ゼロの影-11

第三章 影差して

第一話 鳥の翼

 周囲の好奇の目に関わらず、いつものように授業中爆発を起こしたルイズはオスマンに呼び出された。
 王女とゲルマニア皇帝の結婚式の際に詔を読み上げる巫女として選ばれたのだ。
 『始祖の祈祷書』を渡され、肌身離さぬよう言われた彼女は誇らしい気持ちと詔など考えられないという戸惑いでいっぱいだった。
 ルイズが頭を抱えて悩んでいると、キュルケとギーシュ、そしてシエスタが近づいてきた。
「宝探しにいかない? 帰る手がかりを探してるんでしょ、フーケの時みたいなマジックアイテムもあるかもしれないわ」
 ルイズは気分転換のためあっさり了承し、ミストバーンの方をちらりと見た。
 胡散臭いが、今学院にいても状況は好転しそうにない。
 それならばわずかな可能性に賭けてみるのもいいだろう――そこまで考え、彼は複雑な気持ちになった。
(フン……まるで正義に目覚めた者のような言い草だな)
 それほど精神的に追い詰められていることに気づかぬまま頷く。
 ギーシュは異性にモテたいという願望を丸出しに参加を申し出、シエスタも連れて行けと叫ぶ。ギーシュ達は粗食に耐えられないだろう。
「でも遺跡や廃墟には怪物がわんさかいるわよ?」
「じ、自分でなんとかします」
 守ってもらいたいと思ったのだが、自分の手足を動かせと言われそうなため内心を隠しつつ答えたのだった。
 大きく頷き、キュルケが出発を告げた。

 廃墟となった寺院の近くの木の陰にタバサは隠れていた。
 突然爆発音と共に門柱の隣の木が発火し、異形の怪物たちが飛び出してきた。二足歩行の巨大な豚の姿――オーク鬼だ。
 騒ぎ合うオーク鬼達を見ながらタバサが使う呪文を検討していると、青銅の戦乙女達が姿を現した。焦ったギーシュが先走ったのだ。
 ワルキューレが突進し、槍を突き立てるが致命傷にはならない。周りのオーク鬼の棍棒が華奢なゴーレムを吹き飛ばし、叩き壊した。
 タバサのウィンディ・アイシクル、キュルケのフレイム・ボールが放たれるが二体葬ったにすぎない。
 さらに数体が爆ぜるがまだ多くが残っている。
 奇襲の失敗を悟ったオーク鬼達は人間のにおいを探り、走り出す。
 すると若者が影の中から姿を現した。剣を背負っているものの抜こうとせずにオーク鬼達の前に立ちふさがる。
 彼らの鈍重な頭に冷気が忍び寄る。獣の本能が今すぐ逃げろと大音量で叫んでいる。
 だが、それに従うだけの賢明さを持たぬオーク鬼達は突進した。
 先頭の一匹が棍棒を振り上げ、振り下ろそうとして止まる。単純な拳の一撃が頭部に叩きこまれ首の骨をへし折ったのだ。
 どうと倒れた巨体に目もくれず、次の一匹に低い姿勢で蹴りを放つと足を砕かれたオーク鬼がしゃがみこむ。その脳天へ踵落としが炸裂し、頭部を弾けさせた。
 一斉に襲いかかっても時の流れそのものが違うかのように優雅にかわされ、背筋の寒くなるような膂力の犠牲となる。
 過ちを悟る前にオーク鬼達は全滅した。

 戦闘を終え、キュルケ達はギーシュを睨んだ。作戦ではヴェルダンデの掘った落とし穴まで誘い込み、用意していた油に引火させ燃やしつくすはずだった。
 膝をつきうなだれるギーシュに影が差す。その主は地についたギーシュの手を踏みつけた。
 ぐりぐりと踏みにじり、氷雪の視線でギーシュを貫く。シエスタが止めようとするのをキュルケとタバサが制した。
「……人形が無ければ何もできんのか?」
 背を向けるミストバーンと、震えて唇を噛みしめるギーシュ。
 今彼らに話しかけるべきではない気がした。

