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dangerousss

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【1時間30分前――選手控え室】

「うぐぁっ! す、すいません! も、もう勘弁して……
 あがっ、い、イく…………ひッ、ひぃぃぃ~~~っ!!」

 半裸のミドの下で悶える少年の名は、石田歩成という。
 本大会で何度目かの将棋対決。
 欲求不満のために性欲も溜まり、しかも将棋でも敗北しそうになったミドは、
 辛抱たまらず石田を押し倒し、将棋の勝敗をも有耶無耶にするという一石二鳥の策に出たのだ。

「……ふう。石田くん。優勝者の私に、何か一言は」

「えっ……おめでとうございます……? 対局前にも言いましたけど。
 ああっそうだ、それと今日も良かったです!
 でもミドさん……何か悩みでも?」

「石田くん、奨励会を追い出されたのよね」

「それ僕の悩みですけど!? というかいきなりなんなんですか!?」

「いや、少し聞きたくて。
 仮に石田くんが、魔人能力に目覚めずにプロ入りしたとして……
 その後、物凄く強い一般人から対局を申し込まれたらどうする?」

「……」

「それは勝ったとしても何の得もない無名の相手で、
 賞金なんか出なくて、しかも殆ど勝ち目なんてないくらい強いのよ。
 しかも、逃げても誰も責めないとしたら」

「……それは……僕には答えられませんね。僕は結局プロ棋士にはなれなかった。
 でも僕ならきっと、逃げてしまうでしょう。
 プロ棋士になるには、リーグ戦で他の棋士を倒して上がっていかなければならないんです。
 そういう人達の無念を背負っているなら尚更、名誉のない戦いはしたくないと思います。
 でも、そんな時に――」

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【現在】

 白煙は晴れた。元より、消火器が作り出せる煙幕など、然程持続するものではない。
 しかしあくまで油断せず、ミドの頭部に狙いを定めて撃つのみだ。

(爆弾は残り5発。全て僕が持っているし、もはや爆撃で無駄にできる数ではない。
 そしてこの距離で外す事は――)

 ……しかし。その瞬間、フジクロの思考は止まった。

 ミドが構えていたのは、刃物でも飛び道具でも、腰に携えた伝説の剣でもなく。
 金色に光り輝く、一枚のコイン――

(真野……ッ!!)

 記録映像で見た、真野風火水土の『イデアの金貨』――
 他の魔人の能力を、ミドが試合に持ち込んでいたとすれば。
 金品のやり取りに関する禁則事項で、果たして能力の産物は禁止されていたか。
 金貨を持たぬ片手、あるいは足に何かを仕込んでいるのか。
 そして、それらが全てブラフである可能性……!!

 あらゆる戦局に対して、常に冷たく迅速に答えを導出してきたフジクロの明晰な頭脳は……
 0.5秒にも満たぬこの一瞬に限り、裏目に出た。
 真野風火水土の試合が刻んだ楔はそれほどまでに深く。

「馬鹿ね。これはただの――」

 そして敗北の間際に至ってまでそれを利用しようとした勇者ミドが、それほどまでに悪辣だったのである。

「お土産のコインよ」


 フジクロが引き金に指令を下し、ミドの射殺を試みる一瞬……
 彼女が親指で弾いたコインは宙を舞い。


 ――大地が鳴動した。


「「……!!」」

 ズン、と響く上階からの異様な轟音と共に、2人の立つ足場は大きく揺れる。
 何が起きているかを察したフジクロは、ミドから視線を切り、壁を背に。
 ミドは爆撃から実を守るべく、開け放たれたままのエレベーターの中へ。

 密室に向かって、堰を切ったように殺到する鴉。
 だが再び地は揺れて、落ちる天井の破片を避けて群れが散る。
 何か奇妙な音が、鉄塔全体に反響している。



『――IS』 『THIS』
   『A』『PEN?』(「これはペンですか?」)

「人の」
 、 、 、 、
「人間の声だ」

 肩の傷を抑えながら、ミドは幽かな声を漏らした。
 都市の象徴。あらゆる日本建築物を優越して聳える333mの電波塔が、三度音声に揺れる。

『NO』   『IT IS』

    『T O M ――』(「いいえ、それはトムです――」)



