第四話 偽りの生命
ウェールズの後ろからアンリエッタが姿を見せるとルイズが悲痛な面持ちで呻いた。
「姫様! そのウェールズ皇太子は、アンドバリの指輪で蘇った亡霊です!」
叫びを聞いてもアンリエッタは足を踏み出せない。タバサのウィンディ・アイシクルがウェールズの全身を貫いても、なお。
現実から目を背けるように首を振り、苦しそうな声を絞り出す。
「お願いよ、行かせてちょうだい。偽者でもかまわない……私は誓ったのよ。水の精霊の前で、ウェールズ様への愛を」
「そうさ。通してくれたまえ」
ルイズの杖が力無く下がった。他の者達もかける言葉が見つからない。彼女の想いを知って止めることなどできるはずが無い。
胸の重くなる沈黙を低い笑い声が破った。
ミストバーンがはっきりと口元に笑みを刻み、肩を震わせている。
「何がおかしい?」
ウェールズの問いに彼は可笑しくてたまらぬと言うように笑い声を響かせた。
「フハハハハッ! 偽りの生命しか持たぬ人形風情が、ウェールズのような顔をするとは笑わせる」
アンリエッタに指を突きつけ、告げる。どこまでも温度を感じさせぬ声音で。
「そこの小娘……私も似たような技を使うからわかるが、それは所詮躯にすぎぬ。……本物の生命を持つ者が、偽りの存在に安息を求めるとはな」
彼女は気づいていないのだろうか。偽者と知りつつ従うことがウェールズへの侮辱になることに。
彼にはレコン・キスタのやり方を責める権利はない。
ただ、ウェールズではないモノがウェールズのように振舞うのが不愉快だった。彼の誇りを汚された気がしたから。
「あなたに……あなたにこの人を偽りだの人形だの言う資格があって!?」
耐えかねたアンリエッタが叫んだ瞬間、放たれる空気がはっきりと変わった。
まるで憎悪が人の形をとったかのように、彼の全身からどす黒いものが立ち上る。
含まれているのは純度の高い怒りや憎しみ、それだけではない別の感情も見えた。
ルイズの肌が粟立ち悪寒が走る。
――どこまでも深い闇から生まれた化物。
その言葉が重く心にのしかかり、彼女は思わず自分の体を抱きしめた。
「どきなさい。これは命令よ」
アンリエッタが精一杯の威厳を振り絞るが、叩きつけられた殺気に息を止め、呻きを漏らした。
「命令……? 私に命令できるのはバーン様だけだ!」
絶対零度の言葉と共に走る彼を水の壁が阻み、その壁も爆ぜる。それを合図として戦闘が始まった。
ミストバーンはデルフリンガーを使い瞬時に敵の四肢を切断し、心臓を破壊し、頭部を踏み潰した。
キュルケが動けなくなった敵にとどめを刺していくが、その顔が曇る。
雨が降り出したのだ。これでは炎が通じなくなってしまう。
ルイズが焦りながら『エクスプロージョン』を連発しているとデルフリンガーが呆れて止めた。
助言に従い『始祖の祈祷書』をめくると文字が浮かび上がっている。
ディスペル・マジック。惚れ薬を解くのと同じようなものだ。
詠唱を始めたルイズを中心に円陣を組む一行を見て、アンリエッタは悲しげに顔を曇らせた。行く手を阻む者は――許さない。
ウェールズとアンリエッタが詠唱を始める。『水』、『水』、『水』、そして『風』、『風』、『風』。
詠唱が干渉し合い膨れ上がる。王家のみ許されたヘクサゴン・スペル。二つの三角形が絡み合い、巨大な六芒星を竜巻に描かせる。
「あんなのまともにくらったらせっかくのお化粧が台無しね」
笑みを浮かべてみせたキュルケが目を丸くする。ミストバーンが前に進み出たためだ。どこまでも平静な表情で、自分に任せろというように。
彼はウェールズに名を覚えておくことを約束した。それは単なる字の羅列ではなく、深く『理解』し、永久に魂に刻みこむということだ。
かつて決戦の地に導き、散っていった相手を見据える。
おそらくウェールズは、亡霊が動き回ることに耐えられぬはず。
巨大な水の竜巻の前に飛び出しデルフリンガーを使って受け止める。
「無茶すんなー相棒」
呆れたような呟きが聞こえるが、無謀だとは思わなかった。
なぜなら彼は『理解』しているのだから。
ウェールズの心を。
ルイズの力を。
より恐ろしい、六芒星の真の力を。
凄まじい水流に飲み込まれ、全身を砕かれるような痛みが意識を責め苛む。
しかし彼は全く表情を変えない。小雨に打たれているような風情で悠然と立っている。
彼を従えることなど不可能だと悟ったように竜巻は形を失い、崩れ落ちた。
ミストバーンがゆらりと身体を動かし、生じた空間にルイズが『ディスペル・マジック』を叩きこむ。
すると浄化の光が辺りを照らし、ウェールズとアンリエッタは倒れた。
アンリエッタにとどめを刺そうと歩み寄るのを、ルイズが立ちはだかって杖を突きつける。
「お願い、やめて」
彼を止めようと思っても言葉は通じない。力で――戦ってでも止めると決意した彼女の予想に反して歩みは止まった。
力ずくでどかせることは簡単なはずなのに攻撃はこない。
(なんで……?)
