虚無と爆炎の使い魔-03

 ――第3話――

 再び始まった戦闘は苛烈極まるものだった。無人となった荒野を氷の礫が忙しく飛び交い、炎の球が舞い踊る。時折その合間を縫って規模も狙いもバラバラな爆発音が辺りに響き渡ったりもした。男の方からも閃光や光球がひっきりなしにルイズ達へと発射される。
 そんな光景が何度となく繰り返された後、――これで何度目になるのかしらね?――と男の光球をファイアーボールで叩き落したキュルケが疲労に膝を折った。

 戦況はかなりルイズ達に不利なものの、何とかこう着状態を保っていた。その最大の功績はルイズの魔法にある。戦闘中何度か男はあの草原の地形を変えた大魔法を使おうした。が、その時に限って上手いタイミングでルイズの爆発が当たるのだ。
 どうやら男の大魔法には一度両手での『溜め』が必要らしく、その隙を突いて爆発が起きる。何度も集中を乱された男は両手での大魔法を諦め、ルイズとの時の様に数で押してきた。それが今の状態に繋がるのである。
(但し、男が召喚された場所から一歩も動かなければ、の話ではあるが)

 また、『情熱』のキュルケ『雪風』のタバサは、お互いに『トライアングル』の称号を持つ優秀なメイジだった。メイジの称号は『ドット』から始まり、扱える属性が一つ増える毎にそれぞれ『ライン』『トライアングル』『スクウェア』となる。
 このランクの違いは単に扱える魔法が増えると言った事だけではない。仮に『ドット』と『ライン』が同じ魔法を唱えた場合『ドット』に比べて精神力の消費が半分で済む上にその威力は倍増する。つまり『ライン』は単純に『ドット』四人分相当の働きが出来るという事だ。
 そして二人は、その称号に見合った素晴らしい働きを見せた。男の放った無数の魔法を的確に、そして次々に撃ち落としていく、しかし――


「はぁっ……はっ……っどんなに……威力があっても……相手に効かなきゃ……意味……無いわね……」
 膝に手を着いてぜいぜいと息を吐きながらキュルケが呟いた。その身体のあちこちには火傷や擦り傷が痛々しく刻まれている。
 キュルケの言った言葉はそのままの意味だった。この戦いで二人は何度となく男自身にも魔法を浴びせたものの、炎も氷も男の体には全く効いている様子が見られない。
 ようやく呼吸を整えたキュルケがよっこいしょと身体を起こした。
「……おまけに強力無比な先住魔法の使い手だし。ルイズぅ~……あんたなんてもんを呼び出してくれちゃったのよぉ」
「で、出て来ちゃったものはしょうがないじゃない!私だってまさかこんな規格外のが来るとは思わなかったわよ!」
 場の空気を無視して再びぎゃあぎゃあと言い始めた二人にタバサは「戦闘中」と嗜るも、先程のキュルケの言葉がどこか気に掛かった。

 ――『先住魔法』、エルフや翼人種族等、知能の高い亜人達が使う魔法である。人間のメイジが魔法を使う為には杖が必要だがこの魔法は呪文のみで発動する。その威力は自分達の使う系統魔法よりも押しなべて強力なものが多い――
 しかし……とタバサは続く。
 ――男の使う魔法は全て男の手から生まれている。『先住魔法は自然界に存在する精霊の力を借りて、世の理に沿った効果を発揮する』と、いつか読んだ書物にはそう記されていた。
 実際に見た事はまだ無かったが、おそらくその場の色々な物や自然現象等を利用して攻撃するのだろう。
 けれど男の使う魔法にそういったものは微塵も感じられない。……そう、どちらかと言えば――
 タバサの顔が険しくなった。