 『人間の声』――というのは正確な表現ではない。

 英語である。


「   COOOOOOOOOOOOOO………    」


 天井の破壊と共に降ってきた存在は……
 ジェットエンジンめいて凶悪な呼吸音を響かせつつ、顔を上げて2人を見た。
 落下と同時、左足で踏みつぶした鴉の一羽を蹴り払い、その存在は歩を進める。

「足で探すのは面倒だ。
 何しろ俺に探知能力はない。この両眼以外は」

 その数秒、フジクロもミドも、息を呑んだまま動くことができない。

「だから『声』で探した」


 池松叢雲。


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 エレベーターシャフト内の密閉爆発。
 それに対し仮に英語を放っていれば、肺も気管も焼け、池松叢雲とて完全に戦闘不能になったであろう。
 一酸化炭素の毒だけならば受容体の操作で対処のしようもあるが、
 蛋白質を物理的に焼く『熱気』に関してはどうにもならない。
 それがミドの策略の完璧な点であった。

 故に池松は呼吸を止めた。無力な一般人がそうするように。
 しかしとめどなく流れ出す汗は、追いつめられた事実への冷や汗ではなかった。
 即ち。

(『統一躯』――)

 体内水分の実に20%……死の寸前まで発汗機能を酷使し、燃え盛る火災の熱から体表を守ったのだ。
 燃料による爆発炎上は、飛び散る破片で池松を吹き飛ばすことはなく。
 そして体を炎に晒したまま、池松は地上145mまで耐えた――

 幸いにも、失った水分は大展望台1階のカフェ内で補給することができた。
 次に行ったのは『探知』。

 トーナメントの中では見せる機会のなかった技だが、今ここで使う事ができた。
 英語は、リーディングやライティング……スピーキングのみではなく。


「単純な話だ」

 なにか不気味な予感を孕む不協和音が、頭上からギイギイと響く。
 一撃。一撃。吹き飛ばされ焼かれ、酷使した体で随分と動いたものだ。

 そして、眼前の2つの影に、一撃ずつ。それで終わる。

「Listening――自ら放った英語の反響を『聞いた』。
 そして2人の戦闘を聞き、ここに来た」

 ズン、とフロアを貫いて、鉄柱が降る。

「……聞いたよりも出鱈目な戦闘力だな。
 私達の位置を知るためだけに、支柱の全てを叩き折ってきたのか……?」

「俺の英語を響かせるために必要だったのならば、そうかもしれない。
 そして……ここは1階だぞ。お前が空なら、俺はこの大地がterritoryだ。
 これで足に気兼ねせず、全力の一撃が打てる。さあ――」

 両腕を広げ悠然と構える池松に――
 頭上から、物体が飛来した。
 左に跳んで避ける池松。床に落下したガラス片が四散する。

「弾切れか?」

 訝る池松にワイヤーが迫る。
 トーナメントを切り抜けた今の彼には、高張力ワイヤー程度は拘束にすらならない。
 が、ワイヤーを受け止め引こうと試みた瞬間何かに気づき、直前で手を手刀へと変えて切断した。

 切り飛ばされたワイヤーの先端が床に落ち、小爆発を起こす。
 爆発の残響に、ギシギシと鳴る頭上の音が更に強まる。

「ワイヤーボム……!」

 2人から距離を取りつつあったミドが、漸く攻撃の正体に気づき。
 彼女の視線の先――フジクロを挟んだ向こうで池松が地を蹴る!

「疾ッ(shit:「座る」という意味の英語)!!」

 視界を隠すべく眼前で翼を広げた鴉を無造作に引き裂き、フジクロへと2mの距離にまで迫る!
 しかし拳を繰り出す一瞬、そのワンインチの間隙で何かが跳ねた。
 ピンを抜かれた小型爆弾――

「吹ッ!!」「くっ!!」

 咄嗟にフジクロを蹴り、反作用で距離を取る池松であったが、
 フジクロもまたその蹴りに靴裏を合わせており、結果、両者は弾き飛ばされるように吹き飛ぶ。
 直後、その中間地点で爆発。

 さらに吹き飛んだ池松を追撃すべく、3羽の鴉が飛翔する!

