ゼロの剣士-08


ヒュンケルがタバサと話している頃、ルイズは所在なさげに部屋を歩き回っていた。
その幼くも美しい顔はくしゃみをこらえたネコのような面相で、なんともむず痒い微妙な雰囲気を漂わせている。
ルイズが考えているのは無論、使い魔のヒュンケルのことだった。
思えばあの平民を呼んで以来、ルイズの心は平常心という言葉からはかけ離れたところにあった。
ルイズにとってヒュンケルという人間との関わりは、予想外の連続だったのである。
彼は瀕死かと思えばすぐに回復し、冷たいやつかと思えば意外と優しくて、ただの平民かと思えばとても強くて――。
こうまでコロコロ変わられると評価のしようもなく、ルイズはヒュンケルに対する態度を決めかねていた。
もちろん彼女はご主人様で、ヒュンケルはその使い魔だという前提は変わらない。
変わらないのだがなんというかその、予定よりもう少し待遇を良くしてやってもいいかなぁと思ったりもする。
例えばそれは、やらせるつもりだった家事雑事を免除するとか、食事をルイズの隣の席でする権利をあげるとか、
その他おおよそヒュンケルにとっては意味のなさそうなものだったが、彼女は大真面目に頭を悩ませていた。
目下ルイズの課題は、帰って来たヒュンケルにかける第一声についてである。
ご主人様としての威厳を保持しつつ、ヒュンケルへの親密さをアピールする必要がこれには求められる。

「おかえりなさい……はダメね。ま、まるで、同棲してるカップルみたいだし……。
 『遅かったわね』はなんだか嫌味だし、『よくぞここまで来た』は大魔王みたいだし……」

すっかり自分の世界に入ってしまったルイズは気がつかなかった。
背後のドアがそっと開き、そこから誰かが入ってきたことを。
ルイズは相も変わらずぶつぶつ呟きながら、台詞に合わせた百面相に忙しい。

「や、やっぱりインパクトが大事かしら。ご主人様の威厳をビシッと感じさせるような……」
「そんなんじゃだめよお。レディは威厳なんかより色気よ色気」
「そう言われても私のお乳じゃあ……ってその声まさかっ……!?」

ごく自然に一人言に割り込んできた声にぎりぎりと振り向くと、そこにはヴァリエール家累代の敵が立っていた。
キュルケ・フォン・ツェルプスト―はルイズを見て小馬鹿にしたように笑うと、ここがさも自分の部屋であるかのような自然さで椅子に座った。
落ち着いた様子のキュルケとは対照的に、なにか致命的なところを見られてしまった気がするルイズの顔は青くなったり赤くなったり、
もしや魔法でも使ってるんじゃないかというほどの形相を呈している。

「どどどどどうしてアンタがこの部屋にいんのよ! さささささっさと出ていきなさいよ!!」

ここ半年の中でも、このドモリっぷりはナンバーワンかもしれない。
吹き出しそうになるのを堪えながら、キュルケは椅子の上で形のいい脚を組みかえた。

「あら、別にいいわよ? せっかくだから風上のマリコルヌのところにでも遊びに行こうかしら。
 話題は……そうね。 『ゼロのルイズが部屋で何をしていたか』、なんて面白そうじゃない?」

キュルケの出した名は、ルイズと特に馬の合わない同級生のそれだった。
気弱なくせにお調子者で小太りで風邪っぴきなアイツがこんなことを知ったらと思うと、サーっと顔から血の気が引いていく。

「よ、要求はなに? お金? 宿題?
言っておくけどヒュンケルの治療に秘薬を使っちゃったから、お小遣いなんてそんなにないわよ」

うっすらと涙を浮かべているルイズの顔は世にも哀れなものだった。
「仇敵に弱みを握られるとは一生の不覚!」ってなもんである。
キュルケはルイズのその様子に満足そうに頷くと、杖を振るって紅茶をティーカップに注ぎ、喉を潤した。

