虚無と獣王-23

23  虚無と宰相
宝物庫でクロコダインを待っていたのは意外な面子だった。
呼びつけた本人であるオールド・オスマンは、この場にいて当然である。主であるところのルイズもまあいいとしよう。
しかし、なぜ王女と宰相が同席しているのか。部屋の隅に緊張した面持ちのギーシュがいるのも解せない話ではあった。
「ああ、呼びつけたりしてすまなかったの」
オスマンはそう挨拶したが、その顔色は優れているとは言い難い。
「いや、それはいいんだが……」
クロコダインも言葉に詰まる。
何か問題が起きたのだろうと思ってはいたが、まさか国のトップが絡んでいると言うのだろうか。
「ここまで来てもらったのは、ちと考えを聞かせて欲しかったからでの。まあ、それ次第では色々と動いて貰う事になるやもしれん」
浮かない顔つきのまま語り始めたオスマンを制して、クロコダインはルイズと並んで座っているアンリエッタを見つめた。
「その前に、そちらにおられるのはこの国の王女殿とお見受けするのだが……」
その言葉に、アンリエッタは優雅に立ち上がって一礼する。
「はじめまして、アンリエッタ・ド・トリイテインと申します。貴方の事はルイズから聞かせてもらいましたわ、頼もしい使い魔さん」
クロコダインも王女の前で片膝を付いて答えた。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔、クロコダインと申します。以後お見知りおきを」
クロコダインが王家の人間に敬意を示す様子に、ルイズたちは少し驚いていた。普段の豪放磊落で武人肌という印象とは違った姿を見た気分だったのだ。
その姿から粗野に見られがちなクロコダインだが、その実力を認めた者や女子供に対して礼を尽くすタイプである。
魔王軍時代は大魔王バーンや魔軍司令ハドラー、正義の使徒となってからはレオナやフローラ、ロン・ベルク、アバンといった面々に敬語で接していたし、占い師のメルルにも最初はお嬢さんと呼びかけている。
続いてマザリーニが短く自己紹介し、クロコダインもまたそれに答える。
その様子を見届けた後、オスマンは本題に入った。
「さて、こちらとしても大筋では話を把握しとるが何分よく聞き取れなんだ部分もあっての。ここはミス・ヴァリエールから事の次第を説明してもらえるかの?」
突然話を振られたルイズは思わずアンリエッタを見るが、王女がどこか複雑な表情を浮かべながらも頷いた為、さっき聞かされた事を順に話し始めるのだった。

ルイズが話し終わると、宝物庫は沈黙に包まれた。
王女と学生二名はともかく、クロコダインを含めた大人たちは難しい表情をしていたりこめかみを指で強く押さえていたり天井を見上げ何者かに対し呪いの言葉を小声で呟いていたりする。
まあずっとそのままでいる訳にもいかないと思ったのか、復活したオスマンはルイズに声を掛けた。
「……あー、ありがとうミス・ヴァリエール。実に分かりやすい説明じゃった」
「分かっているかと思いますが、この事は絶対に他言無用ですぞ」
次にやや強い口調でマザリーニが釘を刺す。キツイ言い方をしていいのならば、ぶっちゃけた話これは王家の恥と言っても過言ではない。
そんな重大事項を自覚もなしに吹聴される訳にはいかなかった。
そしてクロコダインが重々しい口調で尋ねる。
「オレは正直、国と国との情勢などには詳しくないのだが、この手紙を回収するのは学生にとってかなり厳しいのではないですかな」
ふむ、とオスマンは一応考える振りをしてから答えた。
「ま、一人前の兵士でも超キビシイじゃろうな」
「既にアルビオン王の手勢は1000名を割り込んでいます。対する貴族派は推定5万、今にもニュー・カッスルを攻め落とさんとしている様ですから」
加えてマザリーニが冷静に身も蓋も無い現状を指摘する。
「それでもっ! この任務は遂行しなければならないでしょう!」
悲観的な事しか言わない大人たちに業を煮やしたのか、思わずルイズは声を上げていた。
「不埒な貴族派がアルビオンを制したら次は我が国が標的になるのでしょう? その為にゲルマニアとの同盟を結んだのではないのですか!」
言外にアンリエッタの婚姻についての非難を込めながら、なおもルイズは言葉を重ねる。
