馬車が王都に着いた時、太陽は既にだいぶ高く昇っていた。
ルイズの癇癪やらなにやらで予定よりも若干遅い到着だったがオスマンは慌てる素振りも見せず、
乗ってきた馬車はルイズ達で使っていいと告げると、ヒュンケルに顔を寄せて囁いた。
「もしかしたら近いうちに君に頼み事をすることがあるやもしれん。その時はよろしくの?」
言うとオスマンは踵を返し、ヒュンケルが答えるのを待たずに飄々と歩き去って行く。
ヒュンケルはいぶかしげに首をかしげたが、そこでルイズがジト目でこっちを見ていることに気がついた。
ご主人様はどうやら、自分の使い魔と学院長の内緒話――というにはあまりに一方的だったけれど――が気に食わないらしかった。
「もういいでしょ、早く行くわよ!」
ルイズは仏頂面でそう言うと、ずんずん歩きはじめた。
仲間外れにされて拗ねた子供のような様子に苦笑しつつ、ヒュンケルは急ぎ足でルイズの後を付いて行く。
休日のトリスタニアは人通りが多く、穏やかな活気に満ちていた。
その雰囲気にあてられてルイズも次第に機嫌を直し、白を基調とした美しい街並みをヒュンケルに自慢し始めた。
「ここがブルドンネ街よ!この国で一番の大通り!」
まるで自分が造ったかのような調子で誇るルイズに頷くと、ヒュンケルは何処に行くつもりなのかと尋ねてみた。
思えば彼は、何が目的でここまで来たのかも聞いていなかったのだ。
しかしルイズはその質問を華麗に無視し、きょろきょろと首を巡らした。
「たしかピエモンの秘薬屋の近くだったから……こっちの方かしら?」
いつのまにかヒュンケル達は、小さな路地裏に入っていた。
大通りとは違ってここは薄暗く、時折柄の悪い連中が通り過ぎるルイズをじろじろ見つめた。
ヒュンケルはルイズを庇うように横を歩いたが、ルイズは下々の者など興味がないのか、無頓着な様子で探し物を続けた。
やがて――
「あったわ!あそこよ!」
ルイズは目当ての店を見つけ、嬉しそうにヒュンケルに指し示した。
剣を模した看板――そこは武器屋のようだ。
ルイズはヒュンケルの顔を見上げてフフンと笑うと、威勢よく扉を開いて中に入った。
するとすかさず店員らしき女の声が、「いらっしゃいませ~」とルイズ達を迎える。
商売熱心なその様子にうんうん頷くルイズだったが、件の「女店員」は棚の影からひょっこり顔を出すと、いきなりヒュンケルにしなだれかかった。
あまりに唐突な出来事に目をむくルイズを完璧に無視し、赤髪の「女店員」は潤んだ瞳をヒュンケルに向ける。
「本日は何をお求め? 剣? 盾? それともア・タ・シ?」
「あ、アンタまさか……キュルケ!?」
女店員の正体は赤髪の魔女、キュルケ・フォン・ツェルプストー。
驚きと怒りで口をパクパクさせるルイズに向かって、キュルケは勝ち誇るように笑った。
「計算が狂ったようねえ、ヴァリエール?
