ゼロの影-07

第二話 白のアルビオン

 翌日ワルドがミストバーンに手合わせを申し込んできた。伝説のガンダールヴの力を試したいらしい。
 彼もワルドの力を見たいためあっさり了承した。ワルドが杖を構えるが彼は武器を持たないままだ。
「剣は?」
「不得手だ」
「いいから使いたまえ。何事も慣れだよ」
 彼が地に刺していたデルフリンガーを引き抜くとワルドが疾風のごとき速度で突きを繰り出しつつ呪文を紡ぎ出していく。
 詠唱が完成し、巨大な不可視の槌が横殴りに彼を吹き飛ばした。風に身をゆだねるようにふわりと着地する。
「君では僕に勝てないようだね」
 せっかくワルドが格好つけて挑発したのに彼は全く聞いておらず、デルフリンガーを眺め首をかしげている。
 まだ本気を出していないと知ってワルドは続けようとしたが、ルイズが必死に止める。
 機嫌を取っておくべきだと判断したのか、肩をすくめると去ってしまった。
 その後部屋のベランダに佇んで月を眺めているミストバーンへ、ルイズが声をかけた。
「あんたの世界では月が一つなんでしょ?」
「正確には、私の暮らす世界の上で見られる」
 帰りたいという熱は感じられなかったが、見せようとしないだけだろう。言ったところで今の彼女にはどうしようもないのだから。
 月のように冷たく凍えた光を放ち、決して手の届かぬ存在だと思わせる姿。
「この任務が終わったら帰る方法を探すわ。もし、もし帰れなかったら……」
 そこから先は言えなかった。彼の表情がかすかにゆがんだためだ。
「……お前には必要としてくれる者がいるのだろう」
 アンリエッタやワルドのことを言っているのだろう。ルイズは頷いたが、慌てて言葉を吐きだした。
「わ、わたしだってあんたを――」
「お前は私を必要としていない」
 今ここにいるのは自分でなくともかまわない。戦う者として役に立てば、強ければそれでいい。それならば代わりの誰かで十分だ。
 彼の心の言葉が流れ込んでくる。否定するより先に彼が口を開く。
「だが、大魔王様は忌み嫌っていた私の能力を……他でもない、この私の力を必要としてくださったのだ」
(本当に大切な“ご主人様”なのね)
 悔しくてたまらなかった。この青年に少しでも認められる日など来ない気がしたためだ。
 そして決意する。
(あんたはわたしが責任持って送り返すんだから……!)
意気込んだ彼女は、胸に沈みこむ言葉の中にふとひっかかるものを覚えた。
「能力を? それってまるで――」
 道具だ。彼自身の心などどこにもなく、必要とされていないような言い草だ。
 言葉を続けられぬルイズに対し、ミストバーンはためらいなく頷いた。
「そうだ。私はあの御方の道具……お役に立てるならばそれでいい」
 自身をも道具と言い切る口調は誇らしさに満ちている。それは力を必要とされている、認められているということだから。
 ただの使い捨ての道具、取り換えのきく武器ではなく、唯一無二の道具、最高の武器としての自負がある。
「確かに力を認められたいって思うけど……できればわたし自身を認めてほしいわ」
 ミストバーンは意味を掴みかねたようだが、彼なりに理解した。
 ルイズはルイズとして認められたがっている。力に加え魂をも含めて認めてほしいのだろう。
 彼にとっては能力を必要とされるだけで十分だが、魂をも認めてくれる相手と出会えたらきっと手ごたえを感じるだろう。
 切り離せず忌避してきた力か、求めても手に入らぬ力か。
 力が全ての魔界の住人か、人間か。
 その差が考え方の違いを生み出しているが、共感できた。根底にあるものは似ているのだから。
「あの男はお前を必要としているのだろう」
 恋愛と主従関係は違うがワルドが彼女を必要としていることは確かだ。
「そう、ね。やっぱり――」
 その時、巨大な影が月を隠すように現れた。岩でできたゴーレムの肩に乗っている人物は囚われたはずのフーケ。その隣に白い仮面で顔を隠した貴族が立っている。
 フーケが復讐の予感に笑うと、ゴーレムの拳がベランダの手すりを粉々に破壊した。

 一階に駆け降りた二人だったがそちらは傭兵の集団に襲われていた。テーブルを盾に応戦しているが、魔法の射程外から矢を射られてしまう。
 やがてワルドが立ち上がり、半数に分かれることを低い声で指示した。
 タバサがそれに応じ、自分とギーシュとキュルケを指して囮、ワルド、ルイズ、ミストバーンを指して桟橋と呟いた。
 ルイズが何か言おうとするのをキュルケが押しとどめる。
「勘違いしないでね? あんたのために囮になるんじゃないんだから」
 わかってる、と言いつつもルイズはキュルケ達に頭を下げ、歩きだした。