「確かに困難な任務でしょうが、仕えるべき王家の為に、また力のない平民たちを守る為にも誰かが行かなければなりません」
ルイズの後ろではギーシュがうんうんと賛同の意を示し、アンリエッタは『おともだち』の熱弁に感激し目に涙を浮かばせていた。
ギャラリーがいなかったら確実に抱きついていた事だろう。
一方でマザリーニとオスマンは(若い衆は無闇に熱いな)等と思っていたが、そんな事はおくびにも出さなかった。
「確かにミス・ヴァリエールの言われる通り、誰かがアルビオンまで行く必要があります。ただ、私たちは常に最悪の想定をした上で動く事を求められます」
「ちなみにこの場合の『最悪』とは何か、ちと言ってみて貰えるかの?」
オスマンの問いに対し、アンリエッタとギーシュは「手紙の回収が出来ない」と答えた。
ルイズは上記2人と概ね同じ意見だったが、「同盟の話が流れてしまう」と付け加えた。
そしてクロコダインは、「任務が失敗して全員生きて帰ってこれない」と言った。
使い魔の答えにぎょっとするルイズたちを尻目に、オスマンは頷く。
「間違ってはおらんの。まあ全員の答えを合わせてなお足りない部分があるのも確かじゃが」
正直なところ、アルビオン行きが高い確率で死に繋がるという実感など持ち合わせていなかった学生2人と王女だったが、まだ付け加える様な不吉な事があるのかと思った。
そんな彼女たちに正解を冷静に告げたのはマザリーニである。
「手紙の回収に失敗し使者は全員死亡。ゲルマニアとの軍事同盟は破棄。更にトリステイン国内は王党派とレコン・キスタのシンパ、そしてヴァリエール・グラモン同盟軍の三つ巴の戦いになる」
一瞬の間を置いて、ルイズとギーシュは猛烈に反発した。
「お言葉ですが! 枢機卿はわが父の王家への忠誠をお疑いなのですか!」
「父様は国家の危機を前にして反旗を翻す様な真似はしません!」
特にルイズは父であるヴァリエール公爵から常々マザリーニに対する苦言を耳にしていた。
礼儀を重んじる父が一国の宰相に対し『鳥の骨』などという俗称を使っているのだから余程馬が合わないのだろうと思っていたが、こんな事を言うのならそれも納得である。
曖昧な噂で人を判断してはいけないという母の教えを守り、これまでマザリーニに含む処は持たないようにしてきたが、今この瞬間からルイズは『鳥の骨』を嫌いになる事に決めた。
ギーシュも似たような環境で育っていたので、同級生と似たような感想を抱いたようである。
一方マザリーニは2人の抗議に怯む様子もなく、あっさりと言った。
「ヴァリエール公爵もグラモン伯爵も王家への忠誠心は高く、その忠義は右に出る者なしと言っていいでしょう。しかし、彼らは同時に良き家庭人でもある」
「飲むたびに嫁と子供自慢聞かされるしの。特にヴァリエールの方は」
補足と言うか茶々を入れるオスマンに、マザリーニは表情を崩して言った。
「神に身を捧げた私に堂々と愛妻を自慢するのはやめてくれと老師から言っては貰えませんか。特に公爵の方に」
「言っても無駄な事は言わん主義じゃ」
「教育者としてそれはどうかと。話を戻しますが、もう目に入れても痛くないと公言している末娘がこんな事で非業の死を遂げなどしたら、速攻で王宮を落としにかかるでしょうな」
まあその前に堂々と声明文を送りつけてくるでしょうが、という最後の分析にオスマンはさもありなんと笑う。
ここで頭に血が昇っていたルイズがやや落ち着きを取り戻した。落ちこぼれの自分を父がそれほど重要視しているかはともかく、何故政敵である筈のマザリーニがこんな分析をするのか。
これではまるで2人は昔からの親友のように思えてしまう。
しかし、ついさっき嫌いになると決めた相手にそんな事を聞くのも憚られる気がする。一体どうしたものか。
ルイズがそんなある意味どうでもいい事を考えていると、隣の幼馴染(天然)が素直な疑問を口にした。
「貴方とヴァリエール公はあまり仲がよろしくないと聞き及んでいたのですが、違うのですか?」
「姫様、直球過ぎです!」
もう少しぼかしましょうと思わずツッコミを入れるルイズに苦笑しながらも、マザリーニは至極あっさり風味に答えた。
「仲は悪いですよ。少なくとも30年程前に1人の女性を巡って決闘騒ぎを起こす位には」
「……は?」