あたしを出し抜いたつもりだったんでしょうけど、こっちには頼もしい味方がいるのよ?」
そう言ったキュルケの視線の先には、店の片隅で置物のように座っている少女がいた。
決闘の夜にヒュンケルのもとに訪れた少女、タバサだ。
タバサは読んでいた本からちらっと目を上げてルイズ達を見ると、片手に持った長い杖を少し持ち上げた。
どうやらそれが挨拶代わりということらしい。
「……そういえばこの子の使い魔、ウィンドドラゴンだったわね」
タバサの使い魔――風竜は、学生達が召喚した中でも一際立派なものだったのでルイズも覚えていた。
察するにキュルケは、タバサに頼んで風竜に乗せてもらってきたのだろう。
ルイズ達が乗った馬車はさして急いで走っていたわけでもないし、風竜の速度ならば多少の遅れなど挽回して余りある。
歯噛みするルイズの前で、キュルケは声を上げて高笑いをした。
「ところでキュルケ、お前はなんでルイズがここに来ると分かったんだ?」
聞いたのはまだ状況が掴めていないヒュンケルである。
そもそも彼は、何故ルイズが武器屋に来たのかも聞かされていなかった。
そして質問されたキュルケよりも、何故かルイズの方が動揺するのをヒュンケルは不思議そうに眺めた。
「それはねえヒュンケル、この前の晩にあたしが話したからよルイズに。今度あなたに剣の鞘をプレゼントするつもりだってね。
この子ったら、あなたがあたしに取られるのが怖いもんだから、あたしの計画をパクッて自分の手柄にしようとしたのよ」
口をふさごうとして躍起になるルイズの腕をかいくぐりながら、キュルケがおかしくって仕方ないといった顔で話した。
「そうなのか?」と目線で問うと、ルイズは顔を真っ赤にして首をぶんぶん横に振った。
「そそそ、そんなんじゃないわよ! た、ただ、使い魔に必要なものを買い与えるのは主人の勤めだからわたしは、わたしは――」
そこまで言うとルイズは言葉を失ったようにうつむいて、足のつま先で「の」の字を書き始める。
動機の方はともかくして、ルイズが魔剣の鞘をヒュンケルに買い与える目的で来たのは確からしい。
ヒュンケルは魔剣の特殊な鞘に未練があったが、抜き身のままでは不便といえば不便だった。
「あ、あの~、お求めの方はいかがしやすか?」
そこで頃合いを見計らったように、別の声がヒュンケル達に呼びかけた。
見ると、オスマンの使い魔とよく似た顔をした中年の男が、店の奥からヒュンケル達を窺っていた。
どうやらこのネズミ顔の男が店主らしい。
キュルケ達に居座られ、今は三人の風変わりなメイジを前にした気の毒な店主はそれでも商魂たくましく、
疲れた顔に精いっぱい愛想笑いを浮かべてヒュンケル達に近づいてきた。
「聞かせてもらった話じゃあ、鞘をお求めだとか? 剣を見せてもらってもいいですかい?」
正直な話し、店主としては貴族が三人いて買うのが鞘だけというのは不満たらたらだった。
せめて、せいぜい豪奢な装飾が施されたものでも売りつけてやろうと内心息巻く。
ヒュンケルはそんな店主の内心を知ってか知らずか、無言で魔剣を入れたケースを開いた。
「こ、これはなかなかの業物で……」
店主は魔剣を手に取ると、唸るような声を漏らして言った。
その剣は華美な装飾こそなかったが、繊細さと剛直さが同居した魅力的なフォルムをなしていた。
触れた感じでは武器としての切れ味も申し分ない。
刀剣マニアの中でも特に玄人好みの逸品だと言えるだろう。
これを得意先の貴族に売りつけたら、どれだけの金になることか見当もつかなかった。
店主はゴクリと唾を飲み込むと、剣をケースの中にそっと置き直した
店主の見るところ、メイジの女連中は剣の目利きに関しては素人だ。
男の方はよく分からぬが、話を聞いた感じではメイジの護衛か何かだろう。
主人の方を落とせばどうにでもなるに違いない。
店主はこのチャンスをどう活かすか、頭をひねって考えた。
「え、え~とですなあ。残念ながら、この剣に合う鞘はありませんな。
入れるだけなら入れられますが、剣に合わない鞘は刀身を傷めますからなあ」
誠に申し訳ないという顔をした店主に、ルイズとキュルケが口をとがらせた。
肝心のヒュンケルは鞘を買うことに元々あまり気乗りしないため、無感動な表情だ。
タバサはというと、こちらはもう話しを聞いてすらいなかった。
「本当にないの?」と聞いてくるキュルケを手で制し、店主は言った。
店主にとってはここからが本題なのである。
「合う鞘はありませんが、見たところこの剣はなかなかの一品。
剣を扱い、剣を愛する一商人としてわたしゃあこの剣に惚れました。
そ、そこで如何です? 当店自慢のこの名剣と交換しませんかい?
