第二話 奇妙な関係誕生!の巻
(ここは…どこだ)
この状況下で、誰もがつぶやく言葉だ。
勇者ダイの行方を掴むため、友であるヒュンケルと旅をして、途中で一人加わったが、早一年が経った。
行けども行けども、手がかり一つつかめない。誰も口には出さなかったが、それは不毛な旅であった。
ラーハルトは、先ほどの奇妙な出来事を反芻する。
山の中で食料を採取していたら、目の前に光が現れた。突然すぎる現象に彼は反射的に動くことすらできなかった。
そして、光が消え失せ、むしろ光の中を通過した感じがしたが、彼は草原の上に座り込んでいた。
心ここに在らず、とラーハルトが周囲を見渡したのは一瞬だった。すぐさま、持てる知識を総動員し、己の置かれた状況を分析する。
真っ先に考えたのは冥竜王ヴェルザーの仕業か、ということだ。
まずあの光。森から草原に飛ばされたことから見て、あれは空間同士を繋ぐ、言わば、扉のようなものではないか。
彼はヴェルザーの部下にそんな真似ができる卑怯者を知っている。だが、そいつは既に死んでいる。なら、別の誰かが…
これが事実だとしたら、状況はかなり悪い。何せ自身の武器である鎧の魔槍は食料採集の際にヒュンケルに預けたままだ。
ただ、自身を別の空間に転移するならともかく、第三者をそうする術は見たことがない。
もし、そんなことができるなら…、ヴェルザーが敵対する勢力の戦力を殺ぐために行動を起こしたのなら、場所は地上ではないはずだ。
魔界のマグマの上空にでも招待して、出迎えには魔族の大群を遣すだろう。
あえて地上に落とし油断を誘うため、とも考えられる。結局いずれの可能性も、肯定も否定もできなかった。
とりあえず分かったことは、自身がこの場にいるのは、偶然か必然か、何者かが作り出した光の扉に突っ込んだのが原因ということになる。
となると、次は現在地の確認だ。場所さえ特定できれば、いくらでも対処できる。
自身の周辺は青々と草原が広がっている。何もないかと思いきや、目印になりそうな建造物があった。
ここから少々距離があるが、城の様な大型の建造物がある。だが、城ではないだろう。眼前にはその建物しかない。
ならば修道院や協会と踏んだが、それと特定できるものは発見できなかった。
次に、先ほどから自分を見ている人間だ。服装は、多少の差異はあるものの、白い服に黒いマント、皆が同じものを着ている。
仕立てが良いように見えるので、それなりの身分の人間だろうか。
ラーハルトが、己の目で得た情報はその程度だった。後は、先ほどの出来事と整合して、現在の場所のめどをつけるだけだ。
さらに、思考をめぐらせようとした時、目の前に立っている少女から声が届いた。
「あんた、誰?」
何者か問われたラーハルトはどう返答するべきか迷った。そして…
「俺はラーハルトだ。お前は?」
名を名乗ることにした。
初めは隠そうとも考えたが、もし、ここにいる理由が敵の陰謀の場合、隠し事をしても意味はない。自分の名はすでに知れている。
偶発的にここにいるのなら、主の名前を出せば素性を伝えることはできる。この場合はいかに信じさせるかに心血を注がなくてはいけないのだが
「わ、私はルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールよ。あんた、どこの亜人?」
ラーハルトは、長い名前なのでルイズと覚えることにした。
ルイズの表情をうかがうと、自分の名前は知らないように見える。亜人という言葉は気になったが、人型の魔族の通称なのだろう。
敵意にはなさそうに見える。だが、油断はできない。素性を明かして反応を見る。
「陸戦騎を知っているか?勇者ダイ様の忠実なる部下の一人。それが俺だ」
ラーハルトは、何が起きても即座に反応できる体制を整えながら、この後起こる騒ぎをどう落ち着けようか頭を働かせていた。
「勇者ダイ?誰よ、それ」
どんな生き物でも、予測を大きく外れる事態に遭遇したら、思考と体がフリーズする。
「な…に…」
かろうじて声を出すことはできた。しかし、目の前の、存在するはずがない人間から目が離せないでいる。
「それに、リクセンキって何?」
ルイズの問いかけも、今のラーハルトの耳には入らなかった。
