虚無と獣王-12

12  幕間 『日常』 


ルイズがクロコダインを召喚してもうすぐ一週間が経とうとしている。
召喚の儀式から謹慎終了までは色々あって実に落ち着かない日々だった。
そんな主従の、フェオの月、ティワズのダエグはこんな感じで始まる。

クロコダインの朝は早い。
厩舎で寝泊まりする彼であるが、概ね日の出と同じ位に目を覚ます。
水場で顔を洗うと、クロコダインは学院の敷地を一周する。夜間何も異常がなかったかを確認する為だ。
夜の警備を担当している衛兵も既に彼の事は知っているので、欠伸を噛み殺しながら夜は何もなかったと話す。
使い魔たちは大体同じ時間に起きて来るので、朝の挨拶をしながら向かうのは中庭である。
今年度の使い魔で一番の大物(体長的な意味で)の風竜がいる時は他の使い魔たちと共に世間話に興じ、いない時はグレイトアックスを使ったトレーニングを行う。
最初は風竜がいる時もトレーニングをしていたのだが、やたらとお喋りな彼女が矢継ぎ早に話しかけて来る為、話し相手に徹する方がいいと判断した。
ここのところ竜の姿は見えなかった為、デルムリン島にいた時の様に斧を振るうクロコダインであったが、今日は広場に彼が着いたすぐ後に空から蒼い影が舞い降りてくる。
背に乗っているのは風竜の主である眼鏡を掛けた少女だ。
使い魔とは対照的に無口で無表情なその少女がクロコダインに黙って頭を下げる。
「ああ、おはよう」
朝の挨拶と判断したクロコダインがそう言うと、後ろに控えた風竜がきゅいきゅい!きゅーい!と人間には解読できない声を上げる。
「おはようなのね、王さま! シルフィおなかすいたのねー!」
風竜に限らず、他の使い魔たちも皆こぞってクロコダインの事を王と呼ぶ。
面映ゆいしお前達はオレの部下じゃないから止めてくれないかと言ってはいるが、聞き入れられた例はない。
「おはようシルフィード。もう少ししたら厨房までいくからそれまで待っていろ」
「ありがとなのね王さまー!シルフィがいくら言ってもお姉さまごはんくれないのねー!もうほんとにいじわるしてからにー!」
シルフィードと話した回数はまだ片手に余る程度だが、ここから怒涛の様な主への愚痴と惚気が始まるという事は学んでいる。
クロコダインは厨房へ行くのを少し早くする事にした。

「よう! 今日は早いな『我等が声』!」
厨房裏口に現れたクロコダインを迎えたのはコック長マルトーのそんな一言だった。
もとよりマルトーはクロコダインに悪い印象を持っていた訳ではないが、先日の食堂パイ投げ事件は彼に何か感銘を与えたらしく、『我等が声』『我等が斧』などと呼ぶようになっている。
マルトーだけではなく下積みのコックたちやメイドまでそんな二つ名で呼ぶのだが、呼ばれる方はどう対応していいのか非常に困る。
面映ゆいしあれは子供の悪戯を叱っただけの事だから止めてくれないかと言ってはいるが、聞き入れられた例はない。
「シルフィードが腹を減らしていてな。何か食べさせるものはないか?」
マルトーは、なりはでかいがへんに子供っぽい印象の竜を思い浮かべた。
「ああ、あの青いのか。残り物で良きゃあ持っていってやってくれ。あんたの分はどうする?」
「オレはもう少し後で良い。毎日世話を掛けるな」
クロコダインの食生活は、召喚前より遥かに恵まれているといえる。食堂の一件以降はとても賄い食とは思えない豪華な料理が出てくるので有り難いが困惑もする。
「なぁに、遠慮はいらねえってもんさ。他でもねぇ、貴族の坊主どもにあんな啖呵が切れるアンタのメシなんだぜ。もっと豪勢にしてもいい位だ」
だからアレは少し叱っただけなんだがというクロコダインの主張は今回も聞き入れられず、逆に「謙遜する辺りが大人物だ」という評価しか得られなかった。

シルフィードに食餌を渡し、きゅいきゅいと喜ぶ声を背にクロコダインは学生寮へと向かう。
洗濯場を覗くが、シエスタは洗濯当番ではないらしく姿は見えない。
ルイズとはいつも学生寮の入口で待ち合わせをしている。もう起きているだろうかと思いながらクロコダインは歩を進めた。

