虚無と爆炎の使い魔-05

 ――第5話――

 ルイズが教室に入るとキュルケ・タバサを除いた生徒全員がぞっとした表情で振り向いた。
 正確には傍に控えている筈のハドラーに対してである。
 しばらくルイズを観察していた生徒達だったが、隣に誰もいないのを確認すると、一人、また一人とルイズから視線を外していく。
 全員がルイズから視線を外した頃、やがて教室は元の平穏を取り戻した。
「何なのよ……」
 異端審問に掛けられた者が解放された様な気分で、憮然とした表情のルイズが、居心地悪く席に着いた。
「は……はは、何だ。つ、使い魔がいないじゃないか。ルイズ!」
 座ったルイズに対し、生徒の一人から早速罵りの言葉が飛んで来た。
 だがその口調にいつもの元気は無い。それに今日は何だか歯切れが悪い様だった。特に『使い魔』の辺りが。
 そんな事を思ったルイズだったが、腹が立つ事は確かだったので、取り敢えず言い返す。
「うるさいわねマリコルヌ!昼まで自由行動にしただけよ!」
「そんな事言って、本当はどこかに逃げて行ったんじゃないのか?なんせ『ゼロ』だもんなぁ」
 いきなりの先制攻撃だった。マリコルヌの侮辱に歯噛みして悔しがるルイズだが、ふと何かを思い付く。
 突然笑顔でマリコルヌの方を向いたかと思うと、自分の使い魔に似た悪人顔で、にやぁっ、と口を歪めた。
「そうね……確かに証拠は必要よね。じゃあ、まだ時間はあるから今すぐ連れて来ようかしら?」
 ルイズの言葉は嘘だった。ハドラーとは昼食に落ち合う約束をしただけで、本人が今頃どこにいるかなど、ルイズは全くわからない。
 だが他の者はそんなやり取りがあった事すら知らないのだ。事の真偽は分からないものの、もしルイズの言葉が本当なら、近くにいると言う事になる。
 まさかそんな答えが返って来るとは予想していなかったらしく、ルイズのその一言でマリコルヌと呼ばれた恰幅の良い少年は椅子から転げ落ちた。青ざめた顔でぶるぶる身体を震わせる。
「い、いや……け、結構だよルイズ!」
 心底怯えた様子で返事をするマリコルヌにルイズが鼻を鳴らした。
「ふん。……怯えるくらいなら最初から言わなきゃいいでしょ」
 ルイズの言葉に全員が『ごもっとも』と頷くき、呆れた様な冷たい視線をマリコルヌに投げ掛けた。中には「ルイズの言う通りだ!」と、珍しく同意する声も上がる。もっともそのココロは『薮蛇を突つく様な真似をするな』と言うものだったが。
 ともあれそんな視線に晒されたマリコルヌはすっかり意気消沈してしまった。そんな雰囲気がしばらく続いた後、教室の扉が開く。


「皆さんおはよ……えーと、これはどうしたのかしら?」
 教師のシュヴルーズが見たのは、教室の真ん中で四つん這いになって肩を落とすマリコルヌと、それを冷たい目で見下ろす生徒達の姿だった。
 傍目にはイジメにしか見えない光景なのだが、何故か被害者である筈のマリコルヌは喜んで……いや、『悦んで』いる様であった。
「ああ、その糞塗れの豚を見る様な視線……なんて冷たいんだ。耐えなきゃ……!!今は耐えるしかない……!! 」
 だが言葉とは裏腹にマリコルヌの息は徐々に荒くなっていた。同時にそれを見つめる生徒達の目が更に鋭いものになっていく。
「駄目だ、視線に……抵抗できない……くやしい!でも……感じちゃう!」
 ビクビクッと身体が痙攣し始めたマリコルヌに、ついに(女生徒達の)限界が来た様だった。恐ろしく無表情になったキュルケが何も言わずフレイムボールを浴びせると、それを皮切りにクラスの(女)生徒全員が次々と魔法を唱え続ける。
 最後に唱えたタバサのウインド・ブレイクがマリコルヌを窓の外に吹っ飛ばすと、皆が額の汗を拭った。ゴミ掃除は完了したのだ。
「あの……これは一体……『さ、授業を始めましょう。ミセス・シュブルーズ!』
 にっこりと微笑みながら有無を言わせぬ(女)生徒達の迫力に、黙って従う他ないシュヴルーズだった。


