番外編~竜魔影零~
(――父さま、母さま、お元気ですか? 魔界は今日も……荒れ模様です)
桃色の髪の少女は乾いた笑いを漏らした。
鳶色の瞳には巨竜と白い影が激突する様が映っている。唸りを上げて迫る尾をひらりとかわし、銀色の爪を叩きつけるが鱗に阻まれ傷つけることはできない。
(わたし、どうしてここにいるのかしら?)
ルイズは引きつった笑みを浮かべたまま考えた。
大魔王は冥竜王ヴェルザーに協力を要請するため、使者としてルイズとミストバーンを派遣することを決めた。
聞いた瞬間ルイズは「異議あり!」と某弁護士風に指を突き付けてツッコんだ。
空を晴らすことはやり遂げるつもりだが、魔界の事情に首を突っ込む真似は避けたい。知恵を持つとはいえドラゴンの元に行くなど真っ平だ。鼻息荒くそう主張する。
だが、全て黒雲を消すには膨大な力が必要だ。何回も唱えると体への負担も深刻なものになり、ハルケギニアに帰るのも先のこととなる。
少ない回数で一気に逆転させるには竜族を統べるヴェルザーの力が不可欠だ。
「そなたを実際に見なければ信じまい」
太陽に照らされた丘の姿を見た者の多くは大魔王が術者だと思っている。ヴェルザーも例外ではないだろう。脆弱な人間への蔑視や偏見は根深い。
結局大魔王のみ念話を用い、二人が直接赴くことに決定した。三人まとめての念話の使用をルイズが提案したが、一度は直接会っておけと却下された。
抗議したものの「怖いのか?」と笑みと共に挑発され、退くに退けなくなった。プライドが高く負けん気が強いという点で魔界の主従と似ているかもしれない。
二人は無事ヴェルザーの元へたどり着いたものの、一笑に付された。
「人間の、それも小娘に協力しろだと? バカバカしい」
嘲笑されたルイズの顔が朱に染まる。
彼女の目の前にいる竜は巨大な体躯を黒い鱗に包み、双眸に凶暴な光をみなぎらせている。
その風格はまさに竜の中の竜。竜族を統べる冥竜王の称号に相応しい。草木の生えぬ山脈に配下の竜とともに住んでいる。
吹けば飛びそうなルイズの華奢な体を見てフンと鼻を鳴らす。侮辱されプルプル震える彼女の前にはミストバーンが無言で立っている。
少女が巨竜を前に怯えずにいられるのは、その背を見ているからだ。
『お前も日に照らされた丘を見たはずだが』
「信じられるか! どうせ自分一人の力では大したことは出来まい」
「ルイズはほんの少し協力しただけで実際は大魔王が行った」という思い込みを改めようとはしない。
彼女は反論できず唇を噛み締めるしかなかった。ウェールズやミストバーンが力を振り絞ったから成功したのだ。一人で唱えても何の効果も現れないだろう。
『お前にとっても悪い話ではないのだがな。どうしても断るか』
当然だと言いたげに息を荒々しく吐き出す。
『ならば――闘い、過ちを認めた方が協力するというのはどうだ?』
大魔王はチェスの駒を指で弄びながら提案した。正義を説きたくば力で語れと主張する彼の単純な案に、ヴェルザーも乗り気のようだ。
「いいぞ、さっさとここへ来い。貴様を打ち負かしてやる」
興奮を示すように口から炎がチロチロと伸びる。全身から放たれる覇気は煉獄の火炎そのものだ。
