最終話 誇りと影
「何か申し開きはありますか」
冷厳な声がウィンプフェンの鼓膜を震わせた。王宮の主アンリエッタは可憐な顔に静かな怒りをみなぎらせている。
向かい合う二人を感情を押し殺した眼で睨みつけているのは『虚無』の使い手のルイズ。
ウィンプフェンは少女の眼光に圧されかけたが、己を鼓舞するように笑った。
「はて、何のことですかな?」
澄ました顔に心が煮えるのをアンリエッタはこらえた。横に立つ友の方が何倍も耐えているはずだ。
「彼女の騎士(シュヴァリエ)を捨て石にしたことです」
「何を言われるかと思えば……私は彼の力を信じ、皆のためを思って行動したのですよ。味方を逃すために七万の大軍に立ち向かう。これほど栄誉ある任務はありません」
大仰に手を広げる彼に射殺すような視線が突き刺さる。恩着せがましい口調に怒りの声が叩きつけられる。
「ならばなぜ、最初からそう命じなかったのです! “感謝しながら死んでいけ”と!」
アンリエッタはウィンプフェンの中に同じものを見たからこそ、腹が立った。人の行動を見て初めてその醜さがわかったのだ。
ウィンプフェンはミストバーンの忠誠心を、アンリエッタはルイズの友情を利用した。
相手の死を望んではいなかったが、覚悟も無く自分の都合で死地に追いやったのは同じだ。
眼をギラリと光らせたルイズは、言葉に詰まったウィンプフェンのひたいへ指を突き付け、声を絞り出していく。
「あんたにあいつを語る資格はない……!」
直接殿軍を命じなかったのはミストバーンを恐れていたため。
真実をぶつけ、命を賭けてでも説得する覚悟を持たなかったウィンプフェンは偽りの情報で自分が傷つかぬよう振舞った。
本当に他者を思うならば、抗命罪で裁かれることを覚悟の上で撤退準備を始めたはずだ。
「あいつはもう元の世界に帰ってしまったわ」
「ほう、それはそれは……実によかった!」
どこまでも悪びれない態度にルイズの目が光る。
「姫様、この男を殴らせて下さい」
『虚無』は使わず、この拳で。
ウィンプフェンが口元をゆがめる。所詮非力な小娘、全力で殴ってもたかが知れている。
ルイズは嘲りの視線に拳を握りしめ床を蹴った。予想以上に重く鋭い一撃がウィンプフェンの頬を襲う。
「これはあいつの分よ」
続いて顎に痺れるような衝撃が走る。
「これもあいつの分……!」
彼女は目に涙を浮かべながら拳を振るい続ける。
「これも! これも! これも! これも! 全部ミストバーンの分!」
まるで彼が乗り移ったかのような威力だった。日頃の訓練の成果であり、彼からのお墨付きである。
また、アルビオン侵攻の間いくつも任務をこなしたルイズの眼光は一人前の兵士のそれになっていた。
なおも拳を振るおうとした彼女をアンリエッタが止める。
「それ以上はおやめなさい。私もあなたに殴られなければなりません」
その目に宿る覚悟を見たルイズは手を振り上げた。手加減なしの一撃に乾いた音が響き、アンリエッタが頬を押さえてよろめく。
それを見たルイズはアンリエッタに抱きつき、声を上げて泣いた。
怒り、悔恨、そして悲哀――苦い想いがあふれ、止められなかった。
それからしばらくルイズは胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになっていた。
幾度か旅の扉を作ろうとしたが果たせなかった。おそらくこれからも成功することはないだろう。
主の元へ戻った彼がどうなるのか確かめるすべは無い。
彼の主も彼も考えを変えることは無く、人間も立ち向かうしかない。両者とも譲れぬもののために戦うだけだ。
どちらが勝つのか、その戦いの先に何が待つのか、魔界に陽光がもたらされるのか――知ることはできない。
地上と魔界の住人の間で争いが続く可能性が極めて高いとルイズもわかっている。
それでもタルブの村で彼とともに見た夕焼けを思い出してしまった。
そして、太陽の下で皆が笑う――そんな光景を夢見てしまった。