「やるな。先の目隠しもこの布石か――
 あのままでは自爆だったが、俺の反応も計算していたか?」

「どうだろうな」

 両者にダメージはない! 立ち上がる……が、フジクロはミドに視線を向ける!

「……!」

 ここに至って、ミドが初めて伝説の剣を抜き放つ!
 池松と吹き飛ばしあったフジクロとの距離は、今は逆に縮まっている。
 幻影の剣『まるごし』は、その内部に握りこんだ武器を覆い隠すが――

(銃ではない。鴉に隠させた銃はまだ取られていない。
 射撃武器であれば、握りは変化するはずだ……が)

 脳裏に走った予感に従い、『まるごし』の『射線』から逃れるフジクロ。
 果たして予想通りそれは射撃武器であるが、
 ビニール容器を利用した水鉄砲である――!

(アルコール臭か。これをライターで発火させるつもりだとしたら……)

 この一瞬の内に鴉がミドの頭上に到達、ガラスの雨を降らせる!

「くっ、うぁッ……! 痛ッ!!」

 出血と共に逃げるミドだが、
 フジクロはそちらには銃を向けず……背後に迫る池松へと後ろ手に撃つ!
 3羽……向かわせた3羽は池松の迎撃により肉塊と化していた。

「そろそろ限界が近い。これ以上受けてやるわけにはいかん」

 続けざまに3発の連射。だが人外の反射神経に、銃弾は当然のように掴み取られる。
 が、フジクロの狙いは、その位置で池松の足を止める事にあった。

 ――何故、フジクロは『屋外にいる』残り4羽の鴉を突入させずにいるのか?

 それは外から『見ている』ためだ。
 今まさに池松の英語の浸透で倒壊しつつある、東京タワーの様子を!

 鉄柱の質量が天井を貫く!
 その位置は狙い違わず、池松の直上だ!!

「―――!! 喝ッッ(Cut:「切る」という意味の英語)!!」

 しかし、池松が反射的に頭上に突き上げる拳は、鉄柱を受けてなお破砕する!
 凄まじい重量に床を割りながらも、池松の放った一撃は赤い鉄柱を浸透し、
 雑巾を捻るように歪な形へと変形させつつ、落下軌道から完全に弾き飛ばす!

「いや。それでいい」

(……まさか(Massacre:「皆殺し」という意味の英語))

 池松は声を出すことが、できない。
 口に異物が詰まってる。何か羽毛のような感触が……鴉……?
 8m先で振り向き、フジクロが作戦の成果を確認するが如く、冷徹に呟く。

「君の英語を防ぐためには、毒ガス程度では足りない。熱気でもまだ不足だ。
 物理的に。完全に『塞ぐ』以外の方法を、私は思いつかない。
 英語の一撃を繰り出した直後、肺の中の空気を全て吐き出した今。
 絶対にこの特攻を命中させる一瞬が欲しかった」

 足が止まっているだけならば、迎撃はできる。腕を止められても、避ける事はできる。
 いざとなれば肉体の反射を無視して、『統一躯』でその身を稼働させる事ができる――
 だが。大質量に押し潰され、押し付けられていた今の状況は。
 、 、 、 、 、 、 、 、 、
 何をどうしたところで、動くことはできない……!!

「私の『八咫鴉』は、鴉の個体の意志を無視して指令を実行させる事ができる。
 たとえ本能に反した指令だろうと、機械的に実行し続ける。
 それが『池松叢雲の肺に潜り込め』というようなものであっても」

(――なるほど。公安部のフジクロ)

「『統一躯』を持つ君のどこを撃てば殺す事ができるかは分からないが、
 この距離ならば外さない。これから残り全弾を君に撃ち込み殺す。それだけだ」

 破壊の渦中に立ち尽くし、気道に潜り込んだ鴉に窒息しながらも、
 池松は鳥面の奥……青く光る目でフジクロを見下ろしている。
               、 、 、
(これがお前の全力か。これが)

