第三話 その名を永久に
勇ましく悲しい者達の宴は明日滅びるとは思えぬほどに華やかであった。その中心には巨大な花瓶が据えてあり、大量の花が活けてある。
ルイズは耐えきれず外に出ていき、ワルドがそれを追う。ミストバーンの元へウェールズが歩いてきた。
彼の体から一瞬不穏な空気が立ち上り、ウェールズの目が細まる。
刹那、両者の腕が閃光のように素早く動き、ミストバーンの拳はウェールズの眼前に、ウェールズの杖はミストバーンの胸に突きつけられていた。
周囲の者達が気色ばむが、ウェールズが手を振って黙らせる。単に実力を図ろうとしただけだと知っているためだ。
何事もなかったかのようにミストバーンが口を開く。一瞬の攻防でウェールズの実力を悟ったのだ。
「……不思議なものだな、人間とは。怯え助けを乞うばかりの者もいれば、死を恐れぬように振舞う者もいる」
「怖いが、守るべきものがあるからね」
貴族派レコン・キスタはハルケギニアを統一しようとしており、理想を掲げている。しかし彼らは流される民の血も荒廃する国土も考えない。
勝てずとも勇気を示さなければならない。それが王家に生まれた者の義務なのだから。
そう語るウェールズの瞳には諦めでも絶望でもない輝きが宿っている。
彼の覚悟は異世界の住人であるミストバーンにも伝わった。彼は譲れぬもののために命をかけて戦い、他の者達を照らそうとしている。
「……強き者には敬意を払うのが私の信条だ。お前の名を永久に心に留めておくことを約束しよう」
その言葉の中には膨大な感情と本物の敬意がにじんでいた。ウェールズが目を瞬かせ、微笑む。
「ありがとう……!」
アンリエッタには勇敢に戦い死んでいったと告げてくれ――そう言い残してウェールズは宴の中心へ戻っていった。
新たな名を心に刻みこんだミストバーンはルイズにワルドとの結婚を知らされたが何の感慨もない。彼はただ傍らにいるだけだ。
翌日、ルイズは夢の世界にいる心地でワルドとの結婚式を進めていた。ウェールズが見守り、神父の前でルイズとワルドが並んでいる。
ルイズの身長ほどもある壁際の花瓶には城中の花が集められ、甘い香りをまき散らしていた。
憧れていた相手。結婚という語から溢れる美しい煌き。だがそれらは現実のこととは思えなかった。
心の内に広がる雲に耐えきれず、ルイズは唇を噛んだ。どうすればよいのかわからない。思い浮かぶのは、何故か青年の顔。
彼はワルドから戦の準備を手伝うよう頼まれていた。結婚式に全く興味を抱いていないため外で働いているだろう。
彼は、ワルドがルイズを必要としていると言った。その言葉が胸に残っていたが違和感が拭えない。
決めるのは自分なのだ。結婚という問題の責任を、ミストバーンやワルドに押し付けることはできない。
ワルドに対する想いはミストバーンの忠誠心の十分の一、いや五十分の一もないかもしれない。忠誠心と愛情は違うが、ワルドは心の中心にはいない。
結論にたどり着くとルイズは自然と首を振っていた。
「ごめんなさいワルド。わたしあなたと結婚はできないわ」
ワルドの顔に朱がさした。ルイズの肩を掴み、熱に浮かされたようにぎらつく目でルイズを射る。
「世界を手に入れるために君が必要なんだ! 始祖ブリミルをも超える君の才能が!」
ルイズはその時悟った。ワルドが必要としていたのは、彼女自身ではなく魔法の力。それも、ありもしない才能を手に入れようとしていた。
彼が認め必要としているものは、彼女の中には存在しない。
引き離そうとしたウェールズが突き飛ばされ、顔を赤く染める。ワルドは手を離し、蛇のように双眸を光らせながら優しい笑みを浮かべた。
「駄目かい? 僕のルイズ」
「いやよ、誰があなたと結婚するものですか」
ワルドは天を仰ぎ両手を広げた。
