虚無と爆炎の使い魔-08

――第8話――


「…………?」
 予想していた痛みや衝撃が、いつまでもやって来ない事に不審がったルイズが、そろそろと目を開けた。が――
「な……何……これ?」
 目の前に飛び込んで来た映像に目を丸くする。そこには、拳を突き出した形のまま、全身を鋭利な鎖でぐるぐる巻きにされたワルキューレの姿があった。
 一体何が……。戸惑ったルイズの背後から、声が掛けられる。
「油断したな……主よ」
「ハドラー!?」
 やはり――という思いで振り返ったルイズが見たものは、いつも通りの使い魔の姿――では無かった。ハドラーの左手首の辺りからは、刃のびっしり付いた鎖が生えている。恐らくは隠し武器の一種に違い無い。そうルイズは解釈した。が、
「……どう見ても長過ぎない?……これ」
 ハドラーの立っている所からここまで、どう見積もっても10メイル以上はある。いくら折り畳み式とは言え、明らかに腕の体積を超えている不条理に、ルイズは指摘せずにはいられなかった。
「――主の勝利はまだ決まっておらん。最後の最後まで気を抜かない事だ」
「うわ無視」
 眉一つ動かさずスルーしたハドラーに間髪入れずルイズは突っ込んだ。とは言え、助かったのは事実である。ハドラーの助けが無ければ、自分は確実にやられていただろうから……。
 息を吐いてルイズは、気分を入れ替えた。鎖の謎は気になるも、彼女は、自分の甘さを改めて認識した。
「まあそれは良い。だが――」
 ルイズから目を離し、ハドラーがぶん、と左手を振る。人間離れした力は鎖を伝って簡単にワルキューレを引き摺り倒し――
「……どういうつもりだ?」
 ゴーレムの背後に突っ立っていたギーシュを、睨み付けた。
「あ……」
 ギーシュが、何か口を動かそうとする。が、上手く喋れない。口も……身体も……脳ですら、普段の機能を果たそうとしてくれなかった。
「どういうつもりだと、訊いている!」
 答えようとしないギーシュに、ハドラーが 怒りを滲ませた。殺気すら覚えそうなその迫力に、ギーシュはおろか、関係無い周りの観客達まで総毛立つ。
 吐き気を催す程の緊張が漂う中、たっぷりの時間を掛けてようやく『解凍』したギーシュは、唾を飲み込むと、恐る恐る言葉を搾り出した。
「き……、君だって、さ、さっき言ってたじゃないか。『まだ勝負は終わっていない』って……。ぼ、僕は……そのルールに、し、し、従っただけさ」
 そうたどたどしく言いのけると、ぐっ、とハドラーを見返す。棒切れ一つで猛獣と戦わされる様な気分だった。
(そ、そうさ……。僕は、ルールに従っただけだ)
 ルール――その言葉をギーシュは何度も噛み締めた。姿形の無い、だがこの場においては絶対の存在……。多少強引な理屈とは自覚しているものの、自分が咎められる程の理由も、また無い筈だった。それどころか――
「そ、それに……。ルール違反と言うのなら、き、君はどうなんだ?中立を守るべき審判が加勢したんだ。これ以上無い、ルール違反じゃないか!」
 精一杯の声を出し終えて、ギーシュは肩で息をした。ハドラーから発せられる猛烈なプレッシャーは、ただ対峙しているだけでも体力を奪う……しかし。
(そうさ……僕は正しい)
 確かに、きっかけこそ不純なものだったのかもしれない。だが、今やハドラーの横暴を防ぐ為にも、自分の勝利と未来の為にも、ギーシュは自分の意見の正当性を主張した。
「……それでも、僕を断罪しようと言うのかい?」
 何とか威勢を保ちつつ、ちらりと視線を這わす。周囲の観客達はギーシュの言を受けて、再びざわつきを見せていた。その中には自分の意見に賛同する声も、ちらほらと上がっている。
 だが、それでもハドラーの表情は変わらなかった。周りの空気など一切構う事も無く、相変わらず背筋の凍る様な視線でギーシュを見つめている。