 ――私達の様に自らの精神力で魔法を使っていると言った方が近い――

 自分達と似て非なる未知の魔法の存在。その事実を目の当たりに実感したタバサの目に美しい青い髪、優しい笑顔を浮かべた一人の女性が思い浮かぶ。

 ――もしかしてこの男なら――

 可能性は低い。だがゼロでも無い。タバサは杖をぎゅっと握り締める。自分の目的の為にも、この戦いに負ける訳にはいかなくなった。
「勝つ方法はある」
ぽつりと漏らしたタバサの声を反射的に聞いた二人は、すがる様にタバサに食い付いた。
「「本当なの!?それは!!」」
またも息ぴったりで叫んだ二人に内心でツッコミを入れながらタバサは頷く。
「全ての魔法が効かない訳ではない。たった一つだけ通用している魔法がある」
「……!!」
 その言葉に二人は何かに気付いた様子だった。ルイズが震えた指で自分を指差す。
「も、もしかして…私の…?」
「そう、貴女の失敗魔法。あの爆発だけはダメージを与えられている」
 こくりと頷くタバサに「確かにそうね」とキュルケも同意した。ルイズだけは未だ懐疑的な表情をタバサに向けている。
 タバサは改めてルイズの魔法について気付いた点を説明した。

 今まで単なる失敗だと思っていたルイズの魔法。しかし魔法の失敗で何もない空間がいきなり爆発するなんて事は通常ありえない。火・水・風・土……メイジが扱う4つのどの系統魔法にも存在しない未知の現象だった。
 だが逆に、どの属性でもないこの謎の爆発こそが男の身体に着実な痕跡を与えていた。しかし……。
「でも……。私の魔法は……」
「よく外れる」
「ついでに威力もあまり無いわよね。かといって集中できる様な隙を向こうは与えてくれないし」
 身も蓋も無い言い方だが事実だった。ルイズの魔法はそのほとんどが外れ、たまに当たっても男にとっては『集中を乱す五月蝿い攻撃』ぐらいにしか感じていない様子である。
 二人の的確且つ容赦の無い指摘に内心凹むルイズだったが、それを無視してタバサが先を続ける。
「そう。でも逆に考えると距離と集中する時間さえ何とかできれば勝機はある」
「で…でもどうやって?今までみたいに魔法を連続でバンバン打たれたら近付く事すら無理よ!?」」
 あっさりと言い放つタバサにルイズはつい聞き返してしまった。彼女の言う事は理解できるものの言うが易し、行うが難しである。
 だがその質問は予期していたのか、タバサはルイズの質問にあっさりと答えた。
「そう、だから全力を賭けた真っ向勝負で挑む。あの男の性格なら必ず乗って来るはず。あとは――」
 タバサの眼鏡がキラリと光った。
「――使い魔を使う」

「作戦は決まったようだな」
 伏し目がちに何かを話していた三人の顔が自らに向けられたのを見て、男は再び構えようとする。が、
 それを制する様にキュルケがすっと前に出た。スカートの端を摘み、足を交差して普段の素行からはとても想像つかない様な恭しい仕草で一礼すると、微笑を浮かべながら静かに、そして丁寧に男に告げる。

「初めまして、いずこより召喚されし亜人のお方。私の名は、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー……。近しい者はキュルケと呼びますわ」
 そこで一旦言葉を切る。突然のキュルケの行動に男は訝しむも、眉根を寄せる事で先を促した。
「勇猛なる亜人のお方。貴方の開いたるこの華麗なる宴をこのキュルケ、大変堪能させて戴きましたわ。けれど……どんな物にでも終わりが来てしまうのがこの世の理……。フフ……それに私達三人『では』、貴方のお相手を務めるにはいささか疲れてしまいましたの」
 最後はどこかおどけた様子で、キュルケはふんだんに意味を込めた言葉を放った。涼し気だった目元がどこか挑戦的なそれに変わる。

 ――高らかに、彼女は宣言した。

「――ですのでこれより私達は、次なる一撃をもってこの宴をお開きにしようと思いますの。勇猛なる亜人のお方……。全身全霊を込めた私達のこの想い。貴方ならきっと、避ける事も無く受け止めて貰えるものと信じておりますわ」
 言って彼女は杖を取り出した。先端を男に向けて返事を待つ。
 少しの間を置いた後、沈黙していた男が笑みを零した。
「フフッ……面白い。何を企んでいるかはわからぬが……。いいだろう!お前達の誘いにこのハドラー、最大の魔法をもって応える事としよう!!」
 初めて自分の名を名乗った男の晴れ晴れとした快諾の言葉を聞きながら、キュルケは自分の仕掛けが上手くいった事を内心で悦んだ。

