ゼロの剣士-14


#1

「お前が土くれのフーケだったのか」

眼鏡を外し、ナイフを握ったロングビルにヒュンケルがそう言った。
人質に取られたルイズは恐怖よりも混乱が先立ち、目を白黒させている。
ロングビルは盾に取ったルイズの肩越しにヒュンケルを注意深く見つめつつ、笑みをこぼした。
これまで見せてきた上品なものではなく、猛禽類のように凶暴で、それでいてどこか妖絶な女の笑みだ。

「そう、私が『土くれのフーケ』よ。さあ、この娘の命が惜しければ全員武器を捨てな。
 ちょっとでも怪しい動きを見せたらこいつの命はないよ? 」

杖を失ったメイジは無力だが、それは剣を失ったガンダ―ルヴも同じだろう。
キュルケとタバサは目を見合わせ、次いで同時にヒュンケルの方を見た。
ヒュンケルは隙を窺うようにフーケを注視していたが、やがて無造作に剣を遠くに放った。
キュルケ達もそれを見ると観念したのか、自分達も杖を手放す。
満足げに鼻を鳴らすフーケに、抑えつけられたルイズが少し声を震わせながら尋ねた。
ちなみにこっちの方はとっくのとうに、力ずくで杖を奪われていた。

「それで、ど、どういうつもりなのよ。あんたがフーケなら、どうしてこんなとこにわたし達を誘いだしたの?」

そう、土くれのフーケがここに潜伏していると情報を出したのはロングビル――当のフーケ本人だった。
一体なんのつもりで追っ手をわざわざおびき出し、どうぞとばかりに『悟りの書』を放置していたのか。
人質として囚われた小娘としては随分まともな問いに、フーケは口笛を吹いて感心してみせた。
フーケの腕の中で、かえって馬鹿にされたような気になったルイズが顔を赤らめた。

「別にあんた達を誘った覚えはないんだけどね、まあいいさ。
 あんた、あの使い魔から『悟りの書』を受け取っただろう? 早く出しな」
「い、嫌よ、出さないわ――ひッ!」

拒んだルイズの頬の上で、フーケがナイフを滑らせた。
傷こそつかなかったが、冷たく鋭い感触を覚えてルイズは悲鳴を上げる。
ルイズは思いきり目をつむったが、そこで不思議に穏やかな声がルイズを呼んだ。
目を開けると、ヒュンケルがルイズに向かって頷きかけた。

「ルイズ、『悟りの書』を出すんだ」

ヒュンケルの言葉にも躊躇ったが、フーケがまたナイフをちらつかし、ルイズは震える手で『悟りの書』を取り出した。
そのまま後ろ手でフーケに本を渡そうとするが、何故か彼女は受け取らない。
本をよこせという意味ではないのか。
ルイズが目に疑問を浮かべると、フーケは忌々しげに答えた。

「さっきの質問、何故あんた達を誘い出したかだったね。あんた達もこの本の噂を知っているだろう?
 正しく読む者は悟りを開く……不届き者が読むと呪われる……選ばれし者にしか読めない……そんな噂を?」
「だからそれがどうしたってのよ?」

苛立たしげにキュルケが聞いたが、その答えはフーケではなく、キュルケのすぐ隣の少女が答えた。
タバサが、眼鏡を直して言った。

「……つまり、フーケには悟りの書が本物かどうか分からなかったということ」

タバサの言葉に、フーケはフンと鼻を鳴らした。
そして口をポカンと開けるルイズとキュルケに言い含めるように教えた。

「そっちのお嬢ちゃんの言う通り。私としたことがウッカリしていたのさ。
 正しい手順で読むか、選ばれし者が読むかしないと本の効果は現れない。
 効果が出ないんじゃ、これが本物かどうかも分からない。
 教師達の様子から偽物ではないと思ったけど、使い方が分かんないんじゃどうもね」