 しばらくして……。一通り議論は済んだのか、一人、また一人と、まるで波が引く様に口を閉ざしていく。
 しん――と皆が判決を待つ中、使い魔の男は静かに切り出した。
「……ふん。確かにお前の言う通りだ。これが実戦ならば、おそらく主はやられていただろう」
 ハドラーの言葉に、周りは僅かに色めき立った。はっきり肯定と取れる発言に、ギーシュは薄く笑みを浮かべる。
 一方のルイズは、静かに佇んでいた。……負ける気は毛頭無い。だが、ハドラーの言う通り、油断してしまったのもまた事実だった。
 潔く結果を受け入れる事も、貴族たる証だ。ルイズがそう決心した直後、使い魔の口が再び開いた。
「……だが、これは『殺し合い』ではない。――『決闘』だ。互いの誇りを賭けた、正々堂々の真剣勝負の筈」
 ハドラーが再び口を開き、そのままギーシュを一瞥する。その眼光に広場の空気が凍りついた刹那、使い魔が歯を軋ませた。
「……その『決闘』で、お前は無防備の相手を背後から襲ったのだ。そんな者が『誇り』などぬかすでないわ!!」
 ――鼓膜が痺れる程の一喝。その迫力に、広場の全員が芯から縮み上がった。この手の事態には免疫のあるタバサでさえ、動悸が収まらない。思わず、手にしていたはしばみ草を落としてしまう程だ。ましてや人一倍臆病な、小太りの少年は……記すことさえはばかれる。
 一切の有無を言わせない、絶対的な空気。だがそんな中、ギーシュは一人激昂した。
「ぼ……僕に誇りが無いだって!?よくもそんな出鱈目を!」
 襲い来るプレッシャーを跳ね除け、ハドラーを見返す。誇りを虚仮にされたとあっては、黙ってはいられない。
 怒りに満ちた二つの視線が真っ向から交錯した。一触即発の気配に、思わずギャラリー達の足が後ずさる。
「……では、何故正面から挑まん!相手はお前よりも格下なのだろう?」
「そ、それは……」
 ギーシュが言葉を詰まらせる。汗のへばり付いたその顔は、焦りと保身がはっきりと見え隠れしていた。
(成る程……苛立っていたのは、このせいか)
 ハドラーの表情が一層険しくなる。知らぬ内に、姿を重ねていたのかもしれない。態度も、行動も……。何もかもがそっくりだった。
 一つ鼻を鳴らした後、ハドラーは息を吸う。ギーシュと、その背後に立つ、かつての自分の幻影に向けて、使い魔の男は哮った。
「認めるがいい。お前は敗北を恐れるあまり、誇りを捨てたのだ!」
 ギーシュに言ったのか、それとも自分に言ったのかは、分からない……。その一言は諸刃の剣となり、ハドラーの胸を刺した。
「……そ、それでも……勝ちは……勝ちだ……っ!」
 『影』が消え、再び一人となったギーシュは、呻く様に声を上げた。その態度に、ハドラーはまだ分からぬか、と言った様子で眼を吊り上げる。
「勝利だけが正しい訳では無い。男の戦いには……勝ち負けより大事なものがあるのだ!」
「いや私……女だし……」
 おずおずと告げたルイズだったが、案の定無視された。いじいじと地面に字を書き出した少女をよそに、ハドラーが話を続ける。
「それに、もし勝つ事のみが重要だとするのならば、どの道お前は、戦った直後に負けていよう」
「な、何を馬鹿……な……?」
 聞き捨てならぬと、反論しかけたギーシュの胸に、決闘前の気妙な一幕がよぎった。決闘の直前、ルイズは何故か必要以上に間合いを取ろうとしたのである。(最終的には、20メイル程で落ち着いた様だったが)
「…………!!」
 何の意味があったのか、とギーシュが考えたその瞬間だった。

 ――君の爆発は射程が限られているね?おおよそ、10メイル強と言った所か!?――

 自分の言い放った言葉がはっきりとフラッシュバックする。――あの時、ルイズはどんな表情をしていたか?