 一人の欠席者を出して授業はスタートした。進級後、最初の授業という事で、今日は一年生の時の復習だった。
 シュヴルーズが目の前の石ころをピカピカ光る金属へと『錬金』し、それを見たキュルケが「ゴールドですか?」などと質問している。

 ――人間は生ゴミでいいのかしら?――

 ぼーっと先程の光景を思い出し、かなり危険な疑問が頭に舞い込んで来たルイズが、はっ、としてかぶりを振る。
 きっと昨日から色々あり過ぎて疲れているのだ。そう結論を出したルイズは再度集中しようとするも、あいにく一部始終をシュヴルーズに見られてしまっていた。
「ミス・ヴァリエール。以前の復習だからと言って気を抜くのは良くありませんね」
「も、申し訳ございません!ミセス・シュヴルーズ」
 シュヴルーズが注意すると、ルイズは弾かれた様に席を立ち、謝罪した。だがシュヴルーズはそれだけでは不満といった感じで顔を曇らせたままである。
「いい機会です。ミス・ヴァリエール。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい。集中すれば雑念も取れるでしょう」
 シュブルーズの言葉に再び全員が反応した。皆口々に「止めてくれ!」だの「せっかく直った傷がまた開いちまう」だの言い出す。
 皆の容赦の無い言葉にふつふつと怒りのゲージが上がっていくルイズの胸に、ふとキュルケとタバサの顔が浮かぶ。
 あの戦いを一緒に乗り切った二人ならきっと応援してくれる筈だ。そう思ったルイズが二人の方を向く。
 だがそこには現実が待っていた。
 ルイズが振り向いた先にいたのは、他の生徒と並んでシュプレヒコールを上げるキュルケと、机と椅子で黙々と防壁を作るタバサの姿だった。心の中にあった最後の何かがべっきリとへし折れたルイズは、静かにシュヴルーズに告げる。
「やります」
 そう宣言し教壇の方へと向かう。「やります」とは『やります』なのか、それとも『殺ります』なのか?それは誰にもわからない。だが、その決意の篭められた姿は、まるで死地へと向かう勇者の様なだ。
 しかし、ルイズを除いた生徒達は思う「死地へ向かうのは俺達の方ではないのか?」と。


 ルイズがついに教壇に立った。ルイズへの抗議を諦めた生徒達が、今度はシュヴルーズへの説得を試みる。
「ミセス・シュヴルーズ。いけません!自殺行為です」
「この状況で何故理解しない?」
「ていうかさっきのマリコルヌの時に魔法使ってたじゃないですか!」
 だがシュヴルーズはそんな生徒達の声を一喝した。
「お黙りなさい!……ミスタ・マリコルヌの時は寄ってたかって魔法が使われていた為に良く見えませんでした」
 シュヴルーズは言葉を切るとルイズの方を向いた。
「……ですが、彼女が努力家ということは聞いています。ミスタ・マリコルヌもそうですが、何か至らない所があったからといって、クラスの全員で迫害するなど、貴族たる者のする事ではありません!」
「いやマリコルヌの時はルイズも参加し「失敗は誰にだってあります。それを乗り越えてこそ栄光を掴めるのです。ミス・ヴァリエール……。努力家の貴女ならきっと掴めると信じていますよ」
 誰かの指摘はどうやら届かなかった様だ。自らの言葉に半ば酔った様子で、シュヴルーズはルイズの両肩に優しく触れた。
「せ、先生……。わかりました。きっと……きっと!成功させて見せます!」
 そう言って目元を滲ませるルイズにうんうんと頷くシュヴルーズ。実に美しい師弟愛であった。
 だが今から命の瀬戸際を渡ろうとする生徒達にそんなものは関係無い。もはや説得は不可能と判断し、皆一斉に机の下へと隠れ出す。
 クラス中が見守る中、静かにルイズの咏唱が始まった。