フーケの言葉にルイズ達は呆れたが、それで彼女の狙いは分かった。
おそらくフーケは、本当はオスマンや学院の教師など、『悟りの書』の秘密を知っていそうな人を誘い出したかったのだ。
そしてロングビルの顔をして隙をつき、脅すかどうかして秘密を聞き出したら改めて逃げる。
そんな計画だったに違いない。
ルイズは自分が捜索隊に名乗り出たことでフーケの計画を挫けたのだと思って溜飲を下げたが、
何故かフーケは微塵も焦りを感じさせない顔で言葉を続けた。

「持ち主が危機に陥った時に発現するタイプのものかと思ったが、どうも当てが外れたようだね。
 だけど、そこの使い魔の戦いぶりを見て確信したよ。ガンダ―ルヴを召喚したあんたにならその本を読む資格があるってね!」
「ガ、ガンダ―ルヴ……?」

目を丸くしてヒュンケルを見るルイズに、フーケは「さあ本を開きな!」とナイフを突きつけた。
フーケは何故か、ルイズが読めば『悟りの書』の謎が解けると思っているらしい。
不安そうな顔をするキュルケ達の前で、ルイズはわけもわからぬまま両手に抱えた本を見つめた。
もしかしたら噂の通り、読んだら呪いを受けるのではないかと思って手が震えた。
ルイズはゆっくりと本を開くと、ついに学院の至宝――『悟りの書』の秘密を目の当たりにした。

「こ、これが『悟りの書』……!?」

一瞬ルイズは、それがなんなのか理解できなかった。
呆けたようにその『絵』をじっと見つめること十秒後、
ルイズは突然顔を真っ赤にし、両手で目をふさいでうずくまろうとした。
ルイズの手から、『悟りの書』がこぼれて地面に落ちる。
キュルケ達は慌ててルイズに走り寄ろうとしたが、興奮したフーケの声に遮られた。

「近づくんじゃないよ! さあ、どうだい? 『悟りの書』の効果は? これはどうやって使うんだい!?」
「つ、使い方って言ったって……」

ルイズは体をブルブル言わせたままそこで言葉を切った。
そして固唾を呑んで見守るキュルケ達とフーケに応えて、耐えかねたように叫んだ。

「これ……これ……ただのエロ本じゃないの!!!!」
「エ、エロ本!?」

ルイズの突飛な発言に驚いたキュルケ達は、咄嗟に地面に落ちた『悟りの書』に視線を落とした。
ルイズが落としたその本は開いたままで――そこにはめくるめく桃色の世界が映し出されていた。
具体的に言えば僧侶の姿をした女性が――いや、よそう。
ともかく、うら若き乙女が目にするにはあまりに刺激が強すぎる代物だ。
エロ本……アダルト……春画……18禁……。
そんな言葉が頭の中を駆け巡り、とりあえずキュルケはタバサの目を手でふさいだ。
タバサは本を目にした瞬間に思考停止したのか、顔を真っ赤にしたままされるがままになっている。

「フーケ、この本の使い道を知りたいなんて――あなたって意外とウブなのかしら?」

寒々しい沈黙の後、比較的早く回復したキュルケがそう言った。
しかし当然のことながら、フーケの質問の意図はそんなものではない。
二十代前半独身の盗賊は、計算違いの動揺と怒りに頬を染めてかぶりを振った。

「そ、そんなわけあるかい! お前たちだってこの本に魔力を感じるだろう? この本がただのエロ本なはずがない!
 そうだガンダ―ルヴ、あんたはオスマンと何か話してたね? あいつから本の正しい見方を聞いたんじゃないか!?」

たしかにフーケの言うとおり、キュルケも『悟りの書』からは不思議な魔力を感じた。
『エロ本』という姿は『悟りの書』の真の姿を隠すカモフラージュ。
そう思い込んでも仕方ない力を感じた。
そしてルイズが読めば、そのかりそめの姿が剥ぎとられると何故か確信していたフーケは、
ひどく動揺した様子で手にしたナイフをヒュンケルに向けた。
再び緊張が高まり、ヒュンケルが躊躇った様子で口を開きかけたが――まったく別のところから返事は届いた。

