第四話 ゼロとゼロ
胸に走る痛みに炎を思わせる赤髪の少女は眉をひそめた。彼女の名はキュルケ。アルビオン侵攻には参加せず、学院に残っていた。
気がかりそうに見つめる青髪の少女――タバサに大丈夫というようにひらひらと手を振ってみせる。
「今ごろどうしてんのかしらねー」
どうでもよさそうな表情と口調の彼女に、タバサはぽつりと呟いた。
「心配」
「まっさかあ!」
途端にキュルケは大仰に眉を上げて否定してみせた。
「殺したって死ぬような可愛げないわよ、ヴァリエールもダーリンも」
「心配」
淡々と指摘され、キュルケはほんの少し頬を赤く染めた。
「ち、違うわよ! ヴァリエールはイノシシみたいにつっかかるのが面白いし、ダーリンはもっとお近づきになりたいから死なれちゃ困るって程度で」
それ以上追及せずタバサは本に視線を戻した。
彼女はミストバーンにどこか近しいものを感じていた。怒り、憎しみ、そして孤独――。
彼女はキュルケに出会い救われた。彼にはそんな存在がいるだろうか。
どれほど深い闇も照らすような。どんな障壁も焼き尽くすような。
もしキュルケを喪ったり二度と会えなくなったりしたらどうなるだろう。彼女はふるふると首を振り、想像を打ち消した。
その時おそらく自分の心が死ぬであろうことを、彼女は悟ったのだから。
船の上で学院の生徒達は安堵したように仲間と笑い合っていた。アルビオン軍の進撃速度は極端に低下しており、全軍乗船も間に合いそうだった。
彼らの口に上るのは一人の英雄――否、“勇者”の名。
「すげえよな! 俺達全員を逃すために敵地に残って戦ってんだぜ!? ……おいギーシュ、どうしたんだよ? 活躍の場を奪われて悔しいのか?」
「やめとけやめとけ、七万の大軍相手じゃお前なんか鼻クソ以下だ」
ギーシュは憂鬱そうな面持ちで首を振った。
「そりゃわかってるよ。僕が言いたいのは――」
タルブの村での戦いの後ギーシュは名前で呼ばれるようになっていた。今まで顔もろくに覚えられていなかったため急激な変化に戸惑ったものだ。
彼はウィンプフェンの語った内容に違和感を覚えていた。ミストバーンが他人の盾になるとは思えない。
仮に戦うとするならば、自らを高める者の命を賭した覚悟が必要だとギーシュはぼんやり想像していた。
だがウィンプフェンにそんなものがあるとは思えない。もしかすると、情報を操り彼を利用したのかもしれない――そんな気がする。
「トリステインの美しきレディ達を守るのは僕達の役目のはずだろう?」
「そんなこと言ったって、弱い奴が残っても仕方ないだろ」
「そりゃそうだけど……誰かに全部押し付けて知らん顔でいいのかね」
苦しい時は力ある者にすがり、戦いが終われば手の平を返す。それで胸を張って生きていけるのか。
もっと強くなって自分が戦えるようになりたい――ギーシュはそう思った。
「彼が“勇者”なら、僕達は――」
そこまで言いかけて苦笑する。勇者という響きは彼には似合わない。麗しき女性以外のことを考えていたため頭が混乱しているようだ。
薔薇の造花を一振りし、花びらを落として口にくわえ直す。
それから彼は愛しのモンモランシーのことを想い、幸せそうな笑みをこぼした。
徐々にアルビオン軍が体勢を立て直し、脅威を葬る準備を進めている。間もなく丘の上へと殺到するだろう。
デルフリンガーが知らせるが立ち上がる力は残されていない。
心臓二つを潰され、両腕は千切れかけてろくに動かない。全身に刻まれた無数の傷の痛みすら鈍く遠くなっていた。
感覚がゼロへ近づいていく。だがそれは以前の状態に戻るのではなく、最も遠いはずの死がすぐそばまで迫っているということだ。
(バーン、さま……)
自分が滅んでも主が立ち止まることは無いと知っている。振り返らず一人で己の道を歩んで行くだろう。
体を返せないことだけが心残りだが、理想の器の中で死ぬのなら“寄生虫”にはもったいないくらいの最期だ。
「申し訳ありません……バーン様」
彼は薄れゆく意識の中、繰り返し主の名を呼び、詫び続けていた。
その時、ぽたりと雫が落ちた。いつの間にか視界に桃色の髪が揺れている。
「いっつも謝ってるのね」
彼にはルイズが泥まみれになりながらここまで来た理由も、涙を流す理由も理解できない。不思議そうに眺める彼の顔に水滴が落下し続ける。
その頬は深々と切り裂かれ、エルフに似た形の耳は半ばから千切れていた。髪も、肌も、衣も、血に染まっている。
(何が……何が“認めさせる”よッ!)
悔しくてたまらなかった。
一緒に行動することすら拒まれたことが。限界まで追い詰めてしまったことが。
何より、ここまで傷つくのを止められなかったことが。
弱さを見せようとしない彼にとって、血に塗れ倒れている姿を見られるのは屈辱以外の何物でもないだろう。
彼女は涙を振り払い、誇りにかけて叫んだ。
「わたしが命を賭けてまで認めさせようとした大魔王の部下! それは熱い魂を持った誇り高き戦士よっ! 偽りのない忠誠心こそがあんたの最大の武器じゃなかったのっ!」
ともに戦った時と同じく、その眼は真っ直ぐ彼を見据えている。器ではなく彼自身の魂を。
「正体が何だろうと! どんな姿だろうと! あんたはあんたよ……! わたしの騎士(シュヴァリエ)で大魔王の誇る忠臣――ミストバーンよ!」
魂の奥底から絞り出される言葉が彼の心に染み込み、光となって照らし出す。
「あんたがゼロであってたまるもんですか……! 誰にも――誰にも偽りなんて言わせないんだから!」
ゼロになりかけていた何かが眩い輝きとともに蘇る。不死鳥のように。
「そう、か」
血のこびりついた唇がゆっくりと動いた。
ここで諦めては主からの信頼を裏切ることになる。
絶対に譲れぬものを、自ら“偽り”にしてしまうことになる。
全てを与えられた恩を返していないのに、勝手に歩みを止める権利などない。
「少しは報いなければ……死んでも死にきれん」
かすかに口元に笑みが浮かび、消えかけていたルーンが輝きを取り戻す。
(何故君は戦う?)
命をかけて戦った敵の問いが蘇る。答えは、彼が尊敬し、その名を覚えた者と同じ。
「守るべきものが――在るからだ……!」
身を起こし、立ち上がる。――彼が彼であるために。
ルイズはその背を見て息を呑んだ。一目見たら永久に忘れられない惨い傷。背中だけでなく両腕も所々炭化し、体中に斬られ、刺され、焼かれた跡がある。
(あんたはわたしが責任持って送り返すんだから……!)
絶対に死なせない。その一念で『始祖の祈祷書』をめくり、あるページを開く。そこに光る文字を読み進める。
(ほんの一瞬だけでいい……! 『虚無』の力よ湧き上がれっ! 今こそ……あいつの力になるためにっ!)
息を吸い、精神を集中させる。極限まで研ぎ澄まされた神経が言葉を紡ぎだしていく。
デルフリンガーが問う。
「……どうする?」
「戦い抜き、バーン様の元へ戻る」
もう、迷わない。
詠唱を背に敵の方へ足を踏み出そうとした時、声が聞こえた。
何よりも望んでいた声が。
「――ミストバーン」
弾かれたように顔を上げ、声の源――太陽を見つめる。天空の太陽は完全に隠れようとしていたが、彼の心を確かに照らしている。
表情が驚愕に、次いで歓喜に染まり崩れ落ちるように跪く。
「あ……ああ……!」
尽きぬ想いを込めて主の名を呼ぶ。
「バーン様――!」
異世界の像を虚空に映し、腹心の部下を探していた“彼”は困惑した。
発見したはいいが、秘法が解け、素顔も露になっており、器が徹底的に痛めつけられていたのだから。
冷静に観察するうちに“彼”は施した封印が完全には解けていないことを知った。
解けているように見えるが、召喚の衝撃でゆがみ、逆に力を極限まで抑え込んでいたのだ。ルーンを刻まれる前から身体を蝕む枷がつけられていた。
「ミストバーン」
名を呼ぶと体がびくりと震えた。
「申し訳……ありません」
彼は心から怯え悲しんでいる。帰還が遅れ、主の体を守れきれなかった失態に。
“彼”にも叱責したい気持ちはあるのだが、今はそんな時ではない。
「余がお前に預けた力は……そんなものではないはずだ」
“彼”は手を向け、魔法力を放った。移動や魔法の行使はできずとも、声や力を届けることは可能であるようだ。
ねじれた封印が正しい形に戻り、項垂れていたミストバーンは力が湧き上がるのを感じた。
「言ったはずだ。お前は余に仕える天命をもって生まれてきた、と。余のためにまだまだ働いてもらわねばならん」
己の体を忌み嫌い、鍛え強くなれる者を羨望した時――その能力を必要とし、生きる理由を与えてくれた存在。
(最高の主、バーン様……。あなた様に出会えて……良かった)
彼には歪んだ封印やルーンによる反発だけでなく、他に精神的な枷があった。
秘法が解けたため、主の体を敵の攻撃で傷つけてはならない。無茶な戦い方をして内側から破壊してはならない。
それらの想いが動きを鈍らせていた。
また、あらゆる感情を無理矢理抑え込み封じていたためガンダールヴや暗黒闘気も力を発揮できなかった。
今、心の枷がルイズと主の言葉によって砕け散った。
ルーンの反発も収まり、融け合い、昇華された。
傷口からしゅうしゅうと白煙が噴き上がり、細胞がうごめき再生していく。
闇の衣から血の染みが消え、美しく力に溢れた元の姿を取り戻していく。
――羊皮紙にはこう書かれていたかもしれない。
『虚無に心が完全に食われる時、少女が涙し、闘志を取り戻す。主という名の光が姿を現し、影を包む』
ルイズは青年の全身から放たれる力を感じ、『始祖の祈祷書』の文面を思い起こしながらいよいよ高らかに詠唱した。
『破壊の力も解呪の力も持たぬが、あらゆる災厄から対象を守り抜く力を持つ魔法をここに記す。
完全に日が食われる時のみ唱えることができ、いかなる干渉も受け付けぬ絶対不可侵の存在へと変える、その名は――』
「凍れる時の秘法(インビンシブル・マジック)」
青い閃光――召喚の際に解かれ、再びかけられた秘法の光が完全に傷の癒えた彼を包みこんだ。
時の流れをゼロにする魔法と、その術者である虚無の使い手ルイズ。
主のために忌避する能力をも揮う、枷を打ち砕きゼロにしたミストバーン。
ゼロとゼロ。
互いの心の闇――“
ゼロの影”を払い、認め合った者達。
本来相まみえぬはずの二人が巡り合ったことによって起こる、限りなく奇跡に近い何か。
隠れていた太陽が光を取り戻すにつれて、二人を中心に力が渦巻いていく。
「それでこそ余の半身よ」
大魔王が満足そうに笑い、影が首を垂れる。
「お許し下さい……バーン様」
ふがいない姿を晒した失態は戦いで償うしかない。ハルケギニアで詫びるのはこれで最後にすることを誓い、視線を太陽に向ける。
完全に太陽が姿を現し青年を照らした。
――羊皮紙には以下のように書かれていた。
『太陽が完全に食われる時、時が凍り、失ったものを取り戻す。太陽の光が姿を現し、影を包む』
「バーン様……よろしいですね!」
「許す……! ミストバーン……!」
掲げられた左手が、天高く輝く太陽に重なった。
封印が完全に解かれ、神の領域に達した力が弾ける。
魔界の頂点に立つ、最強の男。
その半身が今、真の力を取り戻した――!
最終更新:2008年08月12日 19:41