第二話 勇者の名の下に
ロサイスに到着したウィンプフェンは本国へ退却の打診を行ったが、即座に却下された。
突然連合軍の半数が寝返りド・ポワチエが戦死したなどと言われて信じられるはずもない。
繰り返し訴え続け、許可が出たときには貴重な時間が浪費されていた。
アルビオン軍主力の進撃が予想より早いことを告げられたウィンプフェンが頭を抱える。
「もっと……もっと早く撤退準備をすべきだった」
保身に走ったせいで全軍の乗船は間に合いそうにない。丸一日足止めする必要があるが、七万の大軍を相手にしては不可能だ。
空からの砲撃も駄目であり、重装備は失われ、打つ手は無いかに思われた。彼は考えに考え抜いて――閃いた。
「そうだ! “あれ”を使おう! 今ここで使わずしていつ使う! 伝令!」
ルイズとミストバーンのいる天幕へと伝令がやってきたのは夕方になってのことだった。
「ミスタ、ウィンプフェン司令官がお呼びです!」
「わたしも――」
「いえ、ミス・ヴァリエールは来なくて良いそうです」
嫌な予感がしたが逆らうわけにもいかず、彼女は檻に入れられた虎のように歩き回って待った。
彼が司令部から出てくるのを見て慌てて駆け寄ったが、尋ねても答えず街外れへ行こうとする。
「どこに行くのよ。なんで――」
ミストバーンはルイズに向き直ったが、やはり沈黙したままだ。その手が動いた瞬間ルイズの首筋に衝撃が走り、視界が暗くなった。
近くにいた人間に彼女を船に送り届けるように伝え、町外れへ向かう。一度も振り返らず前だけを見据えて。
時刻は少し遡る。
司令部を訪れた彼に、ウィンプフェンは喜びを顔中ににじませながら芝居がかった動作で両手を広げた。
部下達はなぜそれほど大仰な態度で接するのかわからず視線で尋ねあっている。
ウィンプフェンは咳払いし、高らかに告げた。
「よく来てくれた。用件は他でもない、元の世界へ戻る手がかりについてだ」
わずかに表情が動いたが、興奮を抑えるように拳に力を込める。
「先ほど入った情報によると、光り輝く扉が現れたらしい。召喚のゲートに似た、な」
地図の一点を指し示す。
「この丘の周辺だ。行くかね?」
(夢が……告げたのか?)
丘の上に光の扉が出現し、そこから元の世界に帰るという夢。託宣だと考えても仕方ないほど、ただの夢で片付けるにはあまりにも鮮烈なものだった。
しかも一度だけではなく繰り返しだ。最近は毎日のように見ている。
いずれハルケギニアを去るという確信に近い予感を抱いていたが、的中したのだろうか。
証拠としてウィンプフェンは兵士の証言の書かれた書類などを出して見せた。
目を通したミストバーンは今にも出て行きたい様子だったが、ウィンプフェンが渋面を作り唸る。
「今からでは敵と接触するかもしれん。いきなり攻撃されることはないと思うが慎重に行かないと……。駄目だった場合船に乗れんことになる」
「かまわぬ」
背を向け、司令室を出ようとした彼を慌てて呼び止める。
「ミス・ヴァリエールにはこの情報を知らせるな。余計な時間を消費し、敵と接触したり扉が消えたりする可能性が高まる」
返ってきたのは沈黙だけだった。
彼が出て行ったあと、部下達が顔を見合わせ恐る恐る発言する。
「本当によろしかったのでしょうか。いくら元の世界に戻るためとはいえ危険すぎます。接触の可能性はきわめて高く――」
ウィンプフェンはにやりと笑い、腕を組んだ。
「いいのだ。むしろそれが狙いだ」
「それはどういう……?」
「アルビオン軍に情報を流しておいた。『虚無の影』が単騎で偵察に現れる、この機を逃すと被害は広がるばかりだから今叩き潰せと」
「な、なぜ!?」
「決まっている。足止めだ」
兵士の一人が納得しがたいというように叫んだ。
「ならばなぜ、騙すようなことを仰ったのです!? 最初から殿を命じればよかったではないですか!」
ウィンプフェンは嘲りと哀れみを足して割った表情で相手を見つめた。こめかみを指でトントンと叩き、ゆがんだ笑みを浮かべる。
「騙すなどとは人聞きの悪い。彼はトリステインの人間ではない、素直に従うはずもなかろう」