生きとし生けるものには太陽が必要なのだから。
同じ頃、タルブの村にまだ滞在していたフーケは空を見上げて溜息を吐いた。
化物だと思っていた男は七万の軍に単身挑み、壊滅的な被害を与えたらしい。よく殺されずに済んだものだと思う。
(疲れてんのかねー)
子供の相手をしながらぼんやり思う。
盗賊として長く生活するうちに人間の汚い部分を散々見てその中に首まで浸かったはずだった。
しかし時折求めてしまう。人の心の温かさや一欠片の光を。
「ははっ、本当に疲れてるようだね」
らしくない、と笑いながら大きく伸びをする。
何の警戒も必要とせず、大切な家族と平和に暮らせる――そんな世界を夢見てしまった。
「……まあ夢見るだけならタダだからいいか」
強く思い描くことから行動につながれば。少しでも変わるならば――。
呟きは青空に吸い込まれていった。
大魔王の前に影は跪き、地に擦り付けんばかりに頭を垂れていた。すでに封印が施され、顔は隠されている。
帰還までの話を聞いた大魔王バーンは黙って忠実な部下を眺めている。
ミストバーンは失態の罰を受けようとしている。おそらく任を解かれ処刑されるだろうが、いかに厳しいものでも受けるつもりだった。
「……おそらくあの世界とつながることはもうあるまい」
ルイズが旅の扉の形成に成功したのは大魔王から膨大な魔法力を与えられたためだ。二人の力が融け合い反応した、一時的なもの。
最初に召喚のゲートが現れただけでも考えられないことなのに、旅の扉で戻ってくることができたのは幸運以外の何物でもない。
「さて、どのような罰を与えるべきかな」
隠された素顔を衆目にさらし、力を見せ、器を破壊されかけた。戻るために目撃者を殺すこともできなかった。穏やかな口調が逆に恐ろしく、影は震えている。
大魔王は威厳に満ちた声で命じた。
「面を上げよ」
炎を宿した苛烈な眼光がミストバーンの心を射抜く。
彼は目を逸らさなかった。
全ては主との出会いから始まった。だから、最期まで主を真っ直ぐ見つめているつもりだった。
「お前にはいっそう働いてもらう。永遠に――余の傍らで、な」
ミストバーンの目が丸くなった。容赦ない叱責と処刑を覚悟していたのに宣告はあまりにも予想外のものだった。
「罰として忠誠の報いには何も与えん……。初めて太陽が魔界を照らす瞬間を、共に見ることのみ許してやろう。……不服か?」
「い、いえっ!」
数千年生きているとは思えぬ慌てぶりで必死に首を振る。。
主の宣告は罰ではなく誇るべきことだ。全てを与えられているのだからこれ以上何かを望むつもりなどない。
「もちろん二度目はない。……しかしなかなか興味深い体験をしたようだな。余も行ってみたかったぞ」
そして異なる法則の魔法体系を解き明かして我が物とし、優秀な人材を手に入れるつもりなのだろう。
「それもまた一興――そう思わぬか?」
「バ……バーン様!」
側近のうろたえる姿に大魔王は声を上げて笑う。
主の言葉にミストバーンは己が然るべき場所に戻ったことを実感し、力が湧き上がるのを感じた。
ルイズによって失いかけた誇りを呼び覚まされ、在るべき姿を教えられたのだ。
彼は主のために力を尽くすことを改めて心に誓った。
――誇りとともに。
ルイズはミストバーンが去ってしばらく落ち込んでいたようだったが、やがて元のように振る舞うようになった。
キュルケやギーシュもいつもどおり接していたが、時折気遣うような視線を向けた。
やりきれない想いを抱えながらも視線に笑顔で応えることができたのは、彼の最後の言葉がルイズを支えているからだ。
ほとんど聞き取れないほど小さくかすかな声だったが、確かに伝わった一言が今の彼女の誇りとなっている。
『お前は私の――』
「わたしはあんたの――」
続きを胸の内で唱えると力が湧き上がる。
ルイズは顔を上げ、太陽のように明るい笑みを浮かべてみせた。
最終更新:2008年08月25日 19:31