ゼロの影~The Other Story~-26

七 ゼロ
 ルイズは今までとは比べ物にならぬほど悩んでいた。
 フーケ達にすぐに事情を知らせ、聞いた話と合わせて考えた彼女は以下のような結論を出した。
 ティファニアの魔法『忘却』は、記憶の鎖を切り離し、つなぎ直すようなものである。
 帰還への執着を和らげようとしたが、主の存在によって深くつながっているため一部だけ切り離すことができず、丸ごと抜き取る形で効果が発揮されたらしい。
 直後にティファニアが意識を失ってしまったのも無理はない。数千年分の記憶を操作するなど初めての経験であり、消耗が激しくいまだに体調が回復していないとのことだ。
 心の大半を占める記憶の鎖が切り離され闇に沈んだ結果、残りの欠片はバラバラでほとんどつながっていない。
 つまり、今の彼は心が砕け散った状態にある。
 最も大切なものを奪われ、自身を支えてきた柱を折られた彼は抜け殻になっている。
 以前の沈黙は感情を窺わせたが、それもない。何の意思も持たぬ人形――それも壊れかけのものを連想させる。
 もっと言うことを聞いてほしいと思っていたが、こんな姿を見たくはなかった。
 今の彼を動かしているものは残った心の欠片も含まれているのか、ルーンの働きだけか。それさえわからない。
 予想していた形とは違うが、彼が彼でなくなるかもしれないという予感が的中してしまった。
 夕日を浴びて佇む彼は砕けたはずの心が痛んでいるように見えた。目をそむけたくなる姿だった。
 彼は間違いなく苦しんでいる。何を失ったのかもわからないまま絶望している。

 心を痛めるルイズやワルドと違い、キルバーンだけは気楽な態度だ。
「こんなことしたら怒るかな?」などと言いつつ首飾りの部分に可愛らしい真っ赤なリボンを結びつけたりしている。
 友人の心が砕けたことについて心配しているようには見えない。
 ルイズが抗議すると笑いながら答えた。
「だってミストだよ? バーン様のことを忘れたままなんてあり得ないよ。そのうち心を取り戻すって。百年か、二百年か、もっとかかるかもしれないけど」
 のんびり呟くキルバーンをルイズが睨みつける。
「今のミストの心は魔界そっくりだろうねえ。暗闇に閉ざされた――地獄のような世界さ」
 ルイズがますます眼に力を込めると手をひらひらと振ってみせた。
「ちょっと退屈だけど元々無口だし……。キミたち人間の方が何とかできるんじゃないの? 愛とか勇気とか絆の力でさ」
(こいつの口から言われると鳥肌立つわ)
 救われるはずの楽観的な言葉も、この時ばかりは腹が立った。

 一方、眠りから覚めたウェールズはいくら話しかけても反応すらしない彼に困惑して首をひねった。
 記憶を闇に沈められた結果心が砕けたと告げると、顔に浮かんだのは憂慮ではなくまぎれもない怒り――それもひどく暗いもの――だった。
 ルイズが意外そうに見つめるとすぐに消えてしまったものの、見間違いではない。視線を避けるように部屋の中を歩き回る。
「心当たりはないかい? 彼の記憶や心を取り戻すための何かに」
 もちろんある。彼の主だ。だが、今大魔王からの声は届かなくなっている。
 最大の望みが潰えた今、道しるべは無い。
 ただ単に主のことを語って聞かせても心には届かないだろう。
 そこで、キルバーンがタルブの村まで行くことを提案した。

 ルイズは草を踏みしめ、風を吸いこんだ。
 タルブの村近くの草原に立った彼女らは夕焼けを待っていた。
 壮絶なまでの美しさを誇る草原ならば彼の心をも蘇らせるのではないか。名を冠する通り“奇跡”が起きるのではないか。
 ゆっくりと太陽が沈みゆく中、ルイズとワルド――休暇届を出して共に訪れたのだ――は待った。ウェールズは感情を押し殺した目でミストバーンを見つめている。
 草原が血のような赤に染まる。視界いっぱいに炎に焼き尽くされたような景色が広がる。
 ルイズは期待に満ちた眼差しで彼を眺め、悲しげに笑った。
 何の反応も無い。
「そう……よね」
 奇跡が簡単に起これば誰も苦労しない。
 彼自身奇跡を全く信じていないのだ。苦しい時だけ頼みにするつもりもないだろう。
『見事だ……ルイズ』
 今までずっと“ゼロのルイズ”と呼ばれてきた。彼が、彼こそが、初めて“ルイズ”と呼んでくれたのに。
 認められ、救われた。今まで戦ってくれた。それに自分は応えることができたか。
 ――否。何もない。何もしていない。
 何のために召喚したのか。自分が召喚しなければ良かったのではないか。
 一度疑い出すと止まらない。
 肩を抱くワルドの手の温もりさえ疎ましく思えた。