彼の頭を巡ることは、非常にまずい、それこそ最悪と言えるほど酷い状況に遭遇してるということ。
それが更に、彼の心を不安という暗がりに引きずり込む。
だが、ここでパニックを起こすほど、やわな人生は歩んでいない。すぐさま冷静さを取り戻すことに努める。
「知らないのか…勇者ダイ様のことを…」
もう一度確認する。今度は周りにも聞こえるくらいの声で。
「知らないわよ」
周囲の声にも気を配る。しかし、主の名を知る声、驚く声はなかった。
ラーハルトは、今、自身がいる場所の見当がついてしまった。
勇者ダイを知らない者は存在しない。例外である、物心がついていない子供もいない。
勇者を知らない世界が存在するのなら、そこは勇者がいない世界だ。
つまり…ここは自分が本来いるべき世界ではない場所。人はそれを異世界と呼んでいる。
理由は不明だが、ラーハルトは冥竜王ヴェルザーの顔を拝みたくなった。
ラーハルトの心が泥沼にはまりかけている原因であるルイズは、召喚した亜人を使い魔にすべきか逡巡していた。
ハルケギニアの亜人は、たいてい人間を大きく上回る能力を持っている。例えば、あの忌まわしき存在、エルフのように。
このラーハルトという名の亜人、体格はなかなかいい。
人の体は良くわからないルイズだが、しなやかな筋肉を持っていると感じた。
結構強そうに見え、ルイズは使い魔としては上出来かもしれないと分析した。
しかし、ルイズには許せぬことがあった。先ほど二言三言程度会話した時の言葉遣いが問題だった。
貴族に対する礼儀が感じられないのだ。これは彼女にとっては重要である。もし、使い魔に舐められたらお終いだからだ。
ただ、礼儀などは教育することが可能である。そこで自分が主人であることを叩き込んでやろう、と考えたルイズは『契約』を決心した。
「ミス・ヴァリエール、早く召喚した使い魔と契約を済ませなさい」
考え込んでいたせいで、コルベール先生に催促された。
さっさと契約を済ませよう、と腰を下ろした近づいたルイズの方をラーハルトが鷲掴みにした。
「女!俺を元の世界に帰せ!今すぐにだ!!」
いきなりシェイクされたルイズは、使い魔の印象を改めなくてはいけなくなった。
前言撤回。最悪だ、こいつ!
「い、痛!ちょっ、や、やめて…」
ルイズの悲痛な声も、ラーハルトの耳には入らない。
彼は、先ほど現れた黒いローブの男の言葉で全てを理解した。
召喚…使い魔…、そう、自分がここにいる理由は、状況から類推するにルイズという少女に召喚されたからだ。使い魔として。
“その程度”のことで異世界に飛ばされた、それは彼の逆鱗を揺さぶるには十分だった。
「やめて…やめっ…いい加減にして!!!」
ルイズも激昂するが、身に降りかかった事が重大すぎるラーハルトはそれで止まるわけがなかった。
「なんだ~。ルイズの奴、使い魔に食って掛かられてるぜ~」
「やっぱ『ゼロ』か」
「ルイズ~。契約の仕方教えてやろうか~」
こんな状況にもかかわらず、ルイズの耳には、周りの罵りがどんどん入ってく。
聞きたくないと強く思えば思うほど。それはルイズの心を削っていった。今まで感じたことがないほどに…
(何で…なんで…、なんでいつもこんな目に遭わなきゃいけないの…)
絶対に成功させなければならないと、強く心に誓い挑んだ召喚の儀。結果は大失敗だった。
一瞬でも、成功を信じた分、裏切られた。ルイズの心が徐々に絶望に染まっていく。
召喚した亜人、ラーハルトはまだ大声で叫びながら体を揺すっている。もう限界だった。
ルイズは己の心を奈落に落とした分の怒りを目の前の犬にぶつけようとした時、黒い影が横切るのを見た。
「ミスタ!落ち着きなさい!」
コルベール先生だった。ルイズの身の危険を感じ、助けに入ったのだ。
「放せ!落ち着いていられる状況ではないのだ!」
それでもラーハルトは止まらない。
生半可なことでは止まらないと理解したコルベールは、自身が捨てたものを再び拾い上げることになってしまった。
「ミスタ!!!」
ありったけの殺気を込めて、ラーハルトに叩きつける。
ラーハルトは動きを止めた。というより、止めさせられた。黒ローブの男の殺気が尋常ならざるものだったからだ。
「ミスタ。落ち着きましょう。冷静さを欠いては、進むものも進みませぬぞ」
