千坂ちずな/きずな 幕間SS(by 陸猫)
階段を昇りきると、そこはまだ鉄骨が剥き出しになっている作りかけの広間だった。
外壁の一面もまだ完成しておらず、骨組みの隙間からは美しい夜景が広がっている。
ひゅうひゅうと風の巻く音を聞きながら、ちずなは部屋の中央に置かれた
ダンボール箱に腰掛け、ゆっくりと煙草をふかす男へ向けて拳銃を構えた。
2本の指で煙草を摘んで紫煙を吐き出した男は顔を上げ、ちずなの顔を認めた。
「良い子はもう寝る時間だぞ、ちずなァ」
「……1つだけ答えて。なんでお姉ちゃんを殺したの」
ちずなは低く感情を押し殺した声で言った。銃の照星は男の額をぴたりと捉えている。
「聞いてどォすんだ?お前も知ってる事だろがよ、んなモンは」
「いいから答えて」
やや歪な形をした親指で撃鉄を上げながらちずなが促した。有無を言わさぬ口調である。
相馬は胸に溜まった言葉を吐き出すように溜息をついた。
「あいつは一族より人間の娘を優先した。それはつまり一族に危険を及ぼす行為だ。
だから粛清した。そンだけの話だ」
「お姉ちゃんは、私のたった1人の家族だった」
ちずなは振り絞るような声で言った。銃口が微かに震えている。
やれやれと首を振りながら、相馬は幽鬼を思わせる仕草でぬるりと立ち上がった。
「ッ動くな!」
「地味に傷つくぜェちずな……俺の事は家族と思ってくれて無かったのか?
へっへ、これでも可愛がってたつもりなんだがなァ……いや、マジで」
ちずなの言葉を無視し、両手をポケットに突っ込んだまま悠々と距離を詰める相馬。
少女は奥歯を食い縛った。
「動くなって言ってるでしょ!本当に殺すぞ!!」
「それは違うだろォ」
雄叫びに近いちずなの怒声を柳に風と受け流し、痩身の男は笑う。
ちずなの瞳は得体の知れぬ恐怖で揺れていた。
「いっちばん最初に教えたよなァ?相手の実力を見極めろって。
その上で戦うなら覚悟を決めろ、躊躇はナシだ。認識される前に殺せってな。
銃口向けといてお喋り持ちかけてる時点でお前はズレてンだよ」
革靴の硬質な足音が息苦しさを伴う感覚で響く。
相馬の声色は普段のそれとなんら変わらず……ちずなはその事実に酷く恐怖した。
目の前に迫りつつある男の意図が、読めない。
「それに……今日はきずなはどうした?殺しはあいつの役目だろォ」
「……今は寝てる。あの子は関係ない、あんたは私が殺る」
「それも違うだろォ」
相馬は既に手を伸ばせば指先が触れる程の距離に居た。
銃口の震えは治まらず、照準はスーツの胸ポケット辺りを曖昧に彷徨っている。
「きずなが起きたら不味いンだろ?ほら、アレだよ、本音が漏れちまうから」
ちずなの心臓が跳ね上がった。
いつもどおりの軽薄な笑みを貼り付けたまま、男は続ける。
「なァ、真面目な話をしてんだよ俺は。お前、本当は何に怒ってンの?
俺がらちかを殺した事か?それともお前がらちかを殺せなかった事か?」
「何を……」
「良いって隠さンでも。お前の性格は理解してるつもりだからよ、
本当の事言えって。別に幻滅する訳でもねェから」
「違う、それは、私じゃ」
「何が違う?」
首を傾けながらずいと顔を突き出した相馬に、ちずなは思わず半歩後ずさった。
手の震えは全身に広がり、足の感覚は消失しつつあった。
「違わねェよ。きずなはお前が産んだんだ。お前の一部であり、お前そのものだ。
きずなの考えてる事は、少なくともお前にとって無関係じゃねェ。
お前の思考ときずなの思考は違うが、その根源は同じだ」
「違う、違う!私はあの子じゃない!お姉ちゃんを、家族を殺したりなんかしない!」
ちずなは殆ど絶叫しながらぶんぶんと首を振った。
その瞳から大粒の涙が零れ、水滴となって宙に舞う。
身体の凝りを解す様に上体を反り、天井を見上げていた相馬は、1つ小さな息を吐き、
改めて銃を構えたまま泣きじゃくる少女の顔を見て言った。
「とりあえずな、今日はお前もう帰れ。一眠りして頭冷やせ。
ぶっちゃけ身内を手にかけるなんざもううんざりしてンだよ、こっちはな。
この上手前みてェなガキまで殺すなぞ御免蒙るンだよ、分かるか?
