ゼロの影-03

第三話 努力する者

 ミストバーンがオスマンに協力を取り付けるべく案内されて姿を消すと、コルベールに対し生徒達が群がった。
「先生コッパゲなのにすごかったじゃないですか!」
「普段臆病で冴えなくて全然ダメなのも演技だったんですね!?」
 感嘆の声の中、コルベールは情けなく地面にへたり込んでしまった。腰が抜けた、と弱々しく囁く彼に生徒達は幻滅したようだ。戦場を駆ける勇猛な戦士に見えたのも気のせいだったらしい。
「でもなんで途中でやめたんですか? なんか弱ってるみたいだったし、あのまま続けていれば――」
「とんでもないことになる」
 コルベールの声は暗かった。
 確かに、相手は途中で倒れそうになるのをこらえていた。戦闘を続行していれば倒せたかもしれない。
 だが、コルベールは不吉な予感に囚われていた。殺し合う中で青年を縛る枷が弾けるのではないか、と。彼が真の力を取り戻せば学院の者全員が殺されると確信していた。
 下手に刺激するより戦いをやめるべきだと思って杖を引き、相手も了承してくれたため無事に治まったのだが――危ないところだった。
 双方大した怪我をせずに済んだのも奇跡的だ。
「ミス・ヴァリエール……」
 コルベールは表情の選択に困っているルイズに向き直った。
 説明した時ミストバーンは滞在を受け入れる様子だった。それをひっくり返し、戦闘のきっかけを作ったのは彼女の不用意な一言だ。
「召喚に成功し、主人としての威光を示したいという気持ちはわかります。ですが――」
「……わかっています。わたしは主にふさわしくないって」
 タバサやキュルケ、コルベールにギーシュがいなければ一撃を入れるどころか殺されていた。
 コルベールは少女の苦しみを思い、目を伏せた。せっかく喜んだのに無情な現実を叩きつけられたらどれほど辛いことだろう。
 だが、ルイズは誇り高く顔を上げた。
「今はただの手がかりその一でしかなくても……強くなって、彼に認めさせます!」
 コルベールはその答えに微笑み、次いで首をかしげてうなった。
「しかし彼は一体何者なのか……」
 コルベールの頭痛はまだまだ治まりそうになかった。