ラーハルトは、予想外の男の登場に感情の高ぶりが徐々に沈静化し、冷静な頭が戻ってきた。
「すまない。だが、こちらも事情があるのでな」
「なにが…事情よ…」
コルベールがラーハルトに事情とは何かを問おうとしたら、奈落の底から声が出てきた。
「ミスタ・コルベール。もう一度召喚させてください…」
並の人間ならその場から逃げたくなるほど暗い声だ。
「それはダメだ。ミス・ヴァリエール」
「どうして…」
「現れた『使い魔』で今後の属性を固定し、それにより専門課程へと進むんだ。一度呼び出した『使い魔』は変更する事はできない。何故なら春の使い魔召喚は神聖な儀式だからだ。好むと好まざるに関らず、彼等を使い魔にするしかない」
コルベールはルイズの心を少しでも楽にするように優しく諭す。
「こんな…こんな奴…使い魔になんかしたくない!!」
ルイズは今まで溜まりに溜まったものをぶちまけた。しかし、それでも心が晴れることはない。
「ミス・ヴァリエール。例外は認められないんだよ」
「悪いが俺もこの少女と同じ意見だ」
ラーハルトが割って入ってきた。
「ミスタ…」
「気が合うじゃない…」
ルイズからヒステリックな声が発せられる。
状況の解決がしばらく見られないと考えたコルベールは、他の生徒を学院に戻すことにした。
「ミス・ヴァリエールの契約はしばらく終わらない。皆、先に学院に戻りなさい」
周辺の生徒たちは、喜劇に無理矢理幕を下ろされたようながっかりした表情で、空に飛び立っていった。
「ルイズ!ちゃんと契約しろよ」
「ハハ。俺応援しちゃうぜ」
「学院の恥にならないようにな~」
彼らは、余計な一言を忘れるような真似はしなかった。
その場には、ルイズ・ラーハルト・コルベールが残された。
ラーハルトは周りの人間が空を飛んだことに驚いた。彼の知識でいえば、あれは飛翔呪文・トベルーラ。
使い手はそう多くない魔法だ。それを十数人のほどの人間がいっせいに使用したのだ。
先ほどのコルベールの一喝といい、彼は相当厄介な世界に召喚されたと警戒を強める。
「いいかい、二人とも、いがみ合っていないで、契約を済ませてくれないか」
何とかこの場を収めて、契約まで漕ぎ着けようとするコルベールだが…
「「無理だ(よ)」」
見事に否定された。
「こんな礼儀知らずを使い魔に?なら平民を使い魔にしたほうがましよ」
「俺は今すぐ、元の世界に戻らねばならない。それに、人間に従うなど御免蒙る」
コルベールは頭を抱えたくなった。両者の溝を埋めるのは不可能に近いかもしれない。
だが、諦めてしまっては両者のためにはならない、言葉を拾いながら、何とか説得できないか模索する。
「ミスタ…元の場所に戻ることはできませぬ」
「なぜだ?」
「使い魔として召喚されたのなら、その変更はできません。あなたが死なない限りは…」
コルベール自身、こんなことは言いたくなかったが、背に腹は変えられない。
「なんだと…」
ラーハルトの感情がまた熱くなりだしたが、自重する。さっきのことの繰り返しになるからだ。
「ふざけるな。何とかしてもらいた」
「そう言われましても」
ラーハルトの期待に副えるようなものはこのハルケギニアにはない。
「あるわよ…」
ルイズが地獄の底の悪魔のような声で話しかけてきた。
「あるのなら、教えてもらおう。その方法を」
返ってきた返事は…
「あんたが死ねばいいのよ」
ようなではなかった。そこに悪魔がいた。
杖を振り下ろすのを、ラーハルトとコルベールが大慌てで止めた。
「放しなさい!ラーハルト、あんたの望みをかなえてやるのよ!!」
二人の男、しかも片方は強大な力を持っているのだが、ルイズは体を目一杯使ってばたばたと暴れる。
しばらくしたら、疲れたのかルイズの動きが止まった。同時にルイズの口から嗚咽が漏れ始めた。
「なんで…なんで私はいつもこうなの…なんでなのよぉ…」
今まで、魔法が使えないことで馬鹿にされ続けたルイズ。今日こそはそれを覆そうと挑んだ召喚の儀。
でも、結果は馬鹿にされるネタを増やすだけだった。
ルイズはこの先、考えたくもない未来を想像する。また、いや、今度はもっとひどく馬鹿にされ続ける日々が続くのか。それがずっと…
悪夢のような日々がやってこようとしている。果たして自分はそれに耐えられることはできるのか?
