ゼロの影~The Other Story~-02

其の二 努力する者

 授業が始まる前、生徒達の視線はルイズの使い魔、ミストバーンに集中していた。
 彼――顔が見えないため声で男と判断された――はルイズの後ろの席に座り、眼を蛍のように光らせている。大人しく授業開始を待つ様子はそこらの生徒より真面目に見える。
 ひそひそと囁き合い、互いの肩をつつく生徒達は好奇心と警戒をないまぜにした表情を浮かべている。
「仮面取ったら実は美形でしたってオチはないよな?」
「脱いだらすごいってことか? 美しいレディなら嬉しいよな」
「いやいや、声聴いただろ」
 能天気な会話に全く注意を払わない彼とは対照的に、ルイズは神経質に肩を震わせている。いきなり殺されかけた彼女にとって、彼は使い魔であると同時に危険物である。
 取扱厳重注意――ルイズが自分にそう言い聞かせた時、男子生徒の一人、風上のマリコルヌが彼を指差し呟いた。
「なあ、“ゼロのルイズ”の使い魔……イカに似てないか?」
 バカ、と数人が呻くと同時にしゅるしゅると爪が伸びてマリコルヌを拘束する。
「ちょっと何やってんの!? やめなさい」
 袖を掴んで必死に止めようとするルイズに“イカ”とはどんな姿をしているのか問いかけた。
「え? そりゃ海に泳いでるアレに決まってるじゃない」
 返事は、魔界にはマグマの海しかないということだった。
「……どんな環境よ、それ」
 興味をそそられたものの、彼は故郷について詳しく語るつもりはないのか「美しいフォルムを持つ神秘的な白い生き物」という説明を聞いてひとまず納得したようだ。
 しかしまだマリコルヌは縛られたままだ。ギリギリと音を立てて締め付けられている少年の顔は苦痛と恐怖――ではなく興奮に染まっている。
 心なしか呼吸が早く浅くなり、頬は紅潮し、周囲の者達が思わず後退してしまうような空気を纏っている。
「何、顔がわからない? 逆に考えるんだ、妄想し放題だと考えるんだ。中の人は声の低い魅力的なレディだと思いこむんだ。自分の可能性を信じろ……そうさ心の力で何でもできるッ!」
「さ……最低の発想だわっ!」
 顔を輝かせながら間違った方向へ前向きな発言をほとばしらせるマリコルヌに女生徒達は思い切りヒいている。
 ルイズが再度弱々しく制止し、彼も妙な悪寒を感じたため解放しようとした瞬間――愛すべき変態は宣言した。
「もっとキツめでお願いします!」
 直後、幸せそうな絶叫が教室内に響き渡った。


 やがて教室に現れた教師、シュヴルーズはゴキブリを至近距離で目撃したような顔つきの生徒達に怪訝そうな眼差しを向けたが、授業を始めるよう促されたため杖を振った。
 『土』系統の魔法や『錬金』についての説明をミストバーンは丸い鏡の表面にさらさらと書きつけていく。
 指先から走る黒い線は踊るように軽やかに鏡に染み込み、ルイズが見たことも無い文字の集合体となる。
 いくら大魔王が退屈していると言っても四六時中こちらの様子を監視するわけにはいかない。得た情報を整理し、鏡を使った通信で提供するのが彼の役目だった。
 ルイズはその様子を見て色々と尋ねたかったが、まず質問したのは「あんたその鏡どこから出したの?」ということだった。
 無言で衣を指差し、再び文字を編み始める。どうやら懐から取り出したらしい。
 黒い霧の下に何があるのか気になったルイズだが、余計な詮索をしたら間違いなく生命が危機にさらされる。
 好奇心をこらえてシュヴルーズの言葉に意識を向けかけたが、伸びた鋼鉄の爪に軽くつつかれたため振り返った。
 トライアングル、スクウェアといった単語が気になったらしい。系統を組み合わせることによって魔法が強力になることを説明するとそれも鏡に書きこんでいる。
(真面目なのね)
 ルイズが努力家であるだけに勤勉な態度には好感が持てる。彼自身のためというより主のための情報収集だが、ひたむきな姿勢は見習うべきだと思った。


