【エロトラップダンジョン】SS その1

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【エロトラップダンジョン】SSその1


 冗談

 では

 ない!!



 ――決して広くない通路を、サイクロプス染谷は思わず後退する。

 敵はどこだ? 「目を皿のように」広げて索敵する。
 彼の能力「換用躯」。実際に眼球が皿のような大きさに拡大され、視界が倍ほどにも広がる。あらゆる視覚能力が向上し、彼の視力は既に25.0にまで達していた。

 前方に、影。その姿をサイクロプスは認識した。
 サイクロプスの眼から垂れ流される殺人光線は、当然のごとくそちらへ伸びる。
 凡百の相手であればここで試合は決まったろう。

 だが次の瞬間……サイクロプスは、敵の影を見失う!

 同時、背後に気配。
 一瞬にしてそこまで移動したというのか?
 ぞくり、と背筋が震え、彼の背中からはよりいっそう激しく炎が噴き出す。

 この時。
 サイクロプスの脳裏には「ある情報」が流れ込んできていた。

 ――細木綾乃。18歳。高校生。

 ド ッ

 その情報がノイズとして脳内を走るのと同時、インパクトの衝撃がサイクロプスを襲っていた。

「――わたしは」
「ガァ……ッ!?」

 全身をのけぞらせて耐える。おそるべきパワー!
 急ぎ、サイクロプスは背後に向きなおる。だがその時すでに敵はいない!

 ――細木綾乃。好きな食べ物は甘いもの。ミルフィーユ。シュークリーム。アイス最中。

 ド ド ォ ッ

 連撃が叩き込まれる。骨にまで衝撃が達する。
 メキメキと、異形の体が悲鳴をあげる。
 次々に襲いくるプロフィール。次々と襲い来る重い打撃。

「――わたしは誰」
「グッ……何だってんだ……!」

 ――細木綾乃。高校生落語コンクール王者。レコード会社から、歌手としてのスカウト経験あり。ラーメン対決において、三ツ星中華シェフに勝利したことがある。

 ――細木綾乃。淫獄流の師範代。武術の動きと思われるものはひととおりマスターしている。

 ド ド ド ド ド ド ド

 サイクロプスがどう動こうとも、的確に、背後を突いてくる。
 目からの殺人光線もこれでは届かない。
 光速の殺人光線ですらも届かないのである。

 ――細木綾乃。恋愛経験なし。小学生時代のクラスメイトの彼への淡い思いを、恋と呼んでいいのか、いまだに決めかねている。

 ――細木綾乃。移動時の最高速は、秒速およそ30万キロ。

 ――光速と、同等である。

 ド ギ ャ ア ーーーz___ ッ

 大きな攻撃が決まった。サイクロプスの体が大きく吹き飛ぶ。
 おかしい。こんなはずでは。
 混濁した意識の中、かろうじて視界の端に敵の姿を捉える。

 その姿は、可憐な少女の形をしていた。

 少女はどことなく、不可解だ、不思議だ、というような表情をしていた。おそらく、意図した動きではないのだろう。何しろ彼女は記憶喪失なのだ。
 だが、「体が覚えている」ということなのだろう。彼女は動けている。

 サイクロプスは。思わず、口から本音を漏らした。
 自分がこれを言う事になるとは、思いもしなかった。

 その身体は宙に浮き、
 背中から炎を燃焼させ、
 巨大な目から常に殺人光線を垂れ流す。
 全身はカメレオンのようにぐるぐると変色し……異彩を放ち、迷彩のように周囲の風景と同化している。

 そのサイクロプス染谷が、噛みしめるように言った。

「…………化け物、め…………!!」

 当の細木綾乃は、ふらふらと視線をさまよわせているだけだった。そこにはおよそ、殺意と呼べるものがなかった。
 彼女はつぶやき続ける。うわごとのように繰り返す。

「教えて。わたしは誰。わたしは、何者……?」

 こんなものはこちらが聞きたい。
 サイクロプス染谷は吐き捨てた。



<大逆転人生ゲーム 第八回戦>
サイクロプス染谷 VS 細木綾乃



 ◆

 呼び出された試合場でこの少女と相対した時。
 正直、サイクロプスはこの相手を侮っていた。

 ただの少女である。それ以上の身体的特徴はない。
 それどろか、戦意すらなさそうであった。

「お願い、離して……わたしには、何もわからないの。わたしが戦う? 何と? なぜ……?」
「七回戦を勝ち上がった参戦者……細木綾乃。残念ながら、ゲームの進行には従っていただく」

