#1
森の中を走って一時間も経った頃、ロングビルは馬車から降りるようルイズ達に告げた。
彼女が言うには、この近くにフーケの隠れ家があるらしい。
馬車で近づくのは色々と目立つし、ここからは歩いていこうとロングビルは提案した。
「なにやってんのヒュンケル? 早く行くわよ!」
馬車の前で靴紐を結ぶように屈んでいたヒュンケルをルイズが急かした。
ヒュンケルはすぐに立ちあがると、ルイズ達と並んで歩く。
フーケの隠れ家は、馬車を置いた場所から十数分のところ、木々が少し開けた場所にあった。
それは打ち捨てられたような小さなボロ小屋で、人の気配がまったく感じられない。
「フーケは留守なのかしら? それとももう逃げちゃったとか?」
そう言って無用心に廃屋に近づこうとするルイズを、ヒュンケルが制止した。
昨日のことといい、どうにもこの娘は勇み足でいけない。
ヒュンケルが見た感じ、ルイズはどこか急き立てられているような印象を受けた。
「落ちつけルイズ。偵察には俺と……タバサで行こう。お前はここで待っているんだ」
しかしルイズは、ヒュンケルの言葉に不満そうに頬を膨らませた。
「嫌よ! 使い魔が行くっていうのになんで主人のわたしが留守番なのよ?」
「……主人を守るのが使い魔の役目。そう言っていたのはルイズではなかったか?
危険がないか見に行くだけだ。少し待っていてくれ」
渋々頷くルイズの頭を、ヒュンケルがなだめるようにぽんぽんと叩いた。
そうしてから、また子供扱いしてとぶうたれるルイズをスル―し、キュルケとロングビルの意見を確かめる。
キュルケは肩をすくめると、ここでルイズの子守りをしていると言い、
ロングビルは用心のために周囲を見回ってみると言って森の方へ歩いて行った。
それぞれの役割を確認し終えると、ヒュンケルはタバサに頷きかけた。
「念のため、『静寂』をかける」
タバサはそう言うと杖を振るい、二人の足音を消した。
恨めしげなルイズをその場に残し、ヒュンケルとタバサは慎重かつ素早く、フーケの隠れ家に接近したが、
相変わらず廃屋からは物音ひとつせず、人の気配もしなかった。
「思いきって中に入ってみるか」
ヒュンケルはタバサに小声で言うと扉に手をかけ、ゆっくりとそれを開けた。
二人は音もなくするりと室内に入ったが、やはり人の姿はない。
廃屋は一部屋のみの構造で家具も少なく、隠れられそうな場所はありそうもなかった。
埃の積もった様子を見るに、ここでフーケが生活しているとはとても思えない。
もしや、ロングビルの掴んだ情報は誤ったものだったのだろうか。
ヒュンケルが嫌な予感を感じた時、タバサが「これ」と囁いた。
タバサはテーブルの上に無造作に置かれていた本を手に取って、何かを確かめるようにじっと見つめた。
「まさか、それが『悟りの書』か?」
ヒュンケルの言葉にタバサは「たぶん」と頷くと、自然な動作で本を開こうとした。
どうやら彼女はまだ『悟りの書』を読むことに未練があるらしい。
ヒュンケルが溜め息をついてその手を掴むと、
タバサは相変わらずの無表情で「冗談」と一言言って、『悟りの書』をヒュンケルに差し出した。
どうにも変った娘だと苦笑してヒュンケルがその本を手に取った時――そのことは起こった。
「ヒュンケル! タバサ! 小屋から離れて!!」
外からまずルイズの叫び声が聞こえ、次いで頭上の屋根が砕ける音が耳をつんざいた。
間一髪、窓から外へ飛び出した二人の背後で、廃屋は杖を失くした老人のように呆気なく崩れ落ちた。
ヒュンケルはタバサを助け起こすと、廃屋を叩き潰した張本人をぎらりと睨んだ。
襲撃者の正体は言うまでもない。
ヒュンケル達の目線の遥か上、フーケの巨大なゴーレムが、ヒュンケル達を見下ろしていた。
「小屋に人がいた形跡はなかったが――もしや情報自体が罠だったか?」
つぶやくヒュンケルの横で、タバサが真っ先に魔法を唱えた。
少女の、背丈ほどもある杖から強力な竜巻が巻き起こる。
生身の人間なら造作なく吹っ飛ばせる魔法だが、巨大なゴーレムはびくともしないでその場に留まり続けた。
タバサに続いてキュルケが炎の魔法を、ルイズが例の爆発魔法を使うが、ゴーレムの巨体からすれば効果は微々たるものだ。
「こんなのかないっこないわよ!」