 結局宝は見つからず険悪な空気になりかけた所でシエスタが食事の準備ができたことを告げた。
 ギーシュなどはシチューのあまりの美味さに感動し、
「この肉は……この肉はどうしたアァァッ!」
 と叫びルイズ達から「うざったい!」と一喝された。
「オーク鬼の肉ですわ」
 ぶほっと吹いたギーシュを汚いと責める余裕もなく、キュルケとタバサは固まっている。
「じょ、冗談です! ホントは野ウサギの肉です」
 彼女の慌てる顔で場が和みかけたが成果はゼロのままだ。
 宝は見つかりそうにないため次で最後にしようとギーシュが促すと、キュルケは一枚の地図を選んだ。
「これに決まりよ! お宝の名は……『鳥の翼』。場所はタルブの村ね」
「『鳥の翼』ってまんまじゃないかね」
 呆れるギーシュとは対照的に、シエスタがシチューを吐き出した。タルブは彼女の故郷らしい。
 その後シエスタに説明を受けたが要領を得ない。『鳥の翼』は一度使ったらなくなるものらしく使わせてもらえなかったのだ。
「ある日村に現れた私のひいおじいちゃんが、持っていたものらしいんですが……」
 真相を確かめるべくタルブの村へ飛び、シエスタの家に向かう一行が出会ったのは意外な人物だった。
 すらりと伸びた肢体が眩しい美女――盗賊のフーケだ。
 キュルケとタバサが杖を構え、ミストバーンが前進すると彼女は降参したように手を上げた。
「待ちな、あんたらに敵対する気はないよ」
 全く信用せず容赦なく攻撃を叩きこもうとするミストバーンへ、冷や汗を流しつつ敵意のないことをアピールする。
「ほんとーだって! 『虚無の影』相手に喧嘩売るほど命知らずじゃないから!」
「虚無の影?」
「そこの美肌につけられた名さ。怪しい奴だとは思ってたけど、まさか五万人の敵の中に突っ込んで暴れるなんてね」
 本人はワルドへの怒りに我を忘れはっきりとは覚えていない。だが兵士達の方は忘れたくとも忘れられない。
 たった一人の若者が影のように音も無く命を奪っていくのだ。
 飛び散る鮮血に白い衣と髪が映え、この世のものとは思えぬ姿だったと生き残った目撃者は語る。
 多くの人間に地獄を見せ恐怖の淵に叩きこんだ自覚など持たない彼は他人事のように聞いている。
「とにかく! 大人しくするから戦ったり通報したりはやめとくれよ」
 彼女は一度田舎にひっこむことを決意したらしい。破壊の筒はガラクタで復讐も果たせず、少々疲れたのだと言う。
 仮面の男からの報酬でしばらくは盗賊稼業も休んで大丈夫――肩をすくめる彼女に一同は疑わしげな視線を向ける。
「実は『鳥の翼』を狙ってんじゃないの?」
「ははっ! お偉い貴族様のうろたえた顔は見たいけど、平民から盗む気はないね。……まあ『鳥の翼』にはちょいと興味があるけど」
 早く実物を確認するためにもひとまず休戦するしかないようだ。

 フーケを加え歩いていくと、村の少年が駆け寄ってきた。
「おねえちゃん!」
「ねえ、ちゃん?」
 鼻で笑ったキュルケをフーケが殺気のこもった眼で睨みつけるが、少年がはしゃぐと二人とも表情を緩めた。
 ルイズやシエスタも笑い、タバサでさえ口元はかすかに綻んでいる。ギーシュはいつの間にか通りすがりの女性と話に花を咲かせている。
 和やかな空気の中で彼一人だけが浮いていた。