「そうだ……ルイズはあの時『驚いた』顔をしたんじゃない……『気付かれた』顔をしていたんだ!……な……なら……まさか……」
「ようやく理解した様だな。もし主が離れていなければ、お前は開始と同時に、爆発させられていただろう」
 ハドラーが握り締めた指をぱっ、と弾いた。『爆発』のジェスチャーに、ギーシュが掠れた声を上げる。そして――
「……だが主はそれをしなかった。不利と分かっていながらも、決闘のルールに則り、正々堂々と勝負をしたのだ。我が身可愛さに、誇りを捨てたお前とは、比べるべくもなかろう」
 ハドラーがとどめを刺した。その言葉はナイフとなり、ギーシュの心を刺し貫く。しばらく、死んだ様に動かなくなったギーシュだったが……。「はは……は……」
 やがて燃え尽きた様な笑いを上げると、手にした杖を、頼り無く取り落とした。
「そう……だね……その通りだ。僕は……ルイズを侮っていた。だから、自分がこんな結果になった事を信じたくはなかったんだ……。誤魔化す為の見苦しい言い訳まで用意してね。……はは……こんな僕が、どうして貴族を語れるんだろう」
「ギーシュ……」
 足元一杯に字を書き終えたルイズが、杖先に付着した土を払いつつ、気遣う様に呼ぶ。それをギーシュは手で制すると、黙って首を振った。
「いいんだ……。ようやく目が覚めたよ。……本当に愚かだったのは、この僕の方だった。」
 自戒を込めてルイズに告げると、今度はハドラーの方を向いた。
「ハドラー……と言ったね。聞いての通り、僕はルールを破った。この上は潔く、君からの罰を受けるとするよ」
「ほう……?」
 意外そうな表情でギーシュを見つめ返したハドラーに、ギーシュが思わず苦笑いを浮かべる。
「そんな顔で見ないでくれたまえよ。恥ずかしながら僕だって貴族なんだ。恥のすすぎ方ぐらいは……充分わきまえているさ」
 そう言い放つと、ギーシュは足を前に踏み出した。その足取りは、今までの浮ついたものとは違い、堂々としたものである。
 そんなギーシュの不退転の決意をひしひしと感じたハドラーは、口角を吊り上げて笑った。
「よかろう!お前の覚悟がどれ程のものか、見せてもらうぞ!!」
 直後、ハドラーは左腕を思いっきり振り上げた。その勢いで、鎖に絡め取られていたワルキューレは一気に空を舞う。
「おおおおおお!!」
 咆哮を上げ、ハドラーがそのまま左腕を振り回した。人間を軽く超越した膂力は、上空の乙女像を猛烈な勢いで旋回させていく。ワルキューレの空洞の身体から、悲鳴の様な風切り音が飛び出した。そして――
「はあっ!!」
 左手のルーンが淡く輝いたと同時、使い魔の左腕が伸びた。戒めから解き放たれたワルキューレが、弾丸となって空中を疾駆する。その勢いはヴェストリの広場を通過しても尚衰える事無く、本塔の方角へと一直線に突き進んだ、その直後――
 稲妻の様な轟音が響き渡る。ワルキューレ(だったもの)は、本塔の最上階付近、ちょうど学院の宝物庫がある辺りに、深々と突き刺さった。露出した下半身だけが、モズの早贄よろしく、外壁からぶらぶらと垂れ下がっている。
「…………」
 冗談の様な光景の連続に、皆、口を一斉に引き攣らせた。その一方で、ハドラーもまた、顔をしかめている。
(ふむ……あそこまで飛ばすつもりは無かったのだがな……)
 ハドラーが左手を見遣る。このルーンが光った瞬間、身体が羽の様に軽くなったのだ。
(まあいい)
 その件については後回しだ。そう結論付けると、ハドラーは棒立ちのまま硬直したギーシュをゆっくりと見据えた。
「待たせたな」
「待ってませぇん」