 バキリ、と、骨が砕ける音が響いた。
 鍛えることのできない口内。肺からの空気も枯渇するこの状況で、
 その体内を侵攻し嘴で食い荒らす鴉を止める方法が一つある。

 死んだ鴉には、もはや指令を下すことはできない。
 仮に英語を抜きにしたとしても、咬筋のみで一羽の鳥を絶命させる事は、造作も無いことだった。
 ――だが。

「そう。たとえ本能に反した命令でも実行させることができる」

 肉を噛み千切った歯に当たる、この感触は。

「ピンを抜いた爆弾を飲み込ませる事も」

 池松の頭蓋から響く、くぐもった破裂音。
 糸が切れた人形のように、頭部を吹き飛ばされた影が崩れ――
 依然倒壊を続けるタワーの中。3つの頂点の内の一角は落ちた。

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【13年前――廃棄場】

「異形と呼ばれている」

 真っ二つに切断された大鴉は、ただの汚らしい肉にしか見えなかった。
 何よりも優雅で何よりも速く、そして強かった筈のその大鴉は、
 半分以上の羽が抜け落ちて、歪んだ廃棄場の大気の中で無残にその黒を濁らせている。

「魔人能力に目覚めた……またはその影響を受けた動物の事を言うそうだ」

「知ってる。
 生態系を乱す、いてはいけないものだって」

「飼っていたのか?」

「……違うよ。僕は見ていた。ただ、見ていたんだ」

 能力に目覚めた動物は生態系を壊す。だから、殺される。
 ならば。能力を持った人間は?

「僕は」

「止めろ(Year marrow:「やめてください」という意味の英語)。
 英語のLessonならともかく、Counselingは俺の性に合わん。
 それに」

 鳥面に隠された目が、ゴミ山の麓に立つ少年の顔を見据えた。
 少年は目を合わせることができない。

「言いたくない事を、無理に言う必要もない」

「……」

「それでも恐怖があるというのなら――」


「強くなろうと願えばいい。英語の全ては、そこから始まる」


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【現在】

「残るは……渡葉美土。
 やはり、最後の敵は彼女になったか……」

 これ以上ない強敵を下したものの、フジクロの残す残弾も少ない。
 鴉は6羽。銃弾は3発。爆弾は2発。予備の銃を回収する猶予はない。
 ガラスの弾も、建物そのものが崩れつつある今、補充は効かないだろう。
 またしてもどこかで鉄柱が折れ飛び、地響きが足元を震わせる。
 上層の鉄塔が完全に崩れ落ちるまで、あと少しに違いない。

「……」

 点々と続く出血を追う。ガラスでどこかの動脈を切ったか。
 だが圧倒的優位の状態にあってなお、フジクロに慢心はない。
 機械のように冷徹に。その精神性こそが、陸軍一佐フジクロの最も恐るべき点である。

「……………デ……。……ァ、……ス……
 …………!」

 階段の先から、何かをブツブツと呟く声が聞こえてくる。
 鴉を先に向かわせて罠の有無を見極め、その先の踊り場にミド本人が座り込んでいる事を確認する。

「……ス………。
 ……追いつかれちゃったか。ふふ。
 もう少しだったんだけどな」

 追いついた鴉を見て、ため息と共に諦観の言葉を漏らすミド。
 フジクロ本体が近づかずとも、今度こそ爆撃で仕留める事が可能だろう。
 この一撃で。勝つ。

 1発の爆弾を鴉に渡した直後……

「――!!」

 回避が間に合わない。
 振り返ったフジクロの腹に、豪腕の一撃が突き刺さった。

「ぐッボォッ!」

 打点から何か不自然な作用が打撃と共に浸透し、
 異様な感触にフジクロは胃の中身を吐き出した。それはどす黒い血液だった。

 浸透勁(sing-to-"K")という。

「何故、だ……! お前、お前はッ……!!」

「――」

 舌を、喉を、気管を……そして肺を爆圧で根こそぎ吹き飛ばされた人間は……
 果たして何秒の間、生命を持続できるだろうか?
 否。体内の爆風は呼吸器のみならず、脳をも損傷せしめたはずである。
 だが。

 だがそれでも、自らの身体と精神を制御する池松叢雲の『統一躯』は――

「――ooooooo……」

「Coooooooo――ooooo……」

 不自然な、血泡混じりの音が、池松の胸の辺りから響いている。
 焼け爛れた肺に穴を開けて、呼吸をしているつもりか。

(違う。これは……血管に直接、空気を取り入れて!)