 彼女の周囲は三人の男性によって取り囲まれており、自由はないようであった。
 そう、これはデスゲーム。生死をかけた一対一。
 人生の一発逆転……大金のかかった決闘。参戦したが最後、降りることはできない。

「まったく、どこをほっつき歩いていたのやら……発見が間に合わなければ八回戦を開催できないところでした……がァッ」

 突如、うめき声。
 同時に、喋っていた男は後方へ大きく吹き飛んだ。
 抵抗するようにもがいた綾乃の肘が、たまたま彼に当たったのだ。

 それで、この威力。

「教えて。わたしは、わたしは……」
「……なるほど」

 見た目以上にパワーのあるタイプか。雰囲気とのギャップもある。
 それらの要素が噛み合って、生き残ってきたのだろう……だが。

 ――俺の障害になるレベルではない。
 サイクロプス染谷は、対戦相手の姿を「瞼の裏に映しながら」断じた。

 今、彼は目を閉じたまま相手を観察している。目を開けば殺人光線で、試合前に相手を殺めてしまいかねない。あえてそれをしないのは、デスゲーム選手としての、彼なりの守るべきモラルであった。

 サイクロプス染谷は異形であり、化物であり、人間であった。備えるべき理性と常識を彼は持っていた。

「――さてさて、少々手間取りましたが……始めましょうか」

 やがて、パン、パンと手を叩きながら、怪しげな黒服の男が二人の間に立った。
 おそらくは運営サイドの者であろう。その正体はサイクロプスとて掴み切れてはいない。

「七勝VS七勝で迎える第八試合……ここで勝てばあなた方は大金を手に入れて……開放です。事実上の決勝戦というワケですねェ」

 明らかに「上から」なその態度に、サイクロプスは苛立たないでもなかった。だが「腸が煮えくり返る」と自分のハラワタが実際に煮えてしまうので、ここはおさえた。

「では、試合の前に……恒例の、発表です。つまり……今回の、試合場を!」

 黒服は大仰に両手を広げた。サイクロプスからすれば慣れたものだ。
 シンプルな闘技場から学校、山や海などの大自然に至るまで、このゲームの闘技場には様々なステージがある。

「今回のステージは……こちらです!」

 バン!

 目の前のディスプレイに、風景が投影された。それを細木は裸眼で、サイクロプスは瞼の裏で見る。
 先ほどまでもがいていた細木も、一度動きを止めて、画面に見入った。
 外観は、小ぶりな洋館に見えた。特におかしなところはなさそうだが。

「ただの洋館と侮るなかれ……どれ、試しにわたくしが軽く案内してみましょう」

 ――シュン! と転送装置が作動し、黒服の姿がその場から消えた。
 そして画面の中に、手を振る彼が現れる。

「ここは五年前、ある大富豪が趣味のために建てた館でして。あらゆる箇所に彼のこだわりが詰め込まれ――」

 言いつつ、彼はドアノブに手をかける。

 その手に、触手が巻き付いた。

「「――!?」」

 サイクロプスと細木が同時に反応する。
 触手……まるで軟体生物の足のような触手であった。それはギッチリと黒服の腕を拘束し、離さない! そして間髪入れず――

 ヌ バ ア ァ ァ ーーーッ

 ドアから何本もの触手が追加で這い出した! それらは黒服の全身に絡みつき、服の中に入り込み、生身の人体をむさぼった!

「こっ、このように……っ❤ 油断❤ ならぬっ❤ トラップが❤❤ 侵入者をとらえて、離さにゃっ❤ おおうーーーーーッ❤❤❤」

 ビクビクビク、と黒服の体がのけぞる! 最初の慇懃な態度はどこへいったんだ!
 彼はそのまま触手の海に飲み込まれ、すぐにその姿は見えなくなった!!

「やった、とらえたぞ!」「久しぶりの新鮮な肉体だァー」「パパ、ボクにも分けてよう」「そうだぞ、山分けだ」「では私は脚を」「口を」「胴体を」

 あわれ触手の山と化した黒服の体からは、触手たちのアットホームな会話まで聞こえてくる始末。なんというおぞましき光景――!