 何とも残虐な笑みを浮かべつつ、言葉を投げ掛けたハドラーに、ギーシュは早くも先程の言葉を、猛烈に後悔し始めていた。周囲もギーシュの逃れられぬ運命を悼んだのか、十字を切ったり、涙したりなど、すっかり混乱模様である。
 先程までの威厳がすっかり消え失せたギーシュに、ルイズは小さく嘆息すると、ハドラーの前に立ちはだかった
「……もういいわハドラー。ギーシュも反省してるみたいだし。……それに、あのままじゃどの道勝ち目は薄かったと思うから」
「何?」
 ハドラーの眉がぴくりと跳ね上がった。ルイズが苦笑いを浮かべて答える。
「……精神力がもう無いのよ。杖を突き付けた所までは良かったのだけれど……きっとギーシュを倒す程の爆発は使えなかったと思う。ギーシュもギーシュで意識が飛んじゃってて、降参どころじゃなかったしね。仕方無いからあんたに判断してもらおうと思っていたの」
「ル……ルイズ……それは……」
 本当かい?と言おうとしたギーシュをルイズが後ろ手で軽く制する。
「……ま、とにかくそう言う事よ。決闘はあれで終わりじゃ無かった……だとしたら、あんたが手を貸した時点で、この決闘は私の負けよね?」
 言い終えたルイズに、ハドラーの目が鋭く向けられた。値踏されている様な冷たい視線に、ルイズは冷汗を浮かべつつ、真っ向から対抗する。
 自分を守る様に立つ彼女の姿を、ギーシュは心臓の縮む思いで見ていた。
 自分に杖を向けた時のルイズの気迫は、身震いすら感じさせる程だった。あれが彼女の限界であったとは、到底思えない。
 嘘か、誠か……。それ以前に何故自分を庇ってくれるのか。ギーシュの思いをよそに、両者が厳しい顔で見つめ合う。と――
「……そこまで言うのなら、この場は主に譲ろう」
 ふっ、と表情を緩めて、ハドラーが折れた。急速に解凍されていく空気に混じって、ルイズは肺に溜まっていた息を一気に吐く。
 緊張で早まった呼吸を落ち着かせると、未だぽかんとしているギーシュに向かって、小さく呟いた。
「……あんたが土壇場で見せた誇りに私も応えなきゃ、と思っただけよ。あんたから何もかも奪うつもりなんて、元より無いもの。それにね……あんたには感謝してるの」
「へ?」
「この決闘が無かったら、私はこの先もずっと『ゼロ』の名に怯えていたわ。……あんたの言ってた通りよ。私は爆発しか使えない『ゼロ』なの」
 『ゼロ』と名乗ってルイズが笑う。だがその表情には、自虐や悲壮の色は全く見られなかった。
「……でも気付いたの。確かに自分は爆発しか起こせない。だけど……こんな風に爆発を起こす事が出来るのもまた、自分だけなんだって事を。だから――」
 ルイズが息を吸う。そして――
「私は『ゼロ』を受け入れるわ。唯一無比、『爆発』を使いこなすメイジとして、いつか皆に認めさせてやるのよ!」
 凜とした声で、言い放った。あまりにも想像の域を外れた発言に、ギーシュの顔から思わず血の気が引く。
「……む……無茶苦茶だ。そんな常識外の事、到底認めてもらえる訳が無い。それに……ここはトリステインだよ?何でもありのゲルマニアとは違う、格式と伝統を重んじた貴族の国だ。君の主張が受け入れられるにはその……あまりにも不利ではないのかね?」
 恐る恐るギーシュが尋ねた。もしそんな事を周りに言い触らせば、反って反発を招くだけではなかろうか?魔法が使えない事による只の言い訳……そんな風に捉える者だって山ほど現われるに違いない。
 自分を助けてくれた者がそんな目に合うのを、彼は見過したくはなかった。だが――
「ねえギーシュ。こうやって決闘した訳だけど……私の魔法はどうだった?」
 ルイズは黙って首を振った後、突然話題を変えた。その態度に訝りながらもギーシュは素直に感想を述べる。