『そんなものありゃあせん。それは単なるエロ本じゃよ。エロ本』
「オ、オールド・オスマン……!?」

声の主は学院の長、オールド・オスマン。
声がしたのはフーケのすぐ近く――股の下だ。
フーケが仰天して足元を覗きこんでみると、そこには一匹のハツカネズミがいた。
オスマンの使い魔の、モ―トソグニルがいた。
その背中に括りつけられた小さな人形から、再びオスマンの声が漏れ聞こえる。

『やっぱり君は白より黒が似合うのう、ミス・ロングビル?』

その瞬間、フーケの注意は完全にルイズ達から逸れていた。
ルイズは思いきりフーケの足を踏んづけると、彼女の腕からもがれ出た。
フーケは咄嗟にナイフを振り上げ、ルイズを攻撃しようとしたが――すんでのところでその腕は止められる。
何か強靭な糸で縛りつけられたかのように、体の自由が利かない。
自分を拘束する力の源を見て、フーケは思わず悲鳴を上げた。
丸腰のヒュンケルの腕から、何か黒い霧のようなものが湧き出して、フーケの体にまとわりついていた。

「せ、先住魔法……!?」

ハルケギニアには杖を媒介とするメイジの魔法とは別に、先住魔法と呼ばれるものがある。
フーケの目に、精霊の強力な魔法を行使するエルフの姿が、ヒュンケルのそれと重なった。
しかし普通の人間の耳をしたヒュンケルは、これは魔法ではないと言うと、氷のように冷徹な瞳でフーケを睨んだ。

「闘魔傀儡掌。練り上げられた暗黒闘気は糸となり、敵の動きを封じる。
 あまり使いたい技ではないが――躊躇っている場合でもあるまい」

そしてヒュンケルは、フーケに向けた手の中指をクイっと動かした。
するとナイフを持ったフーケの腕が、意思に反してありえない方向に曲がろうとする。
フーケは耐えがたい痛みに必死に抗いながら、今度こそ己の認識の甘さを後悔した。
剣を失ったガンダ―ルヴ――ヒュンケルを、杖を失ったメイジと同列に見ていた自分を心底呪った。
ヒュンケルがもう一度指を動かした時、固く握りしめていたフーケの手がぎこちなく開いた。
その手に握られていたナイフが、ぽとりと地面に落ちた。

#2

「それで――説明していただけますかしら、オールド・オスマン?」

ルイズ達の視線の先、机に座ったオールド・オスマンが重々しく頷いた。
ここはトリステイン魔法学院・学院長室。
フーケを捕らえた一行は衛兵にその身柄を渡すと、まっすぐこの部屋にやってきた。
オスマンの机の上には例の『悟りの書』が鎮座しており、
ルイズ達は努めてそれを見ぬよう老メイジの顔の皺に意識を集中させた。
オスマンは傷でもないか確かめるように『悟りの書』を撫でながら、四人に質問を返した。

「それで、何から話せばよいかな? 君達の方から質問してくれると助かるんじゃが」

オスマンの言葉に、ルイズ達は顔を見合わせた。
正直言って、聞きたいことが多すぎる。
ルイズ達は考えをまとめるためにしばらく愚図愚図していたが、やがてルイズがオスマンに質問を始めた。

「あの――それ、本当にその本が『悟りの書』なんですか?」

ルイズはそう言って、忌々しそうに机の上に置かれた本を指さした。
あの時見た衝撃の映像は未だ頭を離れない。
これが学院の秘宝だなんて嘘ではないか?
半ば祈るような気持ちでルイズは言ったが、オスマンはコイツは何を言ってるのだという顔つきで首をかしげた。

「もちろんそうじゃとも。これは紛れもなく学院の秘宝『悟りの書』じゃ。取り返してくれて感謝しとるぞ」

さも当たり前のごとく言うオスマンを見てルイズはくじけかけたが、そこで選手交代。
今度はキュルケが慎重に言葉を選びながら質問を続けた。

「でもそれなんていうか……ただの春画じゃありません?」

キュルケが言うと、オスマンはとんでもないとばかりにかぶりを振った。
ただの春画なわけがなかろうという憤慨の声を聞き、ルイズ達の胸は希望にまたたいた。
ああ、やっぱりフーケは正しかったのね。
わたし達が命懸けで取り返したものがただのエロ本なはずないのよと、ルイズ達は帰ってきて初めて達成感を味わった。
しかし直後のオスマンの言葉は、そんな幻想を壊して余りある破壊力を持っていた。