「「…………!!」」

 サイクロプスと細木は、言葉もなくその様子に見入っていた。

 コツ、コツ。

 そんな中。意識を現実に引き戻すように、靴の踵を鳴らしながら、二人の前には新たな黒服が現れた。
 新たな黒服は顔面を覆う仮面をしており、仮面には大きく「2」と書かれている。彼は平然と話をつづけた。

「おわかりいただけたでしょうか。ここは、ある好事家が、その資産の200%を投じて建設したこだわりの結晶、狂気のエロトラップダンジョン!」

「お二人にはここで戦って頂きます……果たしてどちらが勝つのか、はたまた双方ともエロトラップの餌食と化すのか……」

 平然と言ってのけた黒服2に、対戦者の二人は同時に発言した。
 化け物と少女。見た目の差はあれど、今やその心はひとつだった。

「「……ちょっと待って!!? 今の何!?」」
「待ちません」

 だがデスゲーム運営は冷徹非情であった。
 彼らは淡々とゲームを遂行するのみの存在なのだから――。

「いや、さすがにこれは待っ」
「ノー」

 食い下がったら、英語で断られた。
 対戦する両者の足元が光り、魔法陣が出現した。
 戦場への転送が、行われようとしている――!

 こうして、二人の戦いは、始まってしまったのだ。

 ◆

「……フゥーーーーーーーッ」

 繰り返すが、冗談ではない。
 サイクロプスは深く呼吸し、自らをニュートラルに戻す。

 いったん、退くしかない。
 敵は二つ。一つは「細木綾乃」という化け物。
 そしてもう一つは、この建物そのもの……!

 戦いばかりの生活で「地に足がついていない」ゆえに、常に浮き。
 金銭的に追い詰められ「火の車」ゆえに、常に燃えている。
 その目は「皿のよう」で、大金を前に「目の色を変え」てからは、ずっと色彩が変わり続けている。

 戦っていたら、自然とそうなった。そこまで自分を追い込んで、己の姿のすべてを捨てて、やっとここに立っている。
 だが……そのような化け物ですら、楽勝とはいかない。

「――フッ。流石は決勝ってわけか」

 サイクロプスは廊下を後退し、背後にあった部屋に入ることを選択した。
 ドアに手をかける――何も、起こらない。
 もちろん全てのドアに触手というワケでもないだろう。

 浮遊したまま部屋の中へ。すると……思いもよらぬ方向から襲撃があった。
 ――天井!

「みんなァー、エモノだぜぇー!」「なんかヒトっぽくなくない?」「構うもんか、いただこうぜ」「悪いな、俺たち雑食なんでなぁ」

 和気あいあいとした触手たちの会話が耳に入る。
 このエロトラップダンジョンは週休二日、三食冒険者つき。アットホームな職場です!
 暇をもてあました触手のアナタも是非!

 幾本もの触手がサイクロプスへ伸ばされる。
 対するサイクロプスは、大きな目をぎょろっと開いた。

「俺がただヤラれると思うか……俺は常に、敵対者には『目を光らせている』ぞ!」

 ――カッ!!

 瞬間、閃光。
 サイクロプスの眼球から放たれた光が、触手たちの目をくらませる!
 同時に殺人光線も眼球から視界全体に拡散! 人間相手ならば集団相手でも必殺となる大規模破壊奥義であった。

 だが……

「ギャー! まぶしい!」「まぶしいぞ!」「まぶしすぎるだろう!」「まぶッ! まぶーーーッ!!」

 触手たちのリアクションは「まぶしさ」のみ!
 当然である。ヒトを殺めるに特化した殺人光線は触手には通じないのだ。
 一瞬の停止の後、触手たちの進撃が再開!

「ヌゥ、く、来るか……!? ならば」

「よっしゃ襲うぜー」「ヤるぜー」「毎日がレイプ日和」「でもこれどっから襲えばいいの?」「目がデカくてキモい」
「化け物じゃん」「化け物だなあ」「化け物~」

 おお、何たることか……。
 触手の群体であるヌメヌメの奇妙生物から、連続して化け物コール!
 いったいどの口で化け物とか言うのか! そもそも口もないくせに!!

 だがそれも……サイクロプスには、折り込み済みであったのだ。

「ハハ、化け物か。お前らから見てもそうとはなあ! まったく、今日も言われるとは思わなかったぜ」
「おかげで……すっかり」
「『耳にタコができちまった』ぜ」

 彼の耳に、巨大な一対のタコが出現!
 タコは八本の足を伸ばし、襲い来る触手に対抗し……ねじ伏せる!