 シエスタの家に到着し、さっそく秘蔵の『鳥の翼』を見た一行は何とも言えぬ表情を浮かべた。
 文字通り鳥の翼が数枚箱に入っているだけだ。ルイズが一枚手に取り首をかしげている。
「名を知る者に与えよ、とひいおじいちゃんは言っていました」
「……キメラの翼だ」
 呟いたミストバーンにシエスタが驚いた。
「その通りです! どういった効果があるんですか!?」
「一度行ったことがある場所に移動できる。心に思い浮かべて――」
 言うなりルイズの体がふわりと浮き上がり――彼女は豪快な音と共に天井に激しく頭をぶつけた。
 床に落下し、後頭部を抱えてうずくまる彼女を見てシエスタはうろたえた。
 キュルケとフーケは笑いをこらえるのに全力を傾け、タバサもわずかに口元を緩めている。
 気まずい空気を破ったのはデルフリンガーとギーシュだった。
「でーじょーぶか? 痛そうな音だったなーオイ。見ろよ、天井にでっかいひびが入ってら」
「ちゃんと注意書きをつけておくべきだよ。室内で使うべからずってね」
 間の抜けた姿を見られた彼女は無言で立ち上がった。数秒後、ギーシュとデルフリンガーの悲鳴が室内に響き渡った。

 『鳥の翼』ことキメラの翼を全て譲られた彼は思案に暮れていた。
 シエスタが何の見返りも求めず純粋な好意で提供したためだ。
 それに、彼が人間でないと知っていながら普通に接している。怯えたのも最初だけだ。
 同行しようと思ったのも彼が恐怖すべき存在か見極めようとしたためであり、結論は
「人間じゃないってだけで怖がるのはおかしいって思ったんです。人間の中にだっていい人も悪い人もいますから」
 というものだった。そして耳が尖っているというだけで怯えたことを謝っていた。
 ギーシュ達も彼女と同意見らしい。
 アルビオンでの戦いを知らないからそう言っていられるのだが、あっさり受け入れているようだ。
 奇妙な人間達だと思いつつ、彼は手に入れたキメラの翼を眺めた。
 譲られた物の価値以上に、異世界とのつながりを――帰還の可能性を信じることができたのが大きい。
 思索にふける彼の、夕日に赤く染め上げられた草原に佇む姿は絵画を思わせた。
 食事ができたことを知らせにきたルイズがその光景に見とれたように息を呑んだ。言葉が自然と口からこぼれ落ちる。
「とっても……きれいね」
 普段何の意識もせずあって当然だと思っている太陽。しかし、このような時に実感するのだ。太陽は世界に欠かせぬものだと。
 この光景を決して忘れないだろう――ルイズは内心でそう呟いた。
 無言で頷いた彼の手がゆっくりと太陽に伸ばされる。まるで美しい宝石に触れようとするかのように。
 彼女は声をかけようとしたがその背に飲み込まざるを得なかった。

「バーン様も……美しいとお思いになるだろう」
 呟きはルイズではなく己へ向けられているようだった。
(あの御方の大望が叶えば……同じ光景を見られる)
 絶対にその日を来させてみせる。
 そしてその時主の傍らに立ち、主と同じ光景を眺めるのは彼しかない。
 元の世界へ一歩近づいたと言う想いが彼を感傷的にさせていたのかもしれない。
 主を思わせる赤く燃える太陽と、同じ色に染まった草原は心に深く刻み込まれた。

