ゼロの剣士-09


#1

「起きなさいヒュンケル! すぐに出かけるわよ!」

その日の朝は、ルイズのそんな言葉から始まった。
まだ眠っていたヒュンケルが気だるげに目を開けると、ルイズはとっくに制服を着こんで彼を見下ろしていた。
部屋はまだ薄暗い。
宵っ張りで朝に弱いルイズにしては異常な早起きである。

「どうした? 今日は休みではなかったのか?」

今日は虚無の日――ハルケギニアの休日のはずだった。
額に手を当てながらヒュンケルが聞くと、ルイズはひっくりかえりそうなほどふんぞり返って答えた。

「休みだから出かけるのよ! さあ準備して!」

ルイズは、早くしないとキュルケが云々とぶつぶつ言っているが、
殆ど身一つで召喚されたヒュンケルにはさほど用意することもなかった。
軽く身づくろいをし、「では行くか」と言って部屋を出て行こうとすると、ルイズに慌てた声で呼び止められた。
「忘れ物よ」と言ってルイズは、ヒュンケルに楽器のケースのようなものを渡してくる。

「この中にアンタの剣が入ってるわ。しっかり護衛してよね!」

そう言うとルイズはヒュンケルの背を押して、早く早くと急き立てた。

#2

トリステイン魔法学院には大きな厩舎がある。
王都トリスタニアに行くのに徒歩で二日はかかるここでは、移動に馬の存在が不可欠なのだ。
そんなわけで何処かに出かける段にあっては、同じ目的でここに来た者と遭遇することはそう珍しいことではない。
今朝も例のごとく、厩舎に近づくルイズ達に向かって先客が手を上げた。

「御機嫌よう。君もお出かけかね?ミス・ヴァリエール」
「おはようございます。オールド・オスマン」

厩舎の前にいたのはこの学院の長、オールド・オスマンだった。
傍らには緑髪の美人秘書、ミス・ロングビルも立っている。
オスマンは馬車の御者に少し待つよう命じると、いそいそと二人のところにやってきた。

「そちらが噂の使い魔君かな、ミス・ヴァリエール?」

オスマンはちらりとヒュンケルを見ると、ルイズに聞いた。
ヒュンケルの目にはオスマンの瞳が、不思議な親密さを漂わせているような気がした。

「ええ、こちらが使い魔のヒュンケルです。オールド・オスマンもこんなに早くにお出かけですか?」

ルイズはまだ太陽も昇りきっていない空を見上げて言った。
先に述べたように厩舎で人と会うこと自体は珍しくないが、この場合は時と相手がいささか特殊だ。
ルイズが言うのもなんだが、学院長がこんなに早く出かけるとは火急の用かといぶかしむ。
しかしオスマンは、眉をハの字にして子供のような表情を作ると、少年が友人にするような調子で愚痴った。

「それがのう、『土くれのフーケ』対策がどうので王宮の連中に呼び出されちまったんじゃよ。
 あいつら忙しいとかなんとか言って昼前には来いとか言ってきおった。おかげでこんな早起きする羽目に……」

そこまで言ってオスマンはオヨヨと泣くと、ミス・ロングビルの胸に抱きついた。
そのままオスマンは「かわいそうなワシ……」などと泣き真似をして頬をスリスリしている。
ルイズはおそるおそるロングビルの顔を見上げたが、
かの辣腕秘書はピクリとも眉を動かさずにオスマンを張り手で一蹴すると、眼鏡を掛け直して通告するように言った。

「オールド・オスマン。駄々をこねてないで早く行ってください。遅刻しますよ」

どうやらロングビルの方は王宮に行かず、学院に残るらしい。
彼女は害虫を追い払うように手を振って急かしたが、オスマンがいなくなるのが嬉しいのか、その口元はほころんでいた。
まあ、あんなセクハラされてりゃそうなるわよねとルイズも内心同情する。
片頬を腫らしたオスマンは「つれないのう」と嘆きながら馬車に乗りかけたが、思いついたようにぴたりと足を止めた。

「そうじゃ、ミス・ヴァリエール。もしや君も王都に行くのかね?」
「え、ええ。そのつもりですけど?」

なんだか悪い予感を感じつつルイズが答えると、オスマンはにやりと笑って言った。

「それならせっかくじゃから、ワシと一緒に行かない?」

#3

馬車で街へ向かう道中、ルイズはどうにも落ち着かずにモジモジしていた。
――オールド・オスマン。
齢三百とも言われるこの老メイジは、ある意味貴族の位階などを超越した偉大なメイジだ。
オスマンは気さくなエロジジイとしても有名であるが、重々しい肩書きと裏腹のそんな振る舞いがルイズにとってはまた妙な緊張を強いた。
オスマンは今、ルイズの隣で両の頬を赤く腫らして使い魔のネズミを撫でていた。
馬車に乗りこむ際に、使い魔の目を通してロングビルの下着を覗いていたのがバレたのだ。
ロングビルの必殺の張り手を二発も食らったオスマンはそれでもさほど堪えた様子も見せず、
ネズミ――モートソグニルに「白かあ。黒の方が似合うのにのう」などと呟いている。
ちなみにこの馬車は一つの席に二人ずつ乗れる四人乗りなのだが、
オスマンの希望でルイズとオスマンが隣同士、ヒュンケルは一人で座っていた。
ルイズにとってなんとなく気に入らない配置だったが、
学院長に異議を唱えるもはばかられ、ルイズはそわそわと膝を動かしていた。