 キュルケ達の奮闘によって傭兵達は炎に焼かれ混乱に陥った。
 舌打ちするフーケに仮面の男は好きにしていいと告げ、素早く姿を消した。彼女は面白くなさそうに鼻を鳴らし、入口へとゴーレムの歩を進めた。
(まったく……得体の知れないところがあるからただの傭兵はやめとけって言ったのに)
 倒す必要はなく分断すればいいということだったが、どうも仮面の男は彼らを甘く見ているようだ。
 ゴーレムがどうやって倒されたかはっきりとはわからなかったため、一行の――特にミストバーンの実力をフーケも測りかねている。
 まさか巨大なゴーレムを片手で殴り飛ばし、手刀で切り裂いたなどと彼女が考え付くはずもない。
「まあいいか……。あの不気味な男はいないし、借りを返させてもらうよ!」
 高らかに哄笑を響かせていたキュルケがゴーレムを見て苦々しく呟く。
「どうする?」
 男らしく玉砕だと唱えるギーシュへ、タバサは大量の花びらを出すよう命じた。
 フーケは花弁がゴーレムに纏わりつく様子を見てバカバカしいと吐き捨てたが、異臭に鼻をうごめかせる。
 花びらが『錬金』によって油に変わっていると気づいた時には炎球がゴーレムに飛び、包みこんでいた。
 かろうじて命を落とさずにすんだものの、髪は焦げ煤で真っ黒だ。


「素敵なお化粧ね。普通のお化粧でもダーリンのすべすべお肌には敵わないから、ちょうどいいんじゃない、おばさん?」
 フーケもキュルケももう魔法は使えない。怒りに燃える盗賊は杖を捨て、殴りかかった。
「あの顔面神経痛男より劣るですってえ!? ちょっとばかり顔と肌はきれいかもしれないけど恋愛経験はこのフーケ様の方が断然上だよッ!」
 そもそも本体には性別が無いことを知らぬフーケの台詞を聞き、キュルケも負けじと殴り返す。
「そりゃ年だからでしょ!」
「違うッ! 勘だけど、あいつ絶対恋人いない歴イコール年齢だね! そんな男をダーリンと呼ぶあんたも大概――」
「あらそっちの方が燃えるじゃない! 永久凍土の心を融かす初めての女になるのよ!」
「僕は? ねえ僕の玉のようなお肌は?」
 ギーシュの問いかけは二人に完全に無視された。タバサがポンと肩を叩き一言呟く。
「お呼びじゃない」
 ギーシュの存在を忘れて元気に殴り合う二人であった。

 その頃ルイズ達は桟橋へと走っていた。ある建物の階段を上ると丘の上に出た。そこには巨大な樹が枝を伸ばし、船がぶら下がっている。
 樹の内部の階段を上っていくと彼らは後ろから追いすがる足音に気づいた。黒い影がルイズの背後に立ち、抱え上げる。そのまま地面へ落下するように敵は跳躍し、ワルドが空気の槌で打ち据える。
 ルイズから手を離した男は手すりをつかんだが、彼女は落ちていく。それをワルドが階段から飛び降り抱きとめた。
 仮面の男は体をひねりミストバーンの前に立った。杖を振ると空気が冷える。
 魔法が、来る。
 反射的に左手を振るった瞬間稲妻が彼の体を貫いた。フェニックスウィングでも完全には弾き切れなかったのだ。
「ぐああ……っ!」
 駆け巡る痛みに耐えながら疾走する。後退した仮面の男に向けてワルドが杖を振ると風の槌が男を吹き飛ばし、叩き落した。
 それを見たミストバーンが殺気も露にワルドに向き直る。
「何だい? 獲物を横取りしたことは謝るよ」
 痛いほどの沈黙と緊張が両者の間に流れるが、そこへルイズが慌てて駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫!?」
 彼女の言葉にワルドから視線を外し、傷を確認する。左腕全体が焼け焦げ、青白い衣が無残な姿を晒していた。
 それを見た彼が震え出す。
「大変、何とかしないと――」
「何と……何という失態を! わ……私のせいだあああッ!!」
「……は?」
 ミストバーンはこの世界にいない主へ詫びている。完全に取り乱しているのは苦痛ではなく主への申し訳なさのせいだ。
 せっかくの心配が無駄になり、ルイズは頭痛と苛立ちを覚えた。
「今のは『ライトニング・クラウド』。風系統の呪文だ」
 そう説明したデルフリンガーにワルドが続けた。
「本来ならば命を奪うほどの呪文だぞ。腕だけですんでよかったな」
 ミストバーンは会話を完全に無視して異世界の主にひたすら詫び続けていた。