もちろんこっちには絢爛豪華な鞘もついてきますぜ?」
店主が差し出したのは細身の長剣で、鞘は宝石が散りばめられた豪奢なものだった。
もし貴族に帯剣する習わしがあったなら、こういうものを選ぶだろうといった感じの外見だ。
派手好みの貴族なら飛びつきそうなものだったが、
ルイズは「なんでそんな話になるのよ」と眉を寄せ、ヒュンケルはにべもなく首を振った。
「それは剣ではなく、美術品だ。俺には必要ない」
「合う鞘がないなら特注してもいいわよ?」
ヒュンケルの言葉にルイズが横から付け加える。
当たり前と言えば当たり前の反応だったが、店主はぐぬぬと詰まると別の剣を取りだした。
煌めく金の鞘に納められた自慢の一振りだ。
「こ、こちらの剣では如何です?
ゲルマニアの錬金術師ジュベー卿が鍛えし一振り! 鉄をも両断する業物でさあ!」
「へえ、これゲルマニア産なの?」
ゲルマニアという言葉にキュルケが反応する。
実はゲルマニアの留学生である彼女にとって、この剣は祖国の生産品ということになる。
思わぬところから好感触を得て、店主は大いに気勢を上げた。
このゲルマニア製の剣、鉄をも斬るとは誇大広告だが、かなり高価であるのは事実だった。
ヒュンケルの持ってきた剣が、これと同等以上の価値を持つかは店主にもにわかには分からない。
ただ武器屋としての勘が、この選択は間違っていないと告げていた。
「その通り! 武器と言ったらゲルマニア産が一番でさあ!
この剣はその中でも至高の一振りと謳われた剣で――」
女房を口説いた時でもこれほど舌は回らなかったろう。
店主は思いつくかぎりの美辞麗句を駆使してゲルマニアとこの剣を称えようと大きく息を吸う。
しかし店主が虹色に煌めく言葉の数々を吐きだす直前、まったく別のところから声が割り込んだ。
「けッ! そんなナマクラとその剣が釣り合うわけねえだろうが。ぼったくろうとしてんじゃねえよ親爺!」
唐突に響いた新しい声にきょろきょろ辺りを見回すルイズ達を尻目に、店主は慌てて声の主に向かって抗議した。
「商売の邪魔すんなデル公! 熔かして鉄クズにしちまうぞ!」
「やれるもんならやってみろい! こちとら生まれてこのかた六千年、いい加減生き飽きてたところだ!」
呆気に取られるルイズ達。
それもそのはず、店主と言い争っている声の主は一振りの剣だったのだ。
古ぼけて錆びの浮き出た剣は、鍔の金具の部分をカチカチ言わせて、辛辣な言葉を店主に投げていた。
「……インテリジェンス・ソード?」
呆けたようにルイズがつぶやいた。
意志を持つ剣があることは知識として知ってはいたが、実物を見るのは初めてだ。
剣はルイズの声を聞きつけて、「俺様が魔剣デルフリンガーよ!」と口上を上げた。
もし人間の体があったなら、エヘンと胸を張っていただろうと想像できる声色だ。
「へっ、喋るしか能のない剣でさあ。剣に喋らすなんて物好きな貴族様もいたことで」
ぶつぶつ言う店主を無視して、デルフリンガ―は今度はヒュンケルに向かって声を放った。
「おい、そこの兄ちゃん! 俺っちにもその剣を見せてくんねえか? そう、もっと近づけて」
喋る剣という珍品に感心していたヒュンケルは、デルフリンガ―の言うことに素直に従った。
魔剣を手に取り、その刀身をデルフリンガーのそれと触れ合わせてみる。
すると何故かデルフリンガ―はぴたりと押し黙り、やがて興奮したように歓声を上げた。
「これはおでれーた! この剣も俺っちと同じように意思を持ってるぜ!
