ゼロの影~The Other Story~-16 b


最終話 太陽は昇る 後編~The Other Sun, The Other ...~

 雲間から差し込める光が温かく四人を包み込んでいた。
 ルイズは自分の魔法がもたらした結果が信じられないのか、魂が抜けたように呆然としている。
 夢でないと確認するため頬をつねり、頭を叩き、大魔王の視線に気づいてようやく我に返った。
 丘とその周辺だけとはいえ、今までとは比べものにならぬ明るさをもたらしたことに怒るのではないかと警戒し、身構えている。
 彼女の予想に反して大魔王は本物の感嘆をにじませながら告げた。
「見事だ。『虚無』の使い手ルイズよ」
 額の目を光らせて解せぬというように腕を組む。
「……わからん。この輝きは本物の太陽……地上を吹き飛ばした様子はなく、幻でもないというのに」
 ブリミルの作り出した人工の太陽はすでに消えている。その役目を果たしたというように。
 ルイズは祈祷書を読み返しながら手探りするように慎重に答えた。
「人工の太陽に関する呪文は途中に載ってるわ。だけど、なぜかこっちが光っていたの」
 ブリミルは何故最初からこちらを唱えなかったのか。もしかすると唱えてもこれほどの効果は発揮できなかったのかもしれない。
 本来ラナルータは昼夜を逆転させるだけであり、地上と黒雲に閉ざされた空を晴らすことはできない。
 だが、大魔王のメラゾーマが不死鳥の姿になるように、術者の行使した力が桁違いであったため別次元の効果を発揮したのではないか。
 疑問を追及するより先にミストバーンの体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
 慌てて駆け寄ったルイズの視界が暗くなり、足から力が抜けて傍らに倒れこんでしまった。意識がかすむのを叱咤し、地に肘をつき顔を覗き込む。
 すっかり霧が薄くなり素顔が見えている。目の光も弱く、消えかかっていた。
 罰を受けて消耗した状態で生命を削り続けたのだ。とっくに限界を超えている。
 最も遠いはずの消滅がすぐそばに迫っていた。
 主の望みを少しでも叶えることが出来たという喜びも、これ以上役に立てない申し訳さに飲みこまれているようだ。
 口が動くが声は聞こえない。ただ、何を口にしているかは分かる。
 主への謝罪だ。
「嘘……せっかく、せっかくここまでやってきて、それなのに」
 彼がどれほど主のために力を尽くしたか知っている。これから先、主の望んだ光景をともに見られるかもしれないのに。
 彼の行いに応えきれたか。――否。
 召喚されてから今までの間、本当に喜ぶ姿を一度でも見たか。――否。
 主の大望が叶う可能性を目にしたというのに、苦しみながら死んでいくのを許せるか。
(そんなの、認めないんだから)
 憎まれたまま永遠に別れるなど耐えられない。
 それでは――自分もずっと笑えない。
「……けて」
 歩んできた道や価値観が全く違うことも、数え切れぬ戦いと屍の上に立っていることも知っている。
 命令がなければ殺されていたことも、今どんな感情を向けられているかも。
 それでも――。
「ミストバーンを、助けて」
 もし本当に生命を司る力の持ち主がいるならば、願わずにはいられない。
 彼女は倒れ伏したまま、初めて心の底から祈りを捧げていた。
 恐れ、憎み、尊敬した相手のために。
 フーケやウェールズとは違う、越えられぬ淵の向こうにいた存在のために。
 三種族の神々が彼を救うとは思えない。神々を憎む大魔王の忠臣のために奇跡を起こすはずもない。
 始祖ブリミルや名も知らぬ偉大な存在に――彼を救い得る力を持つ者にただひたすら祈り続ける。
 鳶色の瞳から零れた熱い涙が、冷たい頬に落ちていく。