「あ、ああ……凄かったよ、本当にね。まさか僕のワルキューレが木っ端みじんにされるなんて……思ってもみなかったな」
「そう……良かった」
 そう言うとルイズはにっ、と笑った。してやったりと言った表情である。さっぱり訳が分からないでいるギーシュに、少女は悪戯っぽく告げた。
「気付かない?今の受け答え……あんたは私の爆発を魔法だと認めてるのよ?食堂では『魔法かどうかも怪しい』って言ってたあんたがね」
「!!」
 ギーシュが目を白黒させた。確かにルイズの言った通りである。
「決闘の途中からあんたはずっと、私の爆発を魔法として扱っていた。その時点で、私の目的は既に達成してたのよ」
「……」
「だから私は前に進める。今日の決闘で少なくともあんたは私の魔法を認めたんだもの。皆に認めてもらう事だって、決して夢じゃない……ううん。夢なんかにしない。いつか……絶対に叶えてみせるわ」
 そう言ってルイズは力強く微笑んだ。陽光に照らされて笑う彼女を、ギーシュは、ただただ見つめる。
 ……ルイズはボロボロだった。あちこち破け、薄汚れた制服。鮮やかな桃色の髪は煤けてバサバサになっており、シミ一つ無かった顔や身体は、今は細かい擦り傷だらけになっている……。
 みっともない姿だ。何もかもが、ギーシュが日々理想とする貴族像から遠く掛け離れている。なのに……
(ああ――)
 なのに、そんなルイズが、ギーシュには何よりも眩しく感じられた。どんなにボロボロでも、彼女の中には決して汚せない心があるのだろう。
(はは……本当に、格好いいじゃないか……君は)
 目の前で輝くルイズを見て、ギーシュは知らず、苦笑する。外見を取り繕う事で必死だった自分が、何とも恥ずかしく思えて来る。
 ……ルイズは精神力が切れたと言っていた。だが決して勝ち目が『無い』とは言っていない。おそらく……あのまま続いても、彼女は立ち上がって来たのだろう。
「――どの道僕は負けていた……か」
「え?」
「何でも無いよ。それよりルイズ」
 何?と返事をしたルイズに、ギーシュはこれまでの態度が嘘の様に、丁寧に一礼する。
「このギーシュ・ド・グラモン。君に言った侮辱の言葉を全て取り消そう。本当に……済まなかった。僕が傷付けたレディ達にも、後で必ずお詫びに行くよ」
 思わず呆気に取られるルイズに、ギーシュは笑い掛けた。
「……僕も頑張ろうと思う。君の様な『貴族』になる事をね」
 ギーシュが薔薇を高らかに掲げ――
「ギーシュ・ド・グラモンがここに降参を宣言する。この決闘……僕の完敗だ!」
 両者を讃える声が吹き荒れ、ヴェストリの広場は最高潮の熱気に包まれた。


ふむ。一見落着……と言う所かの」
 机の上の『鏡』に映し出されたヴェストリの広場の映像を眺め、トリステイン魔法学院の長、オールド・オスマンは独り呟いた。
 彼が居るのは学院の本塔最上階にある学院長室だ。部屋に駆け込んで来た教師達から決闘騒ぎの話を聞いたオスマンは、彼らを適当に宥めすかした後、『遠見の鏡』を使って事の成り行きを見守っていたのだった。
「しっかし、こんな些細な事ぐらいで『眠りの鐘』の使用まで訴えるとは……我が学院の教師も随分レベルが落ちたもんじゃ。のう?モートソグニル」
 深く皴の入ったその手で髭を弄りながら、オスマンは自身の使い魔の名を呼ぶ。チュウ!と一鳴きし、ハツカネズミのモートソグニルは嬉しそうに返事をした。
 それに満足したオスマンはそのまま鏡に手をかざす。映像がぱっ、と切り替わり、次の瞬間にはハドラーの全身像を映し出していた。
「ミス・ヴァリエールの使い魔……か。思えばこの騒ぎが円満に収まったのも、偏に彼のおかげ。じゃが……」
