八 訣別の時 前編~閃光のように~
決闘を申し込まれた死神は虚をつかれてしばらく言葉を失っていたが、愉快そうに笑い出した。
「あのねえ、ボクは見ての通り誰かを罠に嵌めるのが大好きなんだよ? まともに闘うわけないじゃない」
「そうそう」
ピロロも頷いて同意を示したが、風の刃が飛んできたため慌てて身をかわした。回避するのが遅ければ直撃していた。脅しというより正確に急所を狙った攻撃だ。
「何するんだよぉっ!?」
涙目になりながら抗議するピロロへワルドは冷然と言い放つ。
「邪魔だ」
先ほどの言動を考えると小人とはいえ油断はできない。キルバーンの使い魔なのだから何を隠しているかわからない。妙な動きを見せれば容赦なく殺すつもりだった。
「ピロロ、下がってて。可愛いキミが殺されちゃあ大変だ。大人げないんだから子爵どのは」
憤然と呟いたキルバーンはくるくると鎌を回し始めた。甲高い風切り音がワルドの鼓膜を震わせる。
ピロロは不満そうに頬を膨らませたが、これ以上戦いの場にとどまっていればワルドが何のためらいもなく殺そうとするだろう。
「あっかんべー」と舌を出してからフッと姿を消してしまった。安全な場所から観察して楽しむつもりかもしれない。
元々キルバーンはワルドたちを殺す気が薄かった。親友抹殺が最優先であり、そちらに気を取られていたと言っていい。
先ほどの罠もしばらくの間足止めするためで、結束して向かってくることができないようウェールズを駒として使っただけだ。
しかし、戦いを挑まれ使い魔を攻撃された以上見過ごすわけにもいかない。
鎌を回転させながらワルドの表情が変わるのを楽しんでいる。
「これは……ッ!」
彼の鎌――死神の笛には穴がいくつも開いている。そのため、鎌を振るうたびに空気の流れが笛を伝わり、人間の耳にはほとんど聞き取れない高周波の音を出す。
戦っている相手は聴覚から視覚を狂わされ、最後に全身の感覚をも奪われる。
まさに死神に相応しい技だ。
現在ワルドにそれほど興味を抱いていないため、手早く仕留めようとしている。
「それじゃあサヨナラ、子爵どの」
上機嫌で鎌を振り下ろしたキルバーンは息を呑んだ。
杖で止められただけではなく、反撃され、正確に仮面のみ切り裂かれたためだ。
地面にゴトリと仮面が落ちた。キルバーンは手で顔を隠し、混乱している。
「ただの人間に効かないハズがないのに、何故……!?」
「風や空気を知るのは得意なんだ」
風系統魔法のエキスパートであるワルドは空気の流れを操り、死神の笛を無効化したのだ。
「風のスクウェアメイジを甘く見るなよ?」
ワルドは追撃しようとはせず、キルバーンが新たな仮面をつけるのを待っている。
「どうしたのかね? 君の大好きな罠を使ってくれてもかまわんよ」
彼は以前キルバーンが「一生懸命修行し真面目に戦う」ことをつまらないと言い放ったことを覚えている。
だからこそ、努力し積み上げた力を突きつけようとしている。
屈辱にキルバーンの目がギラリと光り――懐から新たな仮面を取り出して装着した。怒りの表情が刻まれており、彼の胸中をそのまま表している。
鎌を捨て、虚空から剣を取り出して抜き放つ。
「……決闘を受けよう。正々堂々勝負だ」
ワルドの決意を知って、あえて正面から力でねじ伏せるつもりらしい。
彼が頷くとキルバーンは突進し、雷のごとき速度で剣を振り下ろした。
羽が生えたようにワルドはひらりと跳躍し、軽く回避した。着地するやいなや地を蹴って杖を突き出す。
速い。
肩を切り裂かれ、キルバーンの目が驚愕に見開かれた。
以前見た手合わせの時より強くなっている。
内心を見抜いたかのようにワルドは薄い笑みを口元に浮かべ、宣言した。
「我が二つ名は『閃光』。覚えておきたまえ、死神君」
「……最高に腹立つなァ、キミは!」
両者の得物がぶつかり合い、火花を散らした。
彼はその頃、暗闇の中を彷徨っていた。
周囲に広がるのは彼の生まれた世界によく似ている。
黒雲に覆われた空や、色彩に乏しい荒廃した大地。煮えたぎるマグマの海。
