#1
「ようこそ!『我らが剣』!!」
厨房へやってきたヒュンケルにかけられた第一声はそんな大唱和だった。
あの決闘の後、ヒュンケルは涙目のルイズに怒られ、キュルケを始めとする惚れっぽい女子に囲まれ、
それを見たギ―シュに弟子入り志願され、何故かさらにまたルイズに怒られた。
そしてようやく夕食の時間になって落ち着くと思った矢先に冒頭の一言である。
見ると、料理長のマルト―やシエスタをはじめ、厨房の全員がヒュンケルを英雄でも見るような顔で見つめていた。
朝や昼に来た時は「メイジに召喚された気の毒な病人」的な扱いでしかなかったのだが、さっそく決闘の効果が出ているらしい。
予想を超えた状況にたじろぐヒュンケルを、使用人達は口々に「我らが剣」だとか「平民の希望」だとかいう言葉を使って囃したてた。
特に興奮した様子のマルト―などは、ヒュンケルが昨日まで半死人だったことも忘れたのか、ばんばんと豪勢なディナーを出してくる。
「どんどん食べてくれ、我らが剣! いやあ、貴族を剣一本でノシちまうなんて信じられん! こんないい気分になったのは初めてだぜ!!」
マルト―はそう言いながらヒュンケルのグラスに酒を注ぐと、「ほれほれ」と急かして自分のそれと乾杯させた。
よく見ると、マルト―の後ろには使用人達が酒を片手にぞろぞろと列をなしている。
もしかしなくてもこれは、ヒュンケルと杯を交わすために違いない。
正直、さほど社交的とはいえないヒュンケルにとってはあまり歓迎できない状況だったが、
無意識に逃げ場を探すように振り向いた先にはシエスタが立ちふさがっていて、目が合うと顔を赤らめて微笑んだ。
「ヒュンケルさん、今日は私のためにありがとうございました。それであの、お礼にお菓子を作ったのでよかったら食べてください……!」
シエスタは大皿に盛ったお菓子を、おずおずとヒュンケルに差し出してくる。
実際のところそのお菓子の山はヒュンケル一人で食べきれる量ではなかったが、
シエスタの目には昼間のギ―シュ以上の気迫がみなぎっていて、ヒュンケルの本能が「断ってはまずい」と警報を鳴らしていた。
ヒュンケルはとうとうこの圧倒的庶民的空間から脱出することを諦め、また新しく注がれた酒を呷った。
#2
――2時間後、ようやくヒュンケルは酒宴という名のカオスから解放された。
普段あまり嗜まない酒を大量に飲んだせいか、少し足がおぼつかなくなっている。
さすがのヒュンケルも今日は疲れていたが、千鳥足で帰ったらルイズに何を言われるか分かったものではなかった。
罵られて喜ぶ性質でもなし、酔い醒ましをしてから帰った方が無難だろう。
(散歩をすのならあそこがいいか……)
ヒュンケルはまださほど、学院の構造を分かっていない。
自然、足は昼に訪れたヴェストリの広場に向かった。
夜の広場は静まりかえり、月光が芝生に奇妙に幻想的なコントラストを描いていた。
二つの月を見ると、改めて自分が遠い世界に来てしまったのだと思い知らされる。
ヒュンケルはしばらくその場の光景に見とれていたが、やがて振り返ると夜の沈黙を破った。
「なにか用か?」
言葉の先、月明かりの中で、青髪の少女が立っていた。
ルイズよりもさらに幼い容貌の彼女は、無機質な瞳でヒュンケルを見ている。
感情を窺わせないその表情と、直前まで自分に気配を悟らせなかったその動きから、ヒュンケルは少女にそれ相応の腕を認めた。
また、少女の視線は、ヒュンケルにとって馴染みのあるものでもあった。
「昼間の決闘、見ていたな?」
ヒュンケルが再び問うと、少女は小さく頷いた。
少女は自分の顔を指さし、「タバサ」と名乗る。
「タバサ、お前は俺に勝てたか?」
昼間の決闘の時にかすかに感じた異質な視線。
その中には値踏みするような色と、敵意とまでは言えない僅かな戦意が感じられた。
おそらく目の前の少女は、ヒュンケルの実力を測ると同時に「自分が戦ったのなら」とシミュレートしていたに違いない。
タバサはしばらく黙っていたが、必要最低限に音量を絞った声で返答した。
「分からない。あなたはあの時、手を抜いていた。なぜ?」
どうやらタバサは、それが聞きたくてここまで来たようだ。
ヒュンケルが適切な言葉を探す様子を、眼鏡越しの瞳で見つめている。
「手を抜いた、というわけではないさ。あれは腕試しだった」
「……ギ―シュの?」
「いや、俺自身のだ。剣を握った時、この使い魔のルーンから不思議な力を感じた。
傷の痛みを感じなくなり、体が本調子に近い状態になったのだ。
なにより……これ以上ないほど磨いたと思っていた剣の腕が、今まで以上に高まるのを感じた」
そう、ギ―シュのゴーレムなどやろうと思えばいつでも粉砕できた。
いや、正確に言えば即座に粉砕すべきだった。
いかに当代随一の剣の腕を誇るヒュンケルといえども生身の人間。
ギ―シュのゴーレムは硬度はともかく、動き自体はそれなりのものではあったし、
複数を相手に延々打ち続ければ手傷を負う可能性もなくはない。
しかしそれでもなお、敢えて時間をかけたのは、今までになく剣と一体になって動く自分を発見したためだった。
ギ―シュとの決闘はそういう意味では格好の機会だったし、存分に腕を振るうことができたとも思う。
タバサは説明するヒュンケルをじっと見ていたが、やがて「ガンダ―ルヴ」と一言呟いた。
耳慣れない言葉にヒュンケルが眉をひそめると、スポンジに水を染み込ますようにもう一度言いなおし、説明した。
「伝説の使い魔の名。あらゆる武器を自在に操ったと伝えられている」
「……タバサは俺がその『ガンダ―ルヴ』と同じだと?」
「分からない。ただ頭に浮かんだだけ」
タバサはそう言うと、ヒュンケルに背を向けて歩き出した。
もうだいぶ夜もふけっている。
月が動いたせいか、芝生からは先ほどの不思議な美しさが消えていた。
女子寮である火の塔に入る前、タバサは足を止めて振り返った。
「さっきの言葉は訂正する」
「なんだ?」
「もしあなたが本気を出したら、たぶん私は敵わない。それだけ」
言い終わるとタバサは携えていた本を抱えなおし、建物の中に消えていった。
ヒュンケルは遠ざかる少女のかすかな足音に耳を傾け、左手のルーンを指先でなぞった。
いつのまにか、酔いは醒めていた。
最終更新:2010年11月27日 19:48