余りと言えば余りの答えに呆然とするルイズとギーシュ、そして驚きながらも微妙に目を輝かせるアンリエッタ。
そしてオスマンはどこか遠くを見つめながら呟く。
「ああ、そんなこともあったのう。今考えても酷いオチじゃったが」
「ええ、当の女性に『王宮での決闘は禁止事項でしょう!』とカッタートルネードを喰らいましたからな。全くもって酷いオチでした」
この時点でひどく嫌な予感がするルイズであったが、彼らの回想はまだ続いていく。
「切り刻まれながら天井に磔状態ってのも随分心が冷えるのう。あれはマジ死ぬかと思ったぞ」
「そう言えば颯爽と見届け役を買って出て颯爽と巻き込まれてましたな老師。しかし冷えるのは心だけですか? 私などは体温が急低下しましたが。その後で何故か始祖の姿を見た気がしますし」
「臨死体験などそうそう出来ることじゃないぞ? いい思い出になったの」
あっはっはと笑いあう中年と老年を、10代3名はアメイジングなモノを見る目で見つめた。
「まあそんな経緯もあって仲は悪いと言っていいでしょうね。娘の誕生日ごとに画家に描かせた絵を見せつけてここが私に似ているとか自慢するなど嫌がらせにも程があります」
「今はそれなりに落ち着いたが、昔は末娘が初めて立ったり初めて『とうさま(はぁと)』と言ったりしただけで呼び出されて飲まされてしこたま自慢聞かされまくったからのー」
「タダ酒が飲めるぜヒャッホウとか言って毎回喜々として参加されていたではありませんか」
「何か言ったか? 年のせいか最近耳が遠くなってな」
話題が逸れまくる大人たちを前に、ルイズは1人頭を抱えていた。
謹厳にして実直、理想の貴族像のひとつとして目標にしてきた父親像が今まさに音を立てて崩れ去って行く。それはもう凄い勢いでガラガラと。
そういえば、成績優秀眉目秀麗性格意地悪にして生真面目な上の姉が『格差を是正し、資源を豊かにする会』の創設者兼名誉顧問と発覚した時も脱力したものだったが、今回はそれ以上の衝撃であった。
「仲がいいのは良く判ったから、そろそろ話を戻してもらえるかな?」
主へのダメージをこれ以上増やさない為、という訳でもないのだろうがクロコダインが軌道修正を図る。
「やはり危険ですわ。ルイズ、わたくしの我侭で貴女を危険にさらすわけには行きません。誰か他の者に頼むことは出来ないのですか?」
マザリーニの暴露話はともかく、アンリエッタもかつて自分が出した手紙が『おともだち』の命に関わる事態になった事に慄き、幼馴染を止めにかかった。
「と、言われてものう」
ぬう、と悩むオスマンに対し、マザリーニは元来の怜悧さを発揮していた。
「正直に言えば、姫様の選択も全くの的外れという訳ではありません。例えば学生を使者に選ぶのは、今回の場合に限りますが有効ではあります」
「と言うと?」
素人同然の者を死地に送り込む事に抵抗を感じていたクロコダインが続きを促す。
「既に王宮内に敵勢力のシンパがいるのは確実ですが、我々はその全容を把握していません。しかし学院生ならば寮生活で外部との接触は制限されていますし、レコン・キスタと繋がっている可能性は低いと思われます」
「うっかり敵のスパイに手紙の回収なんぞ任せたらエライ目にあうわな」
オスマンが一応、と言う感じのフォローを入れる。レコン・キスタもわざわざ使いにくい学生を仲間にはしないじゃろ、とはあえて言わないでおく事にしたようだ。
マザリーニは更に続ける。
「次にヴァリエール嬢に依頼した点についてですが、使者の身分としては悪くありません」
ひょっとしたら、と言うかほぼ確実にアルビオン王家への最後の使者であり、非公式ながら王族への謁見が必要とされる任務である。まさか平民を当てる訳にはいかない。
王党派は最大限の警戒をしているであろうし、下手に下級貴族など送っては門前払いにされかねないのだ。
しかし、敵に通じていない大物貴族を使者にするとなると某公爵とか某元帥とかになる訳で、それはそれで問題である。大物すぎて使者にできない。
その点において、筆頭公爵家の一員であるルイズは割と絶妙な選択であると言えるだろう。当然その身分を証明する書類やらなにやらが必要ではあるが。
「その辺はまあ何とかなるじゃろ、というか、せにゃならん」
基本的に事務仕事が好きではないオスマンがため息交じりに言った。