 ウェールズは魂から絞り出された言葉を聞き、一瞬だけ瞼を閉ざした。
『私はお前の名を忘れはしないだろう……永遠に』
『わたくしはこう聞きました。あなたは勇敢に戦った、と』
(君は、“勇敢に戦った”と告げてくれたのだな)
 覚悟を決めたように眼を開く。
 掌をかざすと、命をつなぎ止めていた黒い糸が彼に吸い込まれていく。
 穏やかな表情を浮かべるウェールズとは対照的に彼は動揺を露にした。
「馬鹿な……! 何故生命を……!?」
 力を貸すという約束はすでに果たされたはず。
 彼はウェールズがもう一つの道を選ぼうとしていることを察していた。
 それなのに、生命力の劣る人間が違う世界の住人に――それも異なる種族のために命を削るなど理解を超えている。
 ルイズのことはもっとわからない。
 彼を恐れ、意思と力を奪っておきながら危険を知りつつ取り戻そうとする。
 今にも死にそうな蒼い顔で誰かのために涙し、祈りを捧げる。
 彼女の心や涙の理由は一生理解できないだろう。
 混乱するミストバーンにウェールズは静かに告げた。
「ここで何もせずにいては、僕が僕でいられなくなる」
 その双眸は気高さに満ちていた。単に負債を返済するのではなく、譲れぬもののために戦おうとする眼だった。
 自身の安全を考えるならば放っておくのが一番だ。呪文への協力ですでに限界に近付いている。これ以上力を放出すれば命を失う可能性が高い。
 だが、このままハルケギニアに戻ったとしても前に進むことはできない。
 後悔に苛まれ、己と向き合うことから逃げた抜け殻と化すだろう。そんな姿を晒す方がよほど耐え難かった。
 最後の力を振り絞るが、滅びへ向かうのを遅らせるだけで精一杯だ。
 そこに、もう一つの力が加わった。
「二人……必要なようだな」
 チェスの盤面を眺めるように観察していた大魔王も重ねるようにして力を注ぎ始めたのだ。
 両者の力によって眼光が徐々に明るさを増していく。
「……バーン、様?」
 とりかえしのつかない失態を犯し、厳しく罰され、許されることはないと思っていただけにミストバーンは目を丸くして戸惑っている。
「たわけ。お前にはまだまだ働いてもらわねばならん」
 過酷な罰を与えることで償いとさせた。いつまでも責める気はなく、優秀な部下を失おうとしているのを見過ごすつもりはない。
 力を取り戻すにつれてミストバーンは悟らざるを得なかった。
 元々不安定な状態にあったウェールズの体は避けられない死へと近づいている。
 暗黒闘気で蘇らせたとしても、主が肉体を作り変えたとしても、ウェールズではなくなってしまうだろう。
 勝利のために人間の体を捨てる意思があるならば力を与えたかもしれないが、本人は望んでいない。
 身を起こすと同時にウェールズは倒れ、ほとんど聞き取れないほど小さな声である問いを吐き出した。
 彼は形容しがたい感情を声に浮かべて答えた。
 二度は無いことだった。
「お前は勇敢な戦士だ……ウェールズ」
 純粋な尊敬の声が眠りに落ちそうな意識をかろうじてつなぎとめる。
 ルイズが体を引きずるようにして近寄り、冷たくなっていく手をとった。指にはめられた水のルビーに触れた瞬間、ウェールズの目が大きく見開かれる。
 死にゆく者に対する餞のように鮮明に映ったのは、想い人の姿。
 水のルビーにウェールズの想いが流れ込んでくる気がしたため、ルイズはますます力を込めて手を握る。
 記憶からそのまま再生されたように声がはっきりと心に響く。
『わたくしの知るウェールズ様は勇敢なお方です。今までも……これからも』
(そう、か)
 ハルケギニアに戻り戦いに身を投じることは果たせなかったが、裏切り者にはならなかった。
 力が及ばぬことも多くあったけれど、最後に大切なものを守り切った。
 その面に満足そうな微笑が浮かぶ。
「……ありがとう」
 ウェールズはウェールズとして瞼を閉ざした。
 そして、二度と目を覚まさなかった。

