完結編 心を一つに 前編~光と影~
極大天候呪文実行予定日前夜、大魔王の宮殿の中庭には冥竜王ヴェルザーが座し、一室では大魔王とルイズが言葉を交わしていた。
話し合った後大魔王は退出し、ヴェルザーの元へ向かう。
残されたルイズは考え込むように視線を彷徨わせたが、室内に入ってきたミストバーンに何か言いたげな表情をした。
彼の方も物思いにふけっているのかそれに気づかないままだ。
やがてルイズは視線を逸らし、緊張を和らげるかのように『始祖の祈祷書』をめくってぶつぶつ呟き始めた。
大魔王とヴェルザーが対面している中庭にはわずかに張りつめた空気が漂っている。
元々両者は敵対する立場だった。それでも手を組んだ理由は魔界に太陽をもたらすため。
当初、竜族を加えなくても回数を増やし、少しずつ黒雲の無い領域を広げればいいと考えられていた。
だが、術者への負担をはじめ様々な要因から極力少ない回数――つまり一度で全てを逆転させねばならないことが明らかになったため、竜族の力が必要になった。
計算した結果、竜族の力を加えても可能性はよくて五分五分。協力が不可欠だ。
また、神々を憎むバーンにとっては復讐の意味も帯びている。
神々が世界を分けたのは三種族が争う状況を憂いたため。協力することに期待せず、力で押さえつけただけだった。
だが、三種族の力で魔界に太陽をもたらし、彼らが捨てた可能性を叩きつければ最高の復讐になるのではないか。
ヴェルザーとも意見が一致し、竜族も協力することとなった。
訪れた大魔王が思考の淵を探るような表情をしていたためヴェルザーは不機嫌そうな声を出した。
「今更怖気づいたか? わざわざ予定より早く行うと決めたのは貴様だぞ。そもそも、あの小娘の体が耐えきれるのか?」
果たして上手くいくのかと言いたげなヴェルザーに大魔王は淡々と説明を行った。
ルーンを利用し他者から力を集める実験は成功した。
だがそのままでは術者であるルイズの体は途中で崩壊してしまうことが大分前からわかっている。そのため共に力を放出し、負担を肩代わりする必要がある。
自らが請け負うと告げられ、ヴェルザーの眼が簡単にへし折れそうな首に向けられた。
「魔族の中でしぶとい貴様でも耐えきれん。竜や他の魔族達と分担するのか」
返事は否定だった。
大勢で分担することはできず、ただ一名のみ可能だ。莫大な魔力を持つ者が該当するが、成功の確率が最も高いのは大魔王本人だ。
「むろん手は打つ……」
その目は何かを選び、決断したような光を帯びていた。
「貴様は異世界の魔法は使えんのか? 『虚無』とやらは“破壊できぬものをゼロにする”らしいが」
始祖の『虚無』の一部はこちらの世界の呪文と同じものもあるが、ハルケギニアで一般的な四大系統はどうなのか。
答えは、そのまま使用することはできないということだった。
こちらの世界のルーラやトベルーラはハルケギニアで使えても、ウィンディ・アイシクルやフレイム・ボールなどの呪文を使うことはできない。
こちらの世界の呪文と組み合わせて独自の効果を生み出そうとする試みも行われた。
だが、似た呪文の効果が速やかに発揮されたり効率的に威力を上げたりといった補助的な働きに留まっている。
時間をかけて研究を進めれば次の段階へ進めるかもしれないが、極大天候呪文の準備を最優先にしてきたため実現は遥か先のこととなりそうだった。
「興味深い呪文もあったのだがな」
「ほう? 何だそれは」
ヴェルザーの眼が好奇心で光った。魔界の住人だけあって“力”に関心を持たずにはいられないようだ。
「風の遍在(ユビキタス)と言う」
それぞれに意思と力を持つ存在を作り出す風のスクウェア・スペル。使えれば便利だと呟く大魔王を見てヴェルザーは試しに想像してみた。