まだ起きていなかった。
「うー……もう…食べられな……」
ベタな寝言ですね、とシエスタは思う。
彼女はいつもルイズを起こしに来る訳ではない。時間が空いていれば訪室するが、どちらかといえば仕事をしている事の方が多かった。
そろそろ起こそうか、と布団に手を掛けると、再び寝言が飛び込んでくる。
「…た、食べられないなんて言わせないんだからねっ……」
(夢の中でも素直じゃない、というか一体どんな夢……?)
疑問に思いつつ、シエスタは礼儀正しく掛け布団を勢いよく剥いだ。
「ぅひゃう!?」
愉快な奇声を上げて跳ね起きるルイズに対して一礼。
「おはようございます、ミス・ヴァリエール」
「シシシシシエスタ! ちょっとやっていい事と悪い事が!」
この起こし方は抜群に寝起きがいい、と脳裏に刻みつつシエスタは返事を返す。
「え、何か問題でしたでしょうか?」
不思議そうな顔をするシエスタにルイズは顔を真っ赤にして叫んだ。
「問題も何も、貴族相手の起こし方じゃないでしょ!」
「そんな!? 貴族様相手にするんですから物凄く丁寧ですよ! 田舎の弟妹なんかあんなもんじゃすみませんし!」
真顔で返されたルイズは思わず怒るのを忘れてしまった。
「いや、比べる対象が間違ってるような気がしないでもないんだけど、取り敢えず弟さん達はどういう扱いなの」
問われたシエスタは、んー、と天井をしばらく眺め、
「起きない場合はまず腕の関節を逆に」
「ゴメンネ、やっぱり言わなくてもいいわ」
「ちなみに寝ない場合は後ろに回って腰に手を回し後方にそのまま投げつけ」
「言わなくてもいいんだってばっ!」
田舎の平民マジ怖い、そう思うルイズであったが、単にシエスタの家が特殊だと知るのはもっと後の話になる。

そんなこんなでルイズが制服に着替えて部屋を出る頃には、クロコダインは待ち合わせ場所に到着しているのが常だ。
「おはようクロコダイン! 待った?」
「おはよう、ルイズ。今来たところだ」
会話だけ抜粋するとデート前の恋人同士の様だが、実際にはピーチブロンドの華奢な少女と赤銅色の鱗の獣人が朝の挨拶をしているだけであった。
2人はこの時間に今日の予定を打ち合わせる。ルイズは当然のことながら授業に出るのだが、使い魔は別に出なくても構わないからだ。
ルイズの謹慎中、クロコダインはシエスタやマルトーに何か手伝えることはないか聞いて回っていた。ルイズからの許可も得た上の行動である。
2人とも大貴族の使い魔に仕事を振るのは躊躇われたのだが、本人が体を動かさないと落ち着かないと主張する為、薪を割ったり食材を運び込んだりといった力仕事を頼んだ。
クロコダインは何もしていないのに食事が出てくる生活はおかしいと考えており、どうもデルムリンでの生活が彼に勤労意欲というものを植え付けてしまった様だった。
昨日、つまりルイズの謹慎が明けて初めての授業にはクロコダインも付き添っている。
食堂で貴族の子弟を叱りつけた一件について使い魔如きが生意気なと反発する生徒も少なからずいるのだが、そういうのに限って表立って文句を言う度胸も無い。
これまでルイズを囃し立てる筆頭だったマリコルヌやモンモランシーも静かにしていた為、スムーズに授業は進行した。
教師たちにとって教室で睨みを利かす(様に見える)クロコダインは有り難い存在と言えるのかもしれない。
「それで今日はどうするの?」
「オレでも出来る仕事がないか聞いてこようと思う。なかったら授業に参加という事にしたいんだが」
「……授業はつまらなかったかしら」
わたしと一緒にいるのはつまらないのか、とは言えないルイズであった。
「単に体を動かしている方が性に合っているだけだが、そういう事なら授業を選択するとしようか」
もう少し素直に発言してくれと思いつつ、あっさり前言を翻すクロコダインであった。
「そそそ、そ、そういう事ってどういう事なのよ!?」
「どういう事なのだろうなあ」
結局主人に対しては甘く、今日も授業参観するクロコダインであったという。