生命を感じさせぬ陰鬱な世界が、さらなる闇に閉ざされていく。
空にある人工の太陽が徐々に光を失っているためだ。生命をはぐくむほどの暖かさは持たないとはいえ、世界を照らしていたものが消えてゆく。
それだけではなく、深淵から何かが蠢くのが見えた。
だが、今の彼にとっては世界の異変などどうでもよかった。
全身が闇と苦痛に包まれ、飲み込まれ、深く深く沈んでいく。
どれほどの間降下していたのか分からない。
いつの間にか彼の前には二つの道が延びていた。
片方を選び進んでいくと、世界が輝いた。雲間から差し込める陽光が広大な丘を照らす。まるで祝福するかのように。
天から降り注ぐ光に包まれた丘に近づくと、頂にいくつかの人影があった。金髪の青年が倒れた誰かに力を分け与えている。
その代償として生命をつなぎとめる糸が切れ、死に向かいながらも表情は穏やかだった。晴れやかな微笑を浮かべていた。
青年は最後に大切なものを守りきり、誇りを抱いて息絶えた。
さらに進んでいくと黒雲が完全に消滅した。澄み切った青空が果てしなく広がり、金色の日光が眩しいほどに輝いている。
その下で戦っているのは一人の魔族と一匹の竜だ。
白銀の髪に白い衣――あちこちが血に染まっている――を身に纏う魔族と黒く巨大な体躯の竜は、それぞれの種族の頂点に立つ力の持ち主だ。
歴史に刻まれ、伝説として語られるであろう戦いが繰り広げられている。
満身創痍で、限られた力の全てを使って相手を倒そうとしながらも魔族の顔はどこか楽しげだった。
まるで己が負けることは無いと信じているかのように。
その理由は単純だ。
空を見上げた男の口元に微かな笑みが浮かび、声なき言葉が紡がれる。
――太陽が、天高く輝いている。
やがて死闘を制した彼は宮殿の一室で、夕日に照らされ紅く染まった世界を飽くことなく眺めていた。
全てが動き出す。世界の在り方が変わる。
そう確信した表情だ。
満ち足りた、嬉しそうな横顔を見た彼の内にも何故か喜びが湧き上がる。全身を苛む痛みが和らぐのを感じる。
顔を真赤にした少女が誰かに言葉と枕をぶつけた光景を最後に、彼はもう一つの道に立っていた。
闇の中をしばらく進んでいくと凄まじい閃光が弾け、彼を吹き飛ばした。
それがきっかけとなって意識が浮上する。
周囲には無数の結晶が光を放ちながら漂っている。それらが映しているのは過去――彼の記憶だ。
だが、彼を包む闇は暗く、深い。それらとともに抜け出すことは叶わない。
――今は、まだ。
『閃光』と死神――両者の実力は拮抗しておりなかなか決着がつかなかった。
罠を使わずともキルバーンは強い。
だが、危険の中に身を投じ強さを得たワルドと、常に罠を仕掛けてまともな勝負をせずにいたキルバーンとではここぞという時の一撃に差が出る。
元々実力の高いワルドだが、最近は特に鍛錬に力を入れていたため総合的な強さが向上していた。ミストバーンとの手合わせの成果が発揮されている。
己が劣勢だと悟ったキルバーンはいったん距離を取った。
それを追ったワルドの肩がスパリと裂け、鮮血が飛び散った。
「何ッ!?」
「言ったハズだよ、まともに闘うわけがないと。こっそり見えない刃を仕掛けてたのさ」
キルバーンは頭上のラインを指し示した。十三本の線が全て暗くなっている。
ライン一つにつき一本の刃が仕込まれており、戦いの最中に抜き出して配置していたのだ。その場所は彼にしかわからない。
攻勢に転じたキルバーンが剣を振るう。
ワルドは動いて避け、杖で受け流し、剣を止める。が、その都度体が切り裂かれる。
「見えざる刀身による罠……ファントムレイザー。不可視の刃の檻の中で死んでいきたまえ」
勝利を確信し、ククッと笑った死神は次の瞬間眼を見開いた。
ワルドは臆さず反撃を仕掛けたのだ。
「正気かい?」
無謀な特攻を嘲笑いながら切り結ぶ彼は違和感を覚えていた。
切り裂かれたのは最初の数回だけで、反撃に転じてからは傷を負っていない。動きもやみくもに突っ込んでくるものではなく、刃が見えているかのようだ。
(位置を把握して――?)
