに、その相手から救われた。
 ミストバーンのせいで捕まったと思ったら脱獄でき、結果残ったのはかなりの額の報酬である。悪くない取引は今後とも続けたいところだ。
 そもそも彼が暴れ出せば盗賊稼業どころではなくなる。その時が来てからでは手遅れだ。
「ま、本人と主人のあんた次第だけどね。やるかい?」
「……ええ」
 ルイズはしばし逡巡したものの、覚悟を決めて頷いた。

 フーケに案内されて二人がやってきたのはアルビオンにあるウエストウッド村だった。
 そこに住む少女が記憶に関する魔法を操ると知ってルイズは安堵した。危険物に対処する手段が見つかったのである。
「四大系統に属さないみたいだからたぶん『虚無』だわ。あんたを呼びだしたのも『虚無』が関わってるとするなら、何か掴めるかもしれないでしょ。見せてもらいましょうよ」
 帰りたい思いを一部だけ忘れさせると言ってもあっという間に拒絶されて終わりだろう。そう思ったため以上のような理由で説得した。
 程度は全く異なるものの二人とも焦っているため話はあっという間に決まった。
 森の中に建てられた素朴な家々。その中の一軒に入ったルイズは硬直した。
 彼女が見たものは、妖精という言葉が相応しい神々しいまでの美少女だった。
 草色のワンピースが清楚さを演出し、素朴な格好も美しさを損ねるのではなく親しみやすい雰囲気を与えていた。
(そんなことより!!)
 ルイズは心の中で絶叫した。その視線は少女――ティファニアの胸らしき位置に釘付けである。
 こんな胸があってたまるものか。こんなものが許されるはずがない。
 思わず自分の胸があるはずの部分に手を当てたルイズはわなわなと震え出した。
「ああああれ何よ、ありえないわあんなもの。冒涜だわ、冒涜よ」
 隣のミストバーンを見ると彼も固まっている。が、その理由は全く別のところにあった。口から驚愕の言葉が転がり落ちる。
「く……黒の核晶!?」
「何か知らないけどたぶん違うと思うわよそれ」
 黒の核晶を知っていればもっと具体的にツッコんだかもしれないが、結局訂正の機会はないままだった。
 壮絶な誤解を与えたと知らないティファニアはフーケの姿に嬉しそうに顔をほころばせる。
「『虚無』について知りたがってたよね、あんた。見るだろ?」
 彼が頷くと、あらかじめ事情を知らされていたティファニアが詠唱を始めた。

――ナウシド・イサ・エイワーズ

 室内の空気が歪んでいくが、一片の害意も感じられないため彼は黙って聴いていた。
 ティファニアには純粋な善意があった。ただ彼の苦痛を少し取り除こうとしているだけ。フーケはともかく、ルイズも似たようなもの――のはずだった。

――ハガラズ・ユル・ベオグ

 ふとティファニアの視線が困惑したように彷徨った。ルイズに一瞬だけ向いた目はこのまま続けていいのか尋ねている気がした。
 『虚無』をかけられている最中の彼は半ば意識を手放しかけているようだ。
(どうしよう?)
 ここで止めるべきではないか。心に踏み込むことになるがいいのか。
『大魔王様のご命令だ』
『バーン様の大望の花が――』
 主に絶対の忠誠を誓う姿が蘇る。そして、ワルドの最期も。
「続けてちょうだい」
 得体の知れぬ感情にまかせてルイズが頷くと、ティファニアに不可視の力が集まっていく。

――ニード・イス・アルジーズ

 まるでどこか遠い世界に身体が運ばれていくような感覚が彼を襲う。
 全身が少しずつ分解され力が抜け落ちていくような気がしたが、移動に似た感覚を見極めようと精神を集中させる。
 (――様……!)
 立っている地面が崩れていくように体が揺れた。

――ベルカナ・マン・ラグー……

 警告が心の片隅で響き、止めるべきだと声がした。だが、ルーンが輝いて手を動かすのが遅れたところで光が弾ける。
 空気の歪みが消えると同時にティファニアが崩れ落ちた。
 フーケが慌てて抱き起こすと寝息が聞こえてきた。消耗しきって眠ってしまったようだ。
「おかしいね。今までこんなことなかったのに」
 首をかしげるフーケの言葉を聞き流しつつ彼を観察するが、特に目立った反応は無い。どうやら成功したようだ。
 大きく息を吐き出したルイズは心の重荷がとれたように笑い、フーケとティファニアに礼を述べてトリステインに帰っていった。


 自室に戻ったルイズは己の使い魔をしげしげと眺めた。
 『忘却』をかけられた後、彼は何も喋っていない。元々無口だが今の彼には口があるのか疑いたくなるほどだ。
 恐る恐る腫れ物に触るように尋ねる。
「そ、その……帰りたい?」
 反応は無い。帰る理由が思い当たらないというように。
 安堵しかけたルイズは凍りついた。
(まさか……)
 彼が帰りたがっていたのは、主のためだけだ。
 数千年にわたって仕えてきたと語る彼の誇らしげな様子をよく覚えている。
「まさか――!」
 帰る理由がわからないということは、つまり――。
 奪ってしまったものの大きさに気づいたルイズの顔から血の気が引いた。己の体を固く抱きしめるが震えが止まらない。
「わたし……なんてことを……!」
 その衝撃で彼の心には穴が開いてしまった。
 大きな大きな、埋めることのできない虚無の穴が。

 ここにいるのは“ミストバーン”ではない。“ミスト”とさえ呼べないかもしれない。

 戦う意味も、闘志も、生きる理由も、信念も、何もかも――全てを失った抜け殻、“ゼロの影”がそこに立っていた。

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最終更新:2008年09月23日 15:43
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