ゼロの剣士-06


#1

――ヴェストリの広場。
五つの外塔と中央の本塔からなる魔法学院の中で、火の塔と風の塔の間に位置するこの中庭は、一種異様な雰囲気に犯されていた。
昼下がりのこの時間、普段なら腹ごなしに学生達が遊ぶここは今、二人の人間のために存在している。

一人は金髪のキザったらしいメイジの少年、ギ―シュ・ド・グラモン。
もう一人は銀髪のキザったらしいルイズの使い魔、ヒュンケル。

遠巻きに見物する学生の一人が、遅れてやってきた友人に急かすように叫んだ。
「早く来い! 決闘が始まるぞ!」、と。

#2

事の起こりは半刻ほどさかのぼる。
教室の片付けをし終わった後、ヒュンケルは厨房で食事を取っていた。
メニューは栄養満点の、野菜を柔らかく煮込んだミルクスープ。
完璧に傷病人向けの流動食だったが、その味は食に関心の薄いヒュンケルさえ唸らせるほどのものだった。
料理長のマルト―は強面だが気のいい男で、ヒュンケルが礼代わりに何か手伝おうと言っても笑って取り合わなかった。
彼曰く、「けが人はよく食ってよく寝るのが仕事」ということらしい。
そこでヒュンケルは再度マルト―に礼を言い、午後の予定を聞くために食堂でルイズを探すことにしたのだが、どうにも様子がおかしかった。
探し人はフォークの先にクックベリーパイを刺したまま、あらぬ方向を睨んでいる。
視線の先には――メイドのシエスタ。
どういうわけか、彼女は目の前の金髪の少年に何度も頭を下げていた。

「どうしてくれるんだね? 君のおかげで二人のレディが傷ついてしまったじゃないか?」
「も、申し訳ありません! 私の気が回らないばっかりに……!」

朝に会った時は明るい笑顔を見せていたシエスタが、哀れなほど縮こまっていた。
ルイズに事情を聞いてみると、シエスタが拾った香水の小瓶が元で、ギ―シュという少年の二股がバレてしまい、責められているのだという。
頭を下げるシエスタの拳は恐怖のためか、悔しさのためか震えている。
ギ―シュの行いはただの八つ当たりにすぎなかったが、立場的にも実力的にも下の平民が逆らえるはずもなかった。
思えば、これが自分の所属していた場所――魔王軍の理念の典型なのかもしれない。
そう考えると、ヒュンケルの心持はいささか複雑になった。
そして――

「ヒュ、ヒュンケル? なにする気?」

戸惑うルイズの声を背に、ヒュンケルはなおも頭を下げるシエスタへと歩み寄った。
さて、朝と昼の食事の礼はこれで足りるだろうかと考えながら。

#3

――そして場面は戻り、ヴェストリの広場。
結局話は巡り巡って、ヒュンケルは今、剣を握っていた。
力を振りかざす者を力で抑えつけるとは本末転倒にも思えたが、
へそを曲げた貴族が「平民」のヒュンケルの言葉に耳を貸すわけもなく、どちらが初めに求めたか、決闘で白黒つけることに話は落ち着いた。
ギ―シュは格好の腹いせができると見込んで、ヒュンケルとは対照的に意気揚々と振る舞っている。

「諸君! 僕、ギ―シュ・ド・グラモンはこの平民に名誉を汚された!
 よって今、この広場にて決闘により勝負をつける!」

芝居がかったギ―シュの言葉に、取り巻きの学生たちが歓声をあげた。
男女の修羅場だろうが決闘だろうが、彼らにはどちらでもいいようだった。
肝要なのは刺激的であること。それに尽きる。
彼らは滅多に見れない暴力沙汰に興奮し、眼を輝かせていた。
色めき立つ観衆の中、ただルイズとシエスタだけが、青い顔をしてヒュンケルを見つめている。

『ヒュンケルさんやめて! メイジに逆らったら死んじゃうわ!』
『アンタまだ怪我も治ってないのよ! つまんない意地張ってないでギ―シュに謝って……!』

ルイズやシエスタが必死にそう言うのを振り払って、彼はこの決闘に臨んでいた。
心配してくれるルイズ達には悪いが、ヒュンケルはこの決闘をある意味ではちょうどいい機会だと捉えてもいた。
ルイズが馬鹿にされる原因の一つには、「平民」のヒュンケルを召喚したことが間違いなく含まれる。
平民はメイジより弱い。
だから恥だ。だから貴族には逆らえない。
ルイズやシエスタが抱えるそんな鬱屈を、少しでも取り除いてやりたかったのだ。