複数の大魔王が完全に息の合った連係を披露し、高笑いしながら火球呪文や爆裂呪文を連発して攻撃してくる様を。
「……なかなか愉快な光景だな」
思わず頭を振って打ち消してしまったヴェルザーであった。
当日、初めて本物の陽光に照らされた特別な地――ウェールズの眠る丘の上には大きな円が描かれ、線上に六つの点が打たれていた。
呪文の要であるこの場所で力を注ぐのは、それぞれの種族の中でも選りすぐりの強者達だ。
ミストバーンが円の中心に、上から見て頂にルイズ、底に大魔王、他の点にはヴェルザーと竜、そして魔族二名が立っている。
さらに魔界各地に魔方陣が作られ、力を注ぐ準備が整えられていた。
「結局負担について解決したのか?」
「このままではもたん。このままではな」
あっさり言いきった大魔王はミストバーンに向き直り、告げた。
「お前に長年預けていたものを返してもらう時が来たようだ」
ミストバーンは頷き、闇の衣に手をかけて封印を解いた。素顔が露になり、大魔王へ歩み寄る。
「お返しいたします。天地魔界に無敵とうたわれた、真の大魔王バーンの肉体を……!」
光が二人を包み、収まると、鋭い双眸の魔族が立っていた。若々しく覇気に溢れ、極限まで鍛えられた身体は敏捷性と力強さを感じさせる。
年齢は全く違うが全身を包む鋭気から同一人物だとわかった。
ヴェルザーが理解と疑問を浮かべた表情で呟く。
「貴様の分身体だったのか。何故わざわざそんなことを」
拍子抜けしたような声に大魔王が答える。
「……武器として利用するためだ。分身体は意思を持たぬので余の部下が一体化し操っていた。正解にはたどり着けなかったようだな」
大魔王は自らの肉体を二つに分けた。本体に叡智と魔力を残し、若さと力をもう一つの身体に込めて。
だが、大魔王に代わり魔界の覇権を握ろうと企む者には知られたくなかったはずだ。長年の間姿どころか声も隠し続けてきたのだから。
疑念の眼差しに対する答えは簡潔だった。
「魔界に太陽をもたらすためだ」
ヴェルザーがバーンを凝視する一方、ルイズはミストバーンに食い入るような、二名の魔族はどこか冷やかな蔑みに近い視線を向けていた。
実体を持たない、黒い霧のような姿へと。
闇の衣を着ている時と同様、胸の辺りにルーンが光っている。
「これが私の……本当の姿だ」
ミストバーンは、ミストという暗黒闘気の集合体が大魔王バーンの身体と一体化した存在だった。
自分の体を持たない彼は次々に身体を乗り換えて強くなるしかなかった。
その反動で強き者に――自らを高める者に、強い羨望の念とともに敬意を抱いた。彼には絶対にできないことだから。
己の能力を忌避していたからこそ、それを認め必要とした主に絶対の忠誠を誓った。
あらかじめ大魔王から負担についての説明と「返してもらう」ことを告げられたため、昨夜は秘密と正体をさらけ出すことに思いを馳せていたのである。
正体を知ったルイズはじっとミストバーン――ミストを見つめている。
授業で爆発を起こし、落ち込んでいた時にかけられた言葉の意味をようやく理解したのだ。
『わたしには何の力も無くて……誰かから必要とされることはないんだわ。認められることも――』
『……どれほど望んでも、何の力も持てぬ者もいる』
何の力も持てぬ者とは、他人の体を奪えば簡単に強くなれるが、器が無ければ何の力も振るえない彼のことだった。
ミストは吐き出される言葉を予想した。
『自分の強さじゃなかったのね』
『寄生虫だわ』
だが、ミストの内心を知ってか知らずかルイズは威勢よくビシッと指差した。
「大魔王一筋で、ウェールズ様を尊敬してて、わたしを認めてくれて、冷たい奴かと思ったら意外と熱くて……だったら正体が何だって関係ないわよ」
ルイズにとって彼は“自分が召喚した相手”であり、それだけで十分だ。