 至近距離からの拳銃弾を、あやまたず喉へと叩きこむ。
 だがそれすらも意に介さず放たれたさらに重い一撃が、フジクロの左上腕を砕き潰した。

『How are you doing?――』

 生命維持のために酸素を取り入れているわけでもない。これは。

『Have a good day――』

 不可解に浸透する声と共に、よろめくフジクロの右膝を蹴りの一撃が砕く!
 フジクロは爆弾を持たせた鴉を背後から特攻させ起爆、辛うじて距離を取るが――

『英語とは』

 『純度』

 英語とは――リスニングだけを、スピーキングだけを、ライティングやリーディングだけを指すものではない!
 英語圏の人間が行うコミュニケーション伝達において『それ』が占める割合は、実に60%とも言われている!!


 ボディー・ランゲージ!!


(血管に流入する空気で……体で発音を行なっているのか!
 そして、意志乃戦で見せたような骨伝導で、直接叩き込んでいる……!)

 池松叢雲の肉体は、文字通りの死に体である。
 故に東京タワーを破壊したような、無尽蔵の攻撃力も今は失われている。
 しかしそれは……

『Thank you very much――』

「グバっ、うッ」

 一人の人間を殺しきるには、十分過ぎる力だ!

 無造作に歩み寄る池松。だが何故か足が地に貼り付いたように、回避が間に合わない。胃への一撃。
 骨伝導を通して浸透する英語の力は、フジクロの体内を細かい振動の波となって破壊する。
 血中にミシシッピ川を流し込まれていくような、膨大な英語の『圧力』!
 目から、鼻から、血が噴出し、一撃ごとにその死は近づいていく――

(池松……池松叢雲。これが一撃への執念か。
 僕には…………到底、不可能な――。――――)

 しかし朦朧とする意識にホワイトハウスの幻影を浮かべながら、フジクロは初めて……
 恐らくこの戦いで初めて、冷静さを失っていた。
 震える左手に握った小型爆弾のピンを抜き、

(負けたくない――)

 直後池松叢雲の右腕が繰り出したフックは、フジクロの左手が袖の中に落とした小型爆弾を撃った。


(恐怖を克服するためには……強くなければ……!!)


 水風船の弾けるような――バシャ、という音と共に、赤黒い血液が床に大輪の花のように散った。
 爆発反応防御。信管を刺激した一撃は、池松の右腕とフジクロの左腕をもろともに吹き飛ばしたのだ。

 倒れた池松は、もはや動かなかった。
 フジクロを死の寸前まで追い込んだ彼は、とうの昔に限界を越えていたのだ。

「……血液を、英語の浸透した血液を……ハァ、ハァ……抜いた、ぞ」


「生き残ったのは僕だ。池松叢雲……」

 ……。


「――立って」

「まだ戦闘は終わっていない」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【???】

「棄権しても構わないのですよ、渡葉美土様」
「……ふふ。けれど、今のあなたは――少しだけ、格好いいですよ」

 司会者に言われた言葉だ。

「そういう人達の無念を背負っているなら尚更、名誉のない戦いはしたくないと思います」
「でも――そんな時に勝ってしまう棋士に、僕はなりたかったんでしょう」

 この言葉は石田歩成。
 覚えている。

「どんなに敵が強大でも……自分の相撲を取るだけだ!!」

 股ノ海。

 その通り。これは自分の意志だ。自分の相撲だ。
 なぜならば、見返りなどないのだから。
 それでもなお勝つことができたのならば――何も怖いものなどない。

 圧倒的な力を前に、己の勇気をもって。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【現在】

「渡葉……美土……」

 階段の向こうから聞こえる声は、ミドだ。
 フジクロは辛うじて立ち上がるも、全身の出血と破砕骨折は、
 もはや本来の戦闘能力を絶望的に奪っている。

「幸運は……最善を尽くした人間にこそ訪れるって誰かが言ってたよ。
 最善を尽くした人間にしか、それを実感する瞬間はないって」

 拳銃は、2人の間の地面に落ちたままだ。
 無論この状態では、拾う事ができるかどうかすら怪しいものだが。
                                    、 、 、 、 、 、 、 、 、
「さっきの戦い、動きにくかった? 池松の攻撃を回避するタイミングが遅れた?」