 そのままオスマンは沈黙する。先程ハドラーの手に浮かんだルーンが、どうも気に掛かったのだ。どこかで目にした様な……頭を押さえ、齢200とも300とも噂されるこの老人は、顔を皴だらけにしつつ必死で記憶を辿るが……。
「まあええわい。そういう細かい事はミスタ・コルベールに任せようかの。全くあのハゲ……今更多少毛が焼けた所で変わりゃせんと言うのに」
 あっさりと諦めると、昨日のショックから未だ立ち直れないでいる中年教師に、全て任せる事にする。名案だね、とばかりにモートソグニルが、またも鳴き声を上げた。
「ま、その件はいいじゃろ。しかし見物じゃったのう。いつも小生意気なガキどもが、あの男がいるだけで、まるで借りて来た猫の様じゃった」
 ふぉっふぉっとオスマンは愉快そうに笑った。ついでに、現在学院の教師が一人足りていなかった事をふと思い出す。
「……ほっほ。たまにはお灸を据えてやるのもいいかもしれんのう」
 口端を歪め、老人の顔が悪戯を考えた子供のそれになる。と――その時、入口の扉から小気味良い音がした。
「失礼します」
 数度のノックの後、上品な仕草でドアを開けて現れたのは、一人の女性だった。緑のロングヘアーに清楚に着こなしたローブ姿。眼鏡をかけて軽く笑うその美しい表情は、知的さと、男をどきりとさせる魅力を併せ持っている。――学院秘書を務める、ロングビルだった。
「……先程の揺れで塔に異常が無いか確かめて参りました。やはり学院長がおっしゃった通り、小型のゴーレムらしき物は、外壁を完全に貫通しておりましたわ」
 ちょうど宝物庫の辺りです、と付け加え、ロングビルは説明を終えた。

「ふうむ……困ったのう。宝物庫の壁は腕利きのスクウェアメイジ達が、固定化の魔法で厳重に封印を掛けてあったのじゃが……まさかあれを破るとは思わなんだ」
 オスマンのぼやきに、ロングビルは黙って同調した。とはいえ――
「しかし未だに信じられませんね……本当に一人の使い魔が、アレを?」
 未だ半信半疑と言った表情で彼女は目の前の上司に尋ねる。オスマンから話は聞いていたが、いかんせん、直接この目で見た訳では無い。簡単に信じろと言う方が無理だった。
「まあ、実際外壁が破壊されたのは事実じゃし……信じる他に無いの。それより当面の問題は壁の修復じゃな。……それで、ミス・ロングビル」
「何でしょう?」
「悪いんじゃが、ちょいとばかし王宮に出向いてくれんかのう?乗馬の教師が一人不足しとる様でな。補充の必要があるんじゃよ」
「……ええ、分かりましたわ」
 ロングビルは頷くも、オスマンはとぼけた様な顔を崩さない。これが本題では無いのだろう。そう予測を立てると聡明な秘書は、オスマンからの言葉を黙って待つ。
「……そのついでにの。これを渡して欲しいんじゃ」
 オスマンが渡されたのは一通の封筒だった。宛名を見たロングビルが軽く驚く。……トリステインでも有名な貴族のものだった。
「これは……?」
 様々な疑問を集約した一言に、オスマンは答える。
「ふむ……。彼はこの学院の卒業生での。今でも儂を慕ってくれておる。……彼に頼めば壁の修理もすぐに手配してくれるじゃろう」
 王宮には内緒での――言葉には出さず、そう締め括ったオスマンは口を閉じた。
「分かりました。では近日中に向かいますわ」
「『土くれ』のフーケなる盗賊が貴族の屋敷を荒らし回っているとも聞く。道中はくれぐれも気をつけての」
「ええ……。では」
 そう返事をして、ロングビルは学院長室を後にした。そのまま学院の廊下を数歩ほど歩き――懐からオスマンの手紙を取り出す。
「さて……どう利用してやろうかしら、ね」
 にやりと顔を歪めた後、秘書は暗い笑い声を上げた。