 ――タバサの言った通り、やっぱり乗って来たわね。それにしても――

 ほぅ、と息を漏らし、キュルケは「良い男よねぇ」と呟いた。半ば条件反射でルイズが非難して来る。
「こんな時に何言ってるのよ」
「だぁってぇ、こっちが何か仕掛けて来る事はバレバレじゃない?なのにあんな清清しいくらい堂々と『受けて立つ』とか言われるとねぇ……。とっとと逃げ出しちゃった他の男共とは大違いね」
 しみじみとした様子でキュルケはのたまう。
「この色ボケは……単に実力差があり過ぎるからでしょ!」
「まぁ、それも勿論あるでしょうけどね。器が違い過ぎるのよ。貴方も少しは見習ってみなさいな♪ ――!来るわよ!」
 ムキーとなるルイズを素早く制してキュルケが詠唱に入る。慌ててルイズは後ろに引っ込んだ。

 ローブを翻し男――『ハドラー』が、腕を広げた。上向いた両の掌から発生した炎の渦が先程と同じく猛々しいアーチを描いていく。
「さぁ、始めようか」
「タバサ!!」
 心得たとばかりに咏唱を終えたタバサが杖を突き出す。

 ――風が吹いた。その風はタバサの横を通り抜ける事はなく、円を描いてタバサの杖先へと収束していく。
 集まって来る風は段々と強くなっていった、やがて収束された中心部が螺旋を描いて上昇していき――

 辺りに巨大な竜巻が誕生する。それはまるで獲物を探すかの如く轟轟と唸りを上げていた。
 だがタバサは「まだ足りない」とばかりにかぶりを振って固く目を閉じた。そのの想いに答えるかの様に風は更に激しさを増していく。
「負け……られないっ!!」
 タバサの眼が、カッ!と見開かれた。集まる風はついに暴風と化して、竜巻に溶け込む。そして――

 ついにタバサの魔法が完成した。風のトライアングルスペル、『エア・ストーム』タバサの想いと全精神力を込めた竜巻は、タバサ自身が今まで見た事も無い程大きな物だった。その威力はおそらくスクウェアクラスにも引けをとらないであろう。
 自身の魔法の出来に納得したタバサはキュルケの名を呼んだ。
「任せてタバサ!」
 呼応したキュルケの咏唱はすぐに終わった。唱えた魔法は火の初歩魔法『着火』である。但し『火力を最大』で『精神力の限り炎を出し続ける』よう改良していた。
 キュルケの杖から発生した炎の帯は際限無く竜巻に吸い上げられていった。舞い上がる熱波が二人をヂリヂリと襲う。
 そして、ついに二人の魔法が完成した。

「行けぇぇぇ!」
 未だ炎を絶やすまいと放出し続けるキュルケの合図でタバサが杖を降り下ろした。城壁すら軽く破壊できそうな程に膨れ上がった炎の竜巻がハドラーへと向かう。
 同時にハドラーが両手を合わせ『ベギラゴン』の魔法を叫んだ。膨大な破壊の力を込めた光の筋が吹きすさぶ炎の嵐に激突する。
 熱と炎が織り成す決死の綱引きは辺りの気温をぐんぐん上昇させ、衝撃で周りの土砂が根こそぎ吹き飛ばされた。巻き起こる猛烈な砂埃が互いの姿を覆い隠しても、両者の魔法は攻めぎ合いはまだも続く。
「くっ……!まだ……まだあ!」
「ふふふ……嬉しいぞ。まだこれ程の力を残していたとはな!……しかし、だ」
 ハドラーの手が押し込まれると、更に魔法の出力が増した。閃光が徐々に炎の竜巻を押し下げていく。だがその時!
「何!?」
 ハドラーが驚きの声を出した。押されていた筈の竜巻が動きを止めたのだ。それどころか竜巻を覆う炎が更に勢いを増して自分の方へと押し戻そうとして来る。