放課後、ルイズはクロコダインと別れて図書室に向かった。
学院長とコルベールに許可を得て、教師しか閲覧できない『フェニアのライブリー』にも今の彼女は入る事が出来る。
ルイズが探すのは召喚に関する本だ。
クロコダインを必ず元いた場所に帰すと誓った身として、これは当然の事であるとルイズは考えていた。
しかし、相手は30メイルもの大きさの本棚にぎっしりと詰まった大量の本である。そして本棚は壁際に幾つも幾つも並んでいるのだ。
おまけに魔法が爆発という形でしか発動しないルイズは、高い場所の本を取る事が出来ない。
故に、彼女は助っ人を頼むことにした。
余り話したことが無い相手な上、ルイズとは違う意味での問題児で取っ付きにくい人物であったが、思い切って話を持ちかけると予想に反して快諾してくれた。
「待たせた」
そう言って現れたのは、クラスメイトのタバサである。
彼女に示した条件は、一緒に本を探し高い場所の本は取って貰う事、その代わりルイズが調べ物をしている最中はライブラリー内の好きな本を読んでいていいというものだった。
図書室の主、知識欲の権化たるタバサにとっては好条件だった様で、無表情ながらもどこか嬉しそうだとルイズは思う。
「悪いわね、都合のいい時だけで良いからよろしく」
「構わない。こちらも貴女に用があった」
「用?」
全く思い当たる節のないルイズに向かって、タバサはマントの影から一冊の小冊子を出した。
手にとって内容を確認したルイズは、愕然とした面持ちでタバサに問いかける。
「こ、これってまさか……! 噂には聞いていたけど、本当に実在したというの……!!」
タバサは頷き、言葉を重ねた。
「そう、『会』は実在する。わたしは会員として、貴女をスカウトに来た」
彼女が言う『会』とは一体何か。それを語るには女子寮で密かに語り継がれる噂話の事から説明しなければならない。

いわく、トリステイン魔法学院には限られた女生徒しか入る事の出来ない秘密結社が存在する。
いわく、その結社の名称は『格差を是正し、資源を豊かにする会』というが、長い上にセンスが無い為『会』とだけ呼ばれている。
いわく、その『会』は古来からの民間伝承から最新の魔法理論まで調査し、研究を重ね、実践するエキスパートの集まりである。
いわく、『会』に入る方法は会員からのスカウトのみで、会員は決して『会』の存在を漏らしてはならない為、信頼できる人物にしか声を掛けない。

交友関係が広くないルイズにすらこの様な噂が届いていたが、学校にありがちな作り話だとばかり思っていた。
まあ、ホントにあるなら是が非でも入りたいと考えているのも事実だったが。
そんな噂話を聞いてから一年弱、今目の前にその会員と名乗る同級生が立っている。
「問おう。貴女は『会』に入る意思はあるか」
「答えを言う前に、ひとつだけ聞かせて」
ルイズは一旦言葉を切り、タバサに真剣な眼を向けた。
「どうしてわたしをスカウトしようと思ったの?」
答えるタバサもまた、真剣であった。
「アルヴィーズの食堂で、貴女の言葉を聞いた」
そう、ルイズは謹慎の原因となったあの騒ぎの中で、身体的特徴をあげつらう女生徒にこう言っていたのだ。

『どどどどうしてここここで胸の話題が出てくるのよ関係ないじゃないそそそんなに胸がありゃいいってもんじゃないわよ牛じゃあるまいし全くふんとにこれだからゲルマニアンはッ!』

騒ぎに加わる事なく、我関せずを決めこんでハシバミ草サラダを補給していたタバサの耳に、その言葉は凛とした響きを持って届いたのである。
いつの間にか、ルイズの瞳には涙が浮かんでいた。
わたしの言葉が聞こえていた。わたしの言葉を聞いてくれている人がいた。わたしの言葉で心を動かしてくれる人がいた。
その事が無性に嬉しかった。
「ありがとう、わたしをスカウトしに来てくれて。喜んで入会するわ」
ルイズは笑顔で礼を言うと、タバサはふるふると首を振る。
「わたしたちとしても、創設者兼名誉顧問の血縁者が入会するのは喜ばしい事」
返ってきた意外な言葉にきょとんとするルイズに、彼女は渡した小冊子を捲らせた。