「いたた……」
 決闘も終わり、人の数もまばらになったヴェストリの広場。ふっと気が抜けたせいか、ワルキューレに殴られた痛みがぶり返して来たルイズは、呻き声を上げた。
「あんな勢いで殴られたのに……よくもあれだけ動き回れたものよねえ」
 呆れと感心が入り混じった声で、キュルケ。タバサも黙って同意する。
「人を新種の生き物みたい目で見ないでくれるかしら。……そういえばギーシュは?」
 痣になっている部分を押さえつつ――どうせなら一回くらい爆破させておくべきだったかしら――なんて物騒な考えを浮かべたルイズが訊く。
「さっさと謝りに行ったみたいよ。『しおれた薔薇を待たせる訳には行かないんだ~』とか言いながらね。今頃は医務室にいるんじゃない?」
「医務室?」
「モンモランシーが大急ぎでそこに向かって行ったのよ。ちょうど貴女が杖を吹き飛ばした時だったかしら」
 やれやれと肩をすくめたキュルケを見て、何と無く事情を察したルイズはため息をついた。大方あの爆発で、ギーシュが怪我でもしたのだと早とちりしたのであろう……。
「はあ……まったく、大したバカップルぶりだわ」
 何だか一層疲れた顔で、ルイズが毒づいた。元はと言えばあの二人のいざこざから始まった話だ。確かに自分自身、色々と得るものはあったが……。結果だけ見ればどうにもあのバカップルに、振り回された気がしてならない。
(ううん……私はまだ良い方か)
 シエスタの姿を思い浮かべて、ルイズが苦笑する。彼女の方こそ完全なとばっちりなのだ。と、その時――
「ミス……ヴァリエール」
 突然飛び込んで来た控え目な声に、振り向いたルイズは少し驚く。当のシエスタが、いつの間にか隣に来ていたのだ。
「あの……」
 メイド姿の少女がおずおずと話を切り出す、が――
「シエスタ……だっけ?ギーシュはちゃんと謝りに来たかしら?」
「え!?」
 ルイズが先に割り込んだ。虚を突かれ、シエスタの声が裏返る。
「……あ、はい!先程すれ違った時に……。いきなりの事なのでびっくりしてしまいましたけれど」
「そう……良かった」
 そう言って、軽く微笑んだルイズ。春風の様なその暖かい表情に、シエスタは思わず顔を赤らめる。と――
「……けれど私もね。一つあんたに謝る事があるの」
「へ?」
 突然の言葉に、メイドの少女はまたも驚いた。頭を掻き……ルイズはたどたどしく告げる。
「決闘の時に……私は一度、自ら負けを認めたわ。ギーシュが折れなかったら、多分あんたとの約束は果たせなかったでしょうね……」
 勝手な事をした――真摯な様子でそう告げると、ルイズは謝る。が――
「……」
「え~と……シエスタ?」
 ぽかんとしたままの表情で、メイドの少女は固まっていた。妙な沈黙に、ルイズはとりあえず何事か訊ねる。と、その時。
「……何……言ってるんですか?」
 腹から搾り出す様な声を出し、シエスタの様子が一変する。
「な、何って……」
「もお!……ちょっと来て下さい!ミス・ヴァリエール」
  怒った様な口調でそう告げたシエスタは、ルイズの手を取るとさっさと引っ張って行く。
「ちょ、ちょっと!どこへ連れて行く気よ!」
「いいですから!とにかく来て下さい」
 抗議するも、頑として取り合わないシエスタにルイズは仕方無く従った。面白そうね、とばかりにキュルケ達やハドラーも後を追う。

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最終更新:2008年10月20日 01:57
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