この件は今度またじっくり話してやる。今は俺の言う事聞いとけ」
そうして男は骨張った掌をちずなの頭にぽんと置いた。
同時に、ちずなの脳裏に100分の1秒でフラッシュバックした画。
太陽のように眩しい笑顔を向けて、自分の頭を撫でるらちか。
今となってはその理由を問う意味は無い……それに答えられる者も居ない。
ただ事実を述べるならば、その瞬間、ちずなはトリガーを引いた。
銃声は弾丸が尽きるまで間隔を置かずに続いた。
腕に伝わるリコイルの感触、鼻をつく硝煙の臭い。
そして、真新しい床を濡らす血液の奔流。
膝を付いたのはちずなだった。その胸部と首元には計9つの穴が空いている。
発砲の直前、相馬の両腕が獲物を捕らえる蛇のようにちずなの両手に絡み、
銃口を180度反転させていた。
至近距離から放たれた弾丸は、ちずなの両肺と心臓、そして気道を穿っていた。
「クソガキが……」
心底忌々しげに呟いた相馬は己の右手を振り上げた。止めとなる一撃である。
その右手が頂点で停止した。
少女の胸から飛び出した槍状の刃物が、男の腿に突き刺さっていた。
「が……ごぼっ、……お姉……わたし、が……なんで……」
喉からひゅうひゅうと風を切るような音を出しながら、途切れ途切れにきずなが喋った。
その言葉を言い終えるより速く、肉体では無く精神を直接破壊する
裸繰埜病先蒼馬の魔人能力――『悪魔の右手』が、少女の心を引き裂いた。
少女が息絶えた事を確認すると、
相馬は傍らにあった空のペンキ缶を思い切り蹴り飛ばした。
缶は未完成の壁から空中へ飛び出し、深海のような闇の底へと消えて行った。
無題(by 不破原拒)
不破原拒。
希望崎学園理系科目担当の教師にして、狂科学者。
これは、彼が死んだ直後のことである。
~~~
――――ようこそ、死に切れぬ魂よ。
限りなく広がる漆黒の闇。
その中で、不破原の魂は――表現としてはいささか奇妙ではあるが――意識を取り戻した。
不意に響いた、一つの声によって。
「…………此処は……」
まだ醒めきらぬ意識を徐々に再起動させながら、記憶の糸を辿る。
学園で密かに行っていた、様々な『実験』の過程、そして成果。
『七芸部の七人』を相手取る羽目になった、ささやかだが致命的だったミス。
そして――最期の瞬間。
――――お主に残された道は、四つ。
―――― 魂として、先に待つ運命へ進むか。
―――― 輪廻の渦に呑まれ、来世を待つか。
―――― 一切合切を浄化し、安息を得るか。
―――― 戦い、争い、現世へと舞い戻るか。
―――― 好きな道を、選ぶがいい――
男とも女ともつかぬ、奇妙な声が語りかける。
しかし、不破原の返答はない。
――――どうした? 選ばぬのか?
――――ならば、このまま常闇に沈むが……
謎の声がかき消えようとした、その時。
「く。くくくくくく、くはははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは」
突如として、不破原が笑い出したのだった。
ダムが決壊したかの如き、大笑いである。
――――やれやれ。魂が壊れたか。
――――聞くだけ無駄だったか……
「失礼な。誰が壊れてるですっテ?」
――――!
声の主が今度こそ不破原を見限ろうとした瞬間。
今までの狂った笑いが嘘のように、極めて静かな口調で――不破原が反応した。
「いやいや、確かにあれだけ笑えば発狂したと思われるのも無理もないでショ。
しかしこれが笑わずにいられようかというものですヨ!
死後の世界、魂の存在――現代科学のメスが未だに届かないその領域に!
私は今いるのですからネ! 私の死が無駄ではなかったということです!
いやいや、むしろ得たモノを考えれば遙かにプラスでしょう!
肉体が無い状況に於いて、私は今思考を巡らせ、記憶を辿っていル!
脳科学的にも、精神分析学的にも貴重な体験を、今まさに!