「これが『ただの』春画じゃと!? 見たまえ、このリアルな質感、色遣い、淫靡なオーラ!これほど見事な絵は見たことがない!
 これこそまさに二次元に舞い降りし天使の書! バイブルじゃ!何人の紳士がこれを欲したことか――」

『悟りの書』をふりかざして力説しはじめたオスマンは、そこで言葉を止めた。
室内にはしら~っとした空気が流れており、オスマンは孤立無援の果てしない寂しさを覚えた。
コルベール辺りでも同席させればよかったと後悔したが、後の祭りである。
オスマンは同性のよしみで助けを乞うようにヒュンケルを見つめたが、彼は処置なしという風に目を閉じていた。

「う、うむ、君達にはなにか褒美を――」
「じゃあミスタ・ギト―の言っていた女性云々っていうのは、そういうことでしたの?
 男性教師達はこれがただの春画だと知っているから、命を賭けてまで盗んだりはしないと?」

ご機嫌を取るように言いかけたオスマンの言葉を、キュルケが遮った。
意識的か無意識的か、キュルケは杖を握って、それで誰かを丸焼きにしたそうな顔をしていた。
見れば、隣りのルイズもいつのまにか杖を取り出して、今にも魔法の実践練習を始めようとしている。
オスマンは冷や汗をかきながら頷いた。

「う、うむ。そういうことじゃろう。 ワシもさすがに女性には見せておらんかったし、彼らも女性には口外せんかったろう。す、少しばかりハードな内容じゃからな」
「それじゃ、選ばれし者にしか読めないとか、呪いを受けるとかいう噂は?」
「それはあれじゃ。この本があまりに魅惑的なもんで、学業を疎かにするもんが続出してな、
 こいつなら大丈夫と思った者にしか見せないことにしたんじゃ。
 かのモット伯などはのめりこみすぎてしもうて、未だにこういった本の収集に私財を投じているようだしのう」

しかたのないヤツじゃと溜め息をついたオスマンに反論したいのをグッと堪えて、ルイズは達は質問を続けた。

「この本は何か魔力がこめられているようだけど?」

もはやタメ口が自然になっていたが、今のオスマンに文句が言えるはずもない。
オスマンは一つ頷くと、自身もその正体は分かっていないのだと白状した。

「しかしな、道を踏み外す者が続出する一方で、この本を読んでからグイッと実力が上がった者も沢山いたんじゃ。
 もしかしたらこの本から感じる不思議な力がそうさせているのかもしれんな」

オスマンはそう言うと、まだ質問はあるかと首をかしげた。
ルイズ達はまた顔を見合わせると、最後に一つだけ問いかけた。

「あのネズミの使い魔はどうやってあそこまで? 学院長はロングビルがフーケだと御存じでしたの?」

オスマンはその質問を聞くと頭を掻いて、ちらりとヒュンケルの顔を見た。
意味ありげなその仕草にルイズ達が疑問を浮かべると、閉じていた目を開いてヒュンケルが答えた。

「あのネズミを連れてきたのは俺だ。出発前にオールド・オスマンに頼まれてな、懐に入れてきたのだ」

ヒュンケルの言葉を聞いて、ルイズは森に到着した時にヒュンケルが何かしゃがみこんでいたことを思い出した。
おそらくあの時にヒュンケルは、懐に入れていたモ―トソグニルを森に放していたのに違いない。
ヒュンケルは窓の外を見るともなしに眺めながら説明を続けた。

「オールド・オスマンはネズミを俺に渡しながらこう言った。
 『危険を感じたら逃げてもいい。最低限、フーケの正体だけでも自分の方で掴むから』とな」
「――内部の者が手引きしたとは思っておったが、それが誰かまでは分からなかったんじゃ。
 ミスタ・ギト―はああ言っておったが、実際のとこはどうだか断言できんかったしな。
 まさかミス・ロングビルがそうだとはワシも思っておらんかった」

