第三話 予感
ルイズの起こした“奇跡”によって勝敗はあっけなく決した。
艦隊が全滅しても他に兵達は残っていたが、大半の者が戦闘を続行する意思を絶たれ、アルビオンは降伏することとなった。
勝利の鍵となったルイズは己が虚無の使い手であることを知って不安に苛まれていた。
突然現れた巨大な力をどう扱うべきかわからず途方に暮れたが、救いと言えるのはミストバーンの態度の変化だった。
表向きには大して変わっていないものの今までは“仕事上の上司というだけの小娘”、“ただの手がかり”程度の扱いだった。
認めていたのは努力する姿勢と強敵相手に退かぬ意地くらいだっただろう。
しかし今は、どこか違う雰囲気があった。
ある日ルイズはアンリエッタに呼び出され、“奇跡”について尋ねられた。
少し迷ったもののアンリエッタへの信頼から『虚無』の力について話し、忠誠と共に捧げることを誓う。
次いでアンリエッタはミストバーンの働きについても褒め、爵位を授けられぬことを詫びたが無愛想に遮られた。
「そのようなものは要らぬ。私が欲するのは……異世界についての情報だけだ」
「……わかりました。出来る限り私も協力しますわ。今は、これを」
アンリエッタはポケットを探り、宝石や金貨を取り出し差し出した。
彼には必要のないものだが、ルイズが手に押し付けるようにして受け取らせ、王宮を出る。
人ごみの中を歩きながらルイズは考え込んでいた。
いくら異なる世界から来たと言っても、ここまで身分や富、名声にこだわらないでいられるだろうか。
相手が高貴な身分の者だろうと誰だろうと同じように接している。
思えば、彼について知っていることなどほんのわずかだ。
恐ろしく強いこと、己を高めようとしない者を見下すこと、氷のように冷徹であること、時折熱い何かを感じさせること。
何より――主への絶対的忠誠心。それが身体的な強さ以上に彼の武器となっていることをルイズは薄々悟っていた。
その半分でいいから自分に捧げてほしいと思わなくもないのだが、主一筋であってこその彼だと言うことを理解しつつある。
自分なりの形で認めさせるしかなかった。
意気込んで歩いて行くと占い師が声をかけてきた。大きな水晶玉に神秘的な装束、雰囲気満点である。
「何でも占いますよ。探し物、恋愛、金銭などなど。四大系統の魔法理論をベースに独自の解釈を加え応用発展させたもので――」
「へええ。当たるの?」
「そりゃもう!」
延々と続きそうな文句を遮りルイズが尋ねると、占い師は胸を張って答えた。心を惹かれたものの、現在彼女の所持金はほぼゼロに近い。
諦めかけてミストバーンの方を見ると、彼は受け取ったばかりの大量の金貨を石ころのように無造作に台に放り出した。
「これで足りるか……?」
占い師は台に散らばった輝きに唾を呑みこみ、こくこく頷いた。
「多すぎるくらいでさ。じゃいきますかあ!」
水晶玉を睨みぶつぶつ呟くのをルイズはうさんくさそうに眺めている。
「あんたが占いを信じるなんてね」
元の世界でもごく稀に真実を見通す者はいた。
目の前にいる人物がそうだとは限らないがどうせ情報は無い。駄目でもともと、ほとんど期待していなかった。
やがて占い師はカッと目を見開き叫んだ。
「視える、視えるよ! 兄さんの帰りを待つ者がいて行方を捜してる。遠いところから来たんだろ」
「他にはわからないの?」
口をとがらせるルイズに占い師は腕を組み、うーんと唸った。覚悟を決めたように頷く。
「しんどいからあんまりやりたくないけど……大枚はたいてもらったしサービスしとくよ」
言うなり懐からペンと羊皮紙を取り出して広げた。指に先端を軽く突き刺し、血を滴らせる。
瞼を閉ざすと腕が見えざる手に操られているように動き出した。さらさらと書きつけ、肩で息をしながら差し出す。
「はいどうぞ。何書いてるかは知らないから兄さんたちで読んどくれ」
ミストバーンは羊皮紙を手に取り、かすかに顔をしかめた。
「何て書いてあったの?」
「読めん……」
じゃあ私が、と言いかけるルイズにミストバーンは向き直り、真剣な口調で頼んだ。後で文字の読み方を教えてくれ、と。
結果は本人だけが知りたいのだろうと思ったがどうやら違うらしい。学院の図書館で帰還の手がかりが無いか調べるつもりだと言う。
「何言ってんの!? あんなに本があるのに片っ端から読む気!?」
「このまま無為に過ごすことに比べれば……!」
吐き捨てる言葉の中には焦りと苛立ちが混ざっている。彼は砕けんばかりに拳を握り締めた。
「もっと……もっと早く取り組むべきだった」
後悔と己への怒りで身を震わせる彼にルイズが何も言えないでいると、占い師が指でつついてきた。
「嬢ちゃんも視てあげますよ。ま、こりゃ目ェ凝らさなくても視えるね。……諦めなさい」
「はあ!?」
茶化すような表情が一転して真剣なものに変わった。口調も低く暗くなる。
「あの兄さんは人間じゃない。どこまでも深い闇から生まれた化物さ。とっとと別れて忘れるのが一番ですよ」