大魔王と冥竜王の激突を目撃することになるのか――心を高ぶらせたルイズの耳に飛び込んだのは予想外の言葉だった。
『余が行く必要はない』
ヴェルザーが理解できぬように口を開け、やがて真意を悟って激昂した。
「こいつらで十分だということか? ……貴様オレをなめてるのかッ!?」
「ちょっと、戦うってどういうこと!?」
頭に血の昇った二人とは対照的に大魔王もその側近もどこまでも冷静だ。
『そなたは戦わずともよい。余の部下ではなくあくまで協力者だからな』
思わずミストバーンを眺めたが全く動揺していない。あらかじめ知らされていたのだろう、単身で最強の竜に挑むとは思えぬほど落ち着いている。
ヴェルザーは怒りをみなぎらせていたが、やがて禍々しい笑みを浮かべた。
「部下でないなら無関係だな。大人しく見ていろ……大魔王の部下が惨たらしく引き裂かれる様をなっ!」
戦いやすいよう不毛の荒野に移動し、ルイズがある程度離れると両者は向かい合った。
空気が緊張に震え頂点に達した瞬間――両者は激突した。
戦いはなかなか決着がつかなかった。
ミストバーンの攻撃では鱗に阻まれ重傷を負わせることが出来ず、巨躯と強靭な生命力を持つ竜には効果が薄い。
ヴェルザーの攻撃は素早く動くミストバーンを捉える事は出来ず、単なる尾や爪では当たったところで全く痛痒を与えない。
鋼鉄の爪が砕けたのを見てミストバーンは掌に暗黒闘気を集中させた。
闘魔最終掌。
暗黒闘気を操る彼の、最強の技だ。
黒い波動が迸る掌を顔面に叩きつけると鱗があっけなく剥がれ引き千切られた。痛みにくぐもった声を吐き出したヴェルザーは目を見開いた。
鱗が剥がれたところに爪の剣が突き刺さり、傷を広げていく。
「貴様ッ!」
眼がギラリと光りヴェルザーは炎を吐き出しつつ距離をとった。その体の表面を金色のオーラ――闘気が覆っていく。
力を溜めるように両腕を曲げ、勢いよく突き出すと闘気の弾丸が放たれた。両手で防ぎつつ回避する彼ににやりと笑ってみせる。
「闘気による攻撃は効くようだな」
彼は何も言わず虚空を蹴り、再度ヴェルザーに接近した。
ルイズは口をぽかんと開けて死闘を眺めていた。
化物じみた強さを誇るミストバーンと、彼に劣らぬ圧倒的な力を持つヴェルザー。
非現実的な光景に頭が付いていかない。きっと戦いを好む者ならば呼吸も忘れ見入るに違いない。
『虚無』が強力だといってもその中に飛び込む気にはなれなかった。こちらは普通の人間なのだ。一撃でも食らえば死んでしまう。
ヴェルザーは全く警戒しておらず、最初からミストバーン一人を敵と見なしている。ミストバーンも彼女の助力を期待せず自力で勝利を掴むつもりらしい。
できれば力になりたいが、魔界の住人同士の争いに介入しかねている。
ミストバーンは“ルイズの使い魔”としてではなく“大魔王の部下”として戦っている。自分の入る余地は無い気がした。
考え込みそうになったルイズを現実に引き戻したのは黄金の煌めきだった。
なかなか獲物に当たらぬことに苛立ったヴェルザーが闘気を練り上げ、無数の矢の形状に変化させ、解き放ったのだ。
先ほどとは比べものにならぬ威力の攻撃は、遠く離れていた彼女の元にまで迫る。
(え?)