「更にヴァリエール嬢たちは『土くれのフーケ』を見事に捕らえたという実績がある。多少の荒事ならば潜り抜けられる力を持っていると言えます」
いえだからそれは私だけの力ではないですし、というルイズの言葉は意図的にスルーされた。
ギーシュはともかくクロコダインが同行してくれれば、戦力と言う面では安心できるからだ。
「何より重要なのは、我々には時間がないという事です。不穏分子を見つける余裕がない以上、信頼できる人材は金剛石よりも貴重ですから、その他の要因にはこの際目を瞑りましょう」
そう言ってマザリーニは話を終えた。

「では、やはり私たちがアルビオンへ行った方が良いと、そう考えてよろしいですか?」
ルイズの確認にマザリーニは無言で頷いたが、内心では首を横に振っている。
これまで国を守るために数多くの者たちを死地に送り込み、それを後悔した事はなかった。しかし今回の一件に関しては別だ。
表向きは犬猿の仲だが実際には30年来の親友と、一度は還俗すら考えた片恋の女性の間に生まれた娘を危険に晒すというのは辣腕を謳われる彼にしても抵抗があった。
先程並べ立てた『いかにルイズが任務に適任か』についても、実際には理由を口にする事で自分自身を納得させようとしていたに過ぎない。
手紙は既にウェールズ王子の手によって破棄されているのではないかとも思うが、希望的観測は禁物である。
(これも偽善と呼ばれるのでしょうね)
もしルイズの両親が個人的な知己でなければ何の感慨もなく彼女をアルビオンに送りだしている事に、マザリーニは気付いていた。
間違いなく自分は始祖の元には行く資格はない。宰相となってから幾度となく感じた事ではあるが今回は極め付けだと思いながら、マザリーニはルイズを見つめた。
「手紙に関しては回収に拘り過ぎないで下さい。状況によってはその場で廃棄しても結構ですし、回収不能と思えたら即座に引き返すように」
「お待ち下さい! それでは」
抗議しようとするルイズを手で制したのはクロコダインだった。
「手紙が回収出来なかったとして、宰相殿はどのような対応を取られるつもりかな」
「しらばっくれます。それは敵が卑怯にもでっちあげた偽書である、とね」
マザリーニは宰相らしからぬ表現でしれっと言い放った。横にいたオスマンが肩をすくめながら続ける。
「素直に『そうするしかない』と言わんか。ま、あちらさんも本物と証明する手段があるとは思えんがの」
幸か不幸か、アンリエッタはこれまで公式文書などに自筆のサインを残したことはない。当然見比べる事も出来ないので偽物と言い張れない訳ではないのだ。
無論、それでゲルマニアが納得するかどうかは別問題である。婚礼前にそんなスキャンダルが発覚した時点で破談を言い渡されてもおかしくはない。
アンリエッタもその事はしっかり認識していたが、それよりも今は幼馴染のこれからの方が心配だった。
そもそも彼女はルイズに何とかして貰おうと思っていた訳では無く、話の流れでつい口を滑らせてしまったに過ぎない。
故に彼女は手紙の奪還より生還を求めるマザリーニの意見には全面的に賛成した。
「ルイズ、貴女だけではなくこの学院の生徒たちは、これからのトリステインを支えていく大事な宝です。貴族としての矜持より、先ずは生き残る事を優先して下さい」
「姫さま……」
アンリエッタの心配そうな顔に、ルイズは微笑を返す。
「大丈夫です。ちゃんと手紙を回収して必ず帰ってきますから、どうかご安心を」
友人の言葉を聴いてもなお不安の晴れないアンリエッタであったが、ふと何かを思いついたらしく自身の右薬指から大きな指輪を外し始めた。
「これはわたくしが母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです、どうか持っていって下さい」
「そんな! 大切なものではありませんか」
しきりに恐縮するルイズに王女はコロコロと笑った。
「大丈夫ですよ、もしお金に困ったら売り払って旅費に当てても」
そんな2人の少女が織り成す美しい友情シーンを、しわがれた声が水を差した。
「まてまてまてまてまてまてまてまて」
声の主は言うまでもなくオールド・オスマンなのだが明らかに余裕が無い。どれくらいないかと言うと、王族に対する敬意を忘れてしまう位。