「嘘やん。コイツ触手まで生えたぞ!?」「同胞?」「同胞ではなくない?」
「どっちにしたってキツイわー」「マジ化け物!」

 仕方なく触手たちは方向を転換した。

「上半身がダメなら下半身、狙ってこう!」「そうだそうだ! 下の穴は正直かもしれない!」「やったるでー」

 ターゲット、変更。その手をサイクロプスの下の穴に伸ばす。
 異形となったサイクロプスにも、穴はある。
 彼はこんなんなっても、生物学的には男性。すなわち下の穴はひとつである。

 だが、おお、触手たちよ、それは失策である!

「あー、そっちは、地獄行きだぜ」

 サイクロプスはこともなげに、クールに言った。
 下の穴を狙われて、ここまで平静と受け答えできるナイスガイがここに存在した!
 だがそれも当然である。

「こっちはいつもギリギリなんだ。とっくに『ケツに火がついてる』もんでな!」

 そう、炎!
 サイクロプス染谷のケツの穴は燃えているのだ!
 あわれ、襲いにいった触手たちはダメージを受ける!

「「「ギ……ギャアァァアアーーーーー!!!」」」

「……どうやらここは、俺の勝ちだな」

 そうして悠然と、サイクロプスはその場に浮遊した。
 煌々とケツを燃やしながら勝ち誇るサイクロプスからは、いっそ男気すら漂っていた。
 読者諸氏におかれましては、そんな彼に惚れる権利がある。
 それは人に許された自由。権利なのだから……。

「や……やってられるか……!」

 敗北した触手たちは、たまったものではない。

「こんな化け物がくるなんて聞いてない!」「三食冒険者つき、レイプし放題だっていうから雇われたんだぞ!」
「うちの子がケガしたんですけど!?」「痛いよー」
「だいたい給料だって安いと思ってたんだ!」「そういえば先月の残業代出てないぞ!」

 そして触手たちは、即座に動いた。彼らの矛先はサイクロプスではなく……このダンジョンのオーナーに向いた!

「やってられるかー!」「「「やってられるかーーー!!」」」
「労働環境の改善を要求する!」「「「労働環境の改善を要求する!」」」

 触手たちは頭(?)にハチマキを巻き、プラカードを掲げて立ち上がった!!
 エロトラップダンジョン業界にも労働者闘争の波が!
 そう、労働ってほんとクソだよね。あーあ、明日あたりウチの会社に隕石が衝突しないかなぁー!!

「は、はァ……?」

 展開についていけないサイクロプスを置いて、触手たちは行進を開始した。

『ベア要求』
『触手に人権を』
『健全なエロトラップダンジョン環境の実現』

 掲げられたプラカードには、豪快な筆使いでそれらの文言が踊る。
 健全なエロトラップダンジョン環境っていったいなんだろう。

 彼らは部屋の出口へ向け、猛烈な勢いで進んでいった。
 しかし。
 ――しかし。



 細木綾乃がそこに立っていた。



 流れが止まった。触手たちがざわめき、身をくねらせる。
 突然、最上級の女の子(エモノ)が現れたのだ。

「お? これは?」「女の子じゃん」「運営の粋な計らいか?」

 嬉しそうな触手たちを眺めつつ……サイクロプスは、苦み走った笑みを浮かべる。

「…………来やがった」

 その場の彼らに、情報が流れこんでくる。
 有無を言わさぬ、細木綾乃のプロフィールの群れが。

 ――細木綾乃。バレンタインでチョコを渡した経験は一度だけ。ちょっと失敗した手作りのチョコケーキ。

「ひっ。ここ、さっき映像で見た部屋……?」

 不安げな表情で綾乃が一歩退く。
 触手たちはそんな初々しいリアクションにひとしきり盛り上がり……そして無防備な少女へと、その手をついに伸ばす。

「「「労働環境の改善ーーーーーッ」」」

「えっ……きゃあ!?」

 綾乃はその身をかばうように両腕をクロスさせて体を守った。
 だがその腕に、触手たちは容赦なく巻き付いていく。
 いや、腕だけでない。脚もだ。

 地を這うように迫った触手の群れは彼女の両脚を巻き取り、無様に開かせる!
 ワンピースの裾から、彼女の白い太股の付け根までもが露わになり、外気に晒される。
 そしてその奥の秘部へと、触手の先端が入り込み――。

