四 奇跡の草原
学院に戻ったルイズはオスマンから呼び出され、『始祖の祈祷書』を渡された。
王女とゲルマニア皇帝の結婚式の巫女に選ばれたため詔を考えなければならない。
意気込んだもののすぐさま挫折した彼女は使い魔に助けを求めかけて即座にやめた。どう考えても祝福の言葉など持っているとは思えない。
うー、あー、と妙な声を上げながら床やベッドを転げ回る彼女の奇行にも一切関せず読書に耽っている。その傍らには数冊の書物が置いてあり、扱っている内容はバラバラだ。
今読んでいるのは始祖ブリミルについての本らしい。
約六千年前に活躍したハルケギニアで神の如く崇拝される偉大なメイジであり、その生涯や魔法は謎に包まれている。
魔界の魔法と始祖が操ったとされるものには似た部分があるため興味をそそられるところだが、書物は伝説の偉人として扱っており、どこまで確実かわからない。
何しろ彼の魔法で天地までもが鳴動したというのだ。神格化され大げさに伝わっている部分もあるだろう。
天空を思わせる模様が刻まれた表紙の本を閉じ、新たな一冊を手に取る彼を見てルイズの血管は切れそうになった。
(ななな何よわたしがこんなに苦労してるってのに自分は優雅に読書なんていい身分じゃない。そんなに大魔王さまのお役に立ちたいってわけ!?)
と憤ってみたところで真面目に肯定されるに決まっている。
ますます釈然としないものを感じたルイズはささやかな抵抗を試みた。彼を連れて中庭に出た後、質問攻めを始めたのである。
青空の下に連れ出して少しでも開放的な気分にさせ、情報を聞き出そうというのだ。
まずは返事する確率の高い戦闘に関する質問――特に呪文について尋ねた。
こちらが知識を提供するだけでは不公平だ。前々から彼の世界のことも知りたいと思っていた。
すると、ほとんど喋らない彼の代わりに大魔王が質問に答えた。
一般的な火球呪文や氷系呪文といったものから天候を操る呪文まで様々なものを説明され、ルイズの目が輝く。
ミストバーンへの質問の大半は沈黙に撃墜されたが、答えが返ってきたのは大魔王の偉大さについての質問だった。
「バーン様をお守りするのが、私の使命なのだ!」
という高らかな宣言にはじまり、数千年の間仕えてきたと誇らしげに語られたルイズは妙な疲労を覚えた。
ワルドは愛情を向けてくれるが、召喚した使い魔ではない。
普段傍にいる相手が全く心を許さないと面白くない。
気を取り直して情報を探るべく質問を続け、ずっと気になっていたことをぶつける。
「あんたがいた世界――魔界って太陽が無いんでしょ? どうして?」
答えたのはやはり大魔王だった。
かつて世界は一つであり、人間と魔族と竜族が血で血を洗う戦いを繰り広げていた。
延々と続く争い憂いた神々は世界を分け、別々に住まわせることにした。脆弱な人間は地上に。強靭な体を持つ魔族と竜族は魔界に。
魔界にはあらゆる生物の源である太陽がなく、荒れ果てた大地が広がっているだけである。
ならば魔界は真っ暗なのかと尋ねると否定された。
数千年前に作られた人工の太陽が光源となり魔界を照らしているが、昼間でもかすかな光しかなく生命を育むほどの暖かさは無いのだという。
地上で見るものと同じ太陽を作り出すことはできず、彼らは太陽を手に入れようとしている。
ルイズは話を聞いてうーん、と考え込んだ。
馬の遠乗りで丘に登り気持ちのいい風を感じることも、光を浴びながら美味しいお弁当を食べることもない世界。
花々の無数の色彩や木々の緑、空の青も雲の白もない世界。
頭で理解しても実感は湧かない。
もし魔界に太陽があって地上と同じ豊かな地であれば、大魔王は何を望むだろうか。
試しに尋ねてみると「花見酒というのもいいかもしれんな」と笑いながら言われたが、どこまで本気かわからない。
話に熱中していたルイズは声の大きさに気を遣うことを忘れていた。
そのため、メイドの一人――シエスタが聞き耳を立てていたことに気づかなかった。
謎が多いミストバーンについての情報は生徒だけでなく使用人も欲しがっている。
彼女は舞踏会の時に聞いた会話を厨房の料理人や仲間に知らせたが、一笑に付された。「見た目からして闇っぽいのに太陽を求める奴に従うわけないだろ」というのである。
嘘じゃないと言い張っても聞き入れられなかったシエスタは意気込んでさらなる情報を集めようとしていた。
そして――
「きゃああっ!?」
気配を感じたミストバーンの爪に危うく刺されかけた。皮膚一枚を隔てたところで奇麗に止まっているのは見事としか言いようがない。
「すごい、加減がずいぶん上手くなったのね。レベルアップしたんじゃない?」
使い魔の影響を受けて感覚が麻痺してきたようだ。
「……私が?」