内心の疑問を見抜いたように、ワルドが杖を立てて呟く。
「言ったはずだ、風のスクウェアメイジを甘く見るなと。風が全てを教えてくれるのだよ」
空気の流れから刃の檻を見抜き、位置に応じて攻撃を仕掛けている。
戦いの中で、風によって得た情報を防御や回避、そして攻撃に活かす。
それこそが、手合わせを重ねるうちに彼が見出した“次の段階”だった。
空気を網のように編む技術はミストバーンの闘魔滅砕陣を参考にしている。共に闘った時見た技は、心に深く刻まれていた。
やがて風を纏った杖がキルバーンの左腕を切り飛ばした。
キルバーンの右手からサーベルが落下し、乾いた音を立てて地面に転がった。
宙に舞った腕を掴み、距離をとる。
「まさか“これ”を使うことになるなんてね」
腕を失ったのに痛みを感じている様子は無い。
ワルドが目を細め、詠唱を開始する。投げ上げられた腕が回転し、巨大な火球を形成したためだ。
「ボクの血は魔界のマグマと同じ成分。ひとたび炎がつけば灼熱地獄に等しい劫火を生むのさ」
ワルドが詠唱を続けるのを見て首を振る。
「キミ一人じゃどうにもならないよ。食らいたまえ……バーニングクリメイション!」
手が振り下ろされ、火球がワルドに飛来した。
敵が炎で焼かれる様を思い浮かべ哄笑を響かせたキルバーンだが、笑い声がピタリと止まった。
火球は巻き起こった烈風に逸らされ、かき消されたのだ。
炎の向こうに見える影は五つ。
全て同じ姿だ。
五人のワルドが立っている。
「お教えしよう。これが風の最強たる所以――遍在(ユビキタス)だッ!」
遍在――それぞれ意思と力を持つ存在を作り出す、風のスクウェアスペル。
ミストバーンとの手合わせによって身体能力など魔法以外の強さを引き上げたことで、今まで力を温存することができた。
最初から遍在を使わなかったのは、相手を同じ勝負の場に立たせるため。その方が結果的に決着を早めることができると判断したためだ。
キルバーンのような相手に主導権を握られては勝ち目が薄いとわかっている。
五人がいっせいに襲いかかるが、地面から炎が立ち上り降り注いだため回避する。
まだ草原に仕掛けられた罠は残っている。
キルバーンが剣を拾い上げ、両者は再び激突した。
ルイズと向かい合ったウェールズは、震える手で杖を構えようとしていた。
少女が恐れず距離を詰めるのを見て、恐怖さえ浮かべながら叫ぶ。
「来るな! 来てはいけない!」
今、彼は攻撃しようとするのを必死に抑え込んでいる状態だ。これ以上近づけば害を及ぼしてしまうだろう。
少女から離れようとするが、体が思うように動かない。
ルイズがさらに足を踏み出すと、荒れ狂う暗黒闘気の波が細い体を吹き飛ばし、地面に叩きつけた。
「ラ・ヴァリエール嬢!」
まるで自分が傷つけられたような悲痛な叫びが、少女の鼓膜を震わせる。
震えながら身を起こしたルイズが咳きこんだ。血のにじんだ唇からかすれた声が紡ぎ出された。
「ごめんなさい。わたしが助けてって言ったせいで……苦しんでらしたことに気づきもしないで……!」
顔を上げたルイズの眼から、ぽろぽろと真珠のような涙が零れ落ちた。
ウェールズの生命を救ったのも、その結果憎まれたのも、ミストバーンだ。
だが、ルーンによって彼を従わせたのはルイズだ。
力持つ者に懇願し、生じたものの重さを受け止めようとしなかった。強者に助けを求めたはいいが、後のことなど考えていなかった。
二人の道が隔たったのは、彼女が原因でもあるというのに。
立ち上がった彼女を暗黒闘気の弾丸が襲い、再度吹き飛ばした。額が切れて血が滴り落ちる。
「うああ……っ!」
珊瑚のような唇から血がこぼれるのを見て、ウェールズは瞼を閉ざし、呻いた。
「僕を殺してくれ。このままでは――」
暗い波に抗しきれなくなり、自分が自分でなくなってしまうだろう。
アンリエッタの友人であるルイズや信頼する部下のワルドを殺すくらいならば、いっそ彼らの手で生命を断たれた方がいい。
「できません! できませんわ、そんなこと!」
ルイズがおののきながら叫ぶと、ウェールズは穏やかで温かい笑みを浮かべた。
「自分を信じるんだ。大丈夫、君ならできる」
『虚無』ならば生命をつなぎとめる暗黒闘気を全て消去し、『解呪』することができるだろう。
ルイズが震える手で始祖の祈祷書をめくると、訴えるように文字が眩しく光り輝いている。
アンリエッタの憂いを帯びた顔、結婚式の際のウェールズの晴れやかな笑顔が浮かび、消えていく。
『我が主も、私も、強者には敬意を払う。私はお前の名を忘れはしないだろう……永遠に』
『守るべきもののために全力で戦う――それは君も同じだろう? ならば、君もまた尊敬に値する』
二人の会話など思い出のかけらが浮上し、彼女の胸を締めつける。
「僕の……最後の頼みだ」
震えながら立ち上がった少女が両手で顔を覆う。
「殿下、お許しを……お許しください……!」
彼女は詠唱を始めると同時にウェールズの元へ走り出した。彼は暗い衝動を無理矢理抑え込み、受け入れるかのように両手を広げた。
ルイズの脳裏にワルドの言葉が蘇る。
『詠唱しながら杖を振るう――軍人の基本中の基本さ』
こんな形で活かすことになるとは思わなかった。
詠唱とともに行動することを以前試した時は上手くできなかった。
だが、余計な想いを捨てたためか身体が反射的に動いてくれた。試したことを体が覚えていたのかもしれない。
ウェールズの胸に勢いよく飛び込み、手を握る。
彼女は詠唱を終えて魔法を発動させた。
最終更新:2009年01月01日 17:51