「そんな……お願い、やめ、」

 ああ、だが、触手たちよ。理解しているのだろうか。

 その様子を見ながら、サイクロプスは決して手出ししなかった。
 彼は理解していた。細木綾乃は油断ならぬ相手である。

 何しろ――細木綾乃は淫獄流をほぼ極めており、前年の淫獄大相撲では最高位である「横綱」の位を獲得。

 さらに一昨年の淫獄オリンピックでは、日本に二十八個もの金メダルを持ち帰っている。処女のままこの偉業を成し遂げた人間は、歴史上存在しない。

 彼女は、業界においては英雄である。

「やめて――ってばぁ!」

 もがくようにさまよった彼女の手が、触手の一本をつかみ取る。
 その瞬間。

「――うひゃぁぁああ!?❤❤」

 びびくん! と捕まれた触手が反応した。

「お願い、わたしは、わたしは……自分が誰かもわからない。恋人だっていたかもしれない。好きな人くらいいたのかもしれない。なのに、こんな目に遭うのは――ッ」

 綾乃の両手は反射的に動く。身体が覚えている動きだ。
 次々と、触手を掴む。あるいは、さする。撫でる。

「ひゃあ❤」「ひええ❤」「う……うああああああ❤❤」

 そのたびに、触手たちが身を躍らせてその場に落ちていく!
 気が付けば綾乃は、襲い掛かってきた触手たちを全て退けていた。

「な、なんなんだその技は……!」

 恐るべき綾乃の無双に、サイクロプスも驚愕! あとドン引き。

「な、なにこの技…………わたし、いったい……?」

 そしてこの光景に、細木綾乃もドン引きしていた。そりゃそうだ。

「ば、馬鹿な……その技は」「長老」「知っているんですか、長老?」

 そしてその様子に、ようやく一本の触手が反応した。彼にも細木綾乃の「記憶」が流れ込んでいた。

「師匠……お帰りになられたのですか……! 見た目が随分変わっていたもので、わかりませんでしたが」
「はい? 師匠???」

 触手たちの「長老」は、今やすべてを理解していた。
 綾乃は、なんにも理解していなかった。

「なつかしゅうございます……淫獄流の道場で、あなたに技を教わった日々……」
「え? ええ? わたしが??」

 困惑する綾乃に、長老は思い出語りを始めようとした。
 綾乃は混乱しつつも、自分の過去に関する情報を、漏らさず聞こうとした。
 ――のだが。

 ゴ ゥ ッ。

 その会話は、燃え盛る炎によって遮られた。
 大きな目を歪ませたサイクロプス染谷が、そこへ割って入った。
 彼は落ち着いた声で触手たちに言った。

「戦う気がないなら、のいていろ」

 サイクロプスは確認するように二、三呼吸をし、自らを落ち着けた。

「俺は、覚悟を決めたぞ。どっちにしろ俺には、戦うしかないんだ。相手がどんな……『化け物』であれ」

 決意し、向きなおる。その力強い瞳で、細木綾乃を見つめながら――

 ――(シュン)

 その刹那、彼女の姿が消える。
 サイクロプスが「見つめた」という事は、殺人光線が綾乃を狙ったという事だ。
 その危機を本能的に感じ取り、彼女は回避した。

「そうだ……それでいい」

 サイクロプスは嗤った。

 危機を察知した触手たちが避難していく。
 細木綾乃だけがそこに残される。

 一対一の戦いが……再び始まる。

 ◆

 右へ左へ、宙に浮いたまま攪乱する動きで、サイクロプスは殺人光線を乱射する。
 しかし細木綾乃は、その全てをかわしている。

 そして瞬間移動のようにサイクロプスの背後に現れ、確実に一撃を入れていく。
 その一連の流れは、武道の型のように洗練されたものだった。

「ぐ…………ッ」
「わたしは、何で、こんな……」

 ここに至って未だ、綾乃には戦意と呼べるものはなく。
 ただ襲われたから、反射で殴ったり蹴ったりしているだけだ。
 それでここまで強いのだから、もはや笑うしかない。

