ゼロの影~The Other Story~-17

番外編~バッチリがんばれ~

 その日、魔界の第七宮廷では緊張が漂っていた。
 大魔王の腹心の部下ミストバーンが、タルブの村にて作り方を教わった料理――素朴ながらも味わい深いシチューを作ったというのである。
 巻き添えを恐れた料理人達は沈没船から逃げ出すように厨房から姿を消し、一人残された彼がどのような調理を行ったのか目撃した者はいない。
 練習作の味見をするよう無言の圧力をかけられたルイズは丁重に辞退しようとしたが、他に誰もいないことを悟らざるを得なかった。
 大勢仕えている侍女達は毒見役を押し付けられることを恐れ隠れてしまったらしい。
 散々ためらったすえルイズは渋々ながら頷いた。
 主人として使い魔の料理を味わってみたい気持ちがあり、好奇心がそそられる。
(ひどいことになってなければいいけど)
 彼は一度タルブの村でシチュー作りに挑戦した。
 だが、初めて調理器具を見るということでシエスタが辛抱強く一つ一つ道具について説明するだけで多くの時間が費やされ、実際に作ったわけではない。
 ビュートデストリンガーで調理器具ごと食材を砕いたり爪の剣でまな板ごと切り刻んだりするのを防止するにはどうしても必要だったのだ。
 実質的には今回が初挑戦と言っていい。
 初心者にもわかりやすいように詳しく丁寧に書き込まれたレシピはもらっているものの、魔界の食糧事情では同じ食材を使用できない部分もある。不安はかなり大きい。
 差し出された皿の中をじっくり観察する。色は――正常だ。
(調味料の代わりに暗黒闘気を使うなんてことは、してないようね)
 続いて鼻を動かす。刺激臭はない。それどころか食欲をそそる香りが鼻をつつき、反射的にお腹が鳴った。
 顔を赤くしたルイズは意を決して口に運んだ。

 しばし流れる沈黙。
 ルイズは反応を観察する相手に険しい視線を向けた。
「……あんた嘘ついたわね? 初めて作ったとは思えないわ」
 一口食べた途端に音楽が鳴り響き天界に昇るような心地になるわけではない。
 涙を滝のごとく流すこともなければ、わけのわからない比喩表現を使いたくなるわけでもない。
 長年の経験者や本職に比べれば劣るだろう。
 しかし、予想よりは遥かに美味だった。
(なにこの敗北感……!?)
 ルイズは頭を抱えたくなった。
 魔界に君臨する大魔王の部下。数千年の間戦いしか知らずに生きてきた存在。
 それなのに料理もできるとあっては人間としての立場が無い。
 嘘吐き呼ばわりされたことが理解できずにいる彼の前でルイズは食事を進めていく。
「“おいしくつくろうという情熱”が伝わってくるわ」
 某シェフの食べたら筋骨隆々になる某スープを作るために必要なものが入っている。
 どうやって初挑戦で無事成功させたのか粘りに粘って聞き出すと答えは単純だった。
 まず、手順を念入りに確認し徹底的に記憶。
 次に、必要なものを抜かりないよう完璧に用意。
 そして開始する前に何度も繰り返し頭の中で最後までの流れを組み立てたという。
 もちろん後片付けも塵一つ残さず綺麗に済ませている。
 戦闘の方が容易だと言われたルイズは心の底から納得した。
「正面から強引に力押しで叩き潰して終わりだからね、あんたの場合」
 要はシエスタのレシピに忠実に作ったということだ。
(ありがとう変なこと書いてなくて。こいつなら間違いなく実行してたわ)
 始祖ブリミルと誠実なシエスタに感謝しつつルイズはこれなら大丈夫と太鼓判を押した。
 あと数回練習したら、いよいよ大魔王が“召し上がる”番だ。