 大魔王は日に照らされる丘の姿を飽くことなく見つめていた。
 いろいろと探ってみたが地上が魔界の蓋になっていることに変わりは無い。だが空の輝きは作り物や幻ではない。
 まるで地上が存在しないような――直接空を見上げているようなありえない現象だ。
 術者であるルイズ本人にも呪文の効果がはっきりとはわかっていないようだ。
 『始祖の祈祷書』で読める部分がないか見直し、「爆発と世界扉と解呪を足した感じ?」と非常にあいまいな答えを返していた。
 本来破壊できぬ障壁を吹き飛ばしたのなら爆発、空を直接届けるのなら世界扉、世界のあり方を戻すなら解呪、とそれぞれ考えることができそうだが結論は出そうにない。
 肝心なのはこれからのことだ。
 大魔王の誇りにかけて、二人に任せきりにするわけにはいかない。
 まだ空の大半は暗いままだがミストバーンが消耗している状態でさえこれだけのことができたのだ。
 彼が万全の状態で、ルイズが力を溜めて挑めば。ルーンによる共鳴を利用し大魔王の魔力や暗黒闘気と合わせることができれば。
 ウェールズも一部とはいえ力を注ぎこめたのなら、不可能ではないはずだ。
 ルイズやミストバーンの負担を減らすことも考えなければならない。
 より大きな力を扱うと彼女の身体がついていかず失敗してしまうかもしれない。
 また、予想外の事態だったとはいえ唯一無二の能力を持つ部下を失いかけた。
 役に立とうとするあまり限界を見誤り、万全の状態でも力を注ぎすぎて命を落としかねない。
「余の影となり得るのはお前だけだというのに」
 この場にいない部下に溜息を吐きつつ呟く。もしルイズが聞けば「本人に言いなさいよ」と指摘したかもしれない。
 異世界の者とはいえ人間と魔族、それも大魔王が手を組もうと考えるなど魔界の住人が聞いたら耳を疑うだろうが、強者は種族を問わず認めるのが彼の信条だ。
 今まで地上を消し飛ばすことを目標に力を蓄えてきた。
 その最大の目的は魔界に太陽をもたらすため。いざとなれば自身をも駒の一つとみなし、囮を引き受ける覚悟があった。
 さらに、冷遇の証を吹き飛ばし、天界へ攻め込むためのきっかけづくり――神々への復讐も大きな動機だった。
 かつて神々が世界を分けたのは三種族が争う状況を憂いたため。協力することなど全く期待しておらず、力で押さえつけただけだった。
 だが、もし人間と魔族の――もしかすると竜族も――力で魔界に太陽をもたらすことができたなら。
 彼らが捨てた可能性を叩きつければ。神々でも成しえなかったことを達成すれば。
 それこそがこの上ない復讐になるのではないか。
「それもまた一興かもしれんな」
 ルイズは地上の人間と違い、三種族の神々の庇護とは無関係だ。人間でありながら神々の定めた世界の在り方を変える可能性を秘めている。
 脆弱であると同時に強大な力を持つ彼女は、まさに異世界からの風。
 黒雲を吹き払い、新たな時代の到来を告げる者。

 陽光に照らされた魔界の姿を見る日が近づいている。同じ太陽でも魔界から見る“もう一つの太陽”はまた違った趣があるかもしれない。
 地上破滅計画を捨てたわけではないが、極大天候呪文の方を優先するつもりだった。太陽を手中に収めてから改めて天界や地上への対応を考えればいい。
 黒雲が全て晴れても全てが終わるわけではない。
 状況が変われば戦いが生じる。それらに勝利しつつ部下が得た知識や道具――フーケとの取引で入手した品など――を役立て、魔界を豊かにするつもりだった。
 陽光によるマグマの海など環境への影響の調査、不毛の大地に緑を芽吹かせるための試案など、すべきことは山積みだ。
 今まで豊かにするための試みは全て徒労に終わったが、太陽さえ手に入れば一気に動き出すはずだ。
 大魔王といえど闇雲に殺戮を欲し破壊を性とするのではない。彼が神々を憎むのも人間にのみ平穏を与えたことが許せなかったためだ。
 その一方で、最強の軍の編成を諦めたわけではない。個性豊かな強者達が集い、相互に影響を与える様を想像するだけで胸が躍る。
 障害は多いだろうが全て焼き尽くすのみ。力こそが全てを司る真理――それが彼の正義なのだから。
 タルブの村の草原と同じような光景を魔界で目にすること。それがどれほど難しくてもやり遂げるだけの自信があった。
「……おお、そうだ。名物のシチューとやらを作らせるのを忘れておった」
 大魔王バーンは心から楽しそうな笑みを浮かべた。