何本もの矢が飛来するのがひどくゆっくりに見えた。ミストバーンが弾かれたように振り向き、その姿が消えるのも。
鈍い音が連続して響いた。
ルイズは呆然と前に立つ者の姿を見つめた。
ルーラで飛び込んだミストバーンが己の身で全て食い止めている。
金色の矢は獲物に食らいついたことに歓喜したように、乾いた音を立てて破裂した。
「が……っ!」
全身を抉られ、焼かれる痛みに身体が揺れる。
白い衣のあちこちが黒く焦げ、煙が立ち上るのを見てルイズが声を絞り出す。
「わたしが……いなければ……!」
彼一人ならば対処できたはず。共に離脱するためのルーラは間に合わず、前に飛び込むだけで精一杯だったと彼女にもわかる。
しかし、彼は無言で首を横に振った。この場にいろというように。
「人間風情を庇うとは大魔王の部下失格だな。腑抜けたか」
冥竜王の声には面白がるような響きと勝利の確信が混ざっている。
いくら死ににくい身体を持っていようと、何発もまともに食らえば相当堪えるはずだ。
そこらの戦士の闘気ならばともかく、冥竜王渾身の一撃なのだ。文字通り痛恨の一撃となったことだろう。
ただ一度で敵の肉体も生命も消し飛ばす、竜族を統べる王の攻撃。
大量の闘気を放出するだけあって、直撃した魔界の大地はぐちゃぐちゃに抉れ、ひび割れ、穴だらけの惨い有様になっている。
肉体を持たないミストバーンだからこそ複数の矢を食らっても耐えられたのだが、ヴェルザーは凶暴な笑みを浮かべた。
簡単に滅びなければ、徹底的に潰すだけだと言いたげに。
生命力を一気に削ぎ落とす攻撃を受けても彼はどこまでも平静だった。
大魔王も余裕を失っておらず、静かに告げる。
『お前と闘う事態に備え、余は協力者たるルイズの守護を命じた』
ヴェルザーは嘲笑うように牙を剥いた。
爪を振りかざすとその先端に金色に輝く闘気が集っていく。痛恨の一撃を受けた今の彼では防ぎきれないだろう。
「来なくていいのか? 貴様の部下も協力者とやらも仲良く倒されてしまうが」
大魔王は怒るそぶりを見せず、朗らかに笑い出した。
『ふははははっ! 面白い、やってみよ』
「正気か? 部下はともかく貧弱な体の人間などすぐに死んでしまうわ。貴様の好きなチェスに例えるなら兵士(ポーン)……いや、それ以下だ」
大魔王はどこまでも不敵な笑みを浮かべチェスの駒――ヴェルザーの言葉に応じ兵士の駒を手にとった。
『なるほど、ポーンと言えるかもしれん。……どうした? 遠慮はいらんぞ』
「その言葉、後悔するなッ!」
極限まで闘気の込められた爪が突き出され、ミストバーンの胸に吸い込まれた。
甲高く澄んだ音が空気を震わせる。
余韻が消えぬうちにミストバーンが口を開いた。
「そのために私はあらかじめ許可を与えられていた」
彼は首飾りで爪を止めている。ピシピシという音とともに美しい表面に亀裂が広がっていく。
パキン、とガラスの砕けるような音が鼓膜を震わせる。
『――全力で戦ってよいという許可を、な』
首飾りが真っ二つに割れ、閃光が辺りを照らし出した。
収まった後に立っているのは白皙の美貌を持つ青年だ。閉ざされた双眸も神秘的な衣も整った造作を引き立てる役目を果たしている。
長い白銀の髪がさらりと揺れ、衣の裾が翻った。爪を掴んで思いきり引くと巨竜が体勢を崩し――無防備になった顔面に拳が叩きこまれた。
「……ッ!」
単純な、拳での一撃。
効くはずのない攻撃は金属をも噛み砕く牙を易々とへし折った。反撃の炎が二人を飲み込まんと広がるが無造作な手刀一発で空気が割れ、あっさり分かたれ消し飛ぶ。
闘気の矢が串刺しにしようと迫るが、不死鳥の羽ばたきを思わせる掌撃がことごとく弾き返した。
先ほど折った牙を手に喉元まで移動し、牙を杭、拳を槌代わりに全力で打ち込む。さらに拳を幾度も叩きつけ、より深く埋め込んでいく。
強靭な体を持つ竜相手に素手で殴りかかるなど予想を超えている。
「これが貴様の切り札か、大魔王バーン!」