 いよいよ本番になってルイズは我がことのように緊張していた。
 幾度かの練習の後に作られたシチューが大魔王の前に運ばれると物陰から複数の気配を感じた。
 料理人や侍女達が様子をうかがっている。悪魔の目玉もそこかしこに設置され、張り切って監視中だ。
(この暇魔族! 仕事しなさいよ!)
 魔族は長い時を生きるゆえに密度の薄い人生を送るという言葉がどこからともなく浮かんできた。
 大魔王は視線に気づいているはずだが、特に反応を見せるわけでもない。腹心の部下の真心と情熱のたっぷりこもった手料理を眺めている。
 ミストバーンとルイズが凝視する中、まず一口。
 場の空気が緊張に張りつめるが反応は無い。静かに食べ進める姿に痛いほどの沈黙が流れる。
 一口も残さず最後まで食べ終えてから大魔王は呟いた。
「美味であった」
 と。
 さらにこう続けた。
「お前は余の予想を上回りおった……見事だ」
 率直な賞賛の言葉に物陰から歓喜と絶望の声が響いた。どうやら敗者が一時的に石になる賭けをおこなっていたらしい。
 ちなみに、彼らは後で大魔王から職務怠慢の罰を受けることとなった。
 なぜかルイズは反射的にガッツポーズをしてしまったが、喜ぶはずの当人は何も言わない。ただ、目が興奮を示すように明るく光っている。
 これからも作ってもらうと告げられ無言のまま頷く。

 揃って退出したルイズが眉をひそめて彼の態度を批判した。
「せっかく褒めてもらったんだから“お褒めにあずかり光栄です”とか言ったらよかったじゃない」
「な……何と言えば良いのか……わからなかったのだ……」
 どことなく歯切れの悪い口調にルイズの動きがぴたりと止まる。
「それってつまり――とっても嬉しかったってこと?」
 こくりと頷かれた。
 眼の光もいつもより輝きを増しており、心の底から喜んでいることが確かに伝わってくる。表情はわからないが口元がほんの少し綻んでいる気がした。
 程度こそ違うが、戸惑う様子はレベルアップを指摘された時と似ている。
「あんたホントに数千年生きてんの?」
 幸せそうな彼に思わずルイズはツッコんでしまった。
 同じく数千年生きている大魔王に比べると感情を表に出すことが多く、受ける印象がだいぶ異なる。
 湧き上がる感情の正体が分からないらしい彼の様子を見て、心の中で叫ぶ。
(愚か者ね……人はそれを“照れ”と呼ぶのよッ!!)
 自分の言葉に絶望した彼女は床に突っ伏して泣きたくなった。
「何よ、何なのよこの切ない敗北感!?」
 自分がいくら言葉を尽くして褒めようとそこまで喜ばないと認めたようなものではないか。
 自分は彼にとってその程度の存在なのか。料理道的な立場から考えて。
 シエスタは綿密なレシピを提供したという実績がある。
 召喚してから一緒に行動してきたというのに、一介のメイドに劣る立場なのか。
 ――否。そんなことは許せない。
 負けを認めたくないという思いで必死に頭を働かせた彼女にある考えが浮かんだ。
「……ねえ、ご主人様の健康管理や食生活への貢献も部下の大切な仕事だと思わない?」
 関心を示すように眼が光る。
「わたしがハルケギニアで一番美味しいお菓子、クックベリーパイの作り方をあんただけに教えてあげる。きっとそれを食べればとっても喜ぶわよ」
 大好物なのでこれだけは作り方を知っており、レシピを書くことができる。
 努力家である彼女は、クックベリーパイだけは譲れぬという信念のもとに研究に研究を重ね、独自に編み出した究極の作り方を完全に暗記していたのだ。
 試しに他人に作らせてみたところ大絶賛だった。
 ちなみに、自分では作ったことがない。
「わたしは天下の大魔王の一番の部下にお菓子の作り方を教えたのよ!」
 と、高らかに宣言する自分の姿を想像した彼女は不気味な笑みを浮かべている。
 誇る方向が色々とズレていることに本人は気づいていない。
「わたしたちの力で! あのシチューにも負けない至高にして究極の一品を! 魔界の歴史に名を刻むお菓子を作るのよッ!!」
 妙な方向で対抗心を燃やすルイズと、主が喜ぶならと承知したミストバーン。

 二人の魔界での伝説が、いま幕を開けた――。

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最終更新:2008年10月18日 17:42
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