ゼロの影-09

第四話 命令

 “彼”は思案に暮れていた。
 腹心の部下が光の鏡に吸いこまれ、姿を消してから気配を探っている。しかし何も手がかりはなく、虚しく時間が過ぎていくばかりだ。
 魔界にも地上にもいない。ならば天界にいるのかと思ったが、“彼”の直感は異なる結論を下していた。
 あの忠誠心が服を着て歩いているような部下が己の元に帰ってこないのは、不可能な状況下にあるからだ。
 “彼”は部下の帰還を疑っていなかった。
 闇の衣を身にまとっている状態でも大抵の敵は簡単に滅ぼすことができ、ほとんどの攻撃が効かない。
 万一封印を解く事態になっても最強の肉体に秘法をかけて文字通り無敵の存在と化している。
 帰還を確信しつつも最強の肉体と最高の忠臣を一刻も早く手元に戻すため、“彼”は捜索を続けていた。

 軍の指揮を執っていたウェールズは突然ズキリと心臓が痛むのを感じ、胸を押さえた。本来ならばワルドの杖に急所を貫かれ死んでいたはず。
 それを救ったのはミストバーンだった。顔を合わせた時間こそ少ないが、確かに通じるものがあった。
(アンリエッタに、勇敢に戦い死んでいったと伝えるよう頼んだからね)
 あのままでは死んでも死に切れなかっただろう。散ることを決意した戦いの場へ送り出してくれた――どれほど感謝しても足りない。
(おかげで最後に格好がついた……)
 自分の名を心に留めておくと約束してくれた。彼がそう言ったからには永遠に忘れはしないだろう。
 ウェールズも、国民やアンリエッタ、ルイズ、そしてミストバーンを想いながら命尽きるまで戦い抜くつもりだった。
 彼らは今どうしているだろうか――考えかけたが、首を振って思考を切り替えようと努めた。
 自分の果たすべき役割を思い浮かべ、精神を集中させる。彼らに恥ずかしくない戦いぶりを見せようと。

 ルイズは眼前に広がる光景を信じられなかった。
 ミストバーンの胸が青白く光る杖で貫かれ、先端が背から突き出ている。心臓を貫通していることが明らかだった。
 傷口を広げるために杖が捻られると、口の端から血が滴り、首ががくりと垂れた。さらに深く押し込まれても声一つ上げず、両手は力なく下がっている。
「ミストバーン……!」
 初めて名を呼んだというのに返事は無い。
 杖が引き抜かれ、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。倒れ伏した彼の体の下にじわじわと赤い染みが広がっていく。
(わたしの――わたしのせいで)
 彼女を守ろうとしたため隙が生じ、刺されてしまった。自責の念、後悔が膨れ上がりワルドへの怒りに姿を変える。
 杖を掲げたがワルドの方が早い。瞬時に魔法を放ち、ルイズを吹き飛ばす。床に転がった彼女はそれでも杖を構えようとしたが、壁に叩きつけらた。
 蒼白な顔になった彼女にワルドが苦笑する。
「だから! だから言ったではないか、共に世界を手に入れようと!」
 ルイズの目から涙がこぼれる。
 ミストバーンとの戦いの時はキュルケとタバサ、コルベールやギーシュがいて助けてくれた。
 ゴーレムの時はミストバーン達が共に戦ってくれた。
 今は――誰もいない。意地を見せても認めてくれる者はいない。
 苦痛と死の予感が彼女の意識を押しつぶし、恐怖へと染め上げていく。
「言うことをきかぬ小鳥は首をひねるしかないだろう? なあルイズ」
 残念そうに囁いたワルドが歩み寄る。ルイズは震えながら青年を見るが、やはり奇跡は起こらない。
 ワルドは怯えた獲物の様子に満足げな笑みを浮かべた。もはや邪魔者はいない。
 彼は完全勝利を――人生の成功を確信した。

 だが、彼はいくつか過ちを犯した。
 まず一つは、ミストバーンにとどめを刺さなかったこと。万全を期すなら首をはねるか心臓をあと数回は刺すべきだった。
 二つ目は、気を緩めたこと。最大の敵を葬ったと思い込み、威圧感から解放された反動で彼は冷静さを欠いていた。
「主の所有物である体を、傷物にしてしまったな」
 三つ目の過ちは、不用意な発言。彼は言葉を重ね、知らぬうちに破滅の淵へと近づいていく。
「ルイズ……君も、彼も愚かだ。彼の崇拝する主も暴君か無能か……暗愚なのだろう」
 今、彼は最大の過ちを犯した。すなわちミストバーンの主を侮辱したのだ。
「あ……ああ……!」
 ルイズが震えながら声を絞り出した。声の調子が変わったことに気づいたワルドが振り返り凍りつく。
 ミストバーンが立ち上がっていた。口元と胸を真紅に染めた壮絶な姿で。
 目元は髪に隠され見えない。異常なまでに膨れ上がった殺気がワルドの肌を刺し貫く。
 偏在が杖を振るうが、避けたようには見えぬ動きで回避し、偏在の頭部をつかんだ。
 手に力を込め、風船の破裂するような音と共に握りつぶす。
「馬鹿な……急所を貫かれて何故動ける!?」
 ミストバーンは伏せていた顔を上げた。
 常に閉ざされていた双眸が開き、底知れぬ暗さをたたえた瞳が裏切り者を見据える。
 闇を切り取ったような眼がワルドの心を突き刺し凍てつかせる。
 彼は、恐怖に縛られ動けぬワルドに指を突きつけた。

 そして下される、死の宣告。

「……命令する。……死ね」

 彼は静かに、そして深く、怒っていた――。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年07月24日 14:01
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。