朝~授業
ルイズは夢を見ていた。
昨日行われたばかりの、コントラクト・サーヴァントの景色の情景。
ルイズの呼び声に応えてこの地に現れたのは、見たこともない服装の、黒髪の少年だった。年の頃はルイズと変わらない。
使い魔として平民を召喚してしまったことに落胆しながらも、ミスタ・コルベールにうながされ、
はやし立てる同級生たちを意図的に無視して唇を彼に近づける。
そうしながらルイズは奇妙に高揚した予感に胸を満たされた。
気に入らない。全然気に入らないんだけど、あるいはこの少年となら…。
そして、二人の唇が触れるか触れないかの刹那――
「コーホー」
それまでスヤスヤと寝息を立てていた少年の口から漏れた呼吸音に、ルイズは唐突に
現実に引き戻された。
「起きたか」
悪夢の続きのような声だ。寝起きから最悪の気分のルイズが頭を巡らすと、ベイダー卿は
窓から外を見ていた。
例のごとく、腕組み仁王立ちの傲岸なポーズで。
マスクから響く威圧的な呼吸音にはなかなか慣れそうもない。
声をかけながら、彼はルイズの方を見ようともしなかった。
振り返りもせずにルイズが目を覚ましたことを感じ取っていた辺り、やはり不気味だ。
「は、早起きね…」
沈黙に耐え切れずに先に口を開いたのはルイズだった。
だがベイダー卿は応えない。
「あ、あんたも悪い夢でも見たの?」
「僕は夢を見ない。そう訓練されてきた」
「そ、そう…」
取り付く島もない。だが、畳み掛けるようなベイダーの口ぶりにはほんの少し違和感があった。
何かを思い出しているのだろうか。
「太陽は一つなんだな」
またいきなりだった。
「……? 当たり前でしょ」
「それがいい。二つ以上は余計だ」
「……?」
発言の真意は汲み取れないものの、とりあえず朝食の時間が迫っている。
昨日交わした約束に則り、内心の怯えを隠しながらルイズは命じた。
「ふ、服」
「自分で取った方がいい」
「い、いいから!」
貴族の自負と怖れの板ばさみ。今回は前者が上回ったようだ。
ベイダーが窓の外を向いたまま無言で手首を軽く振ると、椅子にかかっていた制服が
ベッドの上のルイズの手元まで動いた。
「し、下着」
再びベイダー卿の手振りに従い、クローゼットの一番下の引き出しが開いて下着が
飛んできた。
魔法さえ成功すれば自分もできるはずのことを、杖も持っていないベイダーにさも当然の
ごとくされるのはちょっと腹立たしい。
それ以上に、それを振り向きせずにこなしてしまうベイダーが底知れない。後ろに目でも
ついているんだろうか。
さすがに服を着せてとは言えなかった。ルイズはネグリジェを脱ぐと自分で制服を身に着けた。
「じゃ、じゃあ朝ご飯に行ってくるから」
マントを羽織り、ドアを開けながらルイズは遠慮がちに言う。ベイダーは物が食べられないので
同席はしないそうだ。
ルイズが戸口をくぐろうとしたところで、ベイダーは半身を巡らせ、ルイズを直視した。
「メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー、マイ・マスター」
それに何と応じたらいいのかわからず、ルイズは軽く手を挙げて部屋を出た。
一人残されたベイダー卿は再び腕を組み、窓の外を見る。
たとえベイダー卿が単身でこの星を脱出する手段がないとしても、皇帝が必ずこの惑星を
感知するはずだ。
こんな星があることは今まで知られていなかったし、あるいは既知の銀河系の範囲外なのかも
しれない。だが皇帝は彼を超えるダークサイドの熟達者だ。その点に心配はない。
もっとも、多少時間はかかるかもしれないが。未知の航路をハイパースペース・ドライブで
移動するには厳密な計算も必要だ。
場合によっては戦争になるかもしれないが、昨晩ルイズと話し合って把握できた範囲で
推測すれば、この星の文化レベルでは一方的な虐殺になるだろう。
しかし、それよりも気がかりなのは…
組んだ腕を解き、ベイダー卿は自分の左手の甲を見た。
見たこともない文字がそこに刻まれていた。
「一体僕の身に何が起こった…」
くぐもったその呟きは、分厚い石造りの壁に吸い込まれた。
気絶したベイダー卿はひどく重く、レビテーションで運ぶにしても途中で一度交代が
必要だった。
ちなみに、ルイズの代わりにギーシュとタバサが運んでくれた。
コントラクト・サーヴァントの結果、その左手の甲には見たこともないルーンが刻まれていた。