 どれほど時間が経ったのかわからない。
 キルバーンは友人の心が戻らないことを確信し、手を取って歩き出した。
「こっちだよ、こっち」
 人形のような動きでふらふらと歩く彼を連れて歩く。目的の場所まで来てから距離をとって指をパチリと鳴らすと、どこからともなく現れたトランプのカードがはらりと地面に落ちた。
「殺しの罠(キル・トラップ)、発動」
 言葉とともに十字架が草原から生え、手足に茨が絡みついた。金色の炎が立ち上り、磔にされた体を焼く。
 さらに、ルイズ達の足元にもトランプのカードのような模様が現れた。帯のようなものが生え、彼らを捕らえようとする。
 ワルドが反射的にルイズを抱いて、地を蹴ってかろうじて逃れた。動きを封じるためのもので殺傷能力は無いようだ。
 杖を抜いて詠唱したが、金色の炎は風の魔法では消えない。時折金の中に銀色が混じり燃え上がる。
「キャハハハハ! 燃えちゃえ燃えちゃえ!」
 キルバーンの肩に乗った使い魔がケタケタと笑う。可愛らしい外見や無邪気な声に反して喋る内容は残酷だ。
 ルイズが呆けた表情で呟いた。
「あんた何やって――」
「何って……お仕事だよ」
 死神の仕事――すなわち命を奪うこと。
「あいつの友達じゃ、なかったの?」
 かすれ、ひび割れた声に肩をすくめてみせる。
「残念だけど仕方ないよ。ボクは敵対する陣営から送り込まれたんだもの」
 彼の名はそのまま背負った任務を表している。
 キルバーン――大魔王バーンを殺す使命を帯びた死神。
 隙あらば命を刈り取ろうとする危険な存在を、大魔王はそれもまた一興と笑いながら受け入れた。
 ミストバーンも彼の役目を知っている。その上で友として付き合ってきた。
 彼が現れた時に言った「協力する義理はあっても義務はない」という言葉は、主の命令で協力していただけという意味だった。
「ボクの本当の主――冥竜王ヴェルザー様は命じられた。ミストが抜け殻になっている間に、確実に始末しろってね」
 大魔王と連絡をとれず闘志をも完全に失っているのなら、絶好の機会だ。
 ミストバーンこそが大魔王の誇る最高の忠臣であり、強大な力を持っている。彼を仕留めれば大魔王の力は大きく削がれる。
 そうなれば魔界の勢力図を一気に書き換えることも十分可能だ。配下の竜たちも強力な冥竜王の陣営と比べると、大魔王は他に目立った部下がいない。
 大魔王の絶対の忠誠を誓う彼がいるのといないのとでは暗殺成功の可能性も全く異なる。
 力を解放すれば大魔王より強い彼は、敵対する勢力にとっては邪魔者にしかならない。
「あのお方は欲深いんだ。……人間みたいに」
 ヴェルザーは将来ハルケギニアへの侵出を狙うかもしれない。もし彼が魔界に戻れないままでも、存在そのものが障害になる。
「うっかり封印が解けないように呪いのアイテムつけといたから、真の力は発揮できないよ」
 死神の指差した先――首飾りに結ばれていたリボンが不気味な光を放っている。
 ルイズが見ていると消えてしまったが、光がまとわりついたままだ。どれくらいの間効果が発揮されるのか分からないが、しばらく解けることはないはずだ。

