第四話 誰かが誰かであるために
順調とは言えない滑り出しで学院での生活が始まったが、平穏な日々はあっさり打ち砕かれた。
ある日、巨大なゴーレムが宝物庫を破り破壊の筒と呼ばれる宝を盗み出したのだ。
早速教師一同と目撃者であるルイズ達が集められ、あれこれ騒ぎ合っている。ミストバーンは現場にいなかったがついでに呼ばれていた。
当直のシュヴルーズが責められ泣きだすのを彼はどこまでも冷徹な目つきで眺めていた。
当直をサボり自室で寝ていた彼女はたるんでいるとしか言いようがなく、責任を押し付け己の怠慢から目を逸らす他の教師達の態度は醜いの一言だった。
もし魔界で同じことがあれば即座に全員が主から処刑されるだろう。
さらに、オスマンの秘書のミス・ロングビルが盗賊フーケの居場所を突き止めたと報告しても誰も退治に名乗り出ようとはしない。困ったように顔を見合わせるだけだ。
(お前達は力があるから上に立っているのだろう……!)
口だけ動かして肝心な時に戦わないのでは意味が無い。こちらの人間は主の理想とする在り方に近いかと思っていたが、そうではないようだ。
呆れたようにミストバーンが息を吐くと、杖を掲げる者がいた。
ルイズだ。
何故、と全員の視線が問いかけるなかルイズは声を震わせながら呟いた。
「一歩でも前に進むために、行きます」
ミストバーンが自分の手を汚さない者を軽蔑することは薄々察していた。
少しでも彼に認められるためには、ここで退くわけにはいかない。
「戦わなかったら……貴族たる資格がありません」
それを聞いて教師達は己を恥じるかのように目を伏せた。キュルケがフンと鼻を鳴らし、杖を掲げる。タバサも同じく杖を掲げた。
教師達は反対したが、自分が行くかと返されると言葉に詰まってしまった。
オスマンがタバサとキュルケの優秀さを語り、ルイズの所で詰まりかけ――ミストバーンの存在を思い出してこれぞ天の助けとばかりに褒めたたえた。
彼はコルベールの行った調査によってミストバーンのルーンが伝説の『ガンダールヴ』であることを知っていたためである。
彼女らにミス・ロングビルを加え、フーケ討伐隊が結成された。
どうやらフーケが潜んでいるのは森の廃屋らしい。
馬車に揺られ深い森の中に入っていくと昼間だというのに薄暗く気味が悪い。ある程度近づき、徒歩に切り替えて進む。
とうとう目当ての小屋を発見し、作戦を決める。
まず偵察兼囮が中の様子を確認し、フーケがいれば挑発して外に出す。そこを集中攻撃してゴーレムを作る暇を与えず倒すというものだった。
剣を背負ったミストバーンに偵察役が割り振られ、何も言わず頷く。
喋る剣デルフリンガーはルイズが虚無の曜日に街まで行って買ってきた。
徒手空拳の格闘が一番向いているのだが、騎士としての格好や貴族の体面に関わるらしく形だけ持つこととなった。
同行したのは彼の個人的な関心も含まれている。オスマンいわく“破壊の筒はこの世界のものとは思えない”ため、元の世界から迷い込んだものかもしれない。優れた兵器ならば手に入れて主に献上したいところでもある。
気配を殺し中の様子を窺うが誰もいない。ルイズが外を見張るためにドアの近くに立ち、ミス・ロングビルは偵察のため森の中に消えた。
部屋には埃が積り汚れ切っていた。転がった椅子やテーブル、崩れた暖炉が年月の無情を感じさせる。積み上げられた薪の隣に木でできた大きな箱があった。手掛かりがあるかもしれないため覗きこむ。
「何これ。これが破壊の筒……?」
入っていたものは仰々しい名前とは反対の、手のひらに収まる程度の小さな筒だった。
ミストバーンがわずかに表情を動かし、手を伸ばしかけた所でルイズの悲鳴が響き渡る。
一斉にドアを開け飛びだすと同時に小屋の屋根が豪快な音と共に吹き飛んだ。