 学院の協力を得ることとなったが、ミストバーンの境遇は複雑なものだった。
 平民には見えないが、貴族ではなく魔法も使えない。しかし、素手で数人の――しかもかなりの実力を誇るメイジ相手に渡り合うなど格闘能力が信じられないほど高い。
 本人は力が大幅に低下していると思っているが、周囲がそれを知るはずもない。
 とりあえずルイズと一緒に行動することを了承させたものの、どう扱うべきか決めかねているのだった。
「だからって、何でわたしの部屋で寝るのよ」
 使い魔でなければ部屋まで一緒にする必要はないはずだが、彼女が呼び出した危険物なのだから本人に対処してもらおうというのである。
 現在ベッドは一つしかないため一緒に寝てもいい――そう言いかけたのだが神速で却下された。
 壁にもたれて仮眠をとった彼は翌朝になって戸惑っていた。
 彼の本体は眠る必要はなく、体を休ませても意識は覚醒しているのが常だ。だが昨夜は意識が薄れ半ば眠っている状態だった。まるで体に引きずられているかのように。
 己の左手を眺める。そこに刻まれているのは使い魔のルーン。
(これの働きで器に深く同化しているのか)
 早く特性を理解し、使いこなさねばならない。
 そう決心するミストバーンだった。
 食事の前に彼が一人で廊下を歩いていると、学院の教師達から様子を窺うよう命じられたメイド――シエスタが声をかけてきた。
 何か不満があれば解消しようというだけでなく、純粋な好奇心も含まれている。
 素手で複数のメイジに立ち向かった青年の武勇伝は厨房でも話題となっていた。
 張り切る彼女は果敢にも様々な質問を試みた。
「確かミス・ヴァリエールに召喚されたんですよね。どちらからいらしたんですか?」
「魔界」
「ま、まかい、ですか? 困ったことがあったらいつでも仰ってください。えー、お名前は?」
「ミストバーンだ」
「あなたのその格好……貴族ですか?」
「貴族……?」
 貴族という語に疑問を示すとシエスタは目を丸くして説明を始めた。情報が欲しかったため聞き漏らさぬよう精神を集中させる。
 ミストバーンにとっては意外なことに貴族と平民の違いは“力”だった。
 魔法を使える者達が上に立ち、権力を振るう代わりに危機に立ち向かう。力を持たぬ者達は恭順を誓い庇護される。
 もちろん横暴な貴族もいれば反抗的な平民もいるが表向きは何とかうまくやっているようだ。
 頷いて理解を示した青年にシエスタが嬉しそうな顔をした時、風が吹いてふわりと髪が揺れ、尖った耳を露わにした。
 途端にシエスタは後ずさり、目に涙を浮かべた。
「ひっ! エ……エルフ!?」
 色素の抜け落ちたような美しい白銀の髪や整った容貌、人間の纏うものとは異質の空気から薄々疑っていたものの、敵意は感じられないため違うと己に言い聞かせていた。
 しかし、尖った耳を持つ者などエルフ以外にはあり得ない。
(魔法は使えないって聞いていたのに……!)
 彼女は気易く話しかけた自分の人生が終わることを覚悟した。
 しかし返ってきたのは疑問の声だった。
「エルフとは何だ? 魔族のことか」
「へあ? ち、違うんですか?」
 魔族と言われても彼女には何のことかわからない。
 まだ怯えを残しつつ彼女はエルフが人間より遙かに長い命を持ち、先住魔法を使う優秀な戦士であることを説明した。人間を“蛮族”と呼び蔑視していることも。
(魔族と似ているな)
 人間が異種族を恐れているのも元の世界と同じだ。
 ハルケギニアでは使い魔などとの関係から寛容かと思っていたが、異質な存在を恐れ疎み排除する性は変わらないらしい。
 使い魔と違い、己と対等もしくは上の存在だからこそ反発も強まるのかもしれない。
(私にとっては……関係の無い話だが……)
 主も彼も強者には種族を問わずに敬意を払う。力こそ正義という単純な考えで生きている。
 だからこそ、今の自分とコルベール達の力を比較して大人しく滞在することを選んだのだ。
 彼にとって重要なのは力を取り戻して主の元へ戻ることだけだった。
 食事を終えると講義を受けるために教室に移動した。
 椅子に座り、腕を組んだまま身動き一つしない彼に視線が集まっているが本人は全く気にとめていない。
 中には隣の席の者とつつきあい、指さして噂している女子生徒もいる。常に瞼を閉ざしたミステリアスな美青年――惹かれる者がいてもおかしくはない。
 担当教師のシュヴルーズは『錬金』の魔法を教えるために小石を真鍮に変えてみせた。便利なものだと思うが、彼が習ってもどうしようもない。
「魔法の法則そのものが違っているようだからな」
 絶大な魔法力と叡智を誇る大魔王ならば法則を解き明かし異なる世界で応用することもできるかもしれないが、彼にとっては使いようのない知識だ。
 手がかりとともに器候補を探そうかと思ったが徒労に終わる可能性が高い。別世界の魔法がどこまで戦力になるか甚だ疑問だ。
 その分、主の敵にも味方にもならないため客観的に見ることはできそうだが。
 彼の呟きが聞こえたのかルイズが振り向き怪訝な顔をした。
「あんた何言って――」
「ミス・ヴァリエール! 授業中の私語は慎みなさい。おしゃべりをする暇があるのなら小石を金属に変えてもらいましょう」
 嫌な顔をしたのは本人ではなく周囲の生徒だ。ある者は顔をしかめ、ある者は天を仰ぎ、ある者は震えている。
「やめてください先生!」
「そうですよ、ゼロのルイズにやらせるなんて」
 次々に不満の声が上がるなか、ルイズは怒りに青ざめつつ立ち上がった。やります、と宣言してつかつかと前方へ歩み寄る。
(戦いの時は爆発しか使わなかったが……)
 他にも魔法が使えるのか興味を覚えた彼は、杖が振り下ろされると同時に理解した。
 爆発しか“使わなかった”のではなく、爆発しか“使えなかった”のだと。

 煙が晴れると教室は惨状を呈していた。片付けを命じられた彼女は人が出て行った後力無く俯いた。
「……ゼロっていうのはわたしの魔法成功率」
 ポツリと呟くが返事はない。荒れ果てた教室に震える声が広がっては消えていく。
「魔法の使えない貴族なんて何の価値も無い……蔑まれる対象でしかないわ。見返してやりたくてずっと練習して……でもダメだった。笑われても何も言えないわ」
 周囲に認められたい。自分の力はゼロではない。
 ずっと心の中で唱えていた。
 だから儀式に成功した時は喜んだ。これでようやくゼロではなくなると。しかし相手は主と認めようとはしない。
 彼女の高慢な態度は貴族としての誇りだけでなく周囲の蔑視を跳ね返すための盾。相手に認めさせたいという一念が作り上げた鎧。
 仮面のほころびから押し殺してきた想いが零れ落ちる。
 ルイズは口をつぐんだ。きっとこの氷のような男は冷徹な一言で心を貫くか、重い沈黙で押しつぶすに違いない。
 持つ者には持たざる者の苦しみなどわからないのだから。
 だが返ってきた言葉には温度があった。
「お前は努力して力を手に入れようとしているのだろう? ならば私には笑うことはできん」
 声には奇妙なほど力がこもっていた。慰めではない何かが揺れていた。
 思わず振り返って凝視したが彼の面にはほとんど表情は浮かんでいなかった。


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最終更新:2008年07月11日 06:41
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