「心配するな。俺は不死身だ」

ヒュンケルはそう言うと、涙混じりのルイズの罵声を背に、魔剣を強く握りしめた。
すると奇妙なことに傷の痛みが引いて、体が軽くなった。
見れば、左手のルーンが輝きを放っている。
この不思議な力は、そこを起点にして流れてくるかのようだ。
(これは「使い魔」としての能力なのか?)
ヒュンケルはそう疑問に思いつつ、敵と向かい合った。
脳内で、決闘の目的に「腕試し」の項目を付け加える。
ギ―シュは相変わらず芝居がかった姿勢を崩さず、余裕を見せていた。

「僕の二つ名は『青銅』。『青銅のギ―シュ』だ。
 したがって青銅のゴーレム、ワルキューレが君の相手をするよ。
 君はまあ、せいぜいその剣で頑張りたまえ」

言って薔薇の形をした杖を振ると、地面から剣を持った甲冑騎士が湧き出した。
ヒュンケルは授業で四系統魔法の基礎を聞いてはいたが、本格的なものを実際に見るのは初めてである。
繊細な造形をしたワルキューレに少し感心し、「見事だな」と呟いた。
ワルキューレはまるで、芸術家の作った工芸品のようだ。
しかし――

「おほめにあずかり光栄だ、とでも言っておこう。では、覚悟はいいな? いけ、ワルキューレ!」

ギ―シュが命令すると、ワルキューレは猛烈な勢いでヒュンケルに突進した。
まともに直撃すれば、四肢の骨も砕けんばかりのスピード。
剣を振り上げる戦乙女の姿に観客は黄色い声を上げ、ルイズとシエスタは思わず目を瞑りかけ――

「脆いな」

次の瞬間、言葉と共に剣を持ったワルキューレの腕が宙を舞っていた。
片腕をなくしたゴーレムを、ヒュンケルは木偶人形でも斬るようにそのまま両断してみせる。

「これは観賞用の人形か? 俺を倒したければ全力で来い」

そう言ったヒュンケルは、開始から今まで1メイルとして動いていなかった。
眼を疑うような早業に観客が静まり返る中、恐ろしくなめらかな切断面を晒した青銅が、ガシャンと音を立てた。
茫然としていたギ―シュはその音でハッと我に帰り、慌てて杖を振り上げる。

「お、おのれ、僕のワルキューレを!」

怒りにまなじりを上げたギ―シュは、目の前にいるのが無力な平民であるという認識を頭から拭いさった。
再び振るわれた杖からはらはらと花が落ち、新たに五体のワルキューレがそこから湧き出した。

「戦乙女が奏でる三重奏、しのぐことはできるかな!」

そう叫ぶとギ―シュは二体を手元に残し、三体のワルキューレでヒュンケルを攻めたてた。
直線的に攻めた先ほどとは違い、三体で円を描くようにヒュンケルに攻撃を仕掛ける。
これにはヒュンケルも防戦一方で、黙りこくっていた見物人たちも再び威勢を盛り返し始めた。

「さすがギ―シュ! 腐ってもメイジだ!」
「その平民のイケメン顔を台無しにしてやれ!」

時には同時に、時には時間差で、ワルキューレはヒュンケルに剣を振るった。
ヒュンケルは防ぐのに手いっぱいで、手も足も出せないでいる。
……少なくともぱっと見は、そう見えた。
所詮は平民。貴族がちょっと本気を出せば敵わない。
ルイズやシエスタも含め、殆どの観客はそう考えた。
しかし、そこで誰かがぼそっと呟く。
彼は遊んでる、と小さな声で。


#4

「……なかなかしぶといね」

圧倒的優位と周囲に見られるのと裏腹に、ギ―シュは苛立っていた。
あらゆる角度から攻撃を仕掛けているのに、ヒュンケルはその全てを防いでいるのだ。
防戦一方に追い込んでいるといえば聞こえがいいが、髪の毛一本たりともヒュンケルの体は傷ついていない。
ヒュンケルはワルキューレの攻撃を時には受け、時にはそらし、あるいは微妙に重心をずらすだけでかわしていた、
観客の中には、ギ―シュご自慢のゴーレムなどそっちのけで、ヒュンケルの動きを注視する者も出始めている。

(このままでは僕の沽券にかかわるな)

いい加減、じれったくなったギ―シュは、ついに護衛用のワルキューレまで前線に追いやった。
これで五対一。
さっきよりもさらに倍近くのワルキューレをヒュンケルは相手することになる。
ワルキューレは素早くヒュンケルを包囲すると、少しずつその輪を縮め始めた。
前方に二体。後方に一体。左右双方に一体。
逃げ場はない。