「ところでオールド・オスマン。『土くれのフーケ』とは?」

意外なことに、最初に話題を出したのはヒュンケルだった。
土くれのフーケ。
それはオスマンが王都に行く理由として挙げた人物だ。
どうやらヒュンケルが学院長の相手をしてくれそうだと安堵の吐息をつくルイズの横で、オスマンがその白眉を持ち上げた。

「フーケといえば有名な盗賊よ。巨大なゴーレムを操り、強力な防御魔法がかけられた壁をも錬金して
土くれに変えてしまうことからその二つ名が来ておる。なんじゃ、君は新聞を読まんのか?」

長い顎鬚を揉みながらからかうように笑うオスマンに、ヒュンケルは文字が読めぬことを伝えた。
ヒュンケルは不思議なことにこの世界の言葉は使えたが、文字の読み書きまではできなかった。
当然新聞も読めず、この世界にきて日が浅いこともあってまだまだ世事には疎い。
そしてそんなヒュンケルを、オスマンは珍獣でも眺めるようにまじまじと見つめた。

「学がなさそうな顔でもないがのう。一体、君はどこから召喚されてきたんじゃ?」
「……遠いところです」

ヒュンケルは未だ誰にも、自分が異世界から召喚されたことを告げていなかった。
言って信じてもらえるか疑わしかったこともあるが、本心のところは自分でも分からない。
あるいはまだ、自分の過去と向き合う覚悟ができていないからだとも思う。
それきり沈黙したヒュンケルの様子をどう感じたか、オスマンは話題を変えるように明るく言った。

「そういえば君は、ミスタ・グラモンを剣で一蹴したそうじゃな。
 随分な名剣だぞうじゃが、ちょっとワシにも見せてくれんか?」

無邪気に両手で拝んでみせるオスマンに、ヒュンケルはルイズの様子を窺った。
安心したら今度は退屈になったのか、ルイズは心なしか苛々している様子だった。
自分の愛剣を見世物のように扱うのは気が引けたが、ルイズの手前、学院長の頼みを断るのも角が立つ。
ヒュンケルは魔剣を入れていたケースを開けると、オスマンにそれを差し出した。

「ほうほう、コレがその剣か。見たことのない、珍しい金属で出来ているのう。
 それに土メイジの魔法とも違う、不思議な力を感じるが?」

土系統のメイジは物の材質の見極めに秀でている。
卓越した土のスクウェアであるオスマンは、魔剣を少し触っただけでその特異性を言い当てた。
心なしかこちらを見つめる目にも鋭いものを感じて、ヒュンケルはその身を引き締めた。
オスマンが言う不思議な力、それは魔剣に潜む能力「鎧化」の力に他ならないだろう。
さて、なんと答えたものかとヒュンケルは頭を悩ませたが、なにを考えたかオスマンはまたネズミの方に耳を傾けた。

「なんじゃモートソグニル。ん、ピンク? いやいや、見るのはバスト80サント以上に限ると言ったじゃろうに」

つい先ほど閃かせた眼光はどこへやら、オスマンは再びただの好々爺に戻っていた。
一体、この小さな使い魔は何を見たのか?
ささやかな謎はすぐに暴かれる。
こいつめーなどと言ってネズミをツンツンつつくオスマンの隣で、何かがぶちりと切れる音が聞こえたから――。

「こ、こ、こ、このエロジジイ~~っ!!!」

沈黙を守っていたルイズが、顔を真っ赤にしてぶちぎれた。
初めこそ緊張で忘れていたが、ルイズからしてみれば今日は使い魔との初めてのお出かけ。
絶対口に出したりはしない――というより、
彼女自身そう思う自分を目いっぱい否定していたが、ルイズは今日という日を楽しみにしていたのだ。
乗っていく馬も事前にチェックし、道中の会話もシミュレーションし、
ルイズの手綱さばきに感心するヒュンケルの声まで脳内で再生されていたのに、
オスマンはそれを初っ端から邪魔したばかりかルイズのNGワード「お乳」を見事に踏みつけた。

――この恨み、晴らさでおくべきか。

もはやルイズは、立場も場所も失念していた。
馬車の中、誤解じゃ~と喚く声と同時に、爆発音がヒュンケルの耳をつんざいた。

#3

どこかから愉快な音が聞こえた気がして、キュルケは髪をいじっていた手を止めた。
少しメイクに力を入れすぎて、予定より遅い時間になってしまった。
そろそろ寝ぼすけのルイズも起きてしまうかもしれない。
キュルケはマントを羽織ると使い魔のフレイムを撫で、「今日はお留守番よ」と言いつけた。
忠実な使い魔は少し寂しげな声をあげたが、結局またのそのそと寝床に戻って二度寝を始めた。
キュルケは部屋から出ると、慣れた手つきで隣室に解錠の魔法をかけた。
鍵が開いたのを確かめ、ルイズを起こさぬよう静かにドアを開ける。

「ヒュンケル~? 起きてる~?」

ドアから顔だけ出したキュルケは、そのままの姿勢で固まった。
阿修羅のごとく怒り狂うルイズが待ち伏せしていたならまだマシだったが――部屋はもぬけの殻になっていた。
ルイズもヒュンケルもおらず、壁にかかっていた剣もない。
まさかと思いつつ部屋に入ったキュルケは、テーブルの上に自分宛ての置き手紙を見つけた。
震える手で取って読んでみるとそこには、
「や~いや~いバ~カ!ヒュンケルはわたしのものよお!」といった趣旨のことがルイズ独特の高慢ちきさで書いてあった。
キュルケは手紙をグシャッと潰してついでに焼き払うと、猛ダッシュで外へ駆けだした。


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最終更新:2010年12月02日 23:22
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