呻くキュルケの横でタバサが「退却」とつぶやき、口笛を吹いて風竜シルフィードを呼び出した。
即座に空から現れた使い魔に乗って、タバサはキュルケやヒュンケル達に手招きする。
肝心の『悟りの書』は取り返せたのだから、タバサの判断は賢明なものだと言えるだろう。
ヒュンケルとキュルケは彼女に従おうとしたが、しかし何故かルイズだけは頑としてそこを動こうとしなかった。
ルイズは何度も何度もゴーレムの表面に爆発を起こし、巨大な質量を砕こうと躍起になっている。
早く乗れと急かすキュルケの声に、ルイズは「嫌よ!」と、振り返りもせずに拒絶した。
「嫌よ! ここで逃げたら『ゼロ』だから逃げたってまた笑われちゃうじゃない!!そんなのできっこないわ!!」
「そんなこと言ったってあなた……ロクな魔法も使えないじゃないの!」
キュルケの言うことにルイズは言葉に詰まるが、それでも一歩も退こうとはしなかった。
「魔法を使える者を貴族と呼ぶんじゃないわ……! 敵に背を向けない者を貴族と呼ぶのよ! 邪魔しないで!」
そう言って攻撃を続けるルイズにキュルケは「あのバカ」と唇を噛んだ。
人一倍誇り高いルイズが『ゼロ』と蔑まれ、どれだけ悔しい思いをしてきたかキュルケはよく知っていた。
ルイズは汚名を晴らそうとひたすら努力し、それでも駄目で、また頑張って、どうしようもなくて――。
ルイズの気持ちは分かるが、それでもこんなところで死なれては目覚めが悪い。
強引にでもルイズを逃がすため駆け寄ろうとしたキュルケだったが、ゴーレムがその腕を振るう方が先だった。
肩を震わし、目を見開くルイズに近づく巨椀。
ルイズのちっぽけな体などバラバラにしてしまうであろう凶器。
昨日の再現のようなその攻撃はしかし、昨日と同じ人物によって受け止められた。
ただし今回の結果は昨日と違って、その人物はゴーレムに押し負けずにそのまま踏みとどまっている。
「……無事か、ルイズ?」
ルイズの目の前、ヒュンケルが魔剣でゴーレムの一撃を食い止めていた。
衝撃で数メイル後ずさり、足は地面に埋まってしまっているが、ヒュンケルは渾身の力でゴーレムの腕を押しのけた。
そしてすかさずルイズを抱えると、シルフィードの前まで連れて行く。
「離してヒュンケル!これは命令よ! わたしは戦うの!」
腕の中で暴れるルイズに、ヒュンケルは無言で頷いた。
てっきり反対されるとばかり思っていたルイズは虚をつかれ、振り上げた拳の行き場をなくす。
しかしヒュンケルは嘘をつくでも誤魔化すでもなく、真剣にルイズの望みに応えようとしていた。
「そこまで言うなら俺も共に戦おう。しかしルイズ、戦いにはやり方というものがある。
お前はゴーレムの攻撃が届かぬところから攻撃しろ。あのデカブツと直接やり合うのは俺の役目だ」
さっきまで失念していたが、周囲の偵察に出たロングビルの姿がまだ見えなかった。
彼女の無事が確認できない以上、一目散に逃げることも憚られる。
それになにより、敵わずとも立ち向かおうというルイズの言葉にヒュンケルは心打たれていた。
自棄になっているような面もあるのだろうが、ルイズの横顔には凛とした気高さが浮かんでいた。
魔法が使えなくとも――いや、魔法が使えないからこそ育まれた、魂の力のようなものがそこには根付いていた。
ヒュンケルはルイズのことをただ守るべき対象としか見ていなかった己の認識を改め、
できることならルイズの望みを叶え、自信を与えてやりたいと、そう思った。
「タバサ、キュルケ。お前達は上空から援護しながらロングビルを探してくれ
あるいは怪しい人影を見つけたらそいつを捕らえろ。フーケを倒せばゴーレムも消えるだろう?」
言ったヒュンケルに、キュルケがやれやれと首を振った。
一緒に逃げられないとあれば、キュルケのやることも一つしかありえない。
「しかたない、付き合ってやるわよ……デ―ト1回分と引き換えで。もちろん費用はルイズ持ちよ?」
キュルケはそう言うとタバサと目配せし合い、風竜で飛び立った。
ゴーレムはそれを見てのそりと動いたが、タバサとルイズ達のどちらを狙うか迷ったように、少し首をかしげている。
ヒュンケルはタバサ達を見送ると、ルイズの顔を見た。
マァムと同じ色の髪をした少女は、緊張と興奮で頬を紅潮させていた。