 そしてその間にも、細木綾乃の過去に関する情報は絶え間なく、サイクロプスの脳裏に入ってくる。

 ――細木綾乃。嫌いな食べ物はパクチー。近年のブームには一言物申したいと思っている。

 ――細木綾乃。ヨガ35段のヨガマスター。必殺の「フェニックスのポーズ」をとった際には全身から炎が吹き上がり、その炎に触れた者は、肩こりや腰痛などが完治する。

「冗談みたいな存在だぜ……」

 だが、これらの情報が「真実」であるということが、実感としてサイクロプスにはわかる。そのように伝えるのが、綾乃の能力「鏡面勿忘草」の効果であった。

 だから。これら全てが真実であるからこそ。
 その次に伝えられた情報は、サイクロプスには聞き逃せないものだった。

 ――細木綾乃。日本病弱な妹ランキング24位。直近でランカーに登録されたばかりの新鋭である。

「……何……だと!?」

 そこで、サイクロプスの動きは一度止まった。

 ◆

「あぁ~~~、何をやっているんだ!」

 最初に、サイクロプスと綾乃が案内された転送の部屋。
 そこで、白衣を着た男の一人が悔しげに天を仰いでいた。

「記憶喪失ってとこは、めちゃくちゃポイント高いのにさぁ~~! そんな運動能力なんか発揮したら、減点だよ減点」

 そうして男は、手にしたフリップボードに、いくつもバツを書き込んでいく。

 この部屋に、綾乃を連れてきた男は三人いた。
 一人は、このデスゲームの運営である黒服。綾乃に肘打ちでのされ、今は気を失っている。
 もう一人は、医者。綾乃が原因不明の病気で記憶喪失となったため、その経過を観察している。

 そして最後の一人こそ、病弱妹審査員。
 妹を愛し、病弱を愛し、そこに優劣を判定して最高の病弱妹を求める狂気の徒!

 だが、この細木綾乃はちょっと期待外れだった。
 儚げな雰囲気があり、見た目は100点。
 口調も常に、どこか不安げで申し分ない。

 しかし……しかし、ここまで強いとはなあ~。異形のサイクロプスをボッコボコに叩いちゃってるからなあ~~。

 残念ながら綾乃は、こちらの方面ではトップを狙えそうになかった。
 何事にも、向き不向きというものはあるのである。

 ◆

 サイクロプスの脳裏には、流れ続ける。
 細木綾乃の過去が。
 それは、病弱妹ランカーとしてこれまで過ごしてきた記憶であった。

 彼女はこれまでに、数々の妹と対峙してきた。

「くっ……今日のところは私の負けだ。だが……貴様を倒すのはこの私。私が倒すまで、健康になるんじゃないぞ……!」

 ――28位、肺炎のアユミ。

「くく……中国四千年の秘術を用いれば、不健康を保つなど造作もないネ。この『逆漢方』でランキングを制すのは、私アル」

 ――中国代表、胃ガンのラオ・チェン。

「日本の病弱、低レベルデース!!」

 ――アメリカ代表、骨折のマリア。

 いずれも劣らぬ、病弱にして妹である精鋭たち。

「なるほど……こんな奴らと戦ってたってワケか……お前も……そして」

 サイクロプスは目を伏せた。
 瞼の裏には――妹の姿が、ありありと映し出される。

「真白も…………!!」

 映し出された妹の真白は、病室に一人、胸に秘めたスピリタスの瓶をぎゅっと握り、兄の勝利を信じて待ってくれていた。

「そうだ……真白……真白。俺には、真白がいる。負けるワケにはいかないんだ」

 その姿は、サイクロプスに己の原点を思い起こさせた。
 己が何者であるかを、思い出させた。

 そして。サイクロプスは、ある衝動にかられた。
 綾乃の情報ばかりを、自分に伝えられて。自分は何も伝えられていない。

 自分も、伝えたいとおもった。ぶつけたいと思った。

 サイクロプスは目を閉じたまま、綾乃の正面に向きなおった。
 目を閉じたままでなくては、綾乃の正面に立つことはできない。
 この対戦相手に、正面から伝えたかった。

「――俺は! 俺には、妹がいる!!」
「…………?」

 突然叫びだしたサイクロプスに、綾乃は驚きつつ動きを止める。

「病気の妹だ――真白、という。俺たちはたったひとりの兄妹だ。いつ死ぬかわからない……難病なんだ。だから、俺が支えてやらなきゃならない。俺が、なんとかしてやらなきゃならない」