彼は意外そうに己を指差した。褒められて反応に困っているらしい。
間違った方向に心温まる会話を繰り広げる二人にシエスタがおずおずと詫びる。
「あ、あの、本当に申し訳ありませんでした! 太陽についてお話ししているのを聴いてしまいました……」
盗み聞きされたと知ってルイズは渋い表情になったが、そもそもこんな場所で大声で喋っていたのが悪い。
シエスタが再び丁寧に謝罪し、お詫びの気持ちとして故郷に行くことを提案した。
「すごくきれいな夕焼けの見える草原があるんですよ。おいしいシチューも」
その草原はあまりの美しさから『奇跡の草原』と呼ばれたこともあるらしい。
ルイズは迷ったが、素晴らしい光景を見ればインスピレーションが湧いて詔の文面が思い浮かぶかもしれない。
ミストバーンも主の目の保養になればと承諾し、ワルドも加えてシエスタの故郷――タルブの村に行くことに決めた。
だが、出発しようとしたその時、彼らの前に現れた人物がいた。
ずずっと地面から黒い首が生え、パチリとウィンクしてみせたのだ。
姿を現した人物は黒い衣に全身を包み、仮面を被っている。帽子にある輝くラインの数は不吉な十三だ。奇術師のような格好だが、手には鋭く光る鎌が握られている。
不気味な男にワルドとルイズが杖を向けたが、相手は敵意が無いことを示すように手を振ってみせた。
珍しいことに、ミストバーンがわずかに弾んだ口調で相手を呼ぶ。
「……キル!」
「久しぶりだねミスト。元気にしてる?」
「お前もハルケギニアにいたとは……!」
ルイズは事態についていけず口をあんぐりと開けている。
友好的な雰囲気が漂うなか、ワルドは警戒に満ちた目で尋ねた。
「何者だ」
キルと呼ばれた男は向き直り、深々と一礼した。
「初めまして。ボクはキルバーン。死神とも呼ばれているんだ。ミストの親友だよ」
ルイズがミストバーンの方を見ると、肯定するように頷いてみせた。
「嘘、あんた友達いたの?」
失礼な台詞も意に介さず、二人は喜んでいるようだ。
(こういうのを感動の再会って言うのかしら?)
そんなことをぼんやり考えるルイズの前で会話が進んでいる。もっとも、口を動かすのはほとんどキルバーンの方だったが。
「キミがいなくなってしばらくしたらボクも召喚されたんだ。そこでバカンス気分で楽しんでたってわけ。バーン様に協力する義理はあっても義務はないからね」
キルバーンを召喚した人物はルイズと違って放任主義のようだ。
「戻れるかどうかもわからんのに気楽だな」
呆れたような声にキルバーンは目を瞬かせ、クスクス笑った。
「ボクはキミとは違うんだ。キミはバーン様のおそばにいられなくてストレスたまってるだろうけど、こっちはエンジョイしてるよ。ねえピロロ?」
キルバーンがそう言うとどこからともなく一つ目の小人が姿を現し、ぴょこんと肩に乗った。
ルイズが目を丸くして声を上げる。
「可愛い!」
「ピロロっていうんだ。よろしくね」
魔法使いの格好をしたつぶらな瞳の小人はキルバーンの使い魔であるらしい。明らかに怪しく物騒な得物を持つキルバーンと違い、実に心和む姿だ。
ワルドは心を動かされた様子も無く警戒を解かぬまま客人を見つめている。
「キル、魔界に戻る手がかりは見つかったか?」
キルバーンはやや大げさに肩をすくめてみせた。
「……さあ? 真面目なんだからミストは。ま、異世界で一人っきりじゃないってわかったわけだ……嬉しいかい?」
返事は沈黙だったが、眼の光が普段より明るく輝いているため喜んでいるようだ。
友人と言うのは嘘ではないのだろう。
敵に対して一切容赦のない彼だが、相手によっては人間のような感情を見せることもあるらしい。
「それより、これからお出かけするように見えるけど?」
タルブの村に夕焼けを見に行くと告げられ、ピロロもすっかり乗り気になったようだ。
「行きたいなあ。お願い、キルバーン」
「わかったよピロロ。観光しようじゃないか」
ルイズは心底嫌そうな顔をした。
白と黒で対になっている、バーンの名を冠する二人は目立ちすぎる。村人たちもさぞかし反応に困るだろう。
だが、承諾しなければ大変なことになる予感がしたため渋々頷いた。
ワルドはルイズよりもいっそう渋い表情になっている。愛する少女との甘美なる一時を邪魔されそうな予感がするためだ。
シエスタは不審人物に疑いの目を向けたが、ミストバーンの友人だと告げられると「ああ、道理で」と納得して頷いていた。
類は友を呼ぶのですね、と呟く彼女にルイズは複雑な心境だった。
さらに、形式的とはいえ二人が夫婦と知らされたキルバーンから
「あまり褒められた趣味じゃないねェ」
と呟かれたためいっそう心が沈んだ。
変な人物から遠まわしに趣味が悪いと言われるのは相当堪える。