今のルイズには、これからどころか、今ここに在ることがすでに地獄のように思えた。
(もうやだ…こんな思い…)
涙を止めることができないルイズを二人の男はただ見つめるしかできないでいる。
「ミスタ。提案があるのですが」
「なんだ?」
コルベールは納得してもらえるか自信がないものの、今できる最大限の譲歩をした。
コルベールは、まず、召喚の儀の詳細を説明した。
「つまり俺は、召喚はされたが、完全にこの少女の使い魔とはなっていないのか」
「そうです。ミスタ・ラーハルト。しかし…」
「元の世界に戻る方法はない」
「そうです」
「では、お前の提案とはなんだ」
コルベールは恐る恐る尋ねる。
「あなたはミス・ヴァリエールの使い魔になる気はありますか?」
「ないな。それに俺には仕える主がいる」
「そうですか。では、使い魔にならず、あちらに見えるトリステイン魔法学院に滞在するというのはどうでしょうか」
ラーハルトが怪訝な顔をする。
「どういうことだ?」
「ミスタ、あなたが帰る方法を見つけるには時間が掛かるでしょう。よって、風雨をしのげる場所が必要です」
「そうだな」
「そして、魔法学院には、各魔法の資料があります。それで、帰還の方法を見つけるのです。悪い案ではないでしょう?」
ラーハルトが迷ったのはほんのわずかな時だった。
「考えられる上で、最良の案だろう。応じてやる」
コルベールは胸を撫で下ろしかけたが、まだ難関が待っているので堪える。
「その間、ミス・ヴァリエールの使い魔の振りをして頂けませんか。何分、使い魔がいないとなると、弊害が大きいので…」
ラーハルトの眼光が鋭くなる。当然だった。
「あくまで形式上です。他の生徒にはそう見せなければいけないのです。なにとぞご理解いただきたい」
コルベールは断られるか不安で仕方がなかったが、返答はそれをかき消すものだった。
「それくらいならいいだろう」
納得しない気持ちもあったものの、これ以上我侭は言えない。あくまで形だけなら大丈夫だろうとラーハルトは判断した。
それに…目の前で悲しみにくれるルイズを見て、よくわからないが罪悪感を感じてしまったのだ。
コルベールは今度こそ安堵…できなかった。了承を取る人物がもう一人いる。
「ミス・ヴァリエール…これでよろしいでしょうか…?」
地面に突っ伏したまま動かないルイズがYesという可能性は限りなく低いように思えた。
「もう…勝手にしなさいよ…」
しかし、ルイズにはもう反論するほどの元気は消えうせていた。心身ともに限界を超えたのだ。
コルベールはやっと大きく息を吐くことができた。だが、これからを思うときが重い。
「ミスタ・ラーハルト、私もできる限り協力します。聞きたいことなどがあるなら、私の研究室を訪ねてください」
「協力感謝する。俺もやれるだけのことはやろう。名は?」
「コルベールです。ミスタ・ラーハルト」
「世話になるぞ、コルベール」
二人の男は熱い握手を交わした。ルイズはいまだに顔すら上げられないでいる。
ここに、奇妙な主従関係と協力関係が誕生したのだ。
最終更新:2008年06月27日 19:47