 ――どういう事だ?――

 その疑問についてハドラーが考える前に答えは出た。舞い上がる砂埃が一瞬途切れ、キュルケ達の姿を映し出したのだ。
 キュルケの横にはいつの間にか大きな赤いトカゲの様な生物が陣取っていた。開いた口から炎の息を吐き続けている。
「ふふ。成る程そうか!確かに『三人では』俺と渡り合うには力不足。契約したばかりの使い魔の力を借りるとは、中々いい案だ……。だが!」
 ニヤリとしたハドラーの目が釣り上がった。同時に手の閃光が更に太くなる。
「う、うそ……!まだ力が上がるっていうの!?」
「その程度の力如きでは止められん!!俺のベキラゴンを嘗めるなぁぁーー!!」
 ハドラーの咆哮で閃光が再度、竜巻を押し戻した。一度は拮抗した力関係が徐々に本来のものへと戻って行く。竜巻の押し返されるスピードが徐々に速度を上げていき――

「うおおおおらああぁぁぁ!!!」
 ハドラーの叫びと同時、閃光が炎の竜巻を完全に貫いた。散り散りになった無数の渦が空気中に虚しく霧散していく。
 閃光はそのままキュルケ達のいる場所へと突き刺さり、先程と同じかそれ以上の大爆発が発生した。地面が掘り返され辺りの地形が再度塗り変えられていく。
 しばらくして爆発が収まり煙が晴れた。跡には先程よりも更に深く削り取られた地面にうずくまる格好でキュルケとタバサが、腹を見せた仰向けの格好でキュルケの使い魔であるサラマンダーが倒れていた。もぞもぞと酷く鈍重な所作で何とか身体を起こそうと努力している。
「ほう、あれで生き残るとはな……。どうやら思った以上にあの竜巻は強力だったようだ」
 まだ戦うつもりなら手を休めるつもりは無い。ハドラーが追撃を加えようと手を掲げた。しかしその瞬間ある違和感に気付く。

 ――あの娘がいない!?――

 ここへ来てハドラーが初めて困惑の表情を浮かべた。
 ――爆発で消し飛んだ?いや、爆心地に最も近かったあの二人が生き残っているのだ。その可能性は薄い……いや待て!そう言えばあの火トカゲはどこから現れたのだ!?――

 思考の海に潜りながらもハドラーは油断無く周囲を見渡した。辺りは大小の瓦礫はあるものの、竜巻ができてからぶつかるまでの間であの大きさの生物が隠れながら移動できる様な遮蔽物は無い。
 まさに目を離した一瞬で降って湧いて来た様だった。

 ――待て、降って湧いた!?まさか!?――

 瞬時に理解したハドラーが上を向いたその瞬間だった!

「――わああああああああ!!」

 ルイズが上からまさしく『降って』来た。杖をハドラーに向け口は雄叫びを上げている。その更に上空には青い鱗の竜が翼をはためかせていた。
「あの青い方の使い魔か!?……驚いたぞ!この俺を出し抜くとはな」
 どこか満足気な顔でハドラーがにやりと笑った。今から魔法を唱えるには集中する時間が無い。ルイズの身体がハドラーと交差した――

 ――少し前、風竜の背にいたルイズはキュルケ達の事を考えていた。タバサの立てた作戦は単純な物だった。

『タバサとキュルケが男を全力で押さえてる間に、ルイズが風竜で男の上空へ移動。そこから飛び降りてゼロ距離で男に魔法を叩き込む』

 この作戦のメリットは多かった。上空のルイズは無傷で近づける上、魔法だけに集中できる。キュルケ達が上手く男の目を逸らす事ができれば奇襲にもなり、何より男に密着する程近づくので魔法を外す心配も無かった。
 そもそも、最初にキュルケ達が駆け付けた時、二人は「危ないから」とサラマンダーを乗せた状態で風竜を上空に待機させていた。
 それを利用し、炎の竜巻による目くらましを行っている最中に風竜を降下させ、サラマンダーと入れ替わってルイズが上空に上がったと言う訳である。