 ――シュヴルーズ先生の言う通りだわ。こんな事くらいで怯んでいたら、アイツを従わせる事なんてできっこない!――

 そんな決意の元、ついに詠唱が終わった。使い魔の顔を思い浮かべたルイズは今、万感の想いを込めて杖を振り――

 鉱山で働く男達がこぞって勧誘に来そうな程の、素晴らしい爆発が教室内に轟いた。
 防壁代わりの机が幾つも吹きとばされ、前列一帯の生徒達が焦げ臭い匂いを発していた。後列も後列で、爆発に興奮して暴れ出した使い魔達にてんやわんやである。
 そして爆心地の教壇では、丸焦げになって気絶したシュヴルーズと、あの爆発の中、奇跡的とも言えるぐらいに軽傷で済んだルイズがいた。煙を吸ったのか二、三度咳込んだ彼女だったが、すぐにいすまいを正すと静かに告げる。
「あ~……ちょっと失敗しちゃったみたいね」

『あるあ……ねーよ!!!』

 クラス一丸となった生徒達が鋭いツッコミをルイズに向けるのであった……。


 さっ……さっ……と、誰もいない教室でルイズが箒を掃く。
 あの後、騒ぎを聞き付けた他の教師達によって、授業は即刻中止となった。シュヴルーズは医務室に搬送され、元凶であるルイズには罰として魔法抜きでの教室の掃除を命じられたのだ。
 だが、魔法が使えないルイズにとっては同じ事であり、その言葉はかえって彼女を傷付ける結果となった。
 打ちひしがれた様子で立ち尽くすルイズに、クラスメイト達は恨みつらみの言葉を投げかけて、ぞろぞろと教室を出て行く。
 キュルケとタバサも、ルイズの事は気になったものの、今はそっとしておくべきだろうと判断すると、そのまま無言で列に従った。
「はあ……」
 情けなさにルイズはうなだれた。使い魔を手に入れた事で自分は調子に乗っていたのかもしれない。 ハドラーと契約出来たからと言って、魔法を使える様になった訳ではないのだ。そんな思いが頭をよぎる。
  「アハハ……そうよね。考えてみれば、契約だってキュルケとタバサがいたからできたんじゃない。私一人じゃ……何も……」
 そのままルイズは黙り込んだ。あの時、感じられた筈の小さな自信が、さらさらと崩れ落ちる。
 ――あの作戦を立てたのはタバサだった。危険な役目を自ら引き受けたのはキュルケだった。じゃあ、自分は?――
「……」
 ルイズの顔が苦しげに歪んだ。あの役割を与えられたのはたまたま自分の魔法が有効だった為だ。では、もし相手がハドラーでなかったら?
 ――決まっている。自分など只の足手まといだ――
「あ……」
 言いようの無い悔しさ、惨めさが胸の中を掻き乱した。ルイズの目から思わず涙が滲み出す。
「爆発なんて……何の役にも立たないじゃない……」
 がらんとした教室で、打ちひしがれた様に立ち尽くすルイズだった。