勉強熱心なルイズの知識にもないルーンだが、そもそもこんな生物が召喚されてくるのも
前代未聞なので、とりあえず気にとめないことにした。問題は山積みだ。
ただ変人のコルベール先生だけは興味を引かれたようで、そのルーンのスケッチを取っていた。
ベイダーはルイズの部屋に運び込まれ、とりあえず床に放置された。
召喚直後の暴挙はともかく、契約が終わった後なら主人に危害を加えることはあるまいと
判断されてのことだ。
ベイダーが目を覚ましたのは夜だった。
というか、顔がマスクに覆われているため本当のところいつ目を覚ましたのかよくわからない。
第一声はまた「パドメ」。一体誰だろう。
それから二人の間に持たれた話し合いはそれ程長くはかからなかった。
ベイダーの態度は今度はだいぶ紳士的だった。
ベイダーはどこか別の星から来たとか何とか言っていたが、ルイズに理解されないのが
わかるとすっかり諦めたようだ。
「銀河帝国」、「ハイパースペース」、そして「フォース」……彼が力説していた未知の用語の数々。
「ねえ、ベイダー」
「“卿”か“ダース”を付けろと言ったはずだ」
「だーすって何よ?」
「シスの暗黒卿に対する敬称だ」
「あんたの二つ名だっけ?それはともかく、あんたって友達少ないでしょ」
「……」
結局、超空間航法どころか宇宙に出る手段さえないことがわかると、ベイダーは珍しく
落胆した様子だった。
結果としてベイダーが帰還するための方途を見つけられるまで、ルイズは生活の糧と
この土地の知識を提供し、一方のベイダーはルイズに対して従者の礼を取るという約束が
両者の間で取り交わされた。
ルイズが貴族であるという事実が、少しばかり功を奏したらしい。
「僕は貴婦人の扱いには慣れてるんだ」
笑えないジョークだった。
夜も更けた。
寝床としてルイズが用意した藁束をにべもなく拒絶し、ベイダー卿は書き物机の前の
椅子に座った。どうやらそこで眠るつもりらしい。
ネグリジェに着替えたルイズは、消灯する直前になって、ふと昼間のルーンのことを
思い出した。
「そう言えばあんたの手の甲のルーン、コルベール先生が興味津々だったみたいだけど、
ちょっと見せてくれる?」
「ルーン?これのことか」
ベイダー卿が左手を裏返して甲を示した。
「うーん、やっぱ見たこともない形ね。一応わたしも写しをとっておこうかな。もっかい見せて」
「ちょっと待て」
ベイダー卿はルーンが刻まれた手を少しいじると、もどかしそうにその表皮を脱ぎ捨てた。
「ちょっ……」
「ただのグローブだ。気にしなくていい」
その下から現れた金属製の義手をカチャカチャ動かしながら、こともなげに彼は言った。
ルーンが着脱可能な使い魔
♪ありえないことだよね
教室は一種異様な雰囲気に包まれていた。
コントラクト・サーヴァントの儀式の翌日。クラスメートに向かっての新しい使い魔の
お披露目的な様相を呈する朝一番の授業。
さながら多種多様な珍獣たちが織り成すショータイムだった。
だがそこに、明らかに周囲から浮いた存在感を放つ人影が鎮座していた。
言わずと知れたベイダー卿である。
使い魔を教室に連れてくるか否かは主人次第であるが、ベイダー自身が出席を強く
希望したのである。
だが…
「コーホー、コーホー」
「ミス・ヴァリエール、あなたの使い魔はもう少しなんとかなりませんか?」
使い魔たちがみな静かにしているとは限らないのだが、ベイダー卿の呼吸音はやけに
規則正しいだけにどこか威圧的で、生徒たちの集中をかき乱すことこの上ない。
授業を担当するミス・シュヴルーズがとうとう耐えかねて注意した途端、教室に妙な
解放感が漂った。
「はい、ええと…」
ルイズが隣の席に巨体を収めたベイダーの方をちらっと見る。
しかしベイダーは腕組みしたまま意に介したそぶりもない。
当然ながら眉一つ動かさない。
「気にせずに授業を続けるがいい」
貴族に対する口の聞き方もなっていない。
「でも迷惑なのです。あなたのその呼吸音。コーホー、コーホーって」
ベイダー卿が種族としては人間であり、しかもメイジではないことは彼自身から
言質がとれていた。つまり、この世界での身分でいえば平民であるということだ。
興味津々といった風情の同級生たちに、既にルイズは朝食の席で彼女が理解できた
範囲でベイダーとの話し合いの内容を語って聞かせていた。
