ゼロの影-19

第五話 最強の存在



 凍れる時の秘法を唱えたルイズが倒れるのをこらえていると、天空から光が降り注いだ。
「余の力を分け与えてやろう。見せてみるがよい、力を」
 身体に力が湧きあがる。これならもう一つ魔法を唱えることができそうだ。
 さらに『始祖の祈祷書』をめくると新たな文字が浮かび上がっている。その色は他のものと違っていた。
 異質な力が流れ込んだことによって存在しないはずの文字が見えている――そんな感覚だ。
『異なる世界をつなぐ魔法をここに記す。光り輝くその扉の名は――旅の扉(ワールド・ドア)』
 彼女は詠唱を始めた。彼を元の世界に戻すために。
 力を取り戻したミストバーンはデルフリンガーを地面に突き立てた。
「そこで見ているがいい……」
「へっ、よーやく相棒から呼びかけてくれたのな。……遅ぇよ」
 もはや武器を媒介とせずともガンダールヴの力を最大限に発揮できるということだ。左手のルーンは太陽のように全てを照らす閃光を放っている。
 大魔王最強の武器は、己の肉体。彼は在るべき姿を取り戻し、存在そのものが武器となった。
 彼の心は晴れやかだった。まるで雲間から差し込める太陽のように。
 その姿が白い光と化し、迫るアルビオン軍を切り裂いていく。
 ただの拳撃が神の鉄槌となって兵士達を吹き飛ばした。
 無数の魔法が放たれるが防ごうとすらせずに飛び込み、突破する。白皙の美貌には傷一つついておらず、あれほど刻みこんだ傷は完璧に癒えている。
 驚異の連続にアルビオン軍の兵達は思考停止寸前だったが、恐怖に動かされ襲いかかった。
 しかし、無造作な手刀一発で空気が割れ、衝撃波が災厄の壁となって彼らを飲みこんだ。木の葉のように人間の体が軽々と宙を舞い、地面に叩きつけられる。
 今の彼はワルドを追った時と同じ――否、遥かに超える力を持つ。
 地面を力任せに殴りつけると巨大な亀裂が生じ、兵達の密集している所で火山の噴火のように爆発した。
 素手とは思えぬ破壊力に情報が錯綜し、兵達が逃げ惑う。

 ――あれは人型の兵器だ。
 ――あれは伝説のメイジだ。
 ――あれはエルフ最強の戦士だ。
 ――あれは神の遣わした調停者だ。

 無茶な内容の情報が飛び交うのも無理のないことだった。
 一瞬後には全く別の場所に現れ、死と破壊をまき散らして消える。まさに神出鬼没で、悪夢が具現化したような存在だった。
 炎球があらゆる方向から迫るのを、不死鳥の羽ばたきを思わせる掌撃が尽く弾き返し、術者を焼き尽くした。
 槍の穂先や剣の切っ先がたまに突き立てられるが1サントも通らず、刃こぼれするか折れるかのどちらかだ。
 ある者は鎧ごと手刀で切り裂かれ、ある者は武器ごと拳で打ち砕かれた。ある者は枯れ葉のように引き千切られ絶命し、ある者は血塗れの最期を迎えた。


「信じられんな」
 将軍のホーキンスはぼそりと呟いた。
 たった一人の若者に七万の大軍が怖れおののき、叩き潰されようとしている。その武器は両の拳だけだというのに。
 その一撃で天地が叫び唸る。魔の時代の到来を予感させる力に抵抗も忘れ、ただ見ていることしか許されない。
 伝説の力を見られるだけで、歴史の証人になれるだけで満足してしまうような青年の姿だった。
「勇者か――魔王か――」
 どこか安らかな諦めの気持ちがホーキンスを包んでいた。
 彼は将軍ではなく英雄に憧れていた。一人で不利な戦況をも覆す存在に。しかし、ミストバーンの戦う様を見ていると英雄という言葉すら虚しくなってしまう。
 どうすべきか必死の形相で訊いてくる副官に簡潔に答える。
「退却するぞ」
「バカな、相手はたった一人ですよ!?」
「その一人に滅ぼされようとしているではないか。……見事だ。今の彼の強さ、この世のものとは思えん」
 たとえ十倍の兵力があろうとも彼を殺せぬことをホーキンスはすでに悟っていた。
 今すべきことは敗北の決まっている戦いに兵力を投入することではなく、被害を出来るだけ抑えることだ。
 この光景を自分は決して忘れぬだろう――ホーキンスはそう呟き、大声で退却を指示した。