「……何をしている?」
 しばらくの間、鳴咽の声だけが響いていた空間に、突如別の声がした。慌てた様にルイズが振り向く。
「ハ……ハドラー?何で!?」
 泣いている姿を見られまいと努力したルイズが、鼻をすすりながらの上擦った声を上げた。
「先程の場所で主が来るのを待っていたのだがな、あの赤髪の女が主の事を知らせに来たのだ」
「……キュルケが……そう」
 ルイズの顔が少し柔らいだ。いつの間にか昼食の時間になっていたらしい。彼女のささやかな気遣いに、ルイズは心の中で感謝した。
「大まかな事は聞いた……魔法が使えない事もな」
 最後の言葉にルイズがびくりとした。ハドラーもそのまま口を閉ざす。
 しばらく重い沈黙が教室を支配した後、唇を震わせながらルイズが告げた。
「そうよ……私は魔法が使えない。生まれてこの方、一度も成功した事が無いの」
 ルイズの口元に自嘲の笑みが浮かぶ。
「それで、付けられたあだ名が『ゼロ』のルイズ。魔法学院の生徒が、貴族ともあろう者が魔法を使えないなんて、とんだ……お笑い種よね……」
 そう言った後ルイズは俯いた。その顔は垂れた前髪に隠れてよく見えない。だが、身体を震わせ、痛いほどに握り締められた拳が、今の彼女の心を明確に表していた。


「――俺は」
 しばらく沈黙が支配していた教室に、突如ハドラーの声が響く。
「俺は……人間ではない。そして、この世界の住人でもない。だから、この世界で言う貴族の常識とやらは、俺には分からん」
 ハドラーの言葉には力が篭もっていた。その声にあてられたルイズは、静かに顔を向ける。
「だが、召喚されてから、俺の見たものと言えば、魔法が使える筈の貴族の殆どが、無様に逃げ出し、魔法を使えない筈の主が、必死に戦う姿だ。……俺にしてみれば、主は他の連中よりも、よほど『貴族』らしく思えたがな」
「え……?」
 『貴族』の言葉にルイズは思わず反応した。入学して以来、自分にとっては常に嘲笑と共に使われて来た言葉であり、肯定目的で他人に言われた事は、ついぞ無かった。呆気に取られた様子のルイズが怖ず怖ずと声を出す。
「もしかして……励ましてくれてるの?」
 黙って首を振ると、ハドラーは、口を開いた。
「俺は事実を言っている。だから改めて聞こう。俺はどうやって主に呼び出されて来たのだ?」
「……?」
 どういう意味なのかと考え込んだルイズが、突然ハッとした顔をした。
 ――そうだ、サモン・サーヴァントの魔法はちゃんと成功したではないか。基礎中の基礎みたいな魔法だが、自分にも使える魔法は確かにあったのだ――
 何かに気付いた様子で見上げるルイズに、顔を合わせたハドラーは、ゆっくりと頷き返した。

「私は……『ゼロ』じゃない」

 まじないを掛ける様に、ルイズは胸中でその言葉を何度も繰り返す。暗闇の中に、一筋の光が差し込んだ気分だった。
 ――そうだ。自分は『ゼロ』じゃない。偉大なる始祖は、決して自分を見捨てていなかったのだ。今はまだ召喚の魔法だけしか使えないが、努力すれば、きっと他の魔法だって――
「……うん」
 歪んでいた顔を軽くほぐし、ルイズが微笑んだ。先程までは色を失っていた瞳が、再び真っ直ぐに輝き始める。
「ふふふ……まだまだ頼りないが……やはりいい目だ。奴らそっくりの、な」
 主を見据えるハドラーの顔が喜びに変わった。濁りの無いその目は、かつて幾度となく戦った好敵手達の顔を思い出させる。
 急に遠い目をする自分の使い魔を、ルイズは不思議がった。
「その……『奴ら』って誰の事?」
「かつて、俺と戦い、俺を倒した連中の事だ。……素晴らしい奴らだったぞ。野望と、自らの保身しか頭に無かった俺の生き方を、変えた程にな」
 懐かしむ様な表情で話すハドラーを、ルイズは信じられない思いで聞いていた。この男を倒したと言う事も眉唾ものだが『保身』に走るこの男の姿など到底想像できないのである。
 つい疑わしげな視線を向けたルイズに、ハドラーは軽く笑った。
「いずれまた話そう。それより今は、腹の心配をしなければな」
 ルイズがハッとした。ハドラーがわざわざここに来た目的を思い出したのだ。
「そうだったわ!いけない、急がないと昼食抜きになっちゃう!」
 掃除による肉体労働も手伝い、空腹感にすっかり襲われたルイズが慌てて飛び出して行く。
 そんな主人の後を悠々と着いて行くハドラーだったが、教室を出た辺りで突然ルイズが振り返った。
「さっきはあんな姿を見せたけど……あんたを従わせる事を諦めたわけじゃないわ。覚悟しておきなさい」
 まくし立てる様に喋ったルイズはそこで言葉を切ると、そわそわと落ち着き無い所作になる。
 主人の奇行を訝しむハドラーに、ルイズは顔を赤らめながら小さな声で告げた。
「でも……励ましてくれた事には感謝するわ。えと……あ、ありがとう」
 最後は蚊の鳴くような声で言い放つと、ぷいっと顔を背けたルイズは、そのまま逃げる様な速さで歩き出した。
「忙しい主だな」
 歩き去るルイズの後ろ姿を見つめながら、ハドラーは苦笑した。