「ゴーレム!」
巨大な土塊が圧倒的な力で迫るのをタバサが、次いでキュルケが魔法を唱え食い止めようとした。だがゴーレムは全く意に介せず近づいてくる。
退却するしかない。二人の脳裏に同じ答えが閃き駆け出すが、ミストバーンは逃げずにルイズの姿を探した。
――見つけた。彼女が杖を振りかざすと、ゴーレムの表面で土が爆ぜる。
「無理だ、お前では……」
逃げろ、と言外に告げている。ルイズは激しく首を振り、叫ぶ。気高さを感じさせる眼差しで。
「いやよ! ……わたしは貴族よ。魔法が使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ。敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」
最初の戦いの時のように怒りに我を忘れているわけではない。
恐怖に震え、相手との力量の差を悟りながら、それでも退こうとはしない。
ここで退いたら彼女が彼女でなくなってしまう。誇りが、今まで彼女を支えてきたものが、砕け散ってしまう。真の貴族であるために逃げることはできない。
ミストバーンはその眼の中に何かを見た。
もし――もし、己や主が強大な敵に出逢い、追い詰められたらどうするか。
答えは彼女と同じだ。
たとえ何人いようと主の敵は絶対に滅ぼす。
どれほど相手が強くても、主は拳を握りしめ、地を蹴り、全てを捨てて立ち向かうだろう。
彼が彼であるために。大魔王が大魔王であるために。譲れぬもののために死ぬまで戦い続けるだろう。
叫んだ彼女は杖を振り続けるが、生じる爆発はゴーレムに効いていない。巨大な足が彼女を踏み潰そうと持ち上げられ―――下ろされる。
視界に広がる土を睨みつけ、なおも杖を構える彼女の前に白い影が飛び込み、脇へ押しやった。
代わりに下敷きになったのは、彼女を守る者。
息を呑み、動きを止めた彼女の元へタバサの風竜が迫る。
「乗って!」
それでもルイズは動こうとしない。焦ったようにキュルケが促すが、彼女は目を見開いて凍りついている。タバサが腕を掴んで引きずりあげるが、表情は全く変わらない。
まだだ。まだ彼は死んでいない。あれほど強い彼が、死んでしまうなどあり得ない。
彼女の声が届いたかのように少しずつ足が持ち上げられた。
彼は潰される寸前で止めていた。圧倒的な質量に膝をつき、地に足をめり込ませながらも。
「く……!」
タバサとキュルケ、ルイズが同時に魔法を叩きこみ身じろぎをした隙にミストバーンは脱出した。拳を握りしめる彼の意識は焦りと悔しさに染まっていた。
今出せる力は本来のものには遠く及ばない。主から預けられたこの拳は如何なる物も打ち砕くはずなのに、図体だけの土人形に後れを取っている。
何故力を引き出せない。己が偽りの存在だからか。器の力が弱まれば何もできないのか――。
打ち下ろされた拳を避けて殴りつけると、砕け散ったがすぐに再生してしまう。
突如ゴーレムの表面から無数の石礫が飛び、雨の如く彼に襲いかかった。
あまりにも大きさが違いすぎることと、再生力があることから有効な一打を加えることができない。
それを見てルイズは風竜から勢いよく飛び降りた。慌ててキュルケが魔法を唱え、ふわりと地面に降り立つ。
「お前……」
「わたしは、わたしであることから……逃げられないのよ」
恐怖を感じていないはずがないのに、ミストバーンの傍らに立つ。一瞬だがどこまでも真っ直ぐに彼を見据える。
それは彼にとって初めての経験だった。
思えば、ずっと他者を見上げるばかりだった。
偉大なる主に対しては当然のことだが、体持つ者の多くは羨望の対象となった。
主の傍にいても決して対等ではない。永劫とも思える時の中で認め、共に過ごした者はいない。