 この地で葬ることを選んだのはキルバーンなりの思いやりだろう。
 ミストバーンがハルケギニアで最も心を震わせた地で、彼を知る者達の目の前で、美しい炎を用いて葬る。
 他の相手ならばすでに場を去っているだろうが、死を確かめるまでは動かないつもりらしい。
 以前夕焼けを見た時に草原をうろついていたのは、罠を仕掛けるため。
 ただの罠ではなく術者の意思で発動するため、アルビオン侵攻の際に戦った時は反応しなかった。
 もっとも、当時は友に使用することになるとは予想していなかったが。
「これでもかなり迷ったんだよ? ゴージャスに逝かせてあげるか、ムードたっぷりに逝かせてあげるか。何しろ最高の友達だからね」
 鎌の先端で焼かれる友人を指し示す彼の口調は、美しい景色を見ているようにうっとりとしている。
 炎はおそらく闘気に近いエネルギーからできているのだろう。火あぶりにされている状態だが、苦痛の声一つ上げない。
「ごらんよ。あのニセモノの炎、自信作なんだ。あの色を出すのに苦労してね~」
 無音のまま生命力が少しずつ削ぎ落される残酷な光景にルイズは顔色を失っている。先ほどの動きを封じる罠は観客席を設けるつもりだったのだろう。
「ずっと狙ってたの? こんなやり方で殺すのを!」
 非難の声にキルバーンはクスクスと笑った。
「あれぇ? 敵(ボク)に何を求めるのさ。それに、キミもどこかで望んでたんじゃないのかな? こうなることを」
 ルイズの顔が強張り、拳に力がこもった。
 死神の言葉が鎌のように彼女の心を抉り、切り裂いたのだ。
 こうするしかなかった、わざとではないという心の声をもう一人の自分がすぐさま否定する。
 本当にこれしか手段が無かったのか。
 どこかでこうなることを望んではいなかったか。
 トリステインのためという名目で自分のためという想いを隠してはいなかったか。
 苦痛を取り除くと言いながら、都合の悪いものも一緒に消えることを望んではいなかったか。
 常に大魔王の安否を気遣っているであろう彼を見るたびに、黒く煮えた思いが湧き上がるのを止められなかった。
 大魔王に絶対の忠誠を尽くすのに自分には心を許さない彼に、強大な力を持ちながら自分のために振るおうとはしない彼に、苛立ち嫉妬していた。
 大魔王を心から敬う態度を見るたびに心の奥底に少しずつ黒い澱がたまっていった。
 憎悪と呼ぶほど激しいものではなかったにせよ、全く無かったと言えば嘘になるだろう。
 それに、なぜ彼に帰還への思いの一部を消すと言わなかったのか。キルバーンに押し切られた形になったが、説明しようと思えばできたはずだ。
 答えは簡単だ。
 説得する手間を惜しんだからではない。彼の怒りを買うのが怖かったからだ。
 さらに、キルバーンがティファニアに続行を命じた時、確かに安堵した。「自分の責任は無くなる」という思いがなかったとは言い切れない。

(あの時逃げたんだわ。わたしは)
 ルイズは認めた。
 自分の弱さを。
 そして――死神に杖を向けた。
 通常の魔法で消せないのなら、術者を倒すのが最も確実な方法だろう。
 今まで彼が戦ってきた。
 今度は自分が戦う番だ。
 体が震えていることを彼女もわかっている。
 これから戦おうとする相手は、フーケのような人情を残している敵ではない。
 正真正銘の死神。絶望を与え、生命を奪う者。
 正々堂々勝負するどころか、相手を罠に嵌めて喜ぶ性根の持ち主なのだ。残酷さだけで言えば間違いなくミストバーンより上だろう。
 怖くないと言えば嘘になる。じわじわとなぶられた挙句、殺されるかもしれないのだ。
 だが、退くわけにはいかない。
 敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのだから。
「わたくしと一曲踊っていただけませんこと。ジェントルマン」
 震えながらも杖を向ける少女に、死神はわずかに目を丸くして優雅に一礼した。
「……喜んで」