 別に、同情を誘おうというワケではない。
 手加減してもらおうなどとは思っていない。

 自分が何のために戦うのか。自分は何のために生きるのか。
 己が――何者であるか。

 それは、戦うための力になる。
 生きるための力になる。

「妹のために――俺は、細木綾乃。お前に勝つ……!!」

 だからそれを、ハッキリ宣言することで。
 きっと、もっと、力を得ることができるはずなのだ。

「…………!!」

 それを聞いた、綾乃は。
 完全に固まり、動けなくなってしまった。

「……ず……」

 そして彼女は、吐き出す。
 相手の境遇を聞いた、彼女なりの、思いのたけを。



「ずるい…………!!」



 サイクロプスは耳を疑った。
 思わず聞き返す。

「……は?」
「ずるい、ずるい、ずるい……!」

 駄々をこねる子どものように、綾乃は頭を振って、美しい髪を振り乱した。

「私には、そんなのない。私には、何もないのに……!」

 彼女は両目から涙をこぼし、感情をむき出しにした。
 そう。記憶はなくとも、感情はある。

「わたしには、記憶がない。 だから思い出がない。出自がない。歴史がない。 つまり、自分がない……!」


「自分とは、過去からつくられる。わたしにはそれがない! 過去がない。未来もない。 自我ってものがない。」

「どうすればいいか、わからない……!!」

 ――何かのために、戦わなきゃならないんだとしたら。
 ――何かのために、生きなきゃならないんだとしたら。
 ――わたしは、何のためにも、生きることができないじゃないか……!!

 ド ッ

 直後。衝撃が、サイクロプスを襲った。
 正面からの、飛び蹴りだった。

 細木綾乃が、目で追うことすらできないスピードで、蹴り脚をサイクロプスの胴体に突き刺したのだ――!

「ガハ…………ッ」
「もう……いい」

 綾乃の眼が、変わった。
 攻撃されるから仕方なく殴り返す、さっきまでの綾乃ではない。
 自分から攻撃するという意思を持った、明確な戦意の眼に変わった。

「過去とか、自分とか、どうでもいい。わたしに記憶はひとつしかない」
「そのひとつのために、わたしは戦うことにする」

 トッ、と綾乃が着地する。戦い方は、わからない。思い出せない。ただ、体が勝手に動こうとするままに、動かそう。

「わたしは何者? わたしは、滝沢ユリカの友達。それだけ」
「ユリカのところに、わたしは帰る。そのために戦う」

 ヒュンヒュン、と脚を動かす。その全てが蹴りの打撃となり、左右からサイクロプスを襲う!

「また会おう、って、約束したから」

 サイクロプスは、その光速の蹴りを、かろうじてガードした。
 そして再び、目を……開く!

「その戦意……受け取った! だが俺は、負けない!」

 殺人光線が前方に飛ぶ。それを綾乃は横っ飛びでかわす。
 サイクロプスはそのまま、ぐるりと周囲を「見渡した」。
 それだけで、全方位に殺人光線をばら撒くことができる!

「全部……見えるよ!」

 だがそれすらも、綾乃には当たらず。彼女はサイクロプスの視線を追って、的確に光線をくぐり抜けていた。

「チクショウ……もう、殺人光線(コイツ)だけに頼るのはやめだ!」

 バッ、とサイクロプスが両手を広げた。

「俺たちは、いつも金がなくて……『爪に火を点す』つもりで、ずっとやりくりしてきたんだ!!」

 そしてその両手の指から、炎がゴゥ、と噴き上がる。
 目を開き、殺人光線も放ったまま、炎の爪で綾乃へと躍りかかる。

 右、左、左、右。

 突き出される両手のツメをかわしながら、綾乃はサイクロプスの左腕を二度、さすった。
 それだけで。
 ビクビクン、と左腕が痙攣し、マヒしたように動かなくなった。

 左腕が……「イカされた」!
 これが淫獄流の戦い方である。だがサイクロプスは怯まない。

「ウオ……オオオオオオ!!」
「病気の妹さんがいるからって……それだけで……勝たせるもんか」

 綾乃は左右の手を構えた。
 頭では覚えていなくても、体が覚えている。覚えている体が、ここにある。
 きっとそこまで含めて、自分なんだ。

 ――わたしは今まで、随分といろんな経験をしてきたらしい。
 随分といろんな実績を持っているらしい。たいした人物であったらしい。
 様々なことを学び、身に着け、強くなってきた。

 その後、突然の記憶喪失で、すべてを失い、今覚えていることは……ユリカの友達。
 それだけだけど。
 それが、細木綾乃だ。沢山のものを手に入れて、失って、今ここにいる、わたしが!