「目的の一つは諦めよう……二つ達成しただけでも良しとしなければ。一つ目は君を手に入れることだが、果たせないようだ」
ルイズが嫌悪に満ちた目で睨みつける。
「二つ目はアンリエッタの手紙だ。そして三つ目は……ウェールズの命」
ウェールズが杖を構えようとしたが、ワルドが閃光のように素早く杖を引き抜き、青白く光らせつつ胸を突く。
だが、胸の中央を貫くはずだった先端は逸れた。胸を切り裂かれたものの致命傷ではない。
ワルドの手の甲には薔薇の造花が深々と突き刺さっていた。ワルドが花瓶へ杖を向け、空気の槌で粉砕する。その陰から悠然と姿を現したのは白い闇。
「なかなか洒落た真似をしてくれるじゃないか、君。気配の消し方も人間とは思えん」
ワルドが薔薇を引き抜き床に叩きつけた。踵でぐりぐりと踏みにじる。かつてギーシュから取り上げた杖を花瓶の陰から投擲したのだ。
ワルドに杖を向けようとしたウェールズを阻む。
「ゆけ……戦場へ……!」
ウェールズは頷くと、風のルビーを渡して赴くべき場所へと駆け出した。
ルイズが戦慄きながら怒鳴る。
「あなた、アルビオンの貴族派だったのね!」
「そうとも。ミストバーン、素直に敬意を表するよ。愚かな者達は捨てて僕と同じ『レコン・キスタ』の一員に加わらないか?」
ルイズが怒りに燃える目でワルドを睨む。
「姫様への忠誠は……嘘だったのね! 姫様は信じてらしたのに」
誰よりも、ルイズ自身が信じていた。憧れの相手を。淡い想いを抱いていた彼を。
「信じるのはそちらの勝手だ」
冷たく言い放った裏切り者は邪魔者を消そうと杖を掲げた。その顔が強張る。
ミストバーンの全身から純然たる殺気が立ち上っている。冷たい横顔からは、触れると切れそうなほどの怒り。
「忠誠を誓った相手を簡単に裏切り……私に薄汚い裏切り者になれと勧めるとは、な……!」
彼にもわかっている。
これは人間同士の問題であり、彼が口を出すものではないと。ワルドの行いを責めることはできないと。
力こそ正義の魔界において、力を得るため――目的のために行動するのは正しいことだ。信じた者が、騙された方が悪い。見る目が無かっただけだと笑われる。
ウェールズを早目に殺そうとしたのも王党派の士気を下げ、自軍の余計な消耗を避けるため。何も間違ってはいない。
それでも彼には耐え難かった。
「ウェールズの全てを賭けた戦い……貴様如きに汚されてたまるものか!」
どれほどワルドが強くとも、彼の心に名が刻まれることは永久に無い。
ワルドが杖を上げ、ミストバーンが拳を構えると空気が戦いの前兆を示すように震えた。
ワルドが杖を振るうと流水のようによどみなく呪文が完成し、巨大な空気の塊がミストバーンに叩きつけられた。その威力は手合わせの時とは比べ物にならない。
「どうした? 使いたまえよ、ガンダールヴを……全ての力を!」
ガンダールヴの力を発揮すれば速度が跳ね上がるというのに使おうとしない。
高らかに笑うワルドへ静かな声で問う。
「お前こそ使わんのか?」
まさか全力を使わずに倒せるとでも思っているのか――そう言いたげな声だった。
ワルドの顔が強張ったが、挑発に薄い笑みで応えた。
「ならばお教えしよう、風の最強たる所以――偏在を。ユビキタス・デル・ウィンデ……」
呪文の完成と同時にワルドの体が分かれた。ただの分身ではなくそれぞれに意思と力が宿っている。
「やはりお前だったか……」
彼はワルドと仮面の男の気配がよく似ていることを察し、警戒していた。自身が主の分身体を預かっているだけにそういった魔法の存在を予想していたのだ。
興味の欠片もない結婚式に潜んでいたのも、手がかりであるルイズや認めたウェールズを殺させぬため。
直前まで姿を現さなかったのは名を覚えるに値するか見極めようとしたからだ。
ルイズはあまりの衝撃に動けない。