 感心したように己の使い魔を見つめるルイズに気づいたシュヴルーズは、険しい表情で錬金を行うよう命じた。
 途端に教室内の空気が冷えた。そこらじゅうから「これで負けたら馬鹿だぜー!」だの「そんなバカげた力があるなら見てみたいわ!」だの聞こえてくる。
 揶揄する口調にルイズの鳶色の瞳が光った。
「だったら……だったら見なさいよ」
 悲壮なまでに意気込んでつかつかと教卓まで歩み寄る彼女の姿は勇ましかった。ミストバーンも刮目するほどに。
 ルイズが杖を振り下ろし、見事な爆発を起こした瞬間、彼は「素晴らしい……!」と呟いた。

 教室の掃除を命じられたルイズは鉛色の顔でうなだれながら片づけ始めた。使い魔は手伝おうとせず、黙って見ているだけだ。
 口を開きかけたが虚しく閉じる。拭いきれない疲労が心にへばりついていた。
(それも当然ね)
 あの殺気、あの眼光、あの攻撃。
 ゼロのルイズと呼ばれ、貴族なのに魔法を一つも使えない人間が従わせることなどできるはずがない。
 噛みしめた歯の隙間から嗚咽が漏れた。桃色がかったブロンドが揺れると床に水滴が落ちた。俯いた彼女は誰にともなく言葉を吐き出していく。
「わたしは、魔法の成功率がゼロ……。どんなに勉強しても――どんなに練習しても――何の意味も無かった!」
 白い拳がやり場のない憤りを示すように壁に叩きつけられ、鈍い音が響いた。
 今まで浴び続けた嘲笑や蔑視がどす黒い感情へ変わり、心を蝕んでいく。
「わたしには何の力も無くて……誰かから必要とされることはないんだわ。認められることも――」
「……どれほど望んでも、何の力も持てぬ者もいる」
 低い声にルイズがビクッと身を震わせた。返事が来るとは思っていなかった。
 身を切るような冷たい言葉を予想し、身構える彼女に淡々と言葉が紡がれる。
「だがお前は自らの力で私を召喚し、これほどの威力の爆発を起こすことが出来た」
 慰めではない。出会って間もないが、世辞や気休めなど言う男ではないと知っている。
「お前が望むならば……高みへ上ることができる」
 ゼロではない。
 彼はそう告げている。
 ルイズは口を開けて呆然と立ち尽くし、自分の耳を疑った。
 持つ者には持たざる者の気持ちなどわからないと思っていたが、努力を認めるというのか。
 ならば、ここで諦めてうずくまったままでいるわけにはいかない。
「……そうね、見てなさい。今にうんと強力な魔法を使えるようになって、見返してやるんだから!」
 いつの間にか涙は止まっていた。張り切って掃除に取り組もうとして笑みを浮かべる。
「そこまで言うなら少しは手伝って――」
 使い魔の方を向くと、すでにその姿は教室から消えていた。


 掃除は力を貸す範囲に含まれないだろうと判断したミストバーンは図書館を訪れていた。
 まずはハルケギニアの魔法の概要など基本的な知識を得ようと思ったのだが、刻まれたルーンは会話を可能にするだけで文字を読み取らせる働きは持っていないようだ。
 書物の山の前で思案に暮れていると、気配に気づいた蒼髪の眼鏡をかけた少女――タバサが顔を上げた。
 視線がぶつかり合い、しばらくの間二人は動かなかったが、やがてタバサは立ち上がると棚から一冊抜き出して座るよう身振りで示した。
 以心伝心という言葉があるが、口数の少ない者同士目と目で意思を疎通することが可能らしい。二人の間に何か通じ合うものがあったのかもしれない。
 ルイズがもしその様子を見ていれば、一言も喋っていないのにどうやって教えたり答えたりするのかツッコんだことだろう。
 ルーンの助けのおかげか早々と基礎を一通り習得した彼は適当な本を選んで読み始めた。
 実に静かで穏やかな時間が流れていった。

 虚無の曜日になるとルイズは城下町の場所を尋ねられ、首をかしげた。
 武器屋に行きたいということだったが、彼の爪ならば金属を易々と貫くことができるだろう。
 わざわざ武器を買う必要がないと言うと彼は首を横に振った。不要な武器防具を売り払い、資金を得るつもりらしい。
 人間の世界では富も立派な“力”となる。言うことをきかせるために必要な物ならば手に入れておいた方がいい。
「あんた武器なんか持っていたかしら?」
 ルイズが尋ねると、彼は懐からするすると美しい装飾の施された剣を取り出してみせた。しかも複数だ。
 もしかすると衣の下は別の世界につながっているのではなかろうか。
「どうなってんのよ……」
 何でもアリじゃない、と力無く呟くルイズは常識と非常識が混じりあった相手に頭痛を覚えていた。



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最終更新:2008年08月25日 19:43
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