「ふう……」
 走るのを止めたルイズは一息付くと、そっと裏を振り返った。走った分の距離を隔て、悠然と自分の後を追う使い魔の姿に、先程のやり取りを思い出したルイズの顔が再び熱を持つ。

 ――嬉しかった――

 ルイズの胸に、温かい何かが込み上げる。ハドラーの存在と言葉は、自分に可能性を与えてくれた。
 だが同時に、今のままではとてもハドラーの主人とは言えない事をルイズは痛感する。
 力が敵わないのは仕方が無い。だが使い魔に慰められる様な、情けない姿を見せたとあっては、とても自分の立つ瀬が無い。
 ハドラーから視線を外すと、ルイズはきっ、と前を向いた。
「もっと強くならなきゃ……身体も。心も。あいつに負けないくらいに」
 そう決心たルイズが再び歩き出す。行きの時よりも若干力強くなった足取りで、食堂への道をずんずん進んで行った。
 目的地に着いたルイズが間に合ったとばかりに、食堂の入口をくぐる。しかしそこには何故か大勢の人だかりが出来ていた。
「ちょっと、何よもう!」
 通常でもごったがえする入り口付近は、おそらく見物しているのであろう生徒達ですっかり塞がれてしまっていた。
 一向に収まる気配を見せない事に、ちっとも自分の席に着く事が出来ないルイズは憤る。と同時に、この混雑の原因は何かと気になり出してもいた。
「どうした?」
 野次馬の後ろに並び、背伸びをしながら何とか騒ぎの原因を確かめようとしていたルイズに、いつの間にか追い付いていたハドラーが問い掛けた。だが、
「きゃぁっ!」
 不安定な状態で突然後ろから声を掛けられた事で、ルイズはバランスを崩してしまった。 前の生徒を道連れにする形で豪快にすっ転ぶ。
 地面に痛打したルイズは頭を押さえながら、思いっきり抗議の声を上げた。
「何すんのよハドラー!」
「え……?ルイズの……使い魔!?」
 ルイズの声に反応したのは一緒に倒れた生徒だった。悲鳴にも似た声を上げると、ハドラーの方を向いたまま、口をぱくぱくさせている。