平民の使い魔というのもなんだけど、余計な恐怖心を抱かれる方がもっと心配だった。
結果、一部の生徒は昨日ベイダー卿が見せた力への警戒を緩めることはなかったが、
大部分は貴族としてのプライドの方を優先し、あからさまにベイダーとルイズを見下し
始めていたのだ。
ベイダーの呼吸音はそんな生徒たちの神経を逆なでしていたものの、自分が率先して
注意する筋合いでもないので我慢していたのである。
ミス・シュヴルーズが注意してくれた時、そんな生徒たちがいっせいに清涼感を味わって
いた。
「教室から出て行ってはもらえませんか?」
温厚な中年女性であるシュヴルーズだが、貴族としてのプライドが虚勢を後押しし、
一見丁寧なその言葉の中にも有無を言わさぬ迫力が込められていた。
「あの、ミス…」
どうにかして弁解しようとするルイズを片手で制してから、ベイダー卿はさらに不遜な
態度で声を発した。
「僕はこの教室にいてもいい」
すると…
「あなたはこの教室にいてもかまいません」
一瞬呆けたような表情を浮かべ、ミス・シュヴルーズは復唱した。
「お前は気にせずに授業を続ける」
「わたしは気にせずに授業を続けます」
「代わりにあの生徒が廊下に立つ。」
ベイダーが一人の少年を指差した。
「ミスタ・グラモン、廊下に立ってなさい」
「ええっ!?」
「さっきのあれ、どうやったの?」
ルイズがベイダー卿に尋ねたのは、二人だけで授業の後始末をしてる最中だった。
「フォースの基本だ。心の弱い人間ほど簡単に動かすことができる」
「心が弱いって、相手はれっきとした貴族でメイジなのよ?」
「フォースの前では何というほどのこともない」
言いつつベイダー卿が軽く手をかざすと、砕けた花瓶の破片が集まってくずかごに
飛び込んでいった。
一方のルイズはススだらけになった床の拭き掃除をしていた。
「ねぇ、ベイダー」
「卿を付けろと言ったはずだ、マスター」
「……あんたさっきから突っ立ってるだけじゃない。なんでわたしがこんな肉体労働を
…ブツブツ……」
「そんなことを言うのはどの口だ。二度と声を出せなくするぞ」
ギーシュが去った教室ではその後順調に授業が進んでいったものの、『錬金』の実演を
求められたルイズが石ころに向かって杖を振り下ろした途端に爆発が起こり、何もかもが
台無しになった。
「ちょっと失敗したみたいね」
そう言ってボロボロの姿のルイズがスス交じりの黒い煙を吐き出した時には、ミス・シュヴルーズは
爆発のあおりを受けてひっくり返り、あらかじめ机の下に避難していた生徒たちにも被害が
及んでいた。
教室の中はさながら阿鼻叫喚の地獄だった。
「ちょっとじゃないだろ! ゼロのルイズ!」
「いつだって成功の確率、ほとんどゼロじゃないかよ!」
そんな怒号が響き渡る教室の外では――
「きっ、君はいつの間にここに?」
「フォースの導きだ」
唯一被害を免れたのは、廊下に立たされていたギーシュと、爆発の直前に誰にも
感知されないスピードで教室を出ていたベイダー卿だけだった。
ミス・シュヴルーズはその後2時間息を吹き返さず、ルイズは教室を可能な限り掃除して
おくことを命じられた。
罰として魔法を使うことは禁じられていたものの、ルイズは元々ほとんど魔法が使えない。
そしてベイダー卿の力は禁じられていない。
主従が逆転したかのような有様だったが、思っていたより早く掃除は終わった。
「なんで授業に出ようだなんて思ったの?」
昼休みまで少し時間がある。誰も居ない教室で、手持ち無沙汰のルイズは思い切って
尋ねてみた。
「この星の魔法と呼ばれる技術体系は、僕の手持ちのフォースの知識だけでは説明が
つかない。この魔法とやらを研究し、知識を持ち帰れば皇帝もお喜びになるだろう。
そして――」
(パドメを救う助けになるかもしれない)
「そして? …まあいいけど。わたしからすれば、あんたの力の方が謎だけどね」
「それよりもマスター、気になるのは君の魔法の腕だ」
知識を習得するため集中して授業を聞いていたベイダーには、ルイズの使った魔法が
その体系から逸脱したものであったことがわかった。
「皇帝が聞いたらさぞかし失望するだろう。皇帝は僕ほど寛大ではない」
「あんた昨日逆のこと言ってなかった? て、ていうか放っといてよ」
「ゼロのルイズ、か。なるほどな。もっと幼ければ僕が鍛えてやるのだが、残念だ」
(ろ、ロリコン…?)
最終更新:2007年10月15日 12:09