『  序文
このハルケギニアの地には様々な格差が存在していますが、最も憎むべきはただ大きいだけの脂肪分を巨乳と尊び、微かな乳と書いて微乳と呼ぶべき存在を貧乳と称し蔑んでいるこの風潮であると言えます。
 わたしはこの現状を憂慮し、微乳でも誇りを持って生きていける社会を創造する為、この会を立ち上げました。
しかし、長年蔓延ったこの格差と風潮は一朝一夕で是正できるものではありません。
従って、個人の資源を最大限に発揮させる事で少しでも胸を大きくさせる研究も同時に進行させるのが、わたしが始祖より与えられた天命であると考えています。
わたしたちは揉まれれば大きくなるという古来からの民間伝承から、アカデミーで研究される様な最新の高度な水魔法による肉体改造までをも調べ上げ、その身で実践していかなければなりません。
恵まれし者達は、私たちの行動を見て笑うでしょう。しかし、嘆いてはいけません。
わたしたちの歩みは遅くとも、決して後退する事はなく、歩き続けてゆけば必ず約束の地へ辿り着くのですから。

ブリミル暦 6230年   エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール  』

ルイズが床に突っ伏したのは言うまでもない。
結局その日、召喚魔法について調べる事は当然のことながら出来なかった。


夕食の後、昨日に引き続き有志による近接格闘訓練(もしくは使い魔の運動不足解消計画)が始まった。
但し、昨日と違うのは、女子生徒の見学者がいるという点だ。
「あんたたち何しに来たのよ」
監督ルイズの問いに最初に答えたのはキュルケである。
「えー、何か面白そーなことやってるから、ちょっと野次でも飛ばそうと思って」
けらけらと笑うキュルケの横で、本から目を離さずにタバサが言う。
「その付き添い」
さらにその横にはギーシュと一応仲直りしたと思しきモンモランシーがいて、
「万が一怪我したら直してくれって頼まれたのよ。かすり傷程度なら水の秘薬なしでもいいだろうし、魔法の実践にもなるし」
「へー? てっきりわたしはギーシュがついにルイズにまで手を出したかと疑ってここに来たのかと思ったんだけどー」
「そんなわけないでしょっ!」
「ていうかルイズにまでって何よまでって! あまりふざけた事言うと酒瓶持ったシエスタに部屋強襲させるわよ」
「うん、いいわよね魔法実践! がんばってモンモランシー!」
外野が馬鹿を言っている間にも、男子学生たちは順調に張り飛ばされていた。

反省会(もしくは今日のツッコミ)が終了し仲間たちが解散した後、ルイズはクロコダインに尋ねた。
「明日は虚無の曜日だからちょっと王都まで行ってくるけど、クロコダインは何か買ってきて欲しい物はある?」
本当は学院から出た事のないクロコダインと共に王都まで行くつもりのルイズであったのだが、二つの要因からそれは諦めざるを得なかった。
先ず、王都までは馬を使って移動するのだか、学院にはクロコダインが乗れる馬が無いという事。
学院には、というよりハルケギニアには、と言った方が正確なのだが。
体長3メイルの巨体を乗せて走る馬というのは、正直モンスターの類であろう。
次に、未知の獣人が王都に出現するのはあまり宜しくないという事。
使い魔慣れしている学院だからこそクロコダインも問題にならない訳で、逆に魔法に詳しくない平民が大多数の王都で問題なく過ごせるとは限らない。
下手すれば王城から魔法衛視隊が出動しかねないのだ。
そんな訳で、せめて何か希望の物があれば買ってこようというのがルイズの思惑であった。
「そうだな……。何が売っているのかオレには判らんが、長めの革紐の様な物があれば有り難いか」
クロコダインは傍らの戦斧を見ながら言った。
「こいつを持って歩く時は必ず片手が塞がってしまうのでな。丈夫な紐があれば背負う事も出来る」
「革紐かー……。馬具を扱う店なら置いてあると思うんだけど」
考え込むルイズの頭を撫でながら、クロコダインは言う。
「無理をする事はないぞ。大至急必要だというものでもないからな」
「いいわよ、わたしも乗馬用の小物とか見たいと思ってたし」
「そうか、では頼む」
そんな事を話しているうちに、就寝時間が迫ってきた。
昨日の様にルイズを肩に乗せ、クロコダインは学生寮を目指す。
こうして凸凹主従の一日は暮れていくのだった。




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最終更新:2008年08月25日 19:35
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