自らの身を以て味わっているのですから!」
再びにわかに興奮の色を含んだ口調で語る不破原。
もし表情を伺うことができたなら、彼は驚喜の色を満面に浮かべていたに違いないだろう。
――――それで、どうする。
――――前進か?転生か?安息か?闘争か?
「聞くまでもないでしょう――現世に戻って、早速研究しなくてはいけません」
問いかけに、躊躇することなく返答する。
「それに、戦えば――より多くのデータが収集できますから」
己の死すら、実験の為の礎とする――
魂となって尚変わらない、不破原拒の本質であった。
そこにいる理由(by ルフトライテル)
「えっ、ボクが発明部にいる理由?」
部室内で木刀の素振りをしていたジャージ姿の三つ編み少女――九十七が三一に。他の部員は今はここにはいない。
近所の商店街に買い出しに行ったのだ。
木刀を振るたびに彼女の三つ編みと豊満な胸が揺れている。
「だっていまも剣道つづけてるんですよね。七さん」
三一は以前に七が学園の外の道場では今も剣道を続けているという話を聞いた。
そして他の部員がいないこの機会に疑問をぶつけたのだ。
「うん。そうだね~♪でも、そっかー♪ジミーはボクにそんなに興味があるんだね♪うれしいなー♪」
例によって楽しそうな声で三一に返答する七。表情も眩しいぐらいの笑顔になる。
そして木刀の素振りをやめるとそのまま三一の方に飛びついてくる。
そして二人の体勢は七が上になり馬乗りとなる。
「は…離れて…」
例によって抵抗しようとするが、両腕を押さえつけられる。
「ふふふー♪ねぇ、ボクに乗り換えてみる?」
一瞬、二人の顔が唇に触れそうなぐらい近づくが、すぐに離れる。
「乗り換えるも何も僕は誰かと付き合ってるわけじゃ…」
「だって~♪君はひふみんがすきだからここに来たんでしょ。そんなこと隠してたってわかるよ♪」
「…えっ」
誰にも気付かれていないつもりだったのに・・・と三一は思う。
もっともそう思ってるのは当人たちだけで周囲の人間はとっくに気付いていたのだが。
「そしてさっきの質問だけど、君と一緒だよ♪ボクはみんなが好き♪君たちといるとボクは楽しい♪そう思ったからボクをここにいる…」
少し、間をおいて七が言う。
「…それじゃダメかな?」
そう告げた七の表情は珍しく真面目な様に見えた。
そして、すぐいつものように笑顔に戻る。
「いや…べつに駄目というじゃ…」
実際悪いことではないと三一は思う。
「ま、剣道に未練がないとは言わないけどね♪」
なければ続けてなどいない。
きっとそうすれば、それはそれで様々な出会いがあって、剣を通じて友情を深めあうこともあったのだろう。
だが七はそれを選ばなかった。その時間を親友である二や百ともっと一緒に過ごしたいと思ったから。
「まあ、何か困ったことがあったらお姉さんに任せなさい。ボクが守ってあげるから・・・ね♪」
「いや、守る前にこの状況を何とかして…」
押さえつけられたままの三一が困ったような表情で言う。
「や・だ♪」
そして三一のお願いにきっぱり拒絶の意思を見せる七。
そんなやりとりをしているうちに部室の扉の方から声が聞こえてくる。外に出かけていた二人が帰ってきたようだ。
「二人とも帰ってき…あー、なにしてんのよ、あんた!」
帰ってくるなり三一に馬乗りになった七の姿をみて怒った表情を見せる二。
「見ての通りだけどー♪」
「見ての通りじゃないわよっ!!今すぐそこをどきなさい!」
「ひふみんが怒ったー♪」
そのあとは繰り返されるいつもの情景。
そうだ。その日もいつも通りだったのだ。
その後起こる悲劇も知らないまま。
――怨みの源、或いは地獄の永い責苦の合間に見た短い夢(by ロリバス)★幕間ボーナス対象SS
―――これは、いつのできごとだろうか
空兄に頼まれて、秦観を決める戦いが始まるまでの時間、型稽古に付き合うことになった。
型稽古、といっても今――アキカンとなってしまった空兄の――使う技は通常の鬼無瀬の技と大きく異なる。
ゆえに、この手の型稽古だの約束稽古だのの類は慣れている人間でないとそもそも噛み合わなくて。
必然的に、空兄の一番弟子である私が頼まれることになったのだ。
抜駆逐、刃靡に始まり大薙舞刀、四囲敷応――
空兄と、丁寧に、丁寧に型を繰り返す。
だが、今日はいつものような技のキレが無くて。
バシッ!