よく見ると顔色がわずかに悪い。原因は精神的なものなのか、それとも身体に異変でもあるのか。
彼は攻撃に移ろうとはせずに立ったままだった。
やがてアンリエッタは目を覚まし、震える手で顔を覆った。
「私は……何と言って謝ればいいの?」
ルイズも言いたいことはあるだろうがぐっと飲みこみ、彼女を立ち上がらせた。
アンリエッタが負傷者の怪我を癒し、夢を覚まさせた青年を探すと、彼はウェールズを見下ろしていた。
何の言葉もかけず静かに、悼むようにただ立っている。
だが、アンリエッタが近づくとウェールズの目が開いた。その眼には偽りではない真の輝きが宿っている。
彼は驚愕したように息を呑み顔色を変えた。唇が動き、かすれた音が声にならず零れ落ちる。
「すまない、ミストバーン」
――せっかく最後に格好をつけさせてくれたのに。そう語るウェールズは穏やかに言葉を紡いだ。
「ありがとう……!」
宴の時と同じ、死を目前にしながらどこまでも静かな眼差しだった。
目の前で起こった事象は彼の理解を超えていた。
(奇跡が、起こったというのか!?)
――これは神の起こした“奇跡”とやらか。
だとしたら、こちらの世界の神はよほど慈悲深いのだろう。少なくとも暇で気まぐれことは間違いない。
(馬鹿な……!)
奇跡などというわけのわからないもので理が覆されてはならない。そんなことがあっていいはずがない。
思考がバラバラに乱れかけるが軽く首を振る。
彼に分かるのは、今アンリエッタと言葉を交わしているのが本物のウェールズであることと、己に奇跡は起こらないことだけだ。
奇跡など信じるつもりはないが、ウェールズがウェールズとして死んでいくならばそれを送るしかない。
最期の瞬間まで彼らしくあったと言えるのはきっと幸せなことだろう。彼の主も、最期の瞬間まで『大魔王バーン』であることを望むはずだ。
ラグドリアンの湖畔まで移動し、二人の会話を眺めていると名も知らぬ感情が湧き上がってくる。
目の前の光景は、体を持たぬ者には踏み込めぬ領域だと知っている。
彼は言葉も無く立ち尽くしていた。
その時“彼”の感覚の網に何かが引っかかった。
己の影の気配をかすかに感じ、額にある第三の目に意識を集中させ探っていく。
すると、一瞬全く知らぬ世界が映った。
ここに己の部下がいる。
今はまだ世界の像をわずかに捉えただけだが、いずれ影を見つけるつもりだった。
学院まで戻ったミストバーンは占い師の渡した羊皮紙に目を通した。
滲んだ部分が多く読める個所は少ない。落胆と安堵の混じった奇妙な気持ちが彼を包んだ。
『――が完全に食われる時、――が――、――を――。――の光が姿を現し、影を包む』
羊皮紙から目を上げ、中庭を赤く染める落陽と長く伸びる影を見て、彼は何かが変わる予感を覚えた。
光と影が巡り、風が吹き、王国に影差して物語は終わりへと加速する――。
第三章 影差して 完
最終章 太陽と影 へ続く
最終更新:2008年08月03日 14:09