「……あー、身分証明としてはある意味最適でしょうが、売り払うのは勘弁してもらえますか? それは初代トリステイン王が始祖より賜わった秘宝の一つなので」
もう何か疲れ切ったという感じのマザリーニが投げやりな補足を入れる。
そしてルイズは自分の掌にある指輪の価値に思わず引き攣った。つまりこれは6千年前より伝わるトリステインの国宝なのである。
始祖の祈祷書と並んで戴冠式などの国家行事に使用されるもので、こんなもの売ろうと思っても絶対に値は付かない。
「そそそそそそそんな貴重品を持たせないで下さい! 身分証明なら書類か何かでいいですから! お守りは姫様のお気持ち1つで充分ですし!」
正直触るのも怖い、という風情のルイズだったが、返ってきた言葉は非情だった。
「売ったり無くしたりしないのであれば、確かにまたとない証明です。王族の信頼を受けているという事にもなりますので持って行って下さい」
そんなご無体な、という内心を覆い隠しつつルイズは近くにいたが会話に入れなかったギーシュに声を掛ける。
「ねえギーシュ、私が無くすといけないからちょっと責任もって預かっててくれる?」
「ははは、これは君らしくもない事を言うじゃないか! まさかそんな大切なものを、この『青銅』がうっかり落とさないとでも思っているのかい?」
胸を張って言うことじゃないだろうとギーシュ以外の全員が思った。
かといってクロコダインに預けるわけにも行かない。戦闘時に矢面に立つ立場の彼が秘宝を持っていると、敵の攻撃等で指輪に傷がついたり紛失したりする可能性があるからだ。
消去法で自分が持つしかないと判ったので、仕方なく覚悟を決めたルイズは「お預かりします」と言って水のルビーを指に嵌める。
そんな光景を見ながら、クロコダインはこっそりと溜息をついた。
どうにも危険な場所に行きたがる傾向がある主だが、もちろん放っておくつもりは少しもない。
彼女が行くしかないというのなら、全力であらゆる危機からルイズを守る盾になるだけだと、クロコダインは決意を新たにするのだった。

「さて、概ね話しが纏まったところで、お主ら2人は部屋で休んでもらおうかの」
オスマンの言葉にルイズとギーシュは顔を見合わせた。
確かに今は夜だが、正直寝るにはまだ早い。
「今回の任務は時間との勝負になりますが、流石に今すぐ出発するわけには行きません。人目を避けて貰う必要もあるので出発は明日の早朝がいいでしょう」
アルビオンまではかなりの強行軍になる。少しでも体力を蓄えておいて欲しいというのがオスマンらの考えであった。
「取り敢えず服や私物の準備だけしておいて下さい。旅費や必要な物に関してはこちらで準備しておきますので」
「クロコダイン殿にはもう少し残っていて貰おうか。色々と打ち合わせておきたい事もあるでの」
そう言いながらオスマンは短く呪文を唱える。すると床の石材があっという間に2メイル程の屈強なゴーレムになった。その肩に一匹のネズミが飛び乗る。
「姫様もそろそろお部屋でお休み下され。このゴーレムとモートソグニルがお送り致しますでの」
そこでふとルイズが宝物庫から出ようとしていたギーシュに尋ねた。
「そういえばギーシュ、あんたどうしてわたしの部屋の前にいたの?」
当たり前の話だが、基本的に女子寮というものは男子禁制が掟である。
もっともいつからかその掟は形骸化の一途を辿っており、キュルケの部屋などは夜になると男子生徒がドアからも窓からもやってくる有様ではあったのだが。
が、それにしたところでギーシュがルイズの部屋を訪れる理由はない、筈だ。これがモンモランシーの部屋ならば話は別なのだろうが。
「ああ、今日はいつもの近接格闘訓練は休みだっただろう? 少し体を動かそうと思って外にいたら女子寮の前で人影を見つけてね」
そこでギーシュはアンリエッタの方を見て、一瞬口ごもった。視線に気付いたアンリエッタは無言のまま笑顔で続きを促す。
「うん、その、姫殿下付きの侍女だと思ったんだけど、動きが、こう何と言うか、明らかに『誰かに見られないようにしています』的な……」
端的に言うと『あからさまに不審者でした』という内容の事を出来るだけオブラートに包みまくるギーシュであった。
「で、後を付けてきたと?」