 風石を動力としている船に乗り込むとようやく気分を変えたようだ。
 青空に浮かぶ白い雲の上を飛ぶなど魔界では絶対に不可能だ。魔界の空にはかすかな偽りの光と厚い黒雲しかない。
 ルイズにアルビオンだと指差された方を見た彼は硬直した。巨大な陸地が空中に浮かんでいる。いくら絶大な魔力を誇る大魔王といえども同じことはできないだろう。
「浮遊大陸アルビオン。通称『白の国』よ」
 名の由来は大陸の下半分が白い霧に包まれているためだ。
(この地ならば、陽光を遮るものなど永遠に現れないだろう……)
 珍しく感傷に浸る彼とは対照的に船長は顔を蒼くしている。どうやら空賊が接近しているらしい。逃げ切れず、結局停船命令に従うこととなった。
 太陽に祝福された地に見とれていた彼は、船倉に閉じ込められてからずっと物思いに耽っていた。


 ミストバーンが傷を確認すべく袖をたくし上げ、鋼鉄の籠手を外すとルイズが悲鳴を上げた。左腕の掌から肘まで酷い火傷が広がっている。
 ほとんど傷が癒えていないため再生能力もかなり衰えているらしい。
 彼の顔がかげり、どんより曇った声で呻きつつ頭を抱える。
「ああ、バーン様からどのようなお叱りを受けるか……」
「何言ってんのよ! 誰か、誰か来て! 水を……メイジはいないの!? 怪我人がいるの!」
 ルイズの必死の叫びとミストバーンの暗い姿で船倉内にはいたたまれない空気が充満した。ワルドが内心溜息を吐きながらルイズをなだめ、落ち込むミストバーンを励ます。
 ルイズが落ち着きを取り戻し、ミストバーンが立ち直ると心の底から問いかける。
「何で君が怒られるんだい?」
「私の身体はバーン様のものだからだ」
 答えてしまってから己のうかつさに気づき、顔から血の気が引いた。
 この世界に着てからずいぶん警戒心が弱まっていると今更ながらに痛感した。そもそも、いきなり大勢の人間に素顔を見られ、そのまま放置せざるを得なかったのだ。
 素顔を普段から隠しておけばいいのだが身に纏う衣は主から授かったもので、できれば常にその格好でいたかった。それに、額を隠すと視界が制限されてしまう。
 ハルケギニアが完全に別世界であり、戻る見込みは今のところ全くないことも原因の一つだ。
 だが、いくら精神的に不安定だとはいえこれほど危険な真似をしてしまうとは。
 悟られたら殺すしかないため拳を握り締めるミストバーンだったが、特に引っかかってはいないようだ。
「大事にされているんだな」
 勝手に納得している。安堵しかけたが、続くルイズの言葉に表情を変えた。
「バーン様と何か深い関係があるんでしょ? ミストバーンって名前で口を開けばバーン様のことばっかり。何かありますって言いふらしているようなものだわ」
 反論できずに彼は黙り込んでしまった。

 そこへ空賊が水とスープを運んできた。自分で応急処置をしようとしたが、動きはぎこちない。
 肉体が傷ついても治す必要などなく、主の体を預けられてからは怪我をすること自体なかった。回復呪文や再生能力の存在もあり、手当ての経験など皆無だ。
 見かねたルイズが布を奪い取って傷口を冷やしていくが、手つきは幾分マシな程度だ。
「慣れているそちらの男に任せればよかろう」
 突然ふられたワルドは頭を抱えた。
(この男、わざと言っているのか?)
 乙女心を粉々に踏み潰す言葉を聞き流し、ルイズは淡々と処置を進める。彼女の神経もかなり強靭になっているようだ。

 それから空賊の頭の前に連れてこられ、貴族派につくよう勧められたルイズは一蹴した。震えながらも、頭を真っ直ぐに睨んで。
 すると頭は豪快に笑い、変装を解いて本当の姿を現した。その正体はアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダー。
 確認を求められ、指輪を外して近づけると虹色の光があふれ出した。それはアルビオン王家に伝わる風のルビーであり、ウェールズ本人だと示していた。
 ニューカッスル内の彼の居室へと向かい、手紙を受け取る。
 明朝非戦闘員を乗せたイーグル号が出発することをウェールズは告げ、帰るように促した。彼の軍は三百、敵軍は五万。彼は真っ先に死ぬつもりだ。
 ウェールズとアンリエッタが恋仲であることを悟ったルイズは悲痛な面持ちで叫んだ。
「閣下、亡命なされませ! 姫様は末尾で亡命をお勧めになっているはずですわ!」
「……ただの一行たりともそのような文句は書かれておらぬ」
 苦しげな口調が真実を告げている。アンリエッタの名誉を守ろうとしていると知って、ルイズはそれ以上何も言えなかった。
 やがて彼は最後となるであろうパーティーにルイズ達を招待した。





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最終更新:2008年07月19日 02:14
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