雛菊刈りを受けた後、私は一旦木刀を下す。
「……どうした、『ザ、ザザ――』、メカ?何か不手際でもあったか、メカ?」
「不手際……と言うか……空兄、あの、その」
「………………そうだな、ここらで一旦、休憩とするか。メカ」
私がどう問いかけたものか逡巡していると、空兄は道場の端によりちょこん、と座った。
そしてぱしぱし、と短い手で隣を叩いて私に座るよう促す。
「……あの、空兄」
「…………『ザザッ、ザザ―』は鬼無瀬を、強いと思うか、メカ?」
私が問いかけるのを遮り、空兄はそんなことを聞いてくる。
「強い、でしょう」
「それは、他の流派と比べてか、メカ?」
「当然でしょう!そりゃあ規模では白金や菊水、雨竜院に負けているかもしれませんけど、純粋に力なら……」
「純粋に、力、か……メカ」
空兄はふっと笑う。
「俺はな、鬼無瀬は弱いと思う。メカ」
瞬間、目の前が真っ赤になる。
この人はなにを言っているんだろう?
空兄、あなたは、鬼無瀬最強の剣士に今からなろうとしているのではないのか。
その人が、それほどの人が、まさか自分の流派を弱いとだなんて
「空兄ッ!」
私の叫びもどこ吹く風と空兄は受け流し、話を続ける。
「そりゃあな、切り合えば、鬼無瀬が負けるとは思わん、メカ。だがな『ザザザ――』、鬼無瀬に1人でも、白金のように政界に出た人間は居るか、メカ?」
「……それは、剣の強さと関係ないでしょう」
「ああ、関係ない、メカ。じゃあ、菊水のように魔人でない一般人の門下生は鬼無瀬に何人いる?」
「……」
「……鬼無瀬は弱い、メカ。それは剣の腕で劣る、という意味ではない、メカ。俺たちはな、白金のように政治に食い込むことも、菊水のように一般人の門下生を増やし理解を求めることも出来ん、メカ。それ故に……」
俺たちは、社会的な立場が弱い、メカ。
と空兄は言った。
私はその言葉に何も返すことは出来ない。
鬼無瀬は社会の裏側に生きる一派だ、表だって名乗ることすらできない。
それを、私は否定することが出来ない。
「…………」
「だからな、逆説的に鬼無瀬は『強く』あらねばならんのだ、メカ。剣の腕さえも劣ってしまえば、俺たちに存在意義は無い」
「……それと、さっきの稽古で空兄の気が抜けてたことにどんな関係があるんですか?」
空兄は、さびしそうに笑う。
すごく、すごくさびしそうに、笑い。
「……俺は、アキカンだ、メカ。例え実力がどうあろうと、一度負けてアキカンに落とされた。その事実は覆せん、メカ」
さびしそうな笑いのまま、空兄は、あきらめたかのように言葉を紡ぐ
「…………アキカンなんかが秦観につくべきではない、そうは思わないか?メカ」
「空兄ッ!」
私は空兄を掴み壁にたたきつける、空兄なら避けられたであろうそれを、なすがままに空兄は受ける。
「そんなこと、そんなこと……!」
「無いとは、言いきれまい?メカ」
「それでも、それでも…………!」
美形の師範代の顔を思い出す。
空兄がアキカンに堕とされたとき、誰よりも空兄のことを案じていた彼を。
空兄があきらめず、再び剣士となれたとき誰よりも喜んでいた彼を。
そして、空兄と秦観を競えるとなったとき、誰よりも、誰よりもそれを楽しみにしていた彼を。
「あなたがそんなこと言ってしまったら。全兄の、全兄の気持ちはどうなるんですか……」
いつの間にか、私の目から涙があふれている。
それは空兄のアキカンの体に降り注ぎ、彼の肌を伝い、流れる。
「……………『ザ、ザザザ――』放せ、そろそろ、時間だ。メカ」
私は空兄の体を放す。
涙でぬれてびしょびしょになってしまった体を空兄はハンカチでぬぐう。
「……わざと、負けるおつもりですか?」
「…………」
空兄は答えず、独り、道場を出て行った。
最終更新:2012年07月27日 00:37