スタイルのいい優秀な秘書だったのにのうと嘆くオスマンに、一同は冷ややかな視線を送った。
オスマンはコホンと咳をつくと、居住まいを正してルイズ達に告げた。

「ともあれ、諸君の活躍には報いねばならん。
 ミス・ヴァリエールとミス・ツェルプスト―にはシュヴァリエの、ミス・タバサには精霊勲章の申請をしておこう」

ルイズとキュルケはその言葉に歓声を上げた。
シュヴァリエとは武勲に対して贈られる爵位。
純粋に実力と功績を認められた証だ。
タバサは何故かこの称号を既に持っていたようだが、学生の身でこれを得るのは並大抵ではない。
『ゼロ』と蔑まされてきたルイズは感激に目を潤ませたが、そこで何かに気付いて顔を曇らした。
オスマンの言う恩賞の中に、ヒュンケルの名が入っていないのだ。

「オールド・オスマン。ヒュンケルには恩賞はないんですか?」

ルイズが聞くと、オスマンは申し訳なさそうに首を横に振った。
例え申請しても、平民のヒュンケルが爵位を受けるのは難しいだろうとオスマンは言った。
ルイズやキュルケは納得がいかなくて口をとがらせたが、当のヒュンケル自身が宥めることで落ち着いた。

「まあ代わりと言ってはなんじゃが、わしが一個人としてお礼を差し上げよう。
 さて、今夜はフリッグの舞踏会じゃ。今宵は食って踊って、心身共に疲れを癒すがよい」

オスマンが言うと、ちょうど誰かのお腹がぐうっと鳴った。
音の出所を見ると、それまで黙っていたタバサが少し頬を赤らめ、「空腹」とつぶやいた。
普段無表情な彼女の意外な顔にルイズ達は吹き出し、意気揚々とパーティーの準備に出ていこうとする。
しかしそこで再びオスマンが、思い出したように一同に声をかけた。

「すまんがミスタ・ヒュンケル。君はちょっと残ってくれんか?」

部屋の扉にさしかかっていたルイズ達は怪訝そうに振り返り、オスマンの顔を見た。
ちょっとだけと手を合わせるオスマンは、相変わらずただの気さくな老人のようだったが、その目は真剣味を帯びている。
ヒュンケルはルイズ達に先に行くよう伝えると扉を閉め、オスマンと向き合った。
オスマンは両手を組んでヒュンケルを見ていたが、やがて真面目な顔をして口を開いた。

「今日は御苦労じゃったなヒュンケル君。
フーケを捕らえたことはもちろん、生徒達を守ってくれたことに本当に感謝しておるよ」

そう言って頭を下げるオスマンを、ヒュンケルは口を閉ざしたまま見つめた。
ただ礼を言うためだけにオスマンが自分を呼びとめたとは思えなかったからだ。

「話しとはなんですか、オールド・オスマン?」
「うむ、君も疲れているじゃろうから用件は早く済ませたいが、その前に……ほれ!」
「……きゃっ!」

オスマンが杖を振ると部屋の扉がひとりでに開き、可愛らしい悲鳴と共にルイズが部屋になだれ込んだ。
ルイズはヒュンケルのことがどうにも気になって、ドアごしに聞き耳を立てていたのだ。
床に転んだルイズは鼻を赤くして立ち上がり、ヒュンケルとオスマンの顔を見てしどろもどろに言い訳をした。
しかしオスマンは狼狽するルイズを叱るでもなく、優しく椅子を勧めて言った。

「まあそんなに慌てんでもいい、ミス・ヴァリエール。
 メイジと使い魔は一心同体と普段言っておるのはわしじゃからな、君をさしおいて内緒話をしようとはこっちも悪かった」

オスマンが宥めると、ルイズは決まり悪げにうつむいた。
ルイズはどうしてオスマンがこうもヒュンケルを特別視しているのか知りたかったのだが、
さすがに盗み聞きは貴族のすることではなかったと改めて恥じ入った。
そろりと窺うようにヒュンケルを見ると、彼もルイズがここにいてもいいと頷いた。