おい兄ちゃん、鞘を買うって話だが、その必要はねえってこの剣は言ってるぞ」
「魔剣が……どういうことだ?」
その問いは魔剣が意思を持っていること、鞘はいらないということ、二つの意味を指していた。
デルフリンガ―はじれったそうにさらに金具をカチカチ言わせてヒュンケルにまくしたてた。
「だからよ、俺っちみてえに人間の声は出せねえけど意思は持ってんだよこの剣は。
そんでもって、鞘は自分で再生するから新しいのは買わないでほしいっつってんの」
鞘――鎧となる部分――が復活するのは願ってもないことだったが、魔剣に自己修復の能力なんてあったのだろうか。
地底魔城でダイと戦うまで、鎧を傷つけられたことなど一度もなかったヒュンケルには分からなかった。
ただ目の前のもう一振りの魔剣、デルフリンガ―が嘘を言う理由は見当たらない。
どうやらデルフリンガ―は、触れ合うことで魔剣から意思を汲み上げることができるようだった。
物珍しさから何気なく手に取ってみると、デルフリンガ―はさっき以上に興奮し、また叫んだ。
「おでれーた! 今度こそホントにおでれーた!
なんなんだ今日はもう! おめえ『使い手』じゃねえか!!」
「使い手?」
狂ったようにカチカチ金具を鳴らす剣に閉口しながら、ヒュンケルは再び剣に尋ねた。
武器屋の中の視線は今や、ヒュンケルとデルフリンガ―に集中していた。
タバサさえ、本を置いてこちらを見つめている。
しかしデルフリンガ―は質問を無視し、「俺を買え!」とひたすら喚いた。
正直なところヒュンケルは鎧の魔剣さえあればそれで十分だったが、デルフリンガ―の言った「使い手」という言葉が気になった。
あるいはそれはヒュンケルが体感し、タバサがほのめかした使い魔のルーンの謎に関係しているかもしれない。
「ルイズ。鞘の代わりといってはなんだが……この剣を買ってくれないか?」
いくら錆びて古ぼけた剣でも、鞘よりは高いだろう。
さすがにヒュンケルは気が引けて遠慮がちに尋ねたが、ルイズは値段などとはまったく別次元のことを考えていた。
思えばこれは、ヒュンケルがルイズにした初めてのお願い――またの名はおねだり――なのだった。
召喚して以来ここ数日、ヒュンケルの泰然とした様子に
「ご主人様」的な気分がまったく味わえなかったルイズからしてみれば、このシチュエーションはまさに理想的。
「頼むルイズ。頼れるのはお前だけなんだ」などと、言われてもいない言葉まで頭の中でリフレインした。
「わ、わわ、分かったわ。そこまで言うんなら買ってあげる。ご、ご主人様として! ご主人様として!」
大事なことなので二回言いました。
キュルケが歌うようにそう言った後で自分も金貨を出すと言い出したので、また女二人の口論が始まった。
ともあれ流れは、デルフリンガ―を買う方向にまとまりつつあるらしい。
「――ということはデル公とあの剣で交換ということで?」
どさくさに紛れてしょうもない提案をしてくる店主を呆れて見ながら、
ヒュンケルは剣とその使い手の出会いについて思いを馳せていた。
鎧の魔剣をヒュンケルに渡した人物は、言葉を交わすだけでも肌が粟立つような存在だったが、
今まさに得意げな顔をして古ぼけた剣を自分に渡そうとしている少女はとても――。
両者のあまりのギャップに少しくおかしみを覚えつつ、こうしてヒュンケルは二振りの魔剣の所有者となった。
最終更新:2010年12月03日 11:04