信じられぬ膂力だが、ヴェルザーとてすぐに崩れるほど精神的に脆くない。
果敢に攻めようとして、凍りつく。
いつの間にか異常なまでに膨れ上がった力にようやく気づいたのだ。
『……何故危険を承知でルイズを向かわせたのか、まだ理解していないようだな』
大魔王の言葉に応じるように憤怒に燃える声が響く。
「誰の“胸”が貧弱ですってぇ……!?」
ルイズの目が怒りと憎しみに染まり、暗く燃えている。
そもそも胸のことなど一言も触れていないのだが、それを指摘する者は誰もいない。
大魔王はノーコメント。
ミストバーンは本来体を持たないため性別も無い。
ヴェルザーはドラゴンである。
「言われたとおり大人しくしてた相手をうっかり殺しかけて、貧弱呼ばわりするなんてね」
空気がうねり髪が逆立つ。
「そして――こいつを侮辱したわね!? わたしだって侮辱したこと無いのに! ……怒らせたことはあるけど」
先ほどとまるで違う、立ち上る力にヴェルザーはあっけにとられている。
『お前のことだからうかつなことを言って怒らせると思っていたが……当たったようだ』
刺激しなければ、怒らせるよう仕向けるつもりだったのだろう。
いつしか大魔王の手には盤上最強の駒、女王(クイーン)が握られている。
兵士の昇格(プロモーション)。怒りによって今の彼女の力は爆発的に跳ね上がっている。
『安全な場所にいては力を実感させることもできん。自らの体でじっくり確かめるがよい』
呪文を唱えるより先に叩き潰そうとするが、ミストバーンが盾となって完全に阻んでいる。
駒が盤面に叩きつけられると同時に杖が振り下ろされ、爆発が起こった。
煙が晴れるとルイズは我に返り、己に歩み寄る青年に何か言いたげな眼差しを向けた。露になった素顔をしげしげと眺めた後ようやく言葉を発する。
「あんた誰?」
と。
沈黙が漂う中、みけんにしわを寄せる。
「やっぱりミストバーン?」
こくりと頷かれ彼女は複雑な表情を浮かべた。
「顔隠す必要ないじゃない。笑っちゃうほど面白い顔ならわかるけど」
彼女の疑問を逸らすように大魔王が語りかける。
『どうだヴェルザー、まだ信じられぬか?』
「フン、人間にしては力を持っているようだ」
答えるヴェルザーは腕を爆発で抉られ苦しそうにしている。ルイズにその気があれば心臓や頭部を爆破されていたかもしれない。
戦闘は可能で戦意も衰えていないが、あれほど侮っていた相手にここまで傷つけられては間違いを認めないわけにはいかない。
協力の条件は”過ちを認めること”だったのだから、力を貸さねばならない。
「だが……いずれ貴様を倒し魔界の頂点に立つ」
宿敵の覇気をどう思ったか、大魔王は極大天候呪文やルイズの魔法について説明を始めた。
彼らを眺めながらルイズはミストバーンに話しかけた。
「素手で竜に殴りかかるなんて、けっこう無茶苦茶ねあんた」
それであの巨体に攻撃が通じるのだから常識を超えている。
「って、もしかしてわたし、とんでもないことしちゃったんじゃ……」
協力するはずの相手の腕を抉ってしまった。
だが、大魔王いわく不滅の魂を持つ冥竜王はたとえ倒されても復活するから気にする必要は無いらしい。そう告げられたため納得するしかなかった。
「それにしてもあの姿――貴様の若い頃によく似ている。禁呪法生命体か? 血縁者か?」
『血縁……そう言えなくもないな』
「何ッ!? 顔を隠していたのは箱入り息子ということか。貴様が家族愛に溢れていたとは思わなんだぞ」
ヴェルザーは大魔王の言葉にすっかり食いついている。
先ほど食らった矢の傷は無事か確かめようとしてルイズはミストバーンに触れたが、反射的に手を引っ込めた。
(冷たっ!?)
ヴェルザーは拳が金属に包まれていたことと、判明した“正体”に夢中になっていることもあって気にとめていないが、まるで氷のような冷たさだ。
ルイズが首をかしげる前で冥竜王と配下の竜も呪文に協力することが決定したのだった。
最終更新:2008年10月18日 17:48