「それで本題じゃがヒュンケル君。先に言ったように君には公的に何の褒賞もあげられん。
 そこで君にはわし個人のお礼として、これを読む権利をさしあげよう」

言うとオスマンは、一冊の本を差し出した。
ついさきほど話題に上がった問題の本、『悟りの書』だ。
白い目で見てくるルイズを気にしつつ、ヒュンケルはオスマンの申し出を断った。

「せっかくですが俺は……代わりにギーシュにでも見せてやってください」
「おお、たしかにミスタ・グラモンにも滋養のために見せんとのう。しかしそれとこれとは別じゃ。一目でも見るがよい」

ヒュンケルはここにいないギーシュに押し付けようとしたが、オスマンは意外な強さで粘った。
困惑したようにヒュンケルがその目を見てみると、いつぞやのようにその眼光は鋭い。
どうやら、冗談や酔狂で言ってるわけではなさそうだった。
ちょっと本当に見るの、と抗議するルイズの声を尻目に、ヒュンケルはゆっくり『悟りの書』に手を掛けた。

「痴の章――192ページを見るがよい」

早くも自分の判断に疑問を抱きながら、ヒュンケルは言われた通りのページを開いた。
そしてそれを見たとたん、目を見開いて驚きの表情を浮かべた。
ルイズはヒュンケルが驚いたことに逆に驚き、どんな絵が描かれているのかしらと内心妄想をたくましくした。
しかしオスマンはルイズとは対照的に、どこか悟ったような顔でヒュンケルに語りかけた。

「やはり君には読めるのか、その『文字』を。なんて書かれておるのじゃ、そこには?」
「『マリリンの日記 ○月×日 今日もあの人は来ないの……? あたしはまたひとりさみしく……』」
「ちょ、ちょっと待ちなさいヒュンケル!なに素直に読んでんのよ!」

どうやら『悟りの書』には絵だけでなく、官能小説もついているらしい。
呆然としたまま素直に音読するヒュンケルの腕から、ルイズは思わず『悟りの書』を奪い取った。
もちろんヒュンケルより先に本を読みたかったからではなかったが、
ルイズはなんとなく、なんとなくチラチラとそこを見てから、整った眉をひそめた。
そこに書かれている言語は、勉強熱心なルイズでも見たことのないものだったのだ。

「ヒュンケル、あんた何でこんなの読めるのよ? 普通の文字だって読めないって言ってたじゃない」

ルイズが聞くと、ヒュンケルはばつが悪そうに視線をそらした。
ほほう、まだ言ってなかったのかとオスマンが髭をひねり、ヒュンケルに代わって答えを寄越した。

「それはのう、ミス・ヴァリエール。彼がこの本と同じ世界から来たからじゃよ」
「同じ世界?」

奇妙な言葉にルイズが首をかしげると、オスマンはそうじゃと言って頷いた。

「彼もこの本もきっと異世界――ハルケギニアの外の世界から来たんじゃよ」
「い、いせかい?」

ルイズにはオスマンの発言の意味が、にわかには分からなかった。
いせかい、イセカイ、異世界……。
ルイズは頭の中でオウムのようにその言葉を繰り返し、ヒュンケルの顔を見た。
しかしヒュンケルはオスマンの言葉を否定せず、逆にそれを肯定するように頷いた。

「オールド・オスマン、この『悟りの書』はどこで手に入れたのですか?」

ヒュンケルが聞くと、オスマンは焦らすように微笑んだ。
皺の奥、懐かしさがまたたいているような瞳で、オスマンは『悟りの書』を眺めた。

「この『悟りの書』の本当の名は『神竜のエロ本』という。嘘か真か、竜の神から賜ったものだとその青年は言っておった」
「……青年? これは貰い物なのですか?」

頷くオスマンに、ヒュンケルは先を急ぐようにその名を問い詰めた。
オスマンは大事な秘密を打ち明けるような口調で、こう言った。

「青年の名はロト。異世界より来たりし冒険者――勇者ロトと名乗っておった」


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最終更新:2010年12月23日 23:35
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