(明らかに怪しい奴に言われたくないわよ……)
心の中で力無く呟いたルイズは、肺の奥底から溜息を絞り出した。
実際の夕焼けを目にしたルイズは言葉を失い、ただ見とれていた。
常に飄々としているキルバーンも感嘆したように口笛を吹く。
草原は燃える炎の色に染まり、沈みゆく太陽は普段見るものの何倍も美しかった。
その輝きは暖かく優しく照らすだけではなく、弱い者を容赦なく焼き尽くすようにも見えた。
奇跡の名に恥じぬ凄絶な光景を大魔王も気に入ったようだ。
さらに、反対側の山から昇る朝日も別の美しさがあるのだと言う。
「この光景こそが宝物だって思うわ」
食事を告げに来たシエスタがしみじみとしたルイズの言葉に嬉しそうに頷く。
いつものように沈黙しているミストバーンは主と地上に来た時のことを思い出していた。
『何千年後になるかはわからぬが……あの太陽は魔界を照らすために昇る』
偉大なる主は手で太陽を掴み取る仕草をしながらそう語った。
さらに思考は過去をたどり、主との出会いまでさかのぼる。
『お前は余に仕える天命をもって生まれてきた』
全てはそこから始まった。
どれほど永い時を生きても、何があっても、その言葉を忘れることはないだろう。
彼らは夕陽を見る間、確かに同じ思いを共有していた。
ただ、キルバーンだけはそこまで心を打たれた様子は無く、草原をあちこち歩き回っていた。
興奮も冷めやらぬままシエスタの家で名物のシチューを食べたルイズは目を輝かせながら舌鼓を打った。素朴ながらも貴族のぜいたくな舌を満足させるほどの味らしい。
ワルドは喜ぶ彼女を実に幸せそうな顔で眺めているが、キルバーンがいなければいいのにと思っている。
案内してくれたシエスタや二人の仲を邪魔する真似はしないミストバーンは仕方ないが、キルバーンは明らかに異分子である。
ワルドの内心も知らず、シエスタが恐る恐る二人にも食事を薦めた。
あっさり断られた彼女が落ち込んでいると、なんと大魔王その人が語りかけてきた。
「数千年生きればいくら贅を尽くした食事でも飽きもする……そのような料理を味わってみたいものだ」
たちまちシエスタの顔が明るく輝いた。
「じゃあ作り方教えますね! 実際に作る所を見た方がいいですよね……ミストバーンさんも一緒に作りませんか?」
ルイズとワルドがシチューを噴き出しそうになり、かろうじてこらえる。ルイズは慌てて飲みこんで必死の形相でシエスタを止めた。
「何言ってんの!? こいつが料理なんてドラゴンが裁縫する方がまだマシだわ!」
ワルドも激しく頷いて心から同意を示した。
彼は暴言にも動じず主からの指示を待っている。
「作り方だけ教えればよい……と言いたいところだがあえてお前に作らせるのも面白いかもしれんな」
(よっぽど退屈してるのかしら)
腹心の部下がやり遂げると信じているのか、奮闘する様を見て楽しもうと思っているのか――ルイズにはどうも後者に思えてならなかった。
「じゃ、決まりですね。最高の一品を作りましょう!」
「たまには逆らいなさいよ……」
その忠誠心の十分の一でいいから自分に向けてほしいと思いながら、ルイズはテーブルに突っ伏した。
一方、キルバーンは真剣な光を目に浮かべ、親友に顔を近づけた。
「ねえミスト、キミに訊きたいことがあるんだ。とっても重要なことだから、よく考えて答えてほしい」
重々しい口調にシエスタが唾を呑み、ミストバーンが目を光らせる。
キルバーンは真面目そのものの声で尋ねた。
「どんな柄のエプロンを着るつもりだい?」
「そんなの着るわけないでしょおおおっ!?」
即座に叫んだのはルイズ、こらえきれずシチューを噴き出したのはワルド、興味津々の顔をしているのはシエスタだ。
胸に手を当てて発言する。
「わたくしのものでよろしければ――」
「何を言ってるんだ!」
立ち直ったワルドが勢いよくテーブルを叩いた。食器が跳ね、真剣な語調にルイズが息を呑む。
「彼がエプロンを着たって嬉しくとも何ともない! ここは僕の可愛いルイズが着るべきだろうどう考えても!」
「ワルド様……」
早まったことをしたかもしれない。ルイズは頭痛を覚えこめかみをおさえた。
一同から注目されたミストバーンは、考え込んでから逆に質問した。
「エプロンとは何だ。私にも装備できるのか?」
防具の一種か何かだと思っているらしい。
試しに想像してみたルイズは身震いした。
記すことも憚られる。
「何も知らないんだねェ……。悪魔の目玉で魔界中に映像流して適当な情報バラ撒いても面白いかも? ククッ」
ほくそ笑んだキルバーンにルイズの忍耐力は限界に達し、
「あんたたち今すぐ魔界に帰りなさい! 帰ってくださいお願いだから!!」
と絶叫した。
最終更新:2008年12月03日 18:34