「ルイズ、これを持っていてくれ。なくすんじゃないぞ?」
そう言うとヒュンケルは懐から『悟りの書』を取り出してルイズに押し付けた。
――共に戦うのはいいが、絶対にやられるな。
この任務の一番の目的、学院から盗まれた秘宝を託すことで、ヒュンケルはルイズにその意を伝えた。
ルイズはしっかり本を服の中に仕舞い込み、ヒュンケルに向かって頷いてみせる。
ヒュンケルだけを前線で戦わせることに不安も不満も感じるが、
それが一番の布陣だということはルイズも分かっていたし、ルイズはこの偉そうな使い魔の力を信じたかった。
「ご主人様に指図するなんて使い魔失格なんだからね! 後で説教してやるんだから……死ぬんじゃないわよ!」
ルイズはようやくいつもの調子に戻るとそう言った。
直後、ゴーレムの巨大な足が振り下ろされ、ルイズとヒュンケルは前後に分かれる。
ルイズは森の方から後衛を務め、ヒュンケルはゴーレムのそばで前衛を担当する――。
主人と使い魔の、初めてのパーティーバトルが今始まった。
#2
振り下ろされた足をかいくぐり、そのままの勢いで斬りつける。
土くれでできたゴーレムの足はたやすく裂けたが、すぐに地面から土を補給して体を再生しはじめた。
ルイズも今は手数よりも威力を意識し、なるべく大きな失敗――もとい、
爆発を起こそうと努めたが、その傷も瞬く間に再生されてしまっている。
ヒュンケルはいつのまにか鋼鉄製に変わったゴーレムの腕を大きく飛びのいてかわし、息を整えた。
するとその隙を見計らったようにゴーレムは足まで鋼鉄製に変わり、ヒュンケルは思わず舌打ちをする。
戦いは長期戦の様相を呈していた。
ヒュンケルはまだまだ動ける自信があるが、
失敗魔法とはいえ爆発という形で魔法力――この世界では精神力――を放出しているルイズはそろそろ限界のはずだ。
上空にいるタバサ達が術者のフーケを探しているが、森の木々に遮られてそちらの状況も芳しくない。
フーケがゴーレムの維持にどれほど精神力を消費しているのか分からないが、
このまま戦いが長引けば消耗したルイズを抱えて戦うか――あるいは逃げることになる。
ルイズの安全と心境を思えば、それはできようはずもなかった。
かくなれば、再生の暇もないほど早く切り刻むか、一撃必殺で倒すほかない。
「アバン流刀殺法――海波斬!」
ヒュンケルは昨日ゴーレムの腕を斬り飛ばした技を連続して放ったが、
今やみっちりと鋼鉄で固められたゴーレムの腕は、半ばのところでその斬撃を食い止めた。
スピード重視の海波斬では一撃の威力において少々心もとない。
とはいえ、速さの技に対して力の技――大地斬では手数が足りない。
となれば……
「おい相棒! いいかげん俺を抜けよ!」
ヒュンケルが必殺の剣を構えようとした時、すっかり忘れていた声がその動きを呼び止めた。
背中から、デルフリンガーがすねた声でヒュンケルに訴えかける。
「俺っちだって剣だぜ!? そっちばっかり使ってないで俺も使ってくれよ。頼むからさあ……」
戦いの緊迫した雰囲気からはかけ離れたその様子に、ヒュンケルは思わず笑みをこぼした。
とはいえ、自分には二刀流の心得はないし、一刀で戦うなら使い慣れた魔剣の方がいい。
ヒュンケルは率直にそう言いかけたが、デルフが憤慨したようにそれを遮った。
「心得も何もねえって! 相棒は『使い手』だろう? 剣を握りゃ勝手に体が動くんだよ!」
「使い手とは――『ガンダールヴ』の――ことか?」
ゴーレムの攻撃をかわしながら聞くと、デルフはあったりめえだろと一笑に付した。
むしろ、素でその力を出せてる方がおかしいぜと呆れ半分の調子で続ける。
ヒュンケルは頭上のタバサをちらりと見上げると、ようやくデルフの柄に手をかけた。
何故か懐かしい感触を覚え、ルーンを刻まれた左手を見やった。
もしもタバサやデルフの言うように自分が本当に『ガンダールヴ』ならば――
そしてもしあの決闘の時感じた感覚が本物ならば――
剣を二刀使うくらい、俺には容易いはずだと自分に言い聞かせた。
目の前のゴーレムを倒し、ルイズに誇らしい記憶をつくってやる。
それだけを胸に置き、懸念も何も体から追い出した。
闘志が体の奥から、ふつふつと溢れだしてくる。
「相棒! 俺を抜け! ガンダ―ルヴは心の震えで強くなる! 闘志をみなぎらせ、剣に伝えろ!!」