ルイズの確認にギーシュは「その通り」と答えたが、実は彼が女子寮に侵入した理由はそれだけではない。
ギーシュは不審者がアンリエッタであると一目で見抜いていたのである。
あまり知られていない事ではあるが、彼には『親しくなった女性のスリーサイズを正確に暗記できる』というレアな特技があった。
そのスキルを生かしてギーシュは不審者の体格が王女のそれと完全に一致しているのを見抜いたのである。
しかしギーシュは別にアンリエッタと親しい訳ではない。では何故彼は特技を発揮させる事が出来たのだろうか。
実は学院来訪時に王女が馬車から下りて学院内に入るまでの間、ギーシュは最前列で、その人生の中で最大限の集中力を発揮してアンリエッタの身体を食い入るように見つめまくっていたのである。
その甲斐あって、彼は初めて見た女性のスリーサイズを服の上から看破するという偉業を達成させたのだ。
もちろんそんな事を明かした日には速攻で斬首刑コースだろうという判断力は持ち合わせていたので口には出さなかったが。
「そういえば、オールド・オスマンもわたくしが部屋から出た事がすぐに分かった様ですが……」
ルイズに便乗するように尋ねるアンリエッタに、ふむ、とオスマンは長いひげを撫でながら答える。
「ミスタ・グラモンと同じ様なものですが、幾ら侍女に顔を変えても歩き方や体捌きが全く違っていましたからの。加えて言えば床に響く足音なども異なっておりましたな」
おお、と学生たちと王女は流石スクエアクラスの土メイジだと素直に感心した。普段はただのセクハラジジイだがやる時はやるものだ、と。
しかし、実の所オスマンが王女の偽装を見破った理由はもう1つあった。
全く知られていない事ではあるが、彼は『あらゆる女性のスリーサイズを服の上からでも瞬時に把握する』というレアというよりアレにも程がある特技の持ち主であった。
当然の事ながらオスマンは王女及び侍女たちの体のサイズを完璧に暗記していたので、部屋から出てきた侍女のプロポーションが明らかに違っている事にすぐ気付いたのだ。
ちなみにこの男、使い魔との感覚共有を生かしまくって女子生徒やメイドたちのスリーサイズも一人残らず把握していたりする。
伊達に齢100とも300とも言われてはいない、まさに男の夢をある意味体現しているメイジなのであった。
勿論そんな事を明かした日には超速攻でタコ殴りにされた上で拷問を受けた挙句に絞首刑コースだろう事は想像するまでもなく明らかだったので口には出さなかったが。
久し振りに尊敬の目で見られている事に感動しているオスマンを見て(うわネタばらししたい)と思うマザリーニであったが、一応は世話になった恩師であるし今はそれどころの話ではないので自重する。
「さ、それ位にして本当に部屋に戻って休んでください」
枢機卿の方が余程教師らしいのではないか、と思いつつルイズたちは宝物庫から退出して行った。

ルイズとギーシュはそれぞれ自室へと戻り、アンリエッタは護衛代わりのゴーレムと共に宛がわれた貴賓室へと向かう。
部屋の前で驚く魔法衛視隊の隊員には内密の会合があったと誤魔化して、彼女はベッドに座り込んだ。
勿論ゴーレムとモートソグニルは部屋の中にアンリエッタが入るのを確認して引き返している。
今彼女の脳裏に浮かぶのは白の国にいる想い人の顔と、久し振りに会った幼馴染の姿。
2人とも大切な存在なのに、1人は戦場と化した隣国で追い詰められており、もう1人はその隣国へ向かう事になった。
その理由が自分の不始末という現実に打ちのめされそうになるが、今更止められようもない。
だが、幾ら王宮で蝶よ華よと育てられた王女であっても、戦場に一介の学生が向かうのが危険だという事はよく分かる。
大人数で任務に赴くのは論外だが、せめてもう1人くらい腕の立つ護衛はつけられないだろうか。
そこでふとアンリエッタは学院に到着する前、馬車の中でのある出来事を思い出した。気分の優れない自分に花を手渡したグリフォン隊の隊長、ワルド子爵。確か二つ名は『閃光』と言ったか。
彼にルイズたちの護衛を頼むというのはどうだろう。
そうだ、幾らレコン・キスタのスパイが王宮内にいるとしても、枢機卿の腹心であるならばそんな心配もないに違いない。