「要求なんて別にないわよ。フレイムに廊下を探させてたんだけど、なかなかダーリンが捕まらないからこっちに来ただけ。
 まあ、おかげでいいものが見れちゃったけど」

キュルケがクフフと笑うのを、ルイズは今度は赤くなった顔で睨んだ。

「なにヌケヌケと人の使い魔をたぶらかそうとしてんのよ! い、言っておくけど、あいつのご主人様はわたしなんだからねっ!」
「あ~ら、別にあたしはご主人様になろうなんて思ってないわよ?
 あたしが彼に求めているのはそんなんじゃなくて、身を焦がすような情熱よ!
 ……というわけで、ルイズがご主人様で、あたしが恋人ってことでいいじゃない?」

それで大円団よ、と手を上げるキュルケをルイズは睨んでいたが、しばらく経つと溜め息をついて力を抜いた。

「ねえ、真面目な話し、アンタはヒュンケルのことどう思ってる?」
「どうって、いい男じゃない。 クールだし強いし、あたし好きよ、ああいう殿方」
「……アンタはそればっかりね。昼の授業の後に色々聞いてみたんだけど、
 アイツ、遠い国から来たとか溶岩に落ちて怪我したとか適当なことばっか言って誤魔化すのよ。
 悪いヤツじゃないと思うけど、何か後ろ暗いところでもあるのかしら?」

呆れたように首を振りつつルイズが言うと、キュルケは唇に指を当てて考えた。
どうでもいいことだが、一つ一つのしぐさがいちいち色っぽいのがルイズの癪に障る。

「あたしには分からないわ、ルイズ。でもね、アンタが今言ったとおり彼は悪い人じゃないわ。
ギ―シュに、アンタに対しても謝らせたんでしょう?」

言われたルイズは顔を赤らめてうつむいた。
キュルケの言うとおり、決闘の後、ギ―シュはシエスタとルイズの双方に詫びを入れに来た。
シエスタには理不尽に当たったことに、ルイズには公衆の面前で侮辱して笑ったことに、ギ―シュはそれぞれ謝罪した。
それは頭の冷えたギ―シュが半ば自発的にしたことでもあったが、ヒュンケルが関与していたことは疑いない。
――使い魔はメイジの力に比例する。
決闘後、同級生が自分を見る目に変化が起こったことに気付いた時、ルイズはひそかに喜んだ。
もしかしたらヒュンケルは、シエスタのためばかりじゃなく、ルイズのためにも戦ってくれたのかもしれない。
それは勝手な推測にすぎなかったが、そう考えると胸の辺りがなにか温かいもので満たされた。

「……それにしてもこの剣、凄い業物ね。彼の腕前もあるんでしょうけど、青銅のゴーレムを斬って刃こぼれ一つないわよコレ」

物想いに耽ったルイズの気分を変えるように、キュルケは壁にかけられた剣を話題に出した。
抜き身の魔剣は魔法のランプの明かりを受けて、妖しく輝いていた。
キュルケも剣の相場など詳しくないが、これを買ったなら相当の金額になるのではないかということはよく分かる。
少なくとも、普通の平民の身で持てるものではない。
キュルケはますますヒュンケルに興味を惹かれる自分を感じた。

「これだけの剣を飾っておくだけなのも、あれだけの剣士を丸腰にしておくのも、両方もったいないわね。
 抜き身だから持ち歩けないっていうんなら、私がダーリンに鞘をプレゼントしてあげようかしら?」

言ってからこれは名案と思ったのか、キュルケは指を鳴らしてにんまり笑った。
ちょうど虚無の日も近いし、デートの準備をしなきゃと立ちあがる。
はしゃいで部屋を出て行くキュルケを不思議に静かに見送った後、ルイズはいそいそと財布を取り出して中身をぶちまけた。
大公爵家の娘であるルイズがいう「金欠」など、一般庶民のそれとはまったく違う。
ヒュンケルのために高価な秘薬を買ったとはいえ、金貨はたんまりとあった。

「悪いわね、キュルケ。アンタの計画はご主人様と使い魔の絆を深めるという、崇高な目的のために使わせてもらうわ!」

もはや部屋にはいない仇敵へうそぶいたルイズの目がキュピ~ンと光る。
ご褒美という名目のプレゼント。
ご主人様として上の立場を誇示しつつ使い魔を喜ばせる方法として、これ以上のものがあろうか?
ルイズは予定表を取り出してぱらぱらとめくると、次の休日の欄にでっかく「お買いもの」と書き上げた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年11月27日 19:51
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。