 ルイズはしばらく魔界に滞在することを決めた。
 ハルケギニアに戻る世界扉を作るにはミストバーンの協力が必要だ。一人だとどうしても精神力を溜めるのに時間がかかってしまう。
 それに、始めたことは責任を持って最後までやり遂げたい。ゼロではないという証明を完結させたい。
 初めは贖罪の意識が強かったが、ミストバーンやウェールズの姿を見て誰かのために力を振るう意味がわかった気がする。
 そして、地上についての情報も欲しいと思った。
 大魔王の狙いについて明確に知らされてはいないが、魔界の住人が陽光を浴びるには地上の支配か破壊が必須だった。
 大魔王や部下の性格から考えて、人間ごと地上を吹き飛ばす計画を企ててもおかしくない。
 太陽を手に入れたとしても、直後に地上と魔界の間で戦いが起こることは十分あり得る。
 争いをやめろなどと簡単に口にすることはできないが、異世界とはいえ同じ人間が大勢殺される可能性を無視することはできなかった。
 もっとも、要求や取引をするならばその条件として空が晴れることが必要だろう。
 大魔王に慈愛を説いても効果は無いのだから、“力”で語るしかない。

 太陽に祝福された丘にウェールズは眠っている。ルイズは水のルビーにそっと触れて思いを馳せた。
「……帰る理由が増えたわね」
 彼の魂とともにハルケギニアに帰り、込められた想いと最期の言葉をアンリエッタに伝える。
 そう意気込みながら設置された旅の扉をくぐると先客がいた。
 魔界を見渡している先客――ミストバーンは丘の周囲に不穏な気配を複数感じ取っていた。
 大魔王の勢力圏とわかっていてもこの丘を狙う輩がいる。
 侵入者は全て殺し他の連中への警告としたが、機を窺う者は多い。結界を張るよう主に進言するつもりだった。
 最初に本物の陽光を浴び、魔界の歴史に名を刻むことになる特別な地。
 呪文の成功に尽力し、彼が心から尊敬した者が眠る場所。
 それを汚すことは許せなかった。
 強者への敬意は相手が命を落としても失われることはない。永遠に彼の魂に刻まれている。
 彼は宮殿に戻ってからのことを思い浮かべた。
 侍女にルイズを部屋まで案内させた後、玉座の間で大魔王と腹心の部下は向かい合った。大魔王の面には不敵なものや冷笑ではない、満足そうな笑みが浮かんでいる。
 特別な報酬や賛辞は必要ない。
 その微笑とただ一言で十分だった。
『お前は余の――』
「私は、あなた様の――」
 続きを胸の内で呟くと力が湧きあがる。
 それだけで、これまでに味わった苦難も全て吹き飛ぶ気がした。
 思索に耽る白い背に向かってルイズは名を呼んだ。
「ミストバーン」
 彼はルイズを許していない。怒りの炎は消えておらず、時折噴き上がるのがわかる。
 それでも彼女の功績を認めている。今見ている景色や主の態度が何よりも評価に値するのだから。
「……ルイズ」
 振り返った彼に歩み寄っていく。
 まだ彼への恐ろしさや苦しさを感じる。完全に心が晴れたわけではないが、“ルイズ”として認められていると実感できるためどこか穏やかだった。
 これから先、心の重りが全て消えるか、心から笑えるか、わからない。
「始祖はどんな人で、何をして……どうして大魔王と出会わなかったのかしら?」
 返事は無い。予想済みだ。
 六千年前、『虚無』の使い手ブリミルと大魔王バーンの道が交わることは無かった。
 だが、現在の『虚無』の使い手ルイズと大魔王の部下ミストバーンは巡り合い、誰も成しえなかったことに挑もうとしている。
(できる。こいつとわたしなら)
 あの時向けられた憎悪や殺意、味わった恐怖や絶望に比べればどんな困難も恐れるには値しない。
(……あれ? 淑女として失っちゃいけないものを失いかけてるような……気のせいよねきっと)
 心の中で乾いた笑いを漏らし、気を取り直して再び問いかける。
「ずっと前から決まってた――特別な意味を持った出会いってあると思う?」
 今度は頷いた。意外な反応にルイズが目を見開くと、彼はどこまでもまっすぐに答えた。
「私とバーン様の出会いがまさにそれだ」
 ルイズは盛大に転んだ。ウェールズの苦笑いしている顔が見えるようだ。
「この話の流れでそっち? ……まだまだ認めさせる余地があるわね」
 決意も新たにほんの少し覗く青空を見上げると、召喚した日と同じように太陽は燦々と輝いていた。


 そして月日は流れ――トリステインに戻ってきたルイズは何があったのか語ろうとはしなかった。
 だが、キュルケやタバサに向かって誇らしげに、太陽のように輝く笑みを浮かべた。

 彼女の力でもう一つの結末にたどり着くことが出来たのだから。


ゼロの影~The Other Story~ 完

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最終更新:2008年10月08日 00:38
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