 平穏の日常の中へ戻ろうした彼らにアルビオンの宣戦布告の報が入った。
 戦の準備はできておらず、制空権が奪われている。現在タルブの村が焼かれていることを聞きオスマンは苦い顔をした。
 どうしようもないため王宮の使者と共に沈痛な溜息を肺から絞り出す。
 だが、彼は気づいていなかった。オスマンの居室を尋ねた使者の異常な慌てぶりに、ルイズが好奇心を発揮して話を盗み聞きしたことを。
「タルブの村が襲われているなんて――」
 ルイズは途方にくれたように地面を眺めた。穏やかな時を過ごした村が踏み荒らされるのを止めたい。
 だが手紙の時と違い、彼女自身が対処せねばならない問題ではないのだ。当然青年も余計な行動はしないだろう。
 しかし、予想に反して彼は行くつもりのようだ。
「まさか戦う気? あんたは人間のことなんかどうでもいいんでしょ?」
 沈黙とともに頷く。
 他の状況ならば人間が何千人何万人殺されようと関係ない。学院やルイズに害が及ばない限り戦わないだろう。
 だが、帰還の可能性を見せた場所を何も知らぬ人間が踏み荒らすのは気に食わない。
 そんな感傷だけでは動かないが、アルビオン軍の中にワルドがいる可能性を考え、行くと決めた。
 元の世界に戻る前に主を侮辱したワルドだけは必ず殺すと決意していたのだ。
 そこへどうやって嗅ぎつけたのか、ギーシュが全力疾走してきた。ぜえぜえと息を切らす彼の足元にはヴェルダンデもいる。
「ぼ、僕も連れていってくれ!」
 ギーシュがそう言うのを聞いてはルイズも退けない。
「わたしだって行くわ」
 いざという時に戦わなければ貴族が貴族たる理由がなくなってしまう。
 彼女の決意は氷のような声で却下された。
「お前は来るな」
 彼女の身を案じているわけではなく、手がかりが失われては困るということだ。
 言い募ろうとするルイズの前にギーシュが立ち、真っ直ぐ彼を見つめる。
「僕が……何とかする」
 ギーシュは無言の圧力を感じ取っていた。“任せろ”と宣言しておきながらルイズを守りきれなかったら生命と誇りが危機にさらされる。
 それでも、ルイズの矜持を守ろうとする意志を尊重したかった。同じ貴族なのだから。
 これ以上時間を失うわけにもいかず、ルイズとギーシュを連れて彼はキメラの翼を使った。

 タルブの村は混乱と悲鳴の叫びに満ちていた。
 すでに多くの人間は避難しているものの、逃げ遅れた者達がいる。親とはぐれた少年が泣きながら彷徨っていると、杖を持った人影が見えた。
 怯えて立ち尽くす彼に魔法を唱えようとはせず、手を差し伸べる。涙を流して動けない彼の髪をくしゃくしゃと手でかき回す。
「男の子だったらビービー泣くんじゃないよ。こっちに来な、あんたの親御さんもいる」
 泣きやんだ少年は涙を振りはらい、ようやく相手を認識した。最近村に訪れ、子供達の世話をしている女性だ。
「おねえちゃん!」
 もう一度頭を乱暴に撫でた彼女は少年を避難場所まで送った後引き返した。
 フーケは自嘲の笑みを浮かべていた。盗賊のくせに人助けなど、自分でも可笑しくなってしまう。
(フーケ様ともあろうものが、焼きが回ったのかね……?)
 それでも、年端もいかぬ子供を見捨てるほど非情にはなりきれない。
 家族の顔を思い出した彼女は頭を振り、なるべく被害を抑えようとゴーレムを出現させた。

 タルブの村に降り立った三人は空を見上げた。多くの竜騎兵、そして艦隊。巨大戦艦『レキシシントン』。
 竜騎兵達がこれ以上被害を振りまく前に、速やかに旗艦を落とさなければどうしようもない。
「どうやってあれに近づくの?」
 無言で新たなキメラの翼を取りだす。
 目に見えている場所ならば瞬間移動呪文の要領でいけるはず。キメラの翼で試したことは無いがやるしかない。
 自分も乗りこもうと意気込むルイズとギーシュから身を離し、淡々と呟く。
「お前とルイズは残れ」
 足手まといということか。悔しさに身を震わせるが一刻の猶予もない。
 非常時に備えて渡されたキメラの翼をしぶしぶ受け取り、頭を切り替える。
 ミストバーンがキメラの翼を使って上空に見える『レキシントン』号へと飛び、ギーシュとルイズは駆け出した。


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最終更新:2008年07月30日 14:43
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