もう少し人に優しくしてほしいと思わなくもないが、大魔王の部下に言うことではないとわかっている。
この程度でいちいち動揺するような繊細さはいつの間にか失ってしまっていた。
ミストはしばし言葉を失っていたが、いよいよ開始する時刻になったため中央に移動した。
皆表情を引き締め空を見上げる。
ルイズは大きく息を吸い、精神を集中させた。ルーンが輝き他者をつなぐ。朗々たる声が可憐な唇から紡ぎだされていく。
力が集まり高まっていくにつれて大魔王の顔がわずかに歪んだ。膨大な力が体内で荒れ狂う衝撃は想像を超えていた。
心臓が潰れそうな、全身の骨が粉々に砕かれるような、凄まじい痛みが意識を責め苛み切り刻んでいく。負荷に耐えきれず口から血塊が吐き出された。
皮膚が所々裂け、再生してふさがるそばから再び裂傷が走る。地面に血の滴が飛び散り辺りを染め上げた。
それでも彼は鋭い眼光のまま力を注ぎ続ける。
ミストは自身の体を削ってルイズに送り込んでいたが、ルーンの働きか彼女の考えが伝わってきた。
あまりに力が大きすぎるため扱いが極端に難しくなっている。
だが、本人以上に体や技を使えるミストと力を合わせれば、成功に近づけるだろう。
(来なさいよ。わたしの中に)
「馬鹿な……。魂を砕くかもしれんのだぞ」
本人の意識が邪魔になり消してしまう可能性もある。何の恐怖もためらいも無く暗黒闘気の塊を受け入れようとするなど彼の理解を超えていた。
ルイズは怒ったようだった。
(そんなことしなくても……一つになれるわよ!)
ウェールズとともに呪文を成功させた時のように。
今この瞬間、皆が望んでいる光景は――抱いている想いは同じだ。
ミストがゆらりと動き、ルイズの体に入り込んだ。意識を奪わずに二人で力をコントロールしようとする。
ルーンによって力が一つになり、ルイズの中に入ることで一体化した。
凄まじい力によって魔界だけでなく地上まで震え、世界全体が鳴動し咆哮する。
やがて渦巻く力の奔流が魔界の空に達し、眩い光が視界を覆いつくした。
閃光がおさまると黒雲に閉ざされていた空は完全に晴れ、温かく穏やかな陽光が魔界の住人を照らし、優しく包み込んでいた。
直接見ずとも、魔界各地で呪文に参加した者達もそうでない者達も歓声を上げたのがわかる。
彼らは口々に喜びの叫びを迸らせ、愉快そうにはしゃぐ。
荒れ果てた地面に寝そべり日光を浴びる者もいれば、瞼を閉ざし立ち尽くす者もいる。
太陽の恩恵についての詳しい知識はなくともわずかな間で悟ったのだ。これは生命に必要なものなのだと。
心が――世界が一つになっている。
それが確かに感じられた。
「やった……! やったわ!」
ルイズはガッツポーズをしたが、ゆっくり倒れこんでしまった。体が鉛のように重く、荒れ果てた地面が柔らかな寝床のように感じられる。
精神的な疲労も激しいため今すぐ宮殿に戻って休みたかった。
他の竜と魔族も意識を失って倒れ伏し、ヴェルザーは本当にやり遂げたと信じられないのか黙って空を見上げている。
ミストは前回のように消滅こそしないものの、消耗が激しく存在を維持するだけで精一杯だ。
そして、大魔王を見たルイズは思わず息を呑んだ。
全身が血に塗れ、目や口からも血が流れている。あちこちに刻まれた裂傷より内側の方が酷いことを想像させた。
数千年抱き続けた己の野望がついに叶ったというのにその表情は険しい。ルイズが一度も見たことのない表情だ。
単に傷や疲労が原因ならそんな顔はしないだろう。
(どうして? 一件落着じゃないの?)
不穏な空気の源はすぐに見つかった。
黒竜が大魔王に視線を向けて告げる。
「貴様の力は極端に落ち、警戒していた部下も存在しなくなった」
声は、残酷な歓喜に彩られていた。
「今なら簡単に殺せるな」
最終更新:2008年10月18日 17:54