認められたと思いこみ、全て否定された。大きな存在でなかったとはいえ絶望と悲しみは深い。
ワルド達が一斉に攻撃に転じると杖や魔法が身体をかすめる。万全の状態ならば全く問題にしないが、力が極端に落ちている今五対一では分が悪い。
だがワルドは目の前の男が危険な存在であることを悟っていた。これほど強烈な殺気を放つ相手を侮っていると手痛い一撃をくらう可能性が高い。
速やかに攻撃を叩きこもうと偏在が同時に詠唱を始める。ウィンド・ブレイク――猛る風が敵を吹き飛ばす魔法だ。ミストバーンはようやく剣を抜き、右手で構えた。
「剣で風を止められるものか!」
ワルドが笑うがその眼が見開かれた。生じた風がデルフリンガーの刀身に吸い込まれていく。
接近し、反応の遅れた偏在の胸を左手で貫き消滅させる。
「やはり魔法を吸収するようだな」
彼は手合わせの時に魔法の威力が軽減されたことに気づいていた。
闇の衣に封印されている時は呪文を吸収、増幅し打ち返す技を持っている。感覚が似ているため気づいたのだろう。
フェニックスウィングが不完全な今ならば魔法を防ぐ有効な手段となり得る。
だが、一体消されたとはいえ本体と合わせてワルドは四人。
「厄介な能力だが、吸収されぬ魔法で攻撃すればよい」
その杖が細かい振動と共に青白く輝く。ウェールズを貫こうとした呪文エア・ニードル――杖自体が渦の中心であり、吸収はできない。
鋭利な切っ先が四方から迫るのを受け流し、手で払い、かわす。相手が吸収できる魔法を使わないことを悟り、再び剣を納め素手で戦っている。
「何故君は戦う? それほどルイズに忠誠を誓っているのか?」
「我が主はバーン様ただ一人……」
彼が戦っているのは誰の命令でもない。彼にはルイズこそが帰還の鍵を握るという漠然とした予感があった。
手がかりのルイズを守るという“義務”と、ウェールズの邪魔はさせないという彼自身の意志だけで戦っている。
ルイズは体の震えを押し殺し、目の前で繰り広げられる戦いを食い入るように見つめていた。
裏切りの衝撃が徐々に薄れ、行動すべきだという思いが湧き上がる。
しかし、何をすればよいのかわからない。足手まといにならぬよう引っこんでいるしかないではないか。自分はゼロのルイズなのだから。
そこまで考え、ルイズは自分の両頬をばちんと叩いた。
(ええい! らしくないわ!)
何もしないうちから諦めて保身を考えていては主人失格だ。もっとも、まだ主とは認められていないのだが。
(我が主はバーン様ただ一人……)
「もう、少しは気をきかせなさいよ!」
悔しさと怒りがふつふつとこみあげ、あっという間に悲しみと恐怖を押し流す。
ワルドはミストバーンに注意を向けている。いくらゼロのルイズと呼ばれているとはいえ意識から締め出すとは――完全に甘く見られている。
「わたしを……このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールをなめるんじゃないわっ!」
彼女はこめかみに青い筋を浮かび上がらせながら呪文を詠唱した。杖を振ると偏在の一体が爆発し、消滅する。
本体と合わせてワルドは三人に減った。これで有利になると考えたルイズへ、近い位置に立っていた偏在が向き直り躍りかかった。
ミストバーンは見た。ルイズへ凶刃が迫るのを。
彼と主をつなぐ唯一の線が、一筋の希望の光が絶たれようとしているのを。
――主の元へ、戻れなくなる。
「ルイズ!」
気がつけば、初めて叫んでいた。同じ闇を抱える者の名を。
デルフリンガーを抜き放ち、ルーンを光らせつつ投げつける。
ルイズは見た。ミストバーンが己の名を叫び、剣を抜いて投擲したのを。
目の前に迫った偏在が胸を貫かれ消滅するのを。
そしてその隙に、もう一体の偏在が彼の心臓を青白く輝く杖で貫いたのを――!
最終更新:2008年07月19日 02:15