占い師は立ち尽くすルイズに気の毒そうな視線を投げかけ、立ち去るミストバーンに営業用の笑顔で手を振った。
学院に戻って早速特別授業を始めようとしたものの、いきなり壁にぶち当たった。
ルイズとて魔法が使えない分勉強し、努力を重ねてきた。だが教師としての訓練を積んだわけではなく、どこから教えればよいのかわからない。
貴族に相応しい言葉づかいは習っても日常会話で文法や体系を意識してはいない。
改めて突きつけられると大洋へ小舟で乗り出すような気持ちになってしまった。
「わたしが代わりに読むってわけにはいかないの?」
「頭が魔界の大地の教師も協力している。私だけが何もせずにいるわけにはいかん」
ひどい言われようだがルイズは華麗に聞き流し、溜息を吐いた。
「人に教えるのが上手くて、知識がある、か。……あ」
ルイズは目を輝かせ、立ち上がった。
「キュルケとタバサに協力してもらいましょ。認めたくないけどキュルケは教えるの上手そうだし、タバサは本の虫で知識の塊だわ」
ルイズ一人に任せてはどれほど時間がかかるかわからないと思ったため彼も頷いた。
頼もしき助っ人、キュルケとタバサは二つ返事で了承し、特別授業が始まった。
「任せて、手とり足とり――何でもないわごめんなさい」
順調とは言えない滑り出しだがキュルケとルイズが主に口を動かし、タバサが説明の難しい場所を簡潔に言い表す。
たまにシエスタが茶や菓子を差し入れ、チームワークは抜群だ。
やがて一通り教え終わったと思った教師達は試験を課すことにした。タバサに視線を向けると彼女は静かに「あなたならできる」とだけ呟いた。
そう言われては誇りにかけて退くわけにはいかない。覚悟を決め、本を開く。
「ちょっと待って」
重要書類を読むような表情の彼を制し、キュルケは指を立てて真剣な表情で顔を近づけた。美青年と美女が至近距離で睨み合う図が完成する。
「文字をただ読み進めるだけじゃ足りないわ」
字の連なりの中から意味を読み取り、魂に刻む。
「呪文も同じようなものよ」
律動と一体化し、『理解』することで真の力を発揮する。
「帰還の方法なんてパッと見てわかるようなものじゃないでしょうから『理解』が必要になるわ」
しばし沈黙が漂ったが、彼女の言葉に偽りが無いことを知ったミストバーンは頷くと読書を再開した。
読み終えるとキュルケの質問に難解な哲学書を読むような表情のまま答えていく。
ルイズは口をぽかんと開け、タバサは本に目を落としていながらしっかりと聞き耳を立て、シエスタも扉の陰から盗み聞きしている。
(しゃ、喋ってる……!)
必要最低限しか喋らない彼のことだ、てっきり頷くか指をさして答えるのだろうと思っていた。
答え終えた彼が採点を求めるようにキュルケを見つめると、彼女はどこか爽やかな笑みと共に答えた。
「フフ……あなたの言語能力はもはや本家のあたし以上……ってのは言いすぎだけど予想以上だわ。すぐに図書館の本も読めるようになるわよ」
ミストバーンは拳を握りしめ、確かな手ごたえを感じたようだった。
早速易しめの本に挑み読みふける彼の姿を眺めながら、キュルケとルイズは雑談に花を咲かせていた。
キュルケはタバサの帰省に付き合い、諸々の事情から水の精霊を退治することとなった。
だがそこでギーシュとモンモランシー、ケティに遭遇した。惚れ薬をめぐって修羅場に発展したらしい。
解除薬を作るには涙が必要なため精霊を守ろうとするギーシュ達と戦い、正体を知って杖を納めた。
ギーシュ達を倒すわけにはいかず、かといって浸水を放置するわけにもいかない。
話し合いを試みると盗まれたアンドバリの指輪を取り戻すよう頼まれたのである。
盗んだ一味の中にはクロムウェルという名の人物がいることや、指輪には偽りの生命を与える力が秘められていることも知った。
「あと……色男に会ったのよね。誰だったかしら。金髪で――」
うーんと唸り、手を叩く。
「あれはウェールズ皇太子ね。敗戦で死んだって公布があったけど生きていたのね」
ミストバーンがウェールズの名に顔を上げた。彼の姿は心に深く刻まれており、忘れることはないだろう。
勝ち目のない戦いに赴くというのに希望の光を瞳に宿し、誇り高い魂を持っていた戦士。
死を確認していないがあの状況で生き延びられるとは思えない。だがキュルケが見違えるというのも考えにくい。
その時ルイズの中でアンドバリの指輪とクロムウェルの名、ウェールズの存在が結び付いた。
「ねえキュルケ、その一行はどっちに向かったの?」
「首都トリスタニアの方角よ」
聞いた瞬間に彼女は駆け出そうとしたが、止められて必死の形相で叫んだ。
「姫様が――危ない!」
さっそくタバサの風竜で飛び、街道上に人の死体が転がっているのを発見した。
生存者を見つけて話を聞くと、致命傷を与えたはずの相手が亡者の如く動いて攻撃してきたのだと言う。
やがて草むらから現れた懐かしい影を見て、ミストバーンが内心を窺わせぬ表情で呟いた。
「ウェールズ……!」
最終更新:2008年07月30日 14:46