 竜巻が破壊された時、ルイズは思わず息を詰まらせた。今すぐ引き返し、二人の安否を確かめに行きたい。そんな衝動に駆られる。
 しかし、そこで二人の真剣な顔が頭に浮かんだ。
 作戦の為に自ら危険な役割を負おうとする二人を「無茶よ!」と止めたルイズ。そんな彼女をじっと見つめ返したキュルケに「私達の事はいいから貴方は自分の役割を果たしなさい!」と言われた事を思い出す。
 ルイズは唇を噛み切ってキュルケ達から視線を振りほどいた。
 爆発が完全に収まった頃、風竜に乗ったルイズはついに男の上空にたどり着く。それと同時に眼下にいる男が構えを解いた――

「皆がくれたこのチャンス……。絶対!無駄にはしない!!」

 言って既に魔法の集中を終えたルイズが飛び降りる。空中という不安定極まりない状況にも関わらずルイズの頭は冷静だった。
 コルベール、キュルケ、タバサ……自分を助けてくれた一人の教師と二人のクラスメートの顔が脳裏に浮かぶ。彼女達の命を賭けての行動に何が何でも応えねばならない。そんな想いが心の内に満たされていく。
 男――ハドラーと言ったか――がこちらを振り向き、目が合う。その瞬間、一杯になった心をたった一つの言葉が塗り潰した。

「うわああああああああ!!」

 ハドラーが何か言葉を口にした。だがその声を掻き消す大音量でルイズが咆哮する。その勢いが衰える事無く、心のまま、有りのままにルイズが絶叫した。

「爆ぜろおおおおおおぉぉぉぉ!!!!!!」

 無我夢中でルイズが杖をハドラーに突き出す。瞬間、大気が歪み、ハドラーのすぐ前の空間が大爆発を起こした。戦艦の主砲を間近でぶちかました様な轟音がルイズの鼓膜をひたすらに痛めつける。
 嵐の様な爆風を食らって再度宙を舞ったルイズがニッ、と口端を吊り上げる。してやったり、と言った表情だった。
 勢いが付いたまま頭から地面に激突しそうになったところで突然落下速度が緩む。見ると何とか無事だったらしいキュルケ達が杖を向け、『レビテーション』の魔法を唱えていた。
 寝た子を扱う様に丁重に地面に降ろされたルイズがハドラーの立っていた場所を伺う。すると――!?

 そこには仰向けで大の字に倒れたハドラーがいた。爆発をまともに喰らったらしく 胸の辺りを中心に全身のあちこちから焼けた煙を上げている。
 とても信じられないその光景を、ルイズは目を何度も擦って確認した。自分がやったなど、とても信じられない様な気持ちで、恐る恐る上擦った声を上げる。
「か……勝った……の……?私達……。」
「どうやら……そうみたいね……。」
 その声にルイズがハッとする。振り向くとキュルケとタバサがお互いの肩を抱く様にしてすぐ後ろに来ていた。立てないほど力を使い果たしたのか、生まれたての子馬の様におぼつかない足取りである。
「貴方の魔法が効いたのよ。最後の爆発……物凄い威力だったもの」
「タイミングも完璧。あれはまず防げない」
 二人の肯定の言葉を聞いて張り詰めていた精神が切れた。へなへなとルイズが力無く尻を着く。
 未だ倒れているハドラーと自分を交互に見ながら何と無くじわじわとした勝利の感触が体に染み出して来る。ルイズの口から安堵の笑みが漏れ出した。
「勝った……のよね!?私達が勝てたのよね!?」
 ルイズの疑問にキュルケが穏やかな笑みを返した。表情を崩さずルイズに語りかける。
「ええ……これ以上は到底望めない程ギリギリだったけど。勝利は勝利。私達が勝ったのよルイズ!」
 キュルケがいつもの様に茶化して言ったりしなかった。それこそが紛れも無い真実である事を今度こそルイズが実感する。不意に沸き起こって来た歓喜の衝動が身体を駆け巡る。
 ルイズがそれに思わず身を任せてしまおうかとしたその時――