「あ……ごめんなさ「うわあ!ル、ルイズの使い魔だ!」
 巻き添えにした事を謝ろうとしたルイズにまたも別の叫び声が飛び込んだ。「ん?」と、反応した生徒達の目が次々とこちらに向けられる。
「何だよ……って、う、うわあああ!」
 ルイズの後ろに黙って立つハドラーを見た生徒達が順番に声を上げた。それに伴って、まるで魚の大群が逃げて行くかの様に、ルイズ達の前方が左右に割れていく。
「列が空いたようだな」
「空いたけど……これじゃあもう食事は無理よ」
 長いテーブルや椅子もあって、ただでさえ動きにくい食堂の通路である。そこに無理な形で列が割れた為、ルイズの席がある周辺なんかは、今やすし詰め状態になっていた。
「はあ……」
 ため息を吐いたルイズは渋々と二分された人だかりの中を歩いていく。
 こうなったらとっとと騒ぎの元凶を突き止めよう。そう思いながら中心まで進んだルイズが見たものは、この一年間で良く見知った人物である。
 一人は金髪にフリル付きのシャツ姿。何故か頬に手形が付いた状態で佇むクラスメートのギーシュ。もう一人は、そのギーシュに必死で頭を下げる、一人のメイドだった。
 ――確かシエスタ……って言ったかしら?まあいいわ――
 少女の髪がトリステインでは珍しい、黒い色をしていた事が印象的だったルイズは、何となく名前を覚えていた。だが今はそんな時では無い。まずは状況を把握すべきである。
「あんた達何やってるのよ!」
 開口一番、昼食が食べられなくなった恨みを、たっぷり込めて、ルイズは叫んだ。だが――
「ひっ!」
 突然のルイズの乱入に二人がみるみる顔を青くした。メイドのシエスタはルイズの声に、ギーシュはルイズの後ろに佇むハドラーの姿に、それぞれ怯えている。
「何よ……ちょっと聞いただけじゃない」
 ルイズが不満げに一人ごちた。これでは自分が悪役の様である。
「どうするのだ?」
「仕方無いわね……そこのあんた!」
 このままで話にならないと判断したルイズは手近な生徒を捕まえて、事の次第を聞いた。それによると――


 友人とのお喋りに夢中のギーシュがうっかり落とした謎の小鬢、それをデザートの配膳で近くを通り掛かったシエスタが拾って渡そうとした。しかしギーシュは何故か受け取りを拒否する。
 だが小鬢を見た友人の一人が突然声を上げた「その小鬢はモンモランシーの物じゃないか?」囃し立てる友人達を必死で否定するギーシュ。そこにケティという下級生の少女が現れる。
 どうやらギーシュはモンモランシーに内緒で彼女といい雰囲気になっていたらしい。しかし、彼女もまた、ギーシュからモンモランシーとの関係を知らされていなかった。
 「私の気持ちを弄んだのですね!」小鬢を見て裏切られたケティは涙を流して立ち去った。気まずい空気の中ギーシュは必死に取り繕う。
 だが、悲劇はこれで終わらなかった。モンモランシーが一部始終を見ていたのだ。ギーシュの態度に怒髪天を突いた彼女は強烈な平手打ちを食らわせ、ケティと同じく立ち去っていった。
 一層気まずくなった空気が漂う中、突然ギーシュはシエスタに怒鳴る「受け取りは拒否しただろう!あれで察しがつかないのか?」と。

「……とまあそんなこんなで彼女が平身低頭している時に君が来たと言う訳さ」
「そ。ありがとう」
 身振り手ぶりを交え、何ともドラマチックな解説をしてくれた生徒にルイズは礼を言うと、ギーシュの方へと向き直る。
「予想はしてたけど……全部あんたが悪いんじゃない」
 びしっと指を突き付けて、ルイズは言い放った。「そうだ!」と周りの野次馬からも同調の声が相次ぐ。
 ルイズは内心怒っていた。ギーシュだけではない。何もせずにただ見ているだけの野次馬にもである。
 ハドラーは『自分の方が貴族に見えた』と言った。だが、それは裏返せば『他の奴らは貴族じゃない』と言っているに等しい。
 確かに、あの騒ぎで逃げ出した者は大勢いた。だけど、あれだけが貴族の本質で無いのもまた事実なのだ。
 貴族にも勇敢な者、立派な者は、自分の家族を初めとして星の数ほどいる。幼き日からそれを良く見知っていたルイズは、だからこそ、こんな愚かな行為を繰り返す、ギーシュ達の横暴さに余計に腹が立った。
「こんなのただの弱い者虐めじゃない!貴族としてあるまじき行為よ!」
 周りにも聞こえる様な声量でルイズが非難した。だが当のギーシュはカチンとした様子で反論する。
「……それを君が言うのかい?『ゼロ』である君が!」
 そう、腹が立っていたのはギーシュも同様であった。
 メイドに怒鳴ってしまったのは、弾みだったのだ。八つ当たりであった事も、メイドを責める理由がお門違いであった事も充分理解している。しかし自分は貴族だ。簡単に頭を下げる事は自らの価値を安売りする事にも繋がる。
 だからこそ、人目に付くここでは一旦メイドの方に折れてもらい、後でフォローを入れれば良いと考えていた。なのに、そんな中、突然ルイズが現れた。いきなり自分を非難したかと思えば、今度は魔法が使えない身で『貴族』を語る。
 いくら相手が女性であろうと『貴族』を侮辱された事には我慢ならなかった。