「わたしは」
「俺は」

 二者が交錯する。サイクロプスが右腕を突き出す。綾乃がその腕をさすり、無力化する。
 これで使える腕がなくなった……と、思わせる。そこが、チャンス。

「俺は……この勝利が、『喉から手が出るほど』欲しい……ッ!!」

 サイクロプスが叫ぶ。言葉通り……口から三本目の腕が、伸びた。

「…………!!」

 綾乃もこれは読めなかった。脇腹に痛打を受ける。
 だが……そこまでだった。

「わたし、は……!!」

 綾乃は痛みに耐え、止まらず、前進した。相手の眼から出る殺人光線をかわし、正面から、サイクロプスの異形に……抱き着いた。

「な……!」
「わたしは……細木綾乃、です」

 あまりの意外な行動に、サイクロプスが怯む。それがいけなかった。
 この抱擁は、愛ではなかった。慈悲でもなかった。

 この抱擁は……攻撃だった。

 淫獄流奥義――『阿片顔双平和(アヘガオダブルピース)

「の……ォ オ ォ ッ !!!❤❤❤」

 ビク……ビビビクン!!
 全身をのけぞらせ、サイクロプスが膝をついた。

 体中の筋肉を愛撫によってコントロールされ、相手の姿勢を強制する……恐るべきこの奥義は、決まれば相手の体を麻痺させ、「ダブルピース」の形に固定してしまう。

 そして顔の筋肉にも力が入らなくなり、気の抜けた「アヘガオ」を晒してしまう。その表情の完成とともに、技をかけられた者は意識を手放すのだ。

 もし通常時であれば、サイクロプスも、この表情の変化に抗うことができたかもしれない。だが今、彼の喉からは、太くて固いモノ――そう、第三の腕が生えており、歯を食いしばるなどの抵抗ができなかったのである。

 もはや、声も出ない。身体を動かすことすらできない。

(真白……真白ォ……ッ)

 サイクロプスは声帯を震わせることすらできず、声なき声をあげながら崩れ落ちた。
 決着であった。

 ◆

「……俺から離れろ。すぐにだ」

 意識を取り戻してすぐ、サイクロプスは綾乃にそう言った。

 チャチャラチャーチャーチャーチャッチャラー……遠く、決着を告げるファンファーレの音が聞こえる。勝敗はついたのだ。

「俺の体には、核爆弾が仕掛けられている――お前もそうかもしれんがな。敗北すると、爆発する仕組みらしい」

 そこでサイクロプスはふう、とひとつ息をつき、

「俺も……ここまでか。巻き込まれないうちにお前は離れるんだ。そしてできれば、真白……俺の妹に、よろしく伝え――」
「あ」

 だがよりによってその言葉に、綾乃は口を挟んだ。

「なんだろう……もしかして、わたし、これ……わかるかも?」
「な……何を」

 そこでサイクロプスに、綾乃の過去が入り込んでくる。「鏡面勿忘草」。

 ――細木綾乃。十八歳。危険物取扱128段。専門は、核を使用した爆発物――。

「はは」

 綾乃はすべての爆弾を素手で解除した。
 サイクロプスは笑った。笑うしかなかった。

「お前には、かなわないな」

 ◆

 ――その後。

 染谷真白は、病弱な妹ランキングから脱落した、と発表された。
 「病弱」の資格を失ったことが、その理由として説明されている。

 本人はたいそう悔しがったそうだが……彼女の兄は、それを何よりも、何よりも喜んだそうである。

 真白が「病弱」を失ったのは、善意の人物からの入金により、手術費用がまかなえた事によるものだった。
 その「善意の人物」は入金に添えて、手紙でこう語ったそうである。

「今のわたしの記憶だと……他に使い道が思いつかないの」
「それと」
「わたしは、困ってる人をちゃんと助ける人間……らしいから」

 ◆

「ねえ、ユリカ」
「なに? 綾乃」

「わたし、すごい事をしてきちゃったよ」
「すごい事?」

「うーん、でも……ま、いっか。言っても信じてくれないだろうし」
「えー。何よそれ」

「えーとねえ……とんでもない魔人と死闘をしたり……その魔人の命を救ったり……あと、魔人の妹さんを助けたり」
「い、意味わかんない」

「ねー。わかんないよねー? だから、いいの」
「はあ」

「でも、すっごい体験だったよ。記憶にある限り、一番の思い出」
「だから、その記憶がないんじゃーん」

「あははは」
「あははは」

「あはははは……はあ。うん。やっぱり、帰ってこれてよかった」
「うん?」

「だから……その……ね」



「また会えてよかったよ。わたしの、たったひとつの記憶(ともだち)
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