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まずはじめに自分で書いてて不愉快になる話。
先天的な病で苦しんでる人がいる。
渡米して手術すれば直る可能性があるという。
その費用にうん千万かかるという。
渡米して手術すれば直る可能性があるという。
その費用にうん千万かかるという。
その人が若く、これからがある場合募金をしてその人のために何かしてあげたいと思う。
しかしよく考えてみると、その人がもし元気になって病をもってない人と同じような暮らしができるまで回復したとしよう。そのとき彼、ないし彼女は結婚をし、子をなすかもしれない。その子が先天的な病を持って生まれたときどうするのだろう?仮にその子には運良くその先天的な病が発現しないかもしれない。しかし、その子がまた子をなした時、その人のために何かしたくなるような症状を持って生まれない可能性がないといいきれるのだろうか?そのときまでに医学がその病を感知させることができるといえるのだろうか?
しかしよく考えてみると、その人がもし元気になって病をもってない人と同じような暮らしができるまで回復したとしよう。そのとき彼、ないし彼女は結婚をし、子をなすかもしれない。その子が先天的な病を持って生まれたときどうするのだろう?仮にその子には運良くその先天的な病が発現しないかもしれない。しかし、その子がまた子をなした時、その人のために何かしたくなるような症状を持って生まれない可能性がないといいきれるのだろうか?そのときまでに医学がその病を感知させることができるといえるのだろうか?
人間失格なことを言ってるような気がするが、そう考えるのも人間の一部分であると思う。
次にオタクの話。
よくおたくが自分の世界を持っていて現実をみていなくてついていけないという話を聞く。はたしてそれは真実なのだろうか?彼らが見ているのは非現実。非現実を見るのはその根本に現実からの拒絶があるからだ。その性質について、その性癖についての疎外があるからだ。ならば彼らの見ているのは現実の逃避先としての非現実だ。現実ばかりをみていたら精神を壊し、現実を見れなくなるから。そして彼らが非現実で見てるのは、アニメだろうが漫画だろうがゲームだろうが、アダルトゲームだろうが、妄想だろうが、それは現実の写像に過ぎない。まったくの無から生み出すことはおたくのすることではない。オタクが好きなものではない。で、あるなら彼らが見ているのは現実なのだ、どうしようもない現実の中で、自分が壊れないため、現実を見失わないため、彼らは現実と付き合うために世界を築いているのだ。オタクではない人間よりもはっきりと現実と付き合っているのだ。たまたま性質や性癖が、現実と融和している普通の人間のように漫然と付き合うことができないので、完全と付き合っているのだ。より現実的に現実と付き合っているのだ。普通と呼ばれる人が作った逃避しないと現実と向き合えないような利己的で排他的な現実の中で。
よくおたくが自分の世界を持っていて現実をみていなくてついていけないという話を聞く。はたしてそれは真実なのだろうか?彼らが見ているのは非現実。非現実を見るのはその根本に現実からの拒絶があるからだ。その性質について、その性癖についての疎外があるからだ。ならば彼らの見ているのは現実の逃避先としての非現実だ。現実ばかりをみていたら精神を壊し、現実を見れなくなるから。そして彼らが非現実で見てるのは、アニメだろうが漫画だろうがゲームだろうが、アダルトゲームだろうが、妄想だろうが、それは現実の写像に過ぎない。まったくの無から生み出すことはおたくのすることではない。オタクが好きなものではない。で、あるなら彼らが見ているのは現実なのだ、どうしようもない現実の中で、自分が壊れないため、現実を見失わないため、彼らは現実と付き合うために世界を築いているのだ。オタクではない人間よりもはっきりと現実と付き合っているのだ。たまたま性質や性癖が、現実と融和している普通の人間のように漫然と付き合うことができないので、完全と付き合っているのだ。より現実的に現実と付き合っているのだ。普通と呼ばれる人が作った逃避しないと現実と向き合えないような利己的で排他的な現実の中で。
まあ、秋葉で顔をさらす人や犯罪犯す人、テレビで萌えとか平気で言うようなハードおたくの人は知らないけど。
最後にまた人間失格の話
私は子をなすのが怖くてたまらない、私自身生きていたいと感じることはもうほとんどなくなっている、痛くなくて怖くないのなら次の瞬間にでも死にたいと思っている。能力のない自分やそれより劣る他人に対して侮蔑することや、あきれることしかできない、そんな私が子をなすのははっきりいって悲劇だとしか思えない。生きるための技術を教えることはできても、生きる喜びや生きる意味などははっきりいってまったく教えることができないだろう。それはもうどうしようもないくらいに。まあ、最近そんな話も、予定もない、煙も立たない状態ですが。
私は子をなすのが怖くてたまらない、私自身生きていたいと感じることはもうほとんどなくなっている、痛くなくて怖くないのなら次の瞬間にでも死にたいと思っている。能力のない自分やそれより劣る他人に対して侮蔑することや、あきれることしかできない、そんな私が子をなすのははっきりいって悲劇だとしか思えない。生きるための技術を教えることはできても、生きる喜びや生きる意味などははっきりいってまったく教えることができないだろう。それはもうどうしようもないくらいに。まあ、最近そんな話も、予定もない、煙も立たない状態ですが。
カテゴリ: [日記] - &trackback() - 2005年07月08日 22:31:50
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