「……そうか」

 得心が行ったように、フジクロは呟いた。

「そういう仕組みか」

 先のアルコールの水鉄砲。あれはただの発火への布石ではない。
 恐らくはセメダインか。アルコール溶剤の接着剤を混ぜて……
 ならば直接付着しなくても、撒き散らされた地面を踏むだけで、

 時間と共に、一瞬……コンマ数秒の差だが、
 靴が地に『貼り付いたように』……

「君は恐るべき魔人能力者だ。
 そうか……僕は君のような人間を、ゲホッ、探していたのだろう」

「逃げれば、あなたは爆撃で勝負を決めにくる……そうでしょ?
 それに私もね……出血がちょっと、やばいの。
 だから待つことはできなくなった」

「そうか。1対1だな」

 ミドの得物はナイフだろう。少しでも距離を詰めれば勝負は決まる。そういう間合いだ。

「……あなたのこと、少し分かった気がする。
 きっと戦いが、何かを乗り越える事が好きなんだ。
 池松さんとも……私とも同じ。
 あなた……笑ってるよ。今」


「笑ってる……? フフ、フフフ」

 、 、
「僕が?」

 その瞬間、ミドは動いた。床の拳銃に目もくれず、
 2羽の鴉が張ったワイヤートラップをナイフの一閃で切断し、
 ただ直線で、フジクロへと攻め入る――!

「……!」

 感情の虚を付かれ、拳銃を取らない行動に予想をも外されたフジクロは……
 ゼロ距離への侵入を、許してしまっていた。

 そしてその距離こそが、ミドが今求めていた間合いでもあった。

「Cooooooooooo……」

 ミドの能力『おもいだす』は、それ自体は些細な能力だ。
 だがそれが言語であるならば、完璧に全自動で――再生を続けてくれる。
 常に、常に、常に、正確な再生で常に。

 『反復学習』という学習法がある。

 一度の学習では時間と共に忘却される内容も、
 何度も繰り返して学習することでより定着した、完璧な記憶となる。
 そして反復学習は主として、語学の発音学習に用いられる――

 それはミドがずっと前から知っていた、ひとつの単語だ。
 先程から……否、この試合が始まってからずっと、口の中でつぶやき続けていた。
 限界まで時間を稼ぎ今、ギリギリの瀬戸際に完成させた、最後のひとつの策。

「 G o t s 」


 圧倒的な力を前に、己の小さな勇気をもって。


 「 a n d 」


       「 D e a t h 」


     一撃。

 渡葉美土の最後にして最大の一撃は、崩落する東京タワーと共に……世界に深く深く響き渡った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「……そうか」

 座り込んだミドは、大量の出血でもはや動けない。
 満身創痍で立ち尽くすフジクロも、それは同じだったが。

「あの時……ワイヤーを張る鴉は2羽しかいなかった。
 残りがどこにいたか……ちゃんと考えてなきゃ、いけなかったのに」

「……」

 フジクロが、赤黒く凝固した黒のスーツを脱ぎ去る。
 その胸元には、3羽の鴉が仕込まれていた。既に一塊の肉塊と化したそれらは、
 未熟ながら致命的な英語の衝撃を、本体に辿り着く前に吸収した結果である。

「それでも君は、私を真に追い詰めた敵の一人だ。
 池松叢雲も、君も……遙かに私の期待を超えて、強かった」

「私の知りたい事が、ようやく分かったかもしれない」

 座り込んだままのミドが、フジクロを見上げた。
 その右手にはナイフが握られている。
 もはや逆転のカードはなく、その気力もなかった。
 今からナイフを抜いて切り合っても、この男に勝つことはできないだろう。

「私は……降参だよ。
 本当はあなたとも……セックスしてみたかったんだけど、その気力もないね……フフ」

「……分かった。
 僕の」

 フジクロは眼を閉じて、噛み締めるように言葉をこらえた。
 端正な顔に浮かぶその表情は意外な程幼く見えて、
 まるで親に褒められた子供のようだ、とミドは思う。


「――僕の勝ちだ」


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