だが、ルイズの眼は器ではなく彼自身の魂を見ていた気がした。
言葉を失った彼の左手が輝きを放つ。
主の影響を受け素手で戦うことにこだわりがあったのだが、気づけば体が勝手に動き背のデルフリンガーを抜き放っていた。片手で握ると体が軽くなり、力が流れ込む。
再度拳が振り下ろされるのを回避し、腕を駆け上がる。人間――否、生物の常識を超えた動きは目で捉えることなどできない。
閃光のように瞬時に頭頂に達し、拳を振りかぶる。
「あの魔法を放て……!」
ルイズが使えるのは一つだけだ。迷うまでもなく唱える。
ミストバーンが渾身の力で殴りつけると頭部が爆砕され、巨体が今にも倒れそうによろめいた。
さらに手刀で切り下げたところで傷口を押し広げるように爆発が生じる。
最後の力で反撃しようとした巨人へタバサとキュルケの魔法が直撃し、彼の拳で両膝を砕かれたゴーレムはとうとう倒れ伏した。
「せっかく俺を抜いたのに――」
デルフリンガーを鞘に入れて黙らせたミストバーンは不思議そうに己の左手と剣を見比べた。
剣を握り締めた瞬間に力が湧き上がった。本来の封印解放には劣るかもしれないが、力の弱まっている今ならば戦力となる。
だがこの肉体こそ最強という自負があり、わけのわからない怪しげな力を気軽に使うわけにもいかない。
ルイズは力が抜けたように座り込み、タバサとキュルケも疲れたような顔をしている。ミストバーンはどのようにしたら力を取り戻せるか拳を開閉しつつ思案中だ。
そこへ、ミス・ロングビルの声が響いた。
「皆さん大丈夫ですか!?」
どこからフーケがゴーレムを操っていたのか結局わからないままだった。
ミス・ロングビルへの視線も重苦しい。彼女はきまり悪そうに眼鏡を上げ下げし、破壊の筒を懐から取り出した。
「この筒、どうやって使うんでしょうね?」
ルイズ達は首を振った。破壊の筒入手に成功し、ゴーレムを撃退できただけでも十分だ。
疲労が彼女たちの体を包みこんでいる。反応の鈍いルイズ達と違い、ミストバーンだけはわずかに眉を上げたものの言葉は発さない。
その反応にミス・ロングビルは眉をひそめた。筒を片手で弄び――突然ルイズを抱え込み、杖を突き付けた。
「ミ、ミス・ロングビル?」
「実は……私がフーケなのよ。奪ったはいいけど使い方がわからなくて困ってたの。教えて下さらない? ミスタ」
妖艶な微笑みと共にミス・ロングビル――否、フーケは軽く手を動かした。先手を打たれ、タバサもキュルケも動けない。
「正直に言ってちょうだいね? さもないと――」
「……これには何かを破壊する力は一切無い」
「は?」
フーケはあっけに取られた。盗賊としての勘が嘘を言っていないと告げている。
「私の世界にあったものが何故ここにあるのかわからぬが、破壊の筒などというのは出鱈目だ。無駄足だったな」
これも嘘でない。フーケは唇を噛み、後退した。ルイズを人質に逃走しようというのだろう。
筒を地面に投げつけ、忌々しげに舌打ちする。
ミストバーンはそれを拾い上げてかざした。
フーケはさらに混乱した。確かに嘘はついていなかったのに、破壊の筒で攻撃しようとしている。
だがどちらにせよ自分に攻撃が届くことはない。
頭の中で計算した彼女の耳に、聞き慣れぬ言葉が届いた。
「イルイル」
筒の先端はいつの間にか開き、彼女の顔面に向けられている。悲鳴とともに彼女は筒の中に吸い込まれていった。
「な、何それ?」
「魔法の筒と言って生き物を一体だけ封じ込める道具だ」
元の世界の魔法を使うことはできずとも、魔法の道具の効力は発揮されることが確認できた。
「……使えなかったらどうするつもりだったのよ」
確かに嘘をついてはいないが、釈然としないものが残るルイズであった。
最終更新:2008年07月11日 06:51