「!?」

 目を見開いた状態で三人は固まった。まるで何事も無かったかの様に突如ハドラーが立ち上がったのだ。身体に付いた埃を手で払い、唇の血を親指で拭うと納得した様子で「ふむ」と頷く、そして――

『ドゥン!!』

 その地響きに三人は身体を強張らせる。召喚してから一度もその場を動かなかったハドラーがいきなり足を踏み出したのだ。その足取りは間違いなく無くルイズ達の方へと向かっていた。
 一度ほどけてしまった緊張を立て直す余力はもはやルイズ達に残されていなかった。ルイズとキュルケの口から思わず絶望の声が漏れる。タバサはキュルケを肩から降ろすと、力の入らない手で杖を構えようとする。
 魔法はもう使えないものの使い魔はまだ健在であり、いざとなれば自分が囮になってでも二人を逃がす算段であった。
 三人がそうこうしている間、ついにハドラーがルイズの目前まで近づいた、その異形の右手が静かに振り上げられる。

 ――最期は自らの手で直接幕を下ろすつもりなの?――

 全力で戦っても敵わなかったのだ。ならば仕方無い……諦めとは若干違う妙な満足感のままルイズは目を瞑り、自らの最期を受け入れる事とした。直接手を下す事がこの男なりの誠意なのかも知れない、と思いながら。

「……………………?」

だがいつになってもそんな場面は訪れない。不審に思ったルイズが薄く目蓋を開けたその時――

「!?」

 目を開けたルイズの視界に最初に飛び込んで来たものは、前後に足を揃え、洗練された執事の様に折り目正しく背を曲げて最上級の礼をしているハドラーの姿だった。
 先程振り上げられた右手は、今は左胸の辺りに納められており、左手は軽く拳を握った状態で腰に添えられている。

「合格だ」

 ルイズの目の前の男が威厳を保った楽しげな声で言った。突然の超展開にルイズの頭は碌に付いて来ない「あ……。へ……?」と間抜けな声を出している。
 楽し気な顔を崩さないままハドラーが起き上がった。
「お前達の力、じっくり見届けさせてもらったぞ。まだまだ甘い所はあるが……。最後に俺を出し抜いた事といい、これからの成長が楽しみな存在だ。……特にそこの女」
 いきなり自分を指されたルイズが「ひゃぁ!」と意味不明な言葉を上げた。恐る恐る「な……何……?」と聞き返す。
「最後のお前の爆発……かなりのものだったぞ。まさかこの俺に地を着かせるとはな。流石、俺を召喚しただけの事はある。ふふっ、俺の目もまだまだ曇ってはいない様だ」
 何だか勝手に自分への上方修正が行われている事に気付いたルイズはだらだら冷や汗を流した。かと言ってこの流れでNOと言える訳がある筈も無い。
「は……。あはは……」
 その後ハドラーに名前を問われるまで、ルイズは乾いた笑いを上げ続けた。そして――

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・プラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
 ようやっと気を取り直したルイズが朗々と、高らかに呪文を唱えた。ルイズの唇が、屈んだハドラーの唇に重ねられる。
 ハドラーの左手の甲に使い魔の証であるルーンが刻まれた事を確認したルイズが久しぶりに、満足気に微笑んだ。
「ようやく一件落着ってとこかしらね。まったく……。使い魔召喚のつもりがこんな大決戦になるとは思わなかったわ」
 ふんと鼻を鳴らし、すっかりいつもの調子を取り戻したルイズが恨み節をぶつけた。だがその声に不満の色は無い。