それにマザリーニの説明によると、彼はかなりの実力の持ち主だという。子爵ならばきっとルイズの力になってくれる。
思いついた妙案をすぐに実行に移すべく、アンリエッタは扉の向こうに控えている護衛を呼ぶのだった。

翌早朝。
ルイズは普段ならまだ寝ている時間に起き、昨夜のうちに準備しておいた荷物を持って裏門へと向かった。
フーケ襲撃以降、学内の見回りは教師陣と衛兵がコンビを組んで絶えず行われていたが、この時間なら裏門はノーマークだという事を学院長から教わっている。
一応周囲を気にしてはいたが誰にも見つかる事なく、ルイズは裏門へと辿り着いた。
「やあ」
「おはよう」
そこには既にギーシュとクロコダインが待っていた。
クロコダインの隣には大きな革袋を乗せた馬が2頭用意されている。
革袋にはオスマンが大慌てで手配した路銀や携帯しやすい非常食、高価な水の秘薬などが入っているらしい。
魔法が失敗してしまうルイズは勿論、ギーシュも土のドットメイジであり、水系統の回復呪文ははっきりいって得手ではないが、それでも無いよりは有った方がいいというのが学院長の言い分だった。
「でも、どうして馬なの?」
つい先日、ワイバーンを仲間にした所である。どう考えても馬より早く目的地に着く筈だ。
実はルイズたちが寮に戻った後、オスマン、マザリーニとクロコダインの間で様々な打ち合わせが為されていた。
その結果、ここから馬で近くの森まで進み、そこからワイバーンで一気に進むという計画になったのである。
すぐにワイバーンを出さないのは、幾ら早朝とはいえあんなもん呼び出したら目立ちすぎるからだ。
港町であるラ・ロシェールに着いたらひとまず情報収集を兼ねた休憩を取り、フネの手配をする。
上手く予約できればそれで良し、出来ない場合は王女及び宰相連名の書類を使って徴用するか、ワイバーンで直接白の国へ行くも良し、との説明にルイズはなるほどと頷いた。
「先ずは急ごう」
短距離ならば馬と同じ程度の速さで駆けるというクロコダインに、しかし待ったをかけたのはギーシュだった。
「すまない、ぼくの使い魔も一緒に連れていけないかな」
「ヴェルダンデを?」
クロコダインが聞き返すのと同時にルイズの足下が突然盛り上がった。
短く悲鳴を上げるルイズに熊ほどの大きさのジャイアント・モールがのし掛かろうとし始める。
「ちょ、ちょっとギーシュ、アルビオンまでコレを連れていこうっての?」
「そうだよ、こう見えてヴェルダンデは馬並のスピードで土の中を進むことができるんだ」
「それはいいけど目的地はアルビオンよ、その意味分かってる? ていうか何でわたしに襲いかかってんのこのモグラはー!」
「……そういえば! ま、まあフネが確保できれば大丈夫だよ、多分。そうに決まってる。ていうかどうしたんだいヴェルダンデ、ルイズは君の大好きなどばどばミミズじゃないよ?」
さりげにひどいことを言うギーシュである。
「どうやらルイズの持っている何かに反応しているようだな」
クロコダインの分析にギーシュは思い当たる事があった。
「ルイズ、ヴェルダンデは君の持っている水のルビーに反応してるんだ。彼は光り物に目がなくてね」
「なくてね、とかノンキに解説してないで止めなさいよ!」
もっともな意見である。
確かにここで国宝に何かあったらぼくも死刑だろうしなあ、とギーシュが使い魔を止めに入ろうとした時、横にいたクロコダインが突然ルイズの元に走りグレイトアックスを抜いた。
「誰だ!」
突然の行動に驚くルイズたちの前に現れたのは、朝靄を吹き飛ばしながら舞い降りたグリフォンに跨る青年であった。
羽帽子に有翼獅子の紋章が縫い込まれたマント、魔法衛視隊の制服に身を包んだ美丈夫である。
「失礼、どうやら間にあったようだね」
青年は害意がないのを示すようにゆっくりとグリフォンから降り立った。
「魔法衛士隊が1つ、グリフォン隊隊長のジャン・ジャック・ワルド子爵だ。姫殿下より今回の任務に同行せよとの命を受けて参上した」


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最終更新:2009年07月03日 00:03
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