「多少はやるようだけど、これで終わりさ。せめてもの情けに、医務室へは僕が送ってやろう。
 レビテーションも使えない、君の主人の代わりにね」

無言のヒュンケルを、ギ―シュと観客が嘲り笑う。
普段なら怒り狂うはずのルイズは、顔を青くしてヒュンケルを見つめるばかりだった。
そして……

「行け、ワルキューレ! 奴を一気に叩きのめせ!!」

裂帛の気迫と共に叫んだギ―シュ。
しかし、次の瞬間にはその目は驚きに見開かれていた。
それもそのはず、今まで待ちの構えを崩さなかったヒュンケルが、突如として走り出していたのだ。
標的はもちろん、ワルキューレの錬成者であるギ―シュ自身。
ヒュンケルは四方から来るワルキューレのうち三体を無視し、正面の二体を瞬時に斬り伏せた。
すれ違ったと思ったら斬れていた。そんなスピードだ。
他のワルキューレはギ―シュの動揺がうつったのか突然の動きに対応できず、ヒュンケルの後方で互いに衝突している。
ヒュンケルはワルキューレを斬ったそのままの勢いでギ―シュに迫りくる――!

「今だ! 錬金!!」

間一髪、ギ―シュは杖を振り上げ、ヒュンケルの背後に新たなゴーレムを出現させた。
ギ―シュが錬成できるのは七体のワルキューレ。
これが最後に残しておいたとびっきりの一体だ。
もはや、ギ―シュに余裕はない。

「斬り捨てろワルキューレ!」

ワルキューレは完璧なタイミングで不意をつき、ヒュンケルに背後から斬りつけた。
ヒュンケルの体は剣を受けて真っ二つに割れると、跡形もなく消えうせ――消えうせ?

「残像だ」
「ひぃッ!」

思わず悲鳴を上げたギ―シュのすぐ後ろ、涼しい顔をしてヒュンケルが立っていた。
慌てて振り返った刹那、ヒュンケルの手元が閃き、ギ―シュの薔薇を模した杖の花弁が全て斬り落とされた。
はらはらと花が落ち、ギ―シュとヒュンケルの間に赤い線が引かれる。
その瞬間、ギ―シュの目には点々と落ちた薔薇の一線が、彼我の越え難い実力を示しているように映った。
あるいは、ワルキューレを十体出せたってこの男には敵わないのかもしれないとギ―シュは悟った。

「こ、降参だ。僕の負けを認めるよ。杖を失っては何もできない。
 まさか、『ゼロ』の使い魔に負けるとはね……」

言い終えると力が抜けてしまったのか、ギ―シュはその場にへたりこんだ。
ヒュンケルと、彼に走り寄って来た「ご主人様」を、思い出したかのように歓声が包み込んだ。


#5

――ところかわって中央の塔。
四つの瞳がこの戦いを見つめていた。
トリステイン魔法学院の長であるオールド・オスマンと、『炎蛇』の二つ名を取るコルベール教師である。
オスマンは鏡に映った広場の映像を消すと、興奮した面持ちのコルベールに向き合った。
彼の手元には「始祖プリミルの使い魔達」という年代物の書物が握られている。

「あの剣の冴え、彼こそまさにガンダ―ルヴに相違ありません! まさかこの目で伝説の使い魔を見れるとは……!」

大発見とばかりに息巻くコルベールとは対照的に、
オールド・オスマンは普段の様子からは信じられぬほど険しい表情で黙考していた。
興奮していたコルベールもオスマンのその様子にただならぬものを感じ、齢300とも言われる老メイジを注視する。
オスマンはもしやポックリ逝ってしまっているのではないかと思うほど黙りこくった後、ようやく口を開きこう言った。

「コルベール君、彼がガンダ―ルヴかもしれんことは内密にするんじゃ。
 王宮の連中が聞きつけたらミス・ヴァリエール共々どうなるか分かったもんじゃないわい」

コルベールもそれを聞くと心当たりがあるのか、暗い顔になった。
ガンダ―ルヴの異名は「神の盾」。
幾千の軍にも匹敵した、戦闘に特化した使い魔だと伝えられている。
目的のためには手段を選ばぬところのある政治家達がその存在を掴んだら利用されるか、あるいは……。

「分かりました。彼のことは内密にしておきましょう。
 それにしてもあの動き、本調子だったらと思うと空恐ろしいですな。
 ……いや、昨日の今日で普通に歩いてるのを見た瞬間から私は戦慄しましたが」
「伝説もさもあらんというもんじゃな。わしもあれほどの使い手は滅多に見たことがないわ」

比較的平静を保っていたオスマンも、内心では興奮していたのだろう。
彼らは気付かなかった。
学院長室の扉の裏、こっそりと盗み聞きをしている人影の存在を。
影はサイレントの魔法で足音を消すと、誰にも気取られずにその場を離れて行った。

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最終更新:2010年11月27日 19:40
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