 ――自分はあの戦いの中で掛け替えの無い大きな物を得られたのだから――

 そんな思いが彼女の心には芽生えていたからである。
「まぁいいわ、これからよろしくね。ハドラー!」
「ふふ……俺の方こそ、な、わが主よ。だが余りにも不甲斐ない様子なら再び今日みたく『喝』を入れる事になるかも知れんがな」
「はぇ!?…わ……わかったわ……の……のののののぞむむむとととととところよよよよよよよ」
「ぷ……ルイズ……膝が笑ってるわよ」
「ううう……うるさい!うるさ~い!!」
 先程までの光景を思い出したのか、ルイズの足が猛烈な勢いで震え始めたのを見てたまらずキュルケが噴出した。タバサもあらぬ方向を向いて何かに耐えている。
 恥ずかしさで顔を真っ赤にしてルイズが言い放った。
「見てなさいよ!!今は無理でも……いつか絶対!あんたを完全に超えてやるんだからぁ!!」
「ふふふ……それは良い!いつか成長したお前と再び戦える事を楽しみにしているぞ」
 嬉しそうなハドラーの返事にルイズが「あ」と気付いたがもう遅かった。脇の二人がもう耐えられないとばかりに笑いを上げる。
「ルイズ……あんたって娘は」
「泥沼」
 慌てたルイズがハドラーを見る。『期待しているぞ』と言ったその顔を見た瞬間、発言の訂正は不可能だと判断した。
 四つん這いの状態となり途方に暮れた顔をしたルイズは、今度こそ迂闊な事は言わないでおこう!と誓うのだった。

「……ハドラー、何してるの?行くわよ」
「ああ……。先に行くがいい。後で追い着く」
 ルイズの復活を待った後、ようやくタバサの風竜に乗って学院へ帰ろうとする一同だったが、ハドラーが乗っていないのを見たルイズが声を掛ける。
 ルイズはハドラーの返事に一瞬訝ったが、この男が逃げたりする事などまず無いだろう、と判断すると「ちゃんと来なさいよ」とだけ言った。それを合図として風竜の足が大地から離れて行く。
 飛び去った風竜を見えなくなるまで見つめていたハドラーは踵を返し、自分が召喚された場所まで歩き出した。
 現場に落ちていた、自分が脱ぎ捨てたボロボロのローブと兜を拾ったハドラーが何かの呪文を唱えて魔力を込めていく。すると――
 ぽうっ、とローブと兜が淡く光り出した。
 敗れた布は修復してていき、砕けた破片が集まっていく……ハドラーが呪文を唱え終わった時、それらは新品同様の状態になっていた。
「俺の主はすっかり忘れていた様だが……。この化物の身体を学院とやらで見せる訳にもいくまい」
 魔界の布と金属で作ったこのローブと兜は、防御力こそ皆無なものの、持ち主の魔力で元通り復元する事が出来る。戦いの中で服や兜が壊れる事の多いハドラーにとっては非常に重宝していた。
 この世界に現れた時と同じく、再びそれらを身に纏ったハドラーがゆっくりと空を見上げた。空に浮かぶ二つの月が胸中にある懐かしい顔をその姿に写し出す。

 ヒム、シグマ、ブロック、フェンブレン、アルビナス――

「道草をしてしまってすまないな。堂々とお前達の元へ向かおうとした俺に、神が少々悪戯を企んだらしい」
 口端を歪めてふっ、と笑う。先程までとは全く違う、自嘲を込めた笑いだった。
「拾った命を無駄に捨てる事も無い……か。しばらくはここにいる事としよう。良く働いてくれたお前達に、土産話の一つでも持って行ってやらないとな」
 そう言って自らの身体を見る。先程の爆発で受けた傷はほとんど治っていなかった。
 時刻は昼をとうに過ぎ、日が落ちかけている。昼と夜の狭間で静かに輝く月は非常に美しく、また何も答えようとはしない。
「また来るとしよう」
 静かに洩らしたハドラーが呪文を唱える。
 光に包まれた身体が、学院のある方向へと飛んで行った。




 おまけ

 ちなみに生徒達にすっかり忘れ去られていたコルベールだったが、帰る前にルイズが気付いた為、無事風竜の背中に乗せられて学院へと収容された。
 秘薬と水メイジの懸命な治療の甲斐あって彼はすぐに気が付いたのだが、『イオラ』と『ベギラゴン』の爆発による熱は彼の少ない頭髪を根こそぎ奪っていったらしい。
 鏡で自らの哀れな頭に気が付いてしまったコルベールはそれから二日間、学院長オールド・オスマンとその秘書の必死の説得があるまで自分の部屋から出ようとはしなかったという。


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最終更新:2008年07月16日 18:43
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