「そ……それとこれとは」
「関係あるさ。魔法が使えるからこそメイジであり貴族なのだよ。その点、君は、魔法を唱えては爆発ばかり。ていうか、そもそも魔法と呼べるのかい?あれ」
「サ……サモン・サーヴァントは成功したわ!」
 そう反論するも、ルイズの言葉に力は無い。魔法が使えない。爆発など役に立たない。ついさっきまで自分が考えていた事だ。
 私はゼロじゃない!心でそう繰り返しながら、ルイズは平静を保った。だが、ギーシュの言葉は更に追い討ちを掛けていく。
「だが『錬金』の魔法は見事に失敗したじゃないか。『サモン・サーヴァント』だって、そう何度も唱えるものじゃない。ただの偶然という事だって、十分考えられる」
 落ち着き払ったギーシュが、静かに留めを刺した。
「つまり……今の君には『貴族』について、とやかく言う資格は無いって事さ!『ゼロ』のルイズ」


 ギーシュの言葉が心に深く突き刺さったルイズは再び、自分の足元が崩れて行く様な錯覚を覚えた。『ゼロ』じゃない!希望を見出した筈のその言葉が、心の中で、ただ空しく響く。
 すっかり黙ってしまったルイズの様子に、これはチャンスとギーシュは見た。このまま矛先をルイズに変える事で何とかやり過ごしてしまおう。そう考えたのだ。だがその時――
「話がまとまらない様だな」
 今まで黙っていたハドラーが急に口を開いた。存在をすっかり忘れていたギーシュはその声にたじろいでしまう。
 一方のルイズも、ギーシュ同様にとまどっていた。主たる自分がこれ以上ハドラーに頼る真似はしたくない。
 そんなルイズの心中はハドラーにも分かっていた。自分が手を貸す事をこの少女は喜びはしないだろう。そう考えている。同時に、その気高い心こそ、ハドラーがルイズに付き従っている理由の一つでもあったのだが。
 さて……とハドラーは考える。
 今現在、この二人の考えは平行線を辿ったままだ。これまでも、おそらくこれから先も、貴族の身でありながら魔法が使えない事は主の障害となり続けるに違いない。ならどうすれば良いのか?
 ――……そうだな。ここらで主には、乗り越えてもらおうか――
 自分を倒した勇者達も、様々な挫折や試練を乗り越えて来た。ハドラーの胸に、かつてザコと呼んだ、だが最後には自分を救おうとした尊敬すべき男の顔が浮かび上がる。
 出方を待っている様子の二人に、静かな口調でハドラーは切り出した。
「俺の元いた世界では、こういう時に最適な方法がある」
「「本当!?」」
 二人の声がつい重なった。ハドラーの言う事が本当なら、願ってもない事である。
 先を促そうとした二人に、何故かハドラーは不敵な笑みを返す。不審に思った二人を見渡し、使い魔は朗々と宣告した。

「決闘だ。双方とも、心往くまで存分に闘うがいい!」

「「……決闘?……って!!えええええぇぇぇぇぇぇ!?」」
 二人の放った仰天の声は、食堂中に轟き渡ったのだった。

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最終更新:2008年10月16日 10:52
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