声に応え、ヒュンケルはついにデルフリンガ―を抜き放った。
ゴーレムは今、タバサとキュルケが風竜の速さを活かして翻弄している。
ヒュンケルは両の手に二刀の魔剣を携えて目を閉じ、リラックスするように肩の力を抜いた。
瞼の裏に、無駄な力や動作を省いた必殺の軌跡を心に描く。
そしてゆらりと剣を持った両手を上げると、あらかじめそれが決まっていたような自然さで上段に構えた。
「アバン流刀殺法――二刀!」
ここまで意識を集中させてこの技を使うのは何年振りか。
ヒュンケルは初めてこの技を成功させた時のことをふと思い出した。
今振るうはアバン流の初歩にして、大地をも割る力の剣――
「大地斬!!!」
カッと目を見開き、ヒュンケルは二対の魔剣を振り下ろした。
二柱の斬撃は強烈な衝撃波を生み出し、ゴーレムの鋼鉄の四肢をVの字に斬り裂いた。
刹那の瞬間、手足を失ったゴーレムの胴体が宙に浮く。
――好機。
「タバサ! ゴーレムを浮かせろ! キュルケはヤツの頭を攻撃するんだ!!」
ヒュンケルの言葉に応え、タバサが即座に詠唱を完成させた。
あらかじめ力を蓄えていたのだろう、今までの比ではない威力の竜巻が、四肢を失い軽くなったゴーレムを持ち上げる。
ゴーレムの再生のために地面から巻きあがっていた土くれも、風の力で吹き飛ばされた。
次いでキュルケのとっておきの火炎の魔法が、ゴーレムの頭を超高熱で焼き尽くす。
今やゴーレムは、ただの大きな土の塊でしかなかった。
ヒュンケルは鎧の魔剣を地面に突き刺すと、左手のデルフリンガ―に語りかけて言った。
「デルフ、お前が俺の剣を名乗るなら、この魔剣に劣らぬところをみせてみろ。
俺の最強の一撃を、こいつと遜色ない威力で出してみせるのだ」
ヒュンケルの言葉を、デルフは威勢よく笑い飛ばした。
ガンダ―ルヴの左手、デルフリンガ―にしてみれば、そんな挑発は望むところである。
ヒュンケルの腕から流れる闘気に身を任せ、デルフは己の内にそれを蓄えた。
「任せろ相棒! あの魔剣に新参者となめられねえよう、俺もいいとこ見せちゃるゼ!」
叫ぶデルフの刀身が、錆びの浮き出たそれから、魔剣にも劣らぬ白銀の輝きに満ちたものへと変わった。
しかしヒュンケルはその変化を何故か当然のようにして受け入れ、浮き上がって再生力を失ったゴーレムを見つめた。
タバサの竜巻の力は徐々に弱まってきている。
ここはもう、一撃で決めるほかあるまい。
「ルイズ! 俺の技に合わせろ!」
ヒュンケルは片手を前に突き出し、デルフを握った方の腕を弓のように引いて力を溜めこんだ。
背後からはルイズがヒュンケルの声に応え、早口で魔法を詠唱する声が聞こえてくる。
師を襲い、弟弟子を傷つけた必殺剣を今、別の何かのために使う。
奇妙な感慨が、ヒュンケルの胸に去来した。
背後のルイズが、詠唱を完了させて杖を振り上げる。
「やれ!!」とデルフが叫び、ヒュンケルは裂帛の勢いで剣を突き出した。
「ブラッディースクライドォ!!!」
回転力を加えたその突きは螺旋の渦を描き、ゴーレムの胴体部分に大きな風穴を開けた。
そして次の瞬間、でかでかと広がった空洞から大きな爆音が響き渡った。
ルイズの失敗魔法と言う名の強力な爆発が、内部からゴーレムを爆散させたのだ。
タバサが生み出した竜巻が消えた時、地面にこぼれ落ちたのはもはやただの塵芥に過ぎなかった。
ヒュンケルは一応身構えたが、ゴーレムの残骸はそのまま動くことなく、ただの土くれのままそこにある。
おそらくフーケの精神力も既に限界なのだろう。
「終わったな」
からから笑うデルフに向かって、ヒュンケルはそう言った。
あとはフーケ本人を探して捕まえるか、『悟りの書』を持ってそのまま帰ればいい。
ルイズもあのゴーレムを倒したことで自信はついたろうし、ヒュンケル個人としてはフーケの捕縄には特に興味もなかった。
タバサやキュルケも風竜から降りてきて、安堵の笑顔でヒュンケルの手を握った。
――しかし、そんな油断がいけなかったのだろう。
突然、ルイズの悲鳴が背後で響いた。
声の源を辿ればそこにはルイズともう一人――
最後の同伴者、ミス・ロングビルがナイフを構えて立っていた。
最終更新:2010年12月13日 00:13