以前彼の境遇を聞いた後、利用できるように証拠の類をでっちあげていた。それを今回使ったのだ。
毒を飲まされたような表情の兵士達へ両手を広げる。
「『虚無』は未知数だ。うまく使えばさらなる大軍をも撃退できる可能性を秘めている。だが、使い魔の方はいくら強くとも兵士の力に換算できる」
ここで使うのがちょうどいいということだ。完全に使い捨ての道具として扱っている。
「し、しかし……!」
言い募ろうとする兵士は言葉を飲み込んだ。
追い詰められたウィンプフェンは精神の均衡を手放しかけている。普段押し殺し、表に出さない本音を迸らせている。
常の彼は慎重なだけでここまで言うような人物ではなかった。だが、極限まで高まった焦りや恐怖が彼を行動に踏み切らせた。
「素晴らしいじゃないか! 英雄! 救世主! まさに“勇者”だ!!」
目を血走らせ、熱に浮かされたように叫ぶ彼とは反対に兵士達の面は凍っていく。
「彼がもし帰還したらどう言い訳なさるおつもりですか」
「嘘はついておらんのだ、責められるいわれは無い。せいぜい派手に暴れてから死んでいただきたいものだ」
扉が現れた“らしい”と言っただけで断定はしていない。危険についても説明し、警告した。だから非難される筋合いはない。
ルイズは名家中の名家の令嬢であり後で揉めることもあり得る。
一方ミストバーンは異世界の住人で人間ではない。潰し合うだけ潰し合って死んでほしいというのが正直な気持ちだった。
「“勇者”の健闘を祈ろうではないか、諸君」
己の正義を確信しきった口調に兵士達は項垂れた。
誰かがしなければならないことをこんな形で押し付けたウィンプフェンも、止めようとしない自分達も、情けなかった。
馬を駆るミストバーンへ、背の剣が歯に物の挟まったような言い方で呟いた。
「なあ相棒、言っとくぜ。どーもキナ臭えから気をつけろよ。……調子悪いんだろ?」
痛いところをつかれ反論できない――そんな沈黙だった。
本来ならば力を抑えても脆い人体などひとたまりもない。だが、手加減したとはいえ人間の少女が気を失うだけで済んでしまった。
時間が惜しいとはいえウィンプフェンを締め上げて真偽を確かめることもしなかった。
「なんで一人で行くんだよ。危ないことに付き合わせたくないってか?」
デルフリンガーはそう言っているが説明する時間が惜しく、うるさいから黙らせただけだ。
扉が見つからなかった時に最大の手がかりは“丘の扉”から“ルイズ”に戻る。アルビオン軍と接触し、殺されては困る。
それを聞いてデルフリンガーはムッとしたようだった。
「……この冷血」
デルフリンガーの呟きとともに日に照らされる丘の姿が見えた。
丘に近づくにつれて、逸る気持ちを抑え馬の速度を落とす。敵軍の姿は見当たらず気配も感じないが、慎重を期すに越したことは無い。
(この身体はバーン様のものだからな)
相手が人間だからといって喧嘩を売って回る気はない。速やかに戻れればそれでいい。
周囲を確認しながら少しずつ進んでいく。
丘の上に扉は無いようだがとりあえず登り、敵軍がどれだけ近づいているか、扉が近くに無いか確認するつもりだった。
「無かったらどうすんだ?」
「キメラの翼を使う」
所持していた道具や貨幣は預けてきたが、いざという時のために残ったキメラの翼二枚のうち一枚を持ってきていた。
(だが――)
そこから先の言葉を打ち消す。
斜面をゆっくり登っていく間思考は取り留めもなくさまよっていた。
思い出されるのは桃色の髪の少女。彼が人間の敵だと知って戸惑いを隠しきれない様子だった。
このまま永遠に別れることになってもそう影響は無い。いずれ新たな使い魔を――害のない者を召喚し、契約するだろう。
“ゼロのルイズ”と呼ぶ者もいるが、彼はルイズを“ゼロ”だとは思っていなかった。
努力し、誇りを見せ、強大な力を得たルイズは尊敬に値した。彼女は自分の力で偉大なメイジになるだろう。
そこまで考え、軽く首を振る。主の元へ戻ればくだらぬ感傷など消えるはずだった。
――主の元へ、戻れば。
最終更新:2008年08月09日 15:41