 キルバーンがトランプのカードを虚空から取り出し、一枚を指で軽く弾いた。それを狙ったルイズが爆発を起こし、カードがバラバラに吹き飛んだ。
 爆風を縫うようにして次々にカードが飛ぶが、爆破されていく。威力ではなく速度を重視した、弾くだけの爆発だ。
 だが健闘を嘲笑うかのように複数のカードが彼女へと襲い掛かる。急所を狙ったのではなく、適度に傷を与えいたぶるための攻撃。
 強靭な身体の持ち主とは言えない彼女は歯を食いしばり、苦痛を覚悟した。
 しかし、突風がカードを巻き上げ吹き飛ばした。
「ワルド……!」
 ルイズは顔を輝かせ、キルバーンは玩具を取り上げられたように不機嫌そうに舌打ちした。
「やっとそう呼んでくれたね、ミ・レィディ」
 ワルドが微笑みながら彼女の傍らに立っている。
「言ったろう? 僕が君を守ると。あんな卑怯者ごとき敵ではないさ」
「……ええ、ワルド!」
 キルバーンは面白いと言いたげに二人をまじまじと眺め、プッと噴き出した。
「お~怖い怖い。……キミが踊る相手はボクじゃないようだ、お嬢ちゃん」
 ルイズは背中に何かが触れたのがわかった。
 感触からすると、杖の先端だ。
 それを握っているのは――ウェールズ。
 いつしかその髪は黒く染まり、目は暗く濁っている。
 裏切りが信じられず、凍りついたルイズに明るく楽しそうな声が降り注いだ。
「暗黒闘気に引きずられてミストを憎んでたから、ちょっとつついてあげたよ」
「何故……! 命を救われたのに」
 ワルドの問いにウェールズは何も答えない。
 ワルドはキルバーンを警戒していたからこそ、異変に気付けなかった。
 滅びし王家の生き残りなのだから、何の変化も無い方が不自然だ。安易な慰めの言葉などかけられない。
 そう思っていたため、暗い空気を纏っていても踏み込めなかった。
「殿下に、何を、したの?」
「知りたい? う~ん……ヒ・ミ・ツ」
 明るく笑うキルバーンとは対照的に、ウェールズは別人のように荒んだ目をしてルイズに杖を突きつけている。
(これでは、動けぬ……!)
 人質ではない。「動くな」と告げてもいない。
 キルバーンにはルイズを生かしておく理由は無いのだ。些細なことで容易く生命を奪うだろう。
 死神は楽しくてたまらないと言いたげに肩を震わせた。
「殿下はおっしゃいましたよね? “彼が憎い”と」
 ルイズの願いに反して、ウェールズはかすかに、しかし確かに頷いた。
 彼が一人にしてくれと頼み、ミストバーンが部屋から出て行った後、キルバーンが室内に現れた。
 生命をつなぐために注ぎ込まれた暗黒闘気が心を蝕んでいると知った死神は、不安定な精神を闇の淵へと突き落とした。
「災難だよねぇ、助けた相手から恨まれるんだもの。そのうち諸悪の根源みたいな扱いされるかもね?」
 気の毒だと言いたげに溜息を吐いたキルバーンはウェールズに告げた。
「いいよ、殺っちゃっても」
 ルイズは死神を睨みつけた。
 ミストバーンも邪魔者の命など紙切れ程度にしか思っていないとルイズにもわかっている。
 だが、こうも思う。目の前の男に比べれば人情家だと。
 死を覚悟した彼女だが、予測した痛みは訪れない。
 突き付けられた杖は小刻みに震え、ウェールズの顔は苦痛をこらえるようにゆがんでいる。
「……できない!」
 何かに抵抗するように杖が下がった瞬間ワルドが動きかけたが、キルバーンも同時に動いていた。
 素早く移動した彼らの位置が変わり、ウェールズとルイズ、ワルドとキルバーンが向かい合う。
「おや、早速改心したのかな? 人形のハズなのに自分の意思があるみたいだ」
「卑怯だぞ、裏切り者ぉっ!」
 小さな拳を振り上げて抗議するピロロを二人は睨みつけた。
「殿下はわたしが!」
 ウェールズは完全に闇に染まったわけではない。心を取り戻せるかもしれない。
 止めようとしたワルドは、彼女の燃えるような眼を見て何も言えなくなってしまった。
 危険だが、ここは信頼して任せなければならない。
 そう悟った彼はキルバーンに向かって高らかに告げた。

「一対一ならばかえって好都合というもの。このジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが君に決闘を申し込む!」



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最終更新:2008年12月28日 00:01
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