ゼロの影~The Other Story~-01

其の一 ルイズと影

 ミストバーンは目を点滅させて混乱していた。
 つい先ほどまで彼は、数えきれぬ年月の間そうしてきたように主の傍らに立ち、害なす者がいないか目を光らせていた。
 もっとも、城内に侵入する者などほとんどおらず取り越し苦労に終わるのが常であったが今日ばかりは違った。
 突如として前方に光る鏡が出現したため、咄嗟に飛び出して主を庇った。すると奇妙な感覚が全身を包み、気づけば周囲には全く別の景色が広がっていた。
 暗くよどんだ魔界の空とは違う、どこまでも爽やかな青空。心地よい風の中を鳥が自由に飛んでいく。
 大空に浮かぶ白い雲や目を射るほど眩しい陽光など、目に飛び込むのは色彩豊かな世界の姿だった。
 感傷に耽る間もなく真っ先に主の姿を探したが見つからない。どうやらこの地に呼び出されたのは彼だけのようだ。
 続いて己を取り囲む者達に意識を向ける。
 もしや主と自分を引き離し、各個撃破を企んでいるのだろうか――そう思ったが害意は感じられない。
 殺気があれば即座に攻撃を叩きこむところだが、観察してみると子供が大半で己を傷つけられるとは思えなかった。好奇の眼が不愉快だったが。
「おい、なんかルイズがアレな奴呼び出したぜ」
「あの顔の部分どうなってんだ? 中に人がいるんじゃないか」
 彼らがささやき合うのも無理はない。見慣れぬ白い装束を着た者の顔らしき場所には黒い霧が集い、眼が文字通り光っている。
 召喚した少女――ルイズの顔は成功した喜びと怪しげな相手に対する戸惑いで満たされていた。
 強そうな使い魔を召喚できたためもっと嬉しがるべきなのだが、全身から放たれる鋭気は深い淵から吹き上げる風のように背筋を寒くさせる。
 本能が近寄るなと告げているためコントラクト・サーヴァントを行う気になれず、視線をコルベールとミストバーンに交互に向けた。
「あの、どこにすればいいんですか?」
「えー……」
 コルベールの口調も歯切れが悪い。何しろ口らしきものがない。霧に隠れて見えないのだろうが、不用意に距離を詰めれば攻撃を受ける気がした。
 自分や主が標的ではないと悟ったミストバーンはルイズとコルベールの方に向き直った。
 呼び出したのならば元の場所に返すこともできるはず。敵対し叩き潰すにはまだ早い。
 彼がなさねばならぬことはただ一つ。速やかに主の元へ戻る――それだけだ。
「早く元の場所へ戻せ」
 コルベールの喉が奇妙な音を立てた。ここで答えを間違えれば間違いなく熾烈な戦いが始まる予感がしたためだ。
 相手を刺激しないよう慎重に言葉を選びながら説明していくが、話が進むにつれて放たれる空気は研ぎ澄まされ殺気へと変貌していく。
 ハルケギニアと呼ばれる世界や儀式、契約について聞けば聞くほど場の雰囲気は肌を刺すように冷たくなり、生徒達を凍らせていく。
「帰る手段は無いだと? たわけたことを……!」
 地を這うような低い声にルイズは思わずムッとした。忠誠を誓うどころか使い魔として働くつもりなど欠片もないと告げている。
「帰るなんて冗談じゃないわ、あんたはわたしの使い魔――」
 言葉が放たれた瞬間ミストバーンの眼がギラリと光り、鋼鉄の爪が串刺しにせんとルイズへ伸びた。コルベールが庇う暇もない、あっという間の出来事だった。
(わたし、死ぬの?)
 迫る爪がゆっくりに感じられ、脳裏を家族や学院の者達の姿が駆け巡った。
(さよなら皆使い魔を召喚した直後にいきなり殺されるなんてやっぱりわたしゼロあれ確か儀式に危険はないはずじゃなかったかしら何よ何なのよこんなのってあんまりだわ)
 蜂の巣になる己の姿を想像したルイズは指一本動かせなかった。

 しかし、予想した痛みは訪れない。体を貫くはずの爪は皮膚に触れる寸前で止まっている。
 彼を止めたのは威厳あふれる声。姿が見えないにも関わらずその場の全員にはっきりと聞こえたため思念を飛ばしているのだろう。
「まあ待て、ミストバーン」
「バーン様!」
 ミストバーンは虚空の一点を食い入るように見つめ、跪いた。
「お前を呼び出した者に少々興味が湧いた。しばらく力を貸してやれ」
 目を丸くしたミストバーンに面白がっている笑いの波動が届く。
 直接干渉することはできないが、額の第三の目によって部下の様子を監視することが可能だ。常時というわけにはいかないが、声を届けることもできるようだ。
 メイジの実力を測るには使い魔を見よ、とハルケギニアでは言われる。魔界の強者たる部下を召喚したルイズの力を確かめたいと思ったのだ。
 他にも実力者がいればぜひ魔王軍に引き込みたい。そのため有望な芽を摘むような真似は慎むようミストバーンに伝えた。学院では極力暴れるな、ということだ。
 それに、未知の魔法にも興味がある。
 鍛え上げて身につけた力で弱者を思うようにあしらうのが楽しいと語る大魔王である。新たな力や知識は喜んで手に入れるつもりだった。
 ミストバーンが主に反抗するはずもない。
「かしこまりました」
 とだけ呟いてルイズに視線を戻す。そのまま佇んでいる彼からは一片の害意も感じられない。
 まだ硬直したままのルイズはこわばる舌を必死に動かした。
「あ、あんたさっきわたしを殺そうとしたじゃない」
 いくら命令されたといってもつい先ほど殺気を剥き出しにして攻撃したばかりなのだ。それなのに今は協力する気満々に見える。
 態度の豹変についていけないルイズに、彼はきっぱり言い切った。
「大魔王様のご命令だ」
 どうやら戦わずに済みそうだと知ったコルベールがほっと安堵の息を漏らした。
 召喚直後にコントラクト・サーヴァントを行わなくてよかった。もし無理に口づけを迫っていたらどんな惨事になっていたかわからない。
 運の良さに心の底から感謝しつつ、コルベールは儀式の残りの手順について説明した。
 口づけを交わすと聞いてミストバーンはためらったものの、主から了承を得たため歩み寄る。
 霧の下の素顔を見られぬように、目を閉じるよう釘を刺すことは忘れなかったが。
 言葉の真意がわからないルイズは意外な思いに打たれて笑いかけた。
「そんなこと気にするようには見えないけど、もしかして恥ずかし――」
 途端にざわりと空気がうねり、ルイズの背を冷や汗が流れる。
 彼女が使い魔について最初に学習したのは、「ツッコミ一つ入れるのも命がけ」ということであった。
 余計なことは言わず済ませるべきだと悟ったため慌てて瞼を閉ざし、顔を近づけて口づけを交わす。
 唇が異様に冷たいことに疑問を抱く間もなく素早く身を離され、釈然としないものを感じた。
 彼は主が協力しろと言ったから従っているだけだ。ルイズ自身は全く認められていない。
(いつか絶対認めさせて、見返してやるんだから!)
 彼女は拳を握り締めて燦々と輝く太陽に誓った――のだが、表情は引きつっている。
 本当に一目置かせることができるのか。そもそも殺されずに済むのか。
 不安に苛まれながら彼女は影のように沈黙している相手を見つめた。

 こうして、魔王軍戦力増強計画――ミストバーンのハルケギニアでの生活が開始された。



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最終更新:2008年08月25日 19:41
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