 アルビオン軍が退却を始めると、ミストバーンは主からの指示で追おうとはせず丘の上まで戻った。
 光の扉が現れ金の粒子をまき散らしている。その傍らには精神力を使いきったルイズが座り込んでいた。
 ミストバーンはちらりと視線を向けたものの、彼を救った相手に何の言葉もかけず扉に歩いて行く。
 そこへ大魔王の言葉が響いた。
「どうやらお前はその人間としばらく行動を共にしていたようだな。……そして、顔だけでなく力も見られた」
 今にも扉に触れんばかりに近づいていた彼の動きがピタリと止まり、少女を振り返る。
 大魔王の秘密に近づいた者は誰であろうと殺さねばならない。たとえ認め合った相手であっても。
 それを悟ったルイズは震えながら尋ねた。
「わたしを……殺すの?」
 ミストバーンはほんの少し俯いた。目元が髪に隠れて見えなくなる。
「あんたにとってわたしは帰るための手がかり……ただの駒にすぎなかったの?」
 彼女の心を静かな絶望が支配していく。彼を召喚してから、ずっと認められようと努力してきた。
 それも全て徒労に終わったのか。確かに通じるものを感じたのも偽りだったのか。結局元の地点から進んでおらず、ゼロのままだったのか。
 そんなはずはないと心のどこかで声がするが、ミストバーンの返事は――
「……ルイズ。その質問に対する私の答えは常に一つだ」
 顔を上げ、誇りとともに答える。
「大魔王さまのお言葉は全てに優先する……!」
 ルイズががくりと首を垂れた。疲れたような表情で、体を震わせながら俯く。
「そう……それがあんたの答えなのね」
 言いながら彼女は理解していた。彼にとって大魔王への忠誠こそが最上であり譲れぬものなのだ。
 それでこそ彼なのだと知っている。彼が彼であるために、どんな相手でも殺そうとするだろう。
 彼の左手の輝きが薄れ、ルーンは完全に消滅した。


(わたしはここで――)
 膝に力を込め、最後の力を振り絞って立ち上がる。
 フーケのゴーレムを力を合わせて倒し、ワルドに殺されそうになったのを救われた。
 『虚無』の力に目覚め、誰かから必要とされた。絶対に見られぬ光景を目にすることもできた。
 全ては彼を召喚したことから始まった。だから、最期まで彼を真っ直ぐ見つめているつもりだった。
(ああ――言わなくちゃ)
 ずっと言おうと思って言い出せなかったこと。
「ありがとう……!」
 命を救ってくれた。共に戦ってくれた。力になってくれた。何より――認めてくれた。
 目的が何であれ、救われたことに違いは無い。疎ましく思うこともあったが今では感謝している。
 率直な感謝の言葉にミストバーンは息を呑み沈黙した。その内心を窺い知ることはできない。
 彼女は杖を下し、残された力を振り絞って立ち続ける。
 もう爆発一つ起こすことができない。今にも倒れそうなのを気力で無理矢理こらえている状態だ。
 それでも、彼がトリステインの者達を殺すことだけは止めるつもりだった。召喚した者の責任として。

 彼女は杖を捨てて殴りかかった。全てが始まったあの時と同じように。
 彼は避けようとはせず突っ立ったままだった。拳が頬に吸い込まれ、爽快な音が響いたというのに彼女の拳の方が悲鳴を上げた。
 凍れる時の秘法がかかっているためいかなる攻撃も受け付けない状態にあることを忘れていた。
 解除しようにもある程度時間を置かないと不可能だ。彼に勝てる可能性は万に一つも無い。
 一撃をくらわせることができたのは指導成果の確認か、余裕の表れか。おそらくその両方だろう。
「……フム、見事だルイズ。威力、速度、ともに上昇している」
「ほ、褒められたって嬉しくないんだから!」
 そう言いながらもルイズは笑っていた。
 彼女は反撃の拳が迫るのを恐怖も感じぬまま見つめていた。
 こうなることも覚悟の上で、彼の元まで来たのだから。


 彼女にミストバーンの攻撃が届く刹那、動きが止まった。
 制したのは彼の主。
「待て」
 言葉を待つ二人へ楽しむような声が降り注ぐ。
「凍れる時の秘法を使い、異世界をつなぐ扉を作り出せる者などそうおらん。その気概も気に入った……余の部下にならんか?」
 話の流れについていけずルイズは呆然としたが、勧誘されていると知って目を瞬かせた。
 一度部下に引きこめば何らかの手を打ち、秘密を洩らされぬ自信があるのだろう。
(断れば殺される……わよね)
 しかし、大魔王に従うことは異世界での人間達との戦いを意味する。
 ハルケギニアには大切な者達がおり、トリステインのためにこの力を使いたい。だから彼女は首を振り、きっぱりと告げた。
「わたし、行けないわ」
 断られて怒るかと思いきや、大魔王は面白いというように笑っている。
「ふふ……まあよかろう。今ここでそなたを殺しては扉が消えるかもしれんし、他の目撃者を殺す時間もない」
 声や力を送ることはできても自在に扉を形成するには至らない。可能だとしても遥か先のこととなるだろう。
 一刻も早く全盛期の肉体と最高の部下を取り戻すべきだと判断したのだ。
 緊張の反動で意識がもうろうとするルイズの前で、青年は扉を潜ろうとしている。
「わたしはあんたの――」
 気づけば言葉が口から転がり落ちた。
 ミストバーンがわずかに振り返り、囁く。その口元に浮かんでいるのは、ルイズが初めて見る――。
「お前は私の――」
 その時光が彼を包みこんだ。太陽のような金色の光に飲み込まれ消えゆく背に、見たことなどないはずの大魔王の真の姿が重なった。
 音の消えた空間で、瞼を閉ざし、静かに別れを告げる。
 立場こそ違えど共感を覚えた相手へ。

 ――さよなら……ミストバーン。

 彼が消えた後に残されたキメラの翼を投げ上げると、今度はかき消されることなく彼女をトリステインへと運んでいった。



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最終更新:2008年08月12日 19:42
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