五 もう一つの太陽
タルブの村に滞在する間、ワルドはミストバーンに手合わせを申し込んだ。
暗黒闘気を使わず爪の剣のみで相手をしたが、それでも強い。
魔法無しでも十分な実力を持つワルドが圧される様を見て、ルイズはただただ口を開けていた。
杖を剣のように閃かせ幾度も突き出すが、鈍い色に煌めく爪にことごとく防がれる。
魔法を使わず戦うことで身体能力や動きの鋭さを増すつもりだったが、手合わせの最中でさえ背筋が寒くなる。
もっとも、のんびり観戦していたキルバーンによると「本気を出してはいない」らしい。
「闇の衣脱いで全力で戦うのを何回か見たことあるけど、ホントに強いんだよ。それこそバーン様より上じゃないかってくらい。……すごいよねえ?」
ルイズが目を丸くして詳しく訊こうとしたが、ミストバーンから殺気が叩きつけられたため断念した。
訓練の合間にワルドがミストバーンの力について尋ねると、彼は己の振るう技や能力についての説明を行った。もちろん、素顔や本体について口にすることは一切なかったが。
「君の力であり、体でもあるものは暗黒闘気なのだね?」
こくりと頷かれ、ふむふむと納得して会話を進める。無口な彼との意思の疎通に慣れつつあるようだ。
「己の力に自信を持っていたが……慢心していたようだ。上には上がいるんだな」
「だが、着実に強くなっている」
溜息を吐いたワルドは淡々と告げられた言葉にゆで卵を丸ごと飲み込んだような顔をした。褒められて嬉しい気持ちが半分、人を素直に評価するとは予想外だという思いが半分。
しばらく観察するように見つめていたが、いつも通り表情はわからない。
だが、嘘をつくような性格ではないと思い直してようやく顔が輝いた。
意気込んで杖を構え直し、高らかに宣言する。
「もう一度お願いするよ!」
早速再挑戦し、杖と剣のぶつかり合う音が幾度も響く。
鍛錬に熱心なワルドや根気強く付き合うミストバーンに対し、キルバーンは眺めているだけだ。ルイズが参加しないのか聞くと、笑いながら否定された。
「一生懸命修行して真面目に戦う……そんなのつまらないと思わないかい?」
そう言い放ったキルバーンは興味を失くしたのかどこかへ行ってしまった。
ワルドは自分に限らず努力する者達全体を否定されてムッとしたようだ。
高みを目指す者に敬意を表するミストバーンとは正反対である。
ルイズはこめかみを押さえて深い深い溜息を吐いた。
「けっこうドライなのね。まあ、大魔王の部下が友情全開ってのも不気味だけど……」
爽やかな汗を流すワルドを見たルイズは、気分転換をしようと“詠唱しながら行動する”コツを尋ねた。
詠唱の間自分で動くことができればいざという時便利だと思ったのだ。
しかし、練習したがなかなか上手くいかない。
「詠唱とともに杖を振るう――軍人の基本中の基本の動作さ。もっとも、そんな状況に追い込まれぬよう、僕が阻止してみせるがね」
目の前で鍛錬に励みながら言われては頷くしかなかった。
学院に戻ったルイズ達にもたらされたのはアルビオンの宣戦布告の報――ワルドからの情報で知った――だった。
ミストバーンは聞いた瞬間に戦うことを決意した。命じられずとも主の気持ちはわかる。
人間が何人殺されようとどうでもいいが、奇跡の――この言葉は気に入らないが――草原の見せた光景を壊されぬために行くつもりだった。
彼の無言の視線に対し、ルイズは頷いた。
「わたしも行くわ」
使い魔が一片の躊躇も無く戦おうとしているのに逃げるわけにはいかない。
彼は黙ったまま意気込むルイズを眺めている。どことなく疑わしげな視線にムッとした彼女は口を尖らせた。
「何よ。……わたしにだって守るべきものがあるのよ」
認めさせるという意地以上に、民の血が流れるのを防ぐのが貴族の大切な役目だ。危急の際に彼らを守るからこそ君臨を許される。
肝心な時に戦わなければ意味が無い。
「どうせ村そのものはどうでもいいって思ってるでしょ? だったらわたしが戦わなくちゃ」
彼は敵の中に切り込んで暴れるだろう。その際村人達が大勢殺されていようが何の関心も向けないに違いない。
だからこそ自分が少しでも被害を抑えるつもりだった。
戦場で戦い抜くことができるのか不安は大きいが、安全な場所で戦わずにいるのは嫌だった。
もちろんワルドも共に行くと決めている。すでに風竜の背に乗っており、戦闘準備は万端だ。
キルバーンは「興味湧かないからパス」ということだったが、ミストバーンとワルドがいれば十分すぎるほど心強い。
タルブの村に到着し、ルイズはワルドとともに風竜に乗り、ミストバーンは一人でアルビオン軍の相手をすることになった。
火をかけられた村や森を見てワルドが苦い声で呟く。
「地獄のような光景だな」
いらえは低く、地を這うようだった。
「真の地獄を見せてやる」
氷よりも冷たい声にルイズとワルドの顔から一気に血の気が引いた。殺気が全身から吹き上げている。
「お、落ち着きたまえとりあえず!」
魔界で屍を積み上げてきた男が、主の気に入った光景を踏みにじられてどんな行動に出るか――考えたくもない。
ワルドが必死で呼びかけたが、そんなものを聞くような相手ではない。
それこそ、大魔王本人でない限り制止は無駄だろう。
もう戦争は終わったと思い込んでいる軍勢の前に、天使のように静かに白い影が舞い降りた。
二人は単身戦う彼の姿を上空から眺めていた。ワルドは乾いた笑いをもらし、ルイズは顔をひきつらせて吐き気と戦っている。
「とんでもないものを召喚したね、君は」
「心の底から同意するわ。うえ……」
青い顔のルイズの背中をワルドがさすり、敵の竜騎兵と遭遇した時は『エア・スピアー』で兵を叩き落とす。
二人は当初一緒に戦おうとしたが、ミストバーンは当然のごとく一人で行ってしまった。
ウェールズの時が例外だっただけで、普段は単独で戦うのだろう。
ルイズが思い返してみたところ、彼が誰かについて語る場合大半が主で、あとはキルバーンくらいのものだ。
今まで敬意を抱いた相手はいるのだろうが、語ることは無い。
ルイズは背に冷たいものが走るのを感じた。
数千年の間、心を許せる相手が存在しないに等しいという事実は想像しがたいものだった。
“ゼロのルイズ”と呼ばれていたが、絶対的な孤独を味わったかと問われれば否定できる。
それに、今はワルドがいる。
だが、彼にはいるだろうか。隣り合う存在が。
召喚してからしばらく共に過ごしてきたが、後ろ姿を見てばかりだ。
(あの怪しい奴が来てよかったかも)
対等な立場で接する者がいれば精神的な支えとなるだろう。
問題は、ミストバーンが暴れるのを止めるどころか嬉々として協力しそうな相手だということだった。
彼の仲間だというなら相当強いのだろう。
おまけに、性格は“紳士的”“武人”という言葉からは程遠い。
しかも、ミストバーンが抱く強者への敬意も感じられない。
(あう、胃が痛……!)
顔をしかめたルイズの持つ『始祖の祈祷書』を見て、ワルドは始祖についての伝承の一部を語った。
『神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。
そして最後にもう一人……。記すことさえ憚られる……』
「最後の一人は胸にルーンが刻まれていたらしい。彼のルーンも胸にある。特別な力を持っているのかもしれないね」
それを聞いたルイズは疲れた表情になった。
ただでさえ強いのに、これ以上特別な力とやらを発揮されては大変なことになる。
少しでも近づけるだろうか。
認められるのか――そう思いながら祈祷書を開き、白紙をめくり続ける。
すると、今までと違い途中で文字が浮かび上がっている。ワルドの声も耳に入らない。
書いてあるのは、四つの系統と零――虚無の系統について。
選ばれし読み手が指輪をはめることで読むことができるとも書いてある。
さらに、初歩の初歩の初歩の魔法として『爆発』が挙げてある。これは自分が虚無の系統だということではないか。
まだ信じられないが、試してみる価値はある。
早く戦争を終わらせなければならないのだから。
「お願い、できるだけあの巨大な戦艦に近づいて」
「わかった」
ルイズの言葉に何かを感じたのか、ワルドは風竜を上昇させた。
――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ
体の中から何かが生まれ、回転するような感覚。
――オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド
生まれて初めて自分の系統を唱えるのだと確信が体に染み込んでいく。
――ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ
いつしかレキシントン号を見下すまでに高度が上がっている。
――ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル…
呪文が完成した瞬間、ルイズは己の魔法の威力と性質を理解した。
自分の魔法は全てを巻きこむ。
だが、選択もできる。
殺すか、殺さないか。
破壊すべきは何か。
彼女は選び、杖を振り下ろした。眼下に広がる艦隊に向けて。
夕暮れの草原をもう一つの太陽が照らした。
巨大な光の球が膨れ上がり艦隊を包みこむ。目を焼くような閃光が弾け、天空を駆け抜け焼き尽くす様はまるで不死鳥のようだった。
「素晴らしい……!」
大魔王はグラスを片手に呟いた。彼の眼には炎上した艦隊が地面に墜落していく光景が映っている。
彼の象徴が不死鳥とされるのはメラゾーマが圧倒的な威力と独自の形態を併せ持ち、その姿が優雅な不死鳥となるためだ。
術者の魔力によって魔法の威力は大きく左右されるが、大魔王のそれがあまりにも桁違いであることから生じる現象だった。
「その力、ぜひ余の物にしたくなったぞ」
身体的な強さはそれほどでもないが、一撃で大艦隊を叩き落とすような真似ができるのは魔界でもほんの一部だろう。
これをきっかけとして爆発だけでなく他の魔法をも使えるようになるならば、可能性は未知数だ。
大魔王は楽しげに低く笑い続けた。
ミストバーンも全てを照らす光に意識を向けていたが、ルイズ達に合流し、彼を召喚した少女を眺めた。
『虚無』について聞かされ、授業の時にルイズだけが違うと感じた理由が今になってわかった。
精神力を糧として魔法を発動させるのは同じだが、蓄積や変換の過程が大きく異なっているのだ。
今回の凄まじい威力の爆発は、生きてきた中でため込まれた莫大な怒りを解き放った結果起こった。
ミストバーンは憎悪を増幅させる感覚を教えたが、それは『虚無』の使い手である彼女と相性の良い技術だった。
ルイズは授業を元に、自分で暗い感情を呼び覚まし力に変換するコツを掴みつつある。会得できれば今回のような規模の『虚無』を高い頻度で放つことも可能だろう。
以前から努力する姿勢や逃げない意地を認めていた。
今、強大な力を見せた彼女は真の強者――認めるに値する相手だ。
“ゼロ”から“切り札”へと昇格した存在。
彼には決してできないこと――高みへ上ることができる者。
ワルドも彼女の起こした『奇跡』に目を奪われていた。
「さすがだ……さすが僕の勝利の女神……!」
幼い頃から彼女の中に感じていたものは間違っていなかった。
彼女こそが伝説の『虚無』の使い手で、予想を遥かに上回る偉大な力を発揮したのだ。
だが、感動に震える心の片隅で冷静な声が上がった。
先ほどルイズに語ったように、ガンダールヴなど『虚無』の使い手の使い魔はそれぞれ特別な力を持っていたとされる。
しかし、ミストバーンを見てもそれらしき能力は感じられない。
恐ろしい強さを誇るが、召喚される前からあった元々の力だ。
ルーンに何らかの効果が無いか訊いてみたこともあったが、特に無いとの答えだった。
強いて挙げればフーケを捕らえる時に力の流れが見えたこと、授業の時二人をつないで共鳴に近い現象を起こしたことくらいだ。
(本当に、それだけなのか?)
さらに次の段階があるのではないか。
(二人の間に何かがあるとすれば、それは一体――)
その力が発揮された時、世界の運命をも左右し、歴史を変えるのではないか。
ワルドは興奮を抑えきれず身を震わせた。
一方、ルイズは自分の手を見つめて顔を曇らせている。ずっとゼロだと言われ続けてきたのに突然巨大な力が現れたため戸惑っている。
『虚無』がどれほどの重みを持っているか、他者から狙われるか。そういったことに疎いルイズにも薄々想像が付く。
不安に苛まれる彼女は震える身体を抱きしめて呟いた。
「こんな力持ってるってバレたら殺されるかも……」
力強く否定したのはワルドだ。
「そんなことはさせない。僕が君を守る」
ルイズは頬を赤く染めて、嬉しそうに頷いた。
帰途に就いたミストバーンにふと主の声が届いた。
『ところで、帰る手段については何か見つかったか?』
急いているわけではなく単なる確認だがミストバーンは恐縮そうに震えた。
申し訳なさに打ちひしがれながら特に手がかりがないことを告げると大魔王はふむ、と呟いて何やら考え込んでいた。
「何か……?」
『……いや』
主の反応にミストバーンは方針変更の必要性を感じた。今まで役に立ちそうなものと同等に探してきたが、帰還に関する情報収集を最優先にした方がいいようだ。
『虚無』を使うルイズが呼び出したのならば元の世界に帰るのも『虚無』が関わってくるのではないだろうか。
ミストバーンは『虚無』について探ることを己に言い聞かせ、ルイズを見つめた。
ほんの少し距離を縮めた気がした彼らを待っていたのは